山の自然

身近な野山の花、虫や鳥たちの写真を撮ってます。それと農業も。

初戦突破ならず 

2011年03月30日 | その他
東日本大震災の被災地から出場を果たした東北高校(宮城)は、1回戦最後の試合として大垣日大(岐阜)と戦いましたが0―7で敗れてしまいました。

初回から大量得点を取られながらもあきらめず、力一杯のプレーでした。

地元の方々も、テレビでの観戦でしたが、敗れても与えた感動は大きかったようです。

選手達は、地元の方々のことを思い精一杯のプレーを、地元の方々は一つ一つのプレーを見てこれからの再建を誓い、生きていく力と勇気をもらったようです。

高校野球は、開催されて正解でした。

若い彼らが出場して、どれだけの被災された方々が力づけられたことか・・・。

思わず、こみ上げてくるものがありました。

「地元に帰ったらまたボランティアをします。」

夏にもう一度甲子園に必ず戻ってきて大暴れしてもらいものです。

高校野球

2011年03月28日 | その他
今年の高校野球は、開催までいろいろありましたね。

そうです。

東北・関東大震災が起きたためです。

開催に賛否両論なりました。

このような事態なのだからと、開催に消極手な考え方。

このようなときだからと、開催する方がみんなに元気を与えることが出来るという考え方。

結局、被災地の東北高校が、「開催されるなら出場したい」との思いが伝わり無事開催されることとなりました。

そして、選手宣誓。

今年の選手宣誓は、なんと岡山県代表、創部1年目で初出場の創志学園でした。

野山主将も「やってほしかったけど、正直、中止も覚悟していた」と、大会前の心境を吐露した。

宣誓。私たちは16年前、阪神淡路大震災の年に生まれました。今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。人は、仲間に支えられることで大きな困難を乗り越えることができると信じています。私たちに今できること。それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。がんばろう!日本。生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。

残念ながら接戦の末、1回戦で姿を消しましたが、創志学園の野山主将は「元気よく、最後まであきらめない試合はできた。あとは僕らの思いが、被災地の方々に届いてくれることを祈るだけです」と、必死に涙をこらえながら語っていました。

この選手宣誓の内容は、部員全員で考えたそうです。

地震で先の見えない日々を過ごしている方々に対して、また、我々にも勇気をを元気を与えてくれたのではないでしょうか。

明日は、いよいよ東北高校が登場します。

がんばれ!東北高校!


恩師の近況

2011年03月25日 | その他
私の高校時代。

入学すると、取りあえずなにか部に所属しなければなりませんでした。

「何の部に入ろうかな?」と考えたあげく入部したのは「写真部」。

自分の専攻している科目に役に立つだろうと入ったのですが、いつの間にか通っていたのはなぜか「演劇部」?

これには深いわけが・・・。

「演劇部」の顧問は、私が1年生の時の担任だったのです。

演劇部の公演の際に、スタッフ不足で「写真部」の私に白羽の矢が立ったのです。

何で?

スライドで背景を映す役目をおおせつかったのです。

「写真部だから、同じようなもん!何とか出来るだろう」の一言で臨時部員に。

それが腐れ縁で、知り合ってからすでに四十年も過ぎ、先生も71歳に。

お互い歳を取ってしまいました。

それはよいとして、「生徒との掛け買いのない時間を形に残したい」と高校演劇部顧問としての24年間に、自らの高校演劇時代の2年を加え、各年の演目、大会成績、部員数と言ったデーターと、悲喜こもごものエピソード、劇評、部員の回想録などを収録した「わたしの高校演劇」を自費出版されました。

私は、演劇自体は申し訳ありませんが余り興味がなく、人手不足時の裏方専門部員でした。

しかし、当時教員になってまだ4年目、熱血漢教師の固まりであった恩師にひかれ、付き合い歴40年を過ぎた現在もお付き合いさせて頂いています。

都合の良いときだけの自宅訪問にもいやな顔一つされず、いつも温かく迎えてくれるのです。

今の私があるのは、この恩師によるものが大変大きなものがあります。

先日、出版されたときに電話をさせて頂きましたが、何年たっても気持ちだけは、お互いに高校時代のままでした。

これからまだまだお元気で過ごして頂きたいものです。



救援物資

2011年03月22日 | その他
このたびの大地震で被災地では、寒い中十分な食料や資材もなく大変な思いをされています。

私の知人が住んでいる栃木県小山市にも避難村が出来ているそうです。

被災地への援助として、援助物資の受付を始めたそうです。

※ 被災に遭われた地域の皆様を支援するための物資を3月31日まで受け付けています。

受付ける品目は 未使用又はクリーニング済の毛布、未使用のタオル、バスタオル、米、紙おむつ、ウエットティッシュ 

http://www.city.oyama.tochigi.jp/cgi-bin/odb-get.exe?WIT_template=AC020000&WIT_oid=icityv2::Contents::10840&TSW=upqqbef

今、私に出来ること、とりあえず「おこめ」を送ること。

30kgの玄米を精米してきました。

「標準白米」の精米でなく、今回は「無洗米」にしました。

お米を研がなくても貴重な水を少しでも飲料水に使えるようにと。

寒い中、体が温まりません。

少しでも温かい食事がとれますようにと祈ることだけです。

今これが私に出来ること。

東北・関東大地震

2011年03月17日 | 自然
地震があった翌日から3日間仕事で栃木県に行っていました。

移動手段はなににするか悩んだのですが、結局車で行くことにしました。

東名高速道路も通行止め区間が残っていたのですが、通過時には何とか解除され、15時間あまりをかけていきました。

現地には、早朝到着したため、その日は仕事の後ホテルへ宿泊しました。

場所は、10階。

余震が何度もあり、ぐらぐらと揺れます。

最初は、めまいがしたような感じで始まるのですが、揺れる時間が長いのです。

阪神・神戸地震の時より長く感じることも。

トイレに入っているときに揺れたのは、ちょっとあせりました。

翌日は、道路を走るとガソリンスタンドは長い列ができ、入れてもジョウゲン2,000円まで。

コンビニに行くと食料品を中心に空っぽ状態。

補充がこないそうです。

東京に近い場所だったのですが、この有様です。

岡山の人間としても、危機感を覚えました。

これだけの地震があったのにあまりにも動きの遅い岡山。

12日に高速道路を走っていると、広島市水道局の給水車、先遣隊として多くの物資を満載にした車が3台被災地に向かっていました。

自分たちにできることを考えて被災地の方々を応援していきたいと思います。

また、これを教訓に岡山でも県民全員参加の避難訓練を行うなど、実際に行ってみないと判らないことなど検証して近い将来にくるであろう大地震に備えたいもの物です。

地震と津波

2011年03月11日 | 自然
午後14時26分頃に三陸沖で深さ約20キロメートルでマグニチュード8.8の巨大地震が発生しました。

その後、大きな余震も続いています。

さらに、10mを超える津波の発生が・・・。

報道番組を見るとあっという間に、船をなぎ倒し、車も家屋も流されてしまっています。

多くの方の遺体が発見されたとか。

原発も放射能漏れの危険が発生。

被害が最小限であるよう祈るばかりです。


文旦

2011年03月02日 | 食品・材料・料理
何と読むの?

「ぶんたん」だそうです。

ところで何?

なんでしょう?

果物だったのです。

鹿児島のお土産にいただきました。

直径は15cmを超えていたでしょうか。

大きいですね~。

グレープフルーツかと思ったら、全くの別人、いや柑橘類でした。

実が白色と薄赤色した2種類です。

白色は甘かったのですが、薄赤色の実は、「すっぱーーー!」

初めてのご対面で、あっさりしたおいしさは癖になりそうです。


大失敗!

また写真を撮らずに食べてしましまた。

詳しくは、インターネットで見てくださいね。