山の自然

身近な野山の花、虫や鳥たちの写真を撮ってます。それと農業も。

ありがとうございました

2013年12月31日 | その他
この一年は、年初めに出雲の参拝に始まり、色々ありました。

私も、夏に体調を崩してからこの年末まで尾を引いてしまいました。

「100歳まで頑張る。」と言っていた父がなくなるという、思わぬ事態もありました。

人生の中で一番大きな変化のあった歳となりました。


多くの人に支えられながら過ごしたこの一年です。

私のブログをのぞきに来て下さった多くの方々、本当になりがとうございました。

何気ない事ばかり書いていますが、見てくださる方がおられるというだけで元気がでます。

今年も色々ありがとうございました。

来年もこれからの日本を担う子供たちを応援していきたいと思います。

よろしくお願いします。

いい年をお迎えください。

年末ジャンボ・ジャンボ・ジャンボ宝くじ

2013年12月31日 | まご
父がなくなって早3週間が過ぎてしまいました。

気が付けば、もう年が変わります。

早いですね~。


お正月に来る予定の孫が、大きい袋を持ってきました。

私 「なにかな???」

孫 「じぃじぃ、おめでとう。おおおおお当たりでした。」

私 「何、何?」

孫 「宝くじが当たったよ!」

私 「えっ!宝くじは買っていないよ?」



孫 「ジャジャン~!」



孫 「おおきいでしょう。」

  と億位顔。あっ違いました。得意顔です。

孫 「僕が買ってきたよ。」

私 「どこで?」

孫 「○ナカにあったんよ。」

私 「じぃじぃ、ひぃじぃちゃんが天国に行ったから寂しいでしょ。だから、みんなと一緒に食べたら元気が出るよ!」

孫 「裏を見て。」




私 「これなら、僕でも食べられるでしょ。」


孫 まだ、三歳の孫ですがお兄ちゃんと一緒に買ってきてくれたのです。

小さいながらも色々気を使ってくれます。

優しい気持ちに、目から雨がどっどと降りそうになってしまいました。

ありがとう。

ちょっと早い、お正月のお年玉となりました。

嬉しいですね。

これからの日本を担う子供たち、この優しさで世界を平和にしてもらいたいものです。

おていれ

2013年12月29日 | 食品・材料・料理


今年も残りわずかになりました。

例年だとお餅つきの用意をする時期ですが、今年は父が亡くなったので急きょ中止に。

大好きなお餅が食べれないと思っていたら、孫からの電話が入りました。

「じぃ、じぃ、お餅ついたからこれから持っていくね。」と。

来ると早速説明が始まります。

説明を聞いたところで、「お餅食べてもいいよ。」やっと口に入りました。

このお餅、実は娘と孫が手で田植えをしたもち米です。

秋には手刈りの稲刈りを、足ふみ脱穀機を使って脱穀、唐箕を使い選別、籾摺りをし、やっと玄米に。

勿論、稲架掛け(竹に掛け天日干しにしたものです)にしましたよ。

精米は、コイン精米機のお世話になりましたが。

最後の仕上げがお餅つきになりました。

孫たち、搗きあがるとお餅をもみながら、「あじみ!」と言いながら「パク、パク」と試食の方が多いくらいお腹の中に。

さすがにお餅が大好きなじぃじぃの孫でした。

想い

2013年12月28日 | 農業




奥様が味噌作りを始めてもう10年になるでしょうか?

麹を自分で作り、大豆を煮て、潰して、塩と混ぜ味噌に。

今年は、自分で種豆を植え、苗と向き合って収穫しました。

一生懸命脱穀しています。

一粒、一粒手で取りながら・・・。

来年に入ると、味噌作りが始まります。

ひかりが宿った特別な味噌が・・・、まちどおしい!

わすれもの・・・

2013年12月24日 | 子育て


歳は取りたくありませんね。

お嫁ちゃんが丹精込めて育てた「レモンちゃん」の事をブログに書き込みしたのに、肝心な写真が落ちていました。

どうです?

ちょっと小ぶりですが、きれいな色の可愛いこです。

孫の一女もお気に入りで、「いいこ、いいこ」となでなでしているそうです。

物づくりをすると、いろんな感動が得られ、やっぱりやめられませんね。

貴重なレモン

2013年12月23日 | 子育て
妹から、「柚子が手に入ったので持って来たよ。」と持参してきました。

袋に一杯!

余りの量に、急遽長男のお嫁ちゃんと娘に配達したのですが、

お嫁ちゃんから早速、「ジャムにしたので食べてみてください。」と届きました。


私たちが農業を始めてから、お嫁ちゃんも物づくりに目覚め、今では庭先にプランタンで野菜作りを始めました。

夏には、トマトになす、きゅうり、ピーマンなど何種類も孫と一緒に育てています。


今年は、新たな仲間が増え、ジャムと一緒に届いたのが「レモン」の実です。

昨年苗木を購入し、冬の寒さも何とかしのぎ、無事結実しました。

鉢植えながらも3つの実が実り収穫ができ、そのうちの一つが届いたのです。

もちろんお嫁ちゃんこだわりの農薬、化学肥料不使用です。

我が子に食べさせるため、奮闘中のお嫁ちゃんです。


やっと出来た実、なにか我が子のような気がして使うことができません。

当分の間は、リビングに飾り眺めることになりそうです。




健康

2013年12月22日 | 健康
今年は、夏に風邪をひきその影響がいまだに尾を引いています。

還暦を境に少し体力の衰えが気になります。

「年齢相応」とみんなに言われるも、一番納得がいかないのは自分?

しかし、身にしみてわかるのも自分。

今年もあと9日。

来年に向けて、体調管理をしなければ!

プレゼント

2013年12月21日 | こども




今日は寒かったですね。

山では、木々の葉も吹き飛んでしまったようです。

山と言えば、クマさんたちはどうしているかな?

どんぐりさんは今年は豊作かな?

どんぐりさんと言えば、先日可愛い置物をいただきました。

トナカイさんにひかれた赤い帽子の人。

12月で、赤い帽子の人と言えば、サンタクロースさんですね。

12月で子供が喜ぶ最大の行事のクリスマスです。

この顔を見るといつも思います。

世界中の子供たちに、「平和」と言うプレゼントが届くことを。

ありがとう

2013年12月18日 | その他
何がきっかけだったか分かりませんが、20年ほど前から、どんな方でも何かしていただくと必ず「ありがとう」の言葉を言うようになっていました。

いつも感謝していました。

そして平和な今を生きていることの有難味をかみしめているようでした。

戦争で満州にわたり、多くの戦友を失い、戦地の事は我々には語りませんでしたが、天国で、戦友たちと久しぶりの再会をして喜んでいるかな?


「ありがとう」の一言が何か大きく残っています。

みんなこの感謝の言葉が言えば、争いもなく平和な世界ができるのにとつい思ってしまいます。


やはり、父の背は大きかった。

あの世では、思いっきり好きなことをしてくださいね。

合掌。

最後

2013年12月17日 | その他
最後は、緊急入院して旅立つまで半日あまり。

「延命措置はしない」と前もって遺言書に書いていました。

本人の希望に沿うべき措置を行い、子供、孫に見守られて旅立ちました。

本人も長い間苦しまず、我々もあっという間の出来事で介護もしたとは言えないほどでした。

いわゆる「ピンピンコロリ」を実践したのです。

本人が一番希望した最後でした。

何がきっかけだったか分かりませんが、20年ほど前から、どんな方でも何かしていただくと必ず「ありがとう」の言葉を言うようになっていました。

いつも感謝していました。

そして平和な今を生きていることの有難味をかみしめているようでした。

何がきっかけだったか分かりませんが、20年ほど前から、どんな方でも何かしていただくと必ず「ありがとう」の言葉を言うようになっていました。

いつも感謝していました。

そして平和な今を生きていることの有難味をかみしめているようでした。

不死身?

2013年12月16日 | その他
齢を重ねても、よく「○○へ連れて行ってくれ。」といったものです。

90歳を超えた時、「身延山へ行きたい。」と言う一言で急遽出発。

途中1泊して富士山を眺めながら参拝。

帰りには、「ここまで来たらお伊勢参りをしよう。」と、4泊5日の車での旅行となりました。

帰宅1ヶ月後には、「宮島と出雲大社に呼ばれていると。」2泊3日でまた車で出向き、

96歳になった今年の1月には、遷宮前の「出雲大社にお参りする。」と日帰りで出向きました。

「わしは、車に乗るのが好きだから、どこでも行くぞ!」と言っていたものです。

いや~、元気そのものでした。

こわかった・・・

2013年12月15日 | その他
子供時代、父に叱られたことは一度だけ。

理由は忘れてしまいましたが、状況だけはよく覚えています。

いつも優しく温厚な父が、星一徹ではありませんが、例の「ちゃぶ台返し」をしたのです。

それも数少ない楽しい「七夕様」の日で、お団子やススキを飾っていた机を・・・。

めったに食べることのできないお団子が宙に飛び辛かったこと・・・。

よっぽどのことで怒られたとは思うのですが、思い出せません。

姉も妹も。


おもいで

2013年12月13日 | その他
父は、毎日朝早くから会社まで1時間半ほどかけて自転車で通勤していました。

今にして思えば、暑い夏も寒い冬も一日も休まず自転車を踏んでいました。

母は家計のやり繰りはで大変だったようです。

給料袋は、全て母に渡し、少しばかりのこずかいをもらっていました。

父は文句も言わず、コツコツとためて、会社帰りにお菓子屋さんに立ち寄りおかきの空き缶に一杯おやつを買って帰ってくれたものです。

日限のお地蔵さんの縁日には家族で出かける数少ない機会でした。

子供心に、そういった日が待ちどうしく心待ちにしていたものです。

父は、趣味の盆栽を眺め、気に入ると買って帰って大事に庭で世話をしていました。

このときは、必ず大判焼きのお店に連れて行ってもらい、甘いあんこが入った大判焼きを口に頬張るのが楽しみでした。

経済的には恵まれたものとは言えなかったかもしれませんが、楽しい事ばかり思い出されます。

突然に

2013年12月11日 | その他
たった三日前、大きな星が目の前から消えました。

私の人生の中では、大きな存在でした。

96年間の人生が突然終結の時を迎えたのです。

子は親の背中を見て育つといいますが、その背中が突然消えたのです。

大正の時代に生を受け、過酷な戦争を経験し、生死をさまよう中を生き延びてきました。

日本を再生し、現在の日本の礎を築いてくれました。

親はいつまでも元気なものと思うぐらい元気で、毎日一緒に食事をし、自分で風呂もトイレもできていました。

倒れた前日の夜まで、一緒に食事を行い2階へ階段を上っていたのに・・・。

そらをとぶ

2013年12月07日 | まご


スイスの発明家イブ・ロッシー(54)が自身で発明したジェットスーツを着て富士山を飛び回りました。

イブ・ロッシーさんは、自身の体に小型ジェットエンジンを搭載した自作の堅牢なカーボン・ケプラー製のジェット・ウイングを装着し、最高時速300kmで空を飛行する飛行家。

10月28日~11月3日にかけて行われたチャレンジでは、ヘリコプターで離陸して高度2400mまで上昇。

そこからダイブして飛行を開始し、富士山を背景に飛行したのちパラシュートで無事地上へと帰還しました。


1903年12月17日にライト兄弟が世界で初めて人間の操縦による動力付き飛行機の飛行に成功。

110年たった今、ジャンボジェット機、さらにはロケットで宇宙に効けることができる時代。

人間が直接ジェット・ウイングを装着して空を飛ぶ。

昔の人が見たらなんというでしょうか?


飛行機にあこがれはするものの、高所恐怖症でジェットコースターは乗れない私。

と言うことで取り組んだのは、折り紙で飛行機を飛ばすこと。

実は、孫と一緒に遊ぶ一つのアイテムに。

これ、結構飛ぶんですよ!

「フワフワ」と羽ばたきながら。

孫たちもカモメのように大きく羽ばたいてもらいたいものです。