芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

曾祖父の実家、三島家

2009年01月10日 | Weblog
先日、現在中町50番地に住んでおられる半田氏にその家の前で会った。半田さんはそのお父さんの時代からウチと親しかったが、今は交流はない。その中町50番地で、私の祖父は生まれたらしい。その後、そこは祖父の叔父が住み、そのあと、伊藤哲郎氏の親戚の所有になり、そこに半田家が佐沼から移り住んで、30年くらい前に買ったのだそうだ。その半田家を去年の春に「自分の祖父がここに住んでいたのだ」と言って、東京から訪ねてきた若い人がいたという。龍源寺に墓参りをしたというから、私の曾祖父の弟、秀之助の子孫ではあるまいか。三島秀之助とその妻子の墓は、無縁仏になって片隅に寄せられているので、昨年来それに線香を手向けている。曾祖父は人の保証人になって夜逃げされ芳賀家を破産させ、三島家を継いだ弟に芳賀家の中町50番地の2軒分を買ってもらったようだ。明治18年の地図に2軒分の所有者の名前で三島秀之助の名前が記されている。私が調べえたのはここまでで、それより前のことはわからない。明治18年は私の祖父の生まれた年で、祖父は、子供の頃教科書を買う金がないため、同級生の教科書を筆写させてもらって勉強したということを、祖母から聞いているから、生まれた前後に破産したのであろう。私が、登米の歴史を調べているうちに自分の家の歴史も調べることになり、その三島家が東京で印刷所を経営していたというが、その後どうなっているかと思ってい矢先に、どうもその子孫らしき人が登米にきたと言うのは、これも一種の共時性であろう。その曾祖父の妹二人を今の中田町上沼の2軒の及川家に嫁がせたと言うこともわかったが、上沼は、芭蕉に同行した曾良がそこを通ったことを記している。曾祖父の妹が嫁いだ相手の名前にはどちらも久という字がついている。ひとりは久兵衛だったか。