芳賀明夫の思いつくままに

フィジーから帰国して

インド、中国、日本の植民地化の歴史

2009年01月18日 | Weblog
坂本龍馬や、岩崎弥太郎を支援したグラバーの背景にいた英国の会社は、インドを支配した東インド会社を出身母体とするジャーディン・マセソン社であるが、上海や香港で中国支配をもくろんでいた貿易会社だ。ということは、日本の支配をも狙っていたことがわかる。
中国では、お茶も扱ったが、インドからアヘンを中国に売りつけ、いわゆる三角貿易をしていた。中国側がそれを嫌って抗議したが、アヘン戦争によって中国の植民地化を強めた会社だ。
日本では、横浜現シルクセンターの地にジャーディン・マセソン商会を造り、そのジャーディン・マセソン商会の横浜支店長に現麻生首相の祖父吉田茂の養父を任命した。吉田茂は、その養父健三の莫大な遺産を継いだという。ジャーディン・マセソン商会は、おそらく、日英同盟の下で日露戦争の武器調達で相当もうけたのではあるまいか。我が家の書院の間に掛かる額に「胸懐海の寛さ 芳賀君の為に清嘱』という書を残している沼南島田三郎は、日露戦争開戦に大反対した代議士だ。日露戦争に勝った日本の国民は、日本が植民地を有する列強に仲間入りしたと勘違いさせられて、明治維新を進めた一派によってあたかも勝てるかのように思い込まされ、前の悲惨な大戦に突入させられた。
しかし、坂本龍馬を始め、明治維新を推進した若者達を支援したのは、英国であり、米国なのであり、植民地政策は、ついには、インド、中国に次いで日本をも植民地にして現在に至っているのだ。