浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

久しぶりに・・

2022-06-17 20:59:51 | その他

 3・11の大地震とあの大きな津波を見て、ああ自分は楽しいことや喜ばしいことは今後避けなければならないと思った。2011年の3月、私は早期退職した。退職後は、海外を旅しようと思っていた。しかし、あの地震と津波は、その思いを消し去った。

 今年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻し、庶民を殺し、庶民の生活の場を破壊する姿を見て、あゝ自分は戦争が続いている限りは、戦争の姿を見続けなければならないと思った。今も、ウクライナを、ネットで見続け、早く戦争が終わらないかと心待ちにしている。

 こういうときは、畑にいるのがよい。今は、雨が降ると、雑草がすぐに生長する。土であったところがミドリに覆われる。私はそれをとる。もちろん収穫もある。今日は、キャベツとズッキーニをとってきた。昨日はレタスとタマネギ。毎日、毎日、何らかの収穫がある。畑で動いていると、雑念が浮かんでこない。とにかく体を動かし続ける。

 読書の時間は少なくなり、本を買うことが減った。買っても新書のように手軽に読めるものだ。

 昨日、久しぶりの単行本が届いた。タリア・ラヴァンの『地獄への潜入』(柏書房)である。日本だけではなく、世界でヘイトスピーチ、ヘイトクライムが吹き荒れている。なぜか無数の憎悪がオモテに出てきている、それが集まって「力(暴力)」となっている。

 私が生きてくるプロセスで、かくも憎悪がオモテで騒がれたことはなかった。人間が憎悪を持ち、それをオモテに出すということは、時に犯罪や事件となって表出することはあっても、集団となって憎悪を叫びあうという事態はなかった。

 なぜなんだろう、と私は問いを持った。

 きっと、人間には憎悪というものが潜んでいる、ということは想像できる。私もそれらしきものはないわけではないが、とりたてて叫ぶほどのものではない。それに、そうしたものはオモテに出すものではない、という何かしらの共通理解があったのではないかと思う。

 ところが今は、その憎悪がオモテに出て、忌まわしい事態が世界中で起きている。政治家のなかにも、平気で憎悪を口にする者もでてきた。

 私は、なぜこういうことが起きてきたのかを知りたくなった。ひとつの仮説ではあるが、私はインターネットが人びとの心の奥にしまわれていた憎悪を呼び覚まし、それぞれの憎悪をインターネットが結びつけたのではないか、と思い始めた。

 この本には、ユダヤ人でアメリカ在住の女性が、そうした憎悪の集団に入り込み、その経験と怒りが記されている(と思う。まだ読んではいないので・・)。

 憎悪の底には被害者意識もあるようだ。うまくいかないみずからの生を見つめたとき、うまくいかない理由を自分のなかに発見するのではなく、その原因を他者のなかに発見する。そしてその他者に憎悪を向ける。

 私が生きてきた時代と現在とは大きく異なっているようだ。一般的には、憎悪は見えなかった。今、憎悪が街頭に出て、政治をも動かす。

 退職後は静かな生をおくりたいと思っていた。しかし種々雑多な憎悪の表出を見て、なぜ?という問いを持ってしまった。

 久しぶりに買ったこの本を少しずつ読んでいこうと思う。

 

 

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なぜなのか。

2022-02-18 08:48:18 | その他

 柳美里さんの『国家への道順』を読んでいる。彼女は、小学校の頃、壮絶なイジメに遭っていた。彼女は「バイキン」と呼ばれていたという。在日コリアンという出自が原因だったのだろうか。

 私には、在日コリアンの友人がいるが、そのなかに中学校の時のクラスメートO君がいる。母親から、彼が在日であることを知らされたが、そんなことには一切かまうことなく、友人のまま現在に至っている。彼が在日であることについて本人から聞いたこともなく、私のクラスメートはおそらく知っているのだろうが、それを口に出したことはない。ふつうにつきあっている。在日だから差別するという感覚が分からない。

 日本にコリアンがたくさん住んでいるのは当たり前だ。大日本帝国は朝鮮半島を植民地支配に置き、いじめ抜いた。いじめられるなかで、生きていくために日本や中国に移動していき、そこで生活を営むようになったのだ。大日本帝国下の朝鮮人に対する政策を縷々書きつけるつもりはないが、支配層は徹底的に差別的であった。だからといって、庶民が差別する理由はない。

 芥川龍之介の作品に「「猿蟹合戦」がある。これは一般的な「猿蟹合戦」の後日談を描いたものだ。仇を討った蟹はなんと死刑とされた。猿がいわゆる「一級市民」であったからで、芥川は、「兎に角猿と戦つたが最後、蟹は必天下の為に殺されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君だちも大抵蟹なんですよ。」と記している。

 柳美里さんを差別する者、そして在日コリアンらに最大限の悪罵を投げつける者たちの品性を疑う。

 この本で、柳美里さんは在日コリアンであることを堂々と提示している。それは当然のことなのであるが、みずからの出自を自由に語れないことがあるのなら、そういう社会の在り方が問われなければならない。

 そんなに厚い本ではなく、エッセイ集というものなので、読みやすい。

 

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自立

2022-02-11 08:34:12 | その他

 以前、仲よくしているメディア関係者が、会社をやめたいと言っていたことがあった。私は安易に判断してはいけない、みずからの生活がきちんと維持されていること、経済的に自立できてこそ、いろいろなことがやれるのだと説得した。

 フリーのライターで生きていくことはなかなか難しい。給与として支給される金額を原稿料で稼ぐことは、そう簡単ではないこと。ひょっとしたら、カネを稼ぐために、原発賛成の原稿を書かざるを得ないかも知れない(そうした記事は原稿料が高い)・・・そうなったら、フリーになる意味はない・・・などと説得した。

 一人は「出世」し、ひとりはやめて山の中の生活に入り、ひとりは地方をまわっている。

 生きていくための資力がないと、逆に自由を失う、おのれを偽るという結果になりかねない。

 『Journalism』2月号に、アイティメディア株式会社社長の大槻利樹さんへのインタビュー記事が載せられていた。「孫正義のDNAを継いで」いる人だ。彼はこう云っている。

 赤字になったらどこかに頼らないと生きていけないでしょう。「報道の自由」なんて格好いいことを言っても、誰かに依存していたら、報道の自由もへったくれもあったものじゃない。自立しているからこそ、自らのオピニオンを伝えられる。

 その通りだと思う。これは朝日新聞社に対する助言なのだろうが、私たちが生きていく上でも重要な助言である。

 様々な自立がある。経済的、精神的、学問的、生活的・・・・・ひとは、できうるかぎり自立を求めて生きていくことが肝要だ。もちろんそれは、批判的精神を維持するために必要なことだからだ。

 

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一太郎2022のこと

2022-01-13 11:59:43 | その他

 Windows95から、私はワープロソフトとして「一太郎」をつかってきた。それ以前は、「新松」であった。「新松」はウィンドウズにのせられなかったのだろう。Windows95から消えた。

 そして何年かごとに「一太郎」をバーションアップしてきた。

 最近、「一太郎2022」の宣伝パンフが届いた。もう何年かバージョンアップしていないので買おうかと思い、不明なことがあったので電話してみた。

 今までは、「一太郎」を購入すると、「ATOK」(かな漢字変換ソフト)もパソコンに入る。ところが、2022年の「一太郎」からは、「ATOK」は入らない。「ATOKPassport」としてネット上で使用するようになるようだ。それは、一年間は無料であるが、それ以降は年間7000円程度支払わないと使えなくなるとのこと。

 現在このパソコンには、「一太郎2018」が入っている。「ATOK」も入っている。不自由はないので、購入はやめることにする。

 今後、ジャストシステムが「かな漢字変換ソフト」をこのような方式で課金していくとなると、いよいよ「一太郎」とはお別れになるかもしれない。

 

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2011年 原発事故の経過

2021-03-21 21:41:39 | その他

 これは見るべきである。

【3.11から10年】その時、総理はどう決断したか 菅直人元総理インタビュー

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トリチウムの危険性

2021-03-16 21:20:19 | その他

私は、日本の自民党公明党の政治家や官僚たちは、日本を崩壊させようとしていると思う。

『トリチウムの健康被害について』

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客席に誰もいない

2021-01-05 20:18:47 | その他

 今年のウィーンフィルのニューイヤーコンサート、ネットにアップされたのでみたら、客席に誰もいない。

 早く COVID-19よ、退散せよ。最後のラデツキー行進曲の際の拍手がない。

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愛の不時着(2)

2020-12-20 09:15:36 | その他

 この連続ドラマは、ときにハリウッド映画張りの場面もあり(銃撃戦)、とてもよくできていると思った。これを週一で見ているとすると、それぞれ一話が終わる度に、おそらく次の展開がどうなるかがとても気にかかってしまっていただろう。

しかし、である。私たちはこのドラマの背景にある問題を見つめる必要がある。なにゆえに、同じ言葉を話す一人の男性と一人の女性が出会って愛情の絆に結ばれているのに、会うことができないのか。

 朝鮮民族を分断する38度線。同じ民族であるにもかかわらず、敵国として認識し合わなければならない現実。同じ民族であるのに、電話もメールもその他一切の連絡が絶たれている現実。38度線は、一つの民族を分断し、それぞれをもっとも遠い存在へと押しやる。

 このドラマでも、会うことができるのはスイス。それぞれがスイスに行く理由をつくっての邂逅である。

 この分断の責任は、日本にもある。植民地支配、敗戦直前の日本軍の配置、そしてアメリカのソ連との占領区域の線引き。その後につづく冷戦。

 北朝鮮の水道もガスもない、日本の高度経済成長以前の姿がいまもって続いている様子が描かれる。しかし朝鮮半島というのは、そこに住む人が一つになっていて自給できる。つまり農業は南部が担ってきたのであり、北朝鮮が食糧不足に苦しむのは自然や地形上やむをえない問題なのである。

 このドラマの制作者は、不条理な分断に対する問題意識を持っているのだろう。

 「愛の不時着」を見ながら、朝鮮半島の歴史的現実を直視するべきなのである。

 

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「愛の不時着」

2020-12-20 00:39:11 | その他

 「愛の不時着」16話を、今見終わった。

 韓国ドラマは以前、「砂時計」をすべてみたことがある。「砂時計」は激動する韓国の歴史を背景に、幼馴染みの3人の主人公が歴史の大きな波に呑まれながら生きていく。そのなかでもっとも波瀾万丈の生き方をした者が亡くなり、その遺灰を放つところでは号泣した記憶がある。韓国の歴史を知っているが故に、彼が背負った歴史の重みにこころを動かされからである。

 その後は、韓国版「のだめカンタービレ」、そして「愛の不時着」。

 韓国ドラマの凄さは、コメディの面をもちながらも、ぐいぐいと、それもハラハラさせながら話の展開に引き込んでいくところである。終わるまで、ひたすら見続けざるを得ない。次の展開はどうなるか、見る者を笑わせ、泣かせ、不安にさせ・・・というように、片時も目を離せない。

 フェミニストの北原みのりさんが、主人公の北朝鮮軍中隊長ジョンヒョク役を演じた「ヒョンビン」に守られたいと書いていたのを読み、これは見ておかなければならないと思った。

 女性たちが「ヒョンビン」に憧れるのがよくわかる。彼は「オレは男だ」などという雰囲気を一切出さない。非武装地帯に不時着してきた財閥の令嬢であり、また女性実業家であるユン・セリに、人間としてこころからの誠意をもって接する。男という属性、兵士という属性、大幹部の息子という属性、そういうものを一切出さず、ひとりの人間がひとりの人間を最大限尊重して行動するのである。そして誠意がお互いに愛へと変わっていき、ふたりの愛は「無私の愛」とでも言おうか、ただただ相手に「誠意を尽くす」という行動にあらわれる。

 中隊の兵士たちもたいへん個性的で、なかなか深刻な展開の合間に、おもしろい役回りをしていた。それは村のオバサンたちもである。

 女性たちがこの韓国ドラマにはまる理由がよく分かる。「ヒョンビン」は、とにかく男風を吹かさない。日本の男の精神にはミソジニーが隠れ住んでいる。しかし「ヒョンビン」にはミソジニーが一片もない。女性はとにかく人間として尊重されるのである。そういうところに、日本の女性が憧れるのではないか。

 

 

 

 

 

 

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森永乳業

2020-11-20 13:20:31 | その他

 『週刊金曜日』の「買ってはいけない」に、森永乳業の「トリプルヨーグルト」が買わない方がよい、有害だと詳しく記されていた。

 私は、森永乳業の製品は一切買わない。雪印の製品もである。前者は、安倍晋三の妻が森永乳業関係者だということからであるが、後者は食中毒事件、牛肉偽装事件であまりにもひどい対応をしたからである。そういう会社のものは買わない、のである。

 牛肉偽装事件に関しては、告発者が、ほんとうは評価・賞賛されなければならないのに、そうなっていない。そのような現実に溜息が出る。

 日本は、決して良い国ではない。

 

 

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群衆が群衆のままであってはいけない

2020-11-16 14:44:06 | その他

 群衆とはいかなる実態であるのか、  『毎日新聞』余録

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危うい存在としての人間

2020-10-10 09:32:36 | その他

 『Journalism』10月号に、プノンペンに住む木村文さんの文が掲載される。もと朝日新聞記者であったからか、しばしば木村さんの文を読む。

 今号は、ポル・ポト派幹部の受刑者が亡くなったことから、それにまつわることが書かれている。カンボジア共産党の指導部が行ったこと、知識人を抹殺したこと、都市住民を農村に連行し強制労働を強いたことなど、知れば知る程なぜそんなことをしたのかと思うようなことが次々と明らかにされた。カンボジア共産党の指導部は学歴もあり、フランスに留学したこともあるような人物であった。共産党であるから、カンボジアに共産主義を実現しようとしたのだろうが、その内実は実に恐ろしいものであった。

 この記事に記されたカン・ケク・イウ受刑者は、政治犯収容所の所長をつとめ、収容者を拷問し虐殺した責任者であった。もと数学教師、成績優秀でバカロレア試験で全国第二位の成績だったそうだ。そうした人物が、なぜ?と思ってしまう。

 私もポル・ポト政権の蛮行に関する本を何冊か読んでいるが、なぜ?という問いに対する解答はいまだ得られていない。

 カン・ケク・イウ受刑者は、「お金も、活動もすべて革命に捧げ、父母から離れることも死も恐れなかった。しかしその純粋な気持ちが利用され、いつの間にか、党や政権幹部の単なる道具にされてしまっていた」と陳述しているが、それでもなぜという問いに対する納得できる解答ではない。

 自分自身が属する組織に絶対的正義があると思い込み、その組織に身も心もすべて捧げてしまったというのだろうが、なぜそんなことになってしまうのか。

 だがこれはオウム真理教などのカルト教団に入りこんだ者も同様だし、革マル派をはじめとした自称「革命組織」も同様である。そうした組織がうじゃうじゃと存在している。

 個人としては、してはいけないことかどうかは判断できるはずなのに、組織の中ではそうした判断ができなくなってしまう。ある意味での「滅私」である。

 組織というものに属するなかで、すなわち多かれ少なかれ、自己の信念よりも組織を優先するということが起こり得る。

 私の属する組織の一員(高校教員で部活動顧問)が不当に保護者から金員をまきあげているという不正を知り驚いたことがあるが、その不正を私は公にしなかった。まさに己の価値観を、そのときは封殺してしまったのである。

 組織に属するということは、すなわち組織の論理(それが不当なものであっても)に拘束されてしまうということなのだろう。だとすると、人は生きていく上で何らかの組織に属さなければならず、したがって、いつのまにか組織に従属してしまう。そしてその組織が不正で不当なものであり、犯罪的なことをしていても、その一員としてそこに入り込んでしまう。

 個人と組織との関係、これは重要な課題であり続ける。組織に没入しないためには、組織人として活動するその中身を冷静に見つめる別の眼を持たなければならない。その別の眼が、個人の行動を抑制することにつながるのではないか。

 

 

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アマゾンの評価

2020-09-06 14:46:50 | その他
 こういうニュースが入ってきた。

Amazon「星1つ」やらせ投稿に異例の刑事罰、しかし訴訟には大きな困難も


 評価の高い商品をアマゾンで購入したが、高評価とは裏腹に、ひどいものを買ってしまったことがある。メーカーがある程度名が通っているわけでもなく、アルファベットが並んでいるだけもので、まったく知らないメーカーであった。

 中国系の出品者がカネを払って高評価になるようにしているという情報もあったので、それ以降、知らないメーカーのものは買わないようにしている。評価が高くても、である。

 要するに、アマゾンの評価はあまり信用できないということである。アマゾンが意図的な高評価あるいは低評価の投稿がなくなるようにしないと、アマゾンの信用性は下がっていくことになる。

 私は、日本のメーカーを買うようにしている。
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川根茶

2020-08-29 14:40:06 | その他
 わが家のお茶は、ずっと川根茶の煎茶である。川根茶の歴史は古い。しかし古いだけではなく、茶業に関わってきた先人たちの、努力の結果である。

 私も川根茶の歴史を書いたことがあるが、地域の産物として、彼らは手を決してぬかずに、川根の茶業を維持発展させてきた。

全国茶品評会 大臣賞に相藤直紀さん/掛川中央茶業研究部会

 私も相藤農園で購入している。
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紡績会社のこと(その2)

2020-08-21 08:33:16 | その他
 以前、「紡績会社のこと」を書いた。そこへのアクセスが多いので、その続きを書いておく。

 浜松市は繊維産業が盛んであった。戦前からである。戦前は織物工業が多かった。中小の織物工場がたくさんあり、あちこちから若年女子労働力が集められた。工場の規模が大きくはないので、彼女たちはひとつの工場には少人数ずつが入った。

 遠隔地から働きに来る彼女たちは、東北地方からが多かった。彼女たちは「奥州っ子」と呼ばれた。戦前の新聞をみると、「織場地獄」という文字が飛び込んでくる。あまりに過酷な労働のために逃げたり、あるいは亡くなったりという事例が報じられている。なかには良心的な工場もあったかもしれないが、ほとんどは彼女たちを酷使したはずだ。

 どのようにして彼女たちは浜松に連れてこられるのだろうか。繊維関連工場は全国に募集人を常駐させ、募集人は女子がいる家を訪れ(戦後は中学校を訪問し)、少しの物品、支度金を渡し、3月になると彼女たちを浜松に連れてくる。戦前においては、支度金は借金であり、彼女たちを工場から逃がさないための手段となっていた。

 戦後の近藤紡績には、秋田県、岩手県、宮城県、福島県、宮崎県、長崎県(五島列島からも)、北海道(利尻島からも)など、どちらかといえば僻地から来ていた。

 そうした若年女子労働力を雇用していた企業には、近藤紡績の他、東洋紡績、東棉紡、伊熊織布、山竹猪産業、静岡県蚕糸、平野織物、遠州帆布などがあった。今、それらの会社の多くは繊維産業の衰退と共に、なくなっている。

 歴史的に、繊維産業は「貧しさ」を貪りながら生きてきた。日本が豊かになり、賃金が上昇していくにつれて、それらは海外に進出し、海外で若年女子労働力を雇用していくのであった。
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