『毎日新聞』の記事。
「空いたポストは若手に…「はしごをはずされた」 50歳大学非常勤講師の絶望」を読んで考えたこと。
学生時代、私はたくさんの本を読み、研究会にも出て、将来は研究者の道に入ろうと考えていた。しかし、当時、大学院を出ても大学のポストを得られないで高校の教員をしていた人がたくさんいた。高校の教員をしながらも、研究会で研究発表をしていた。そういう方々に話を聞いて、研究者になることはなかなかたいへんだということを知った。ある人は教員になった奥さんに生活を支えてもらいながら、研究者の道を歩んでいた。
私は母子家庭であった。母は公務員であったが、大学を卒業した後も親に世話になるわけにはいかなかった。大学4年のとき、自分自身の将来の生活設計を考えた。高校教員となれば生活的にも自立できる、自立して研究を続ければいいのではないかと考えた。そして私は高校教員となった。
当時、大学の数は少なかった。国公立大学の他、現在有名私大といわれるような大学しかなかった。大学教員のポストは少なかった。
その後、大学がどんどんでき、私の知った高校教員であった人も大学にポストを得ることができ、研究者の道へと進んでいった。
私は高校教員という仕事が好きになり、同時に研究会に属して研究を継続した。今は退職しているが、高校教員であったことをまったく後悔していない。私の研究がほかの研究者に引用されることもある。研究の数は少ないが、それで私は十分だと思っている。
さて、この記事の非常勤講師は、大学や研究者をとりまく状況を客観的に把握出来ていたのだろうか。生活の自立を真剣に考えたのだろうか。いくら優秀な研究者であっても、なかには大学のポストをひとつも得られなかった人もいる。大学の教員のポストは、それぞれの研究実績だけではなく、運が左右する。その運には年齢も入る。ポストが空いたとき、その大学が求める年齢であるのかどうかも重要なのだ。
私の周囲でも、無謀だと思われる事例もあった。こういう書き方をすると非難する方もいるが、我慢して欲しい。あまり有名でない大学を卒業して、その大学の大学院に入学して研究を続け、研究者になりたいという人がいた。研究テーマは少年法であった。私は無謀だと思った。もちろんそういう人のなかにも、すごい研究をする人はいる。そういう人は、大学院は有名大学に進学して卒業大学の経歴を隠したりする。
研究者になろうとする人は、客観情勢をしっかりとみつめて行動する必要がある。この毎日の記事のような事例を時々読むことがあるが、私は「甘い」と言うしかない。とくに近年人文科学が軽視されるなか、確実にポストは減っている。
問題はこう立てられなければならない。
まず生活的に自立するにはどうしたらよいか、そのうえで自分がやりたいこととどのように折り合いをつけていくか。
人生は思い通りにはならない。ベターな道を選択しながらみずからの生を創っていくのである。