戦時中、日本の海軍と陸軍は仲が悪かった。統合的な作戦はできず、それぞれが勝手な戦略をもち、それぞれが勝手な作戦を展開した。
ガダルカナル島がそうだった。海軍が、陸軍と相談もせずに航空機用の基地をつくった。しかしそこは戦略上重要なところであったので、米軍はすぐに兵士を上陸させて占領した。
海軍は、陸軍に派兵を要請、陸軍は米軍の精強さを軽視して、少しの兵を投入して基地の奪還を図った。奪還ができないと、また米軍の力を軽視して兵力を投入、こういうことを繰り返した。逐次兵力投入である。そのなかで多くの日本兵が斃れていった。ジャングルのなかに逃げた兵士は飢えと病に苦しんだ。「餓島」と言われるゆえんである。最後は生き残った兵士が夜間、艦船に乗り島を離れた。
しかしこの失敗は、隠された。そして誰も責任をとらなかった。
日本政府は、このガダルカナル戦を踏襲しているようにみえる。