書棚にあった『夏目漱石と西田幾多郎』(岩波新書)を、寝室にもっていき読みはじめた。私はなかなか寝付かれないたちで、活字に眼をとおしていないと眠気がやってこない。
ふとこの本を読みはじめたのだが、これがなかなか面白い。幾つかの本を並行して読んでいるが、さらに並行して読む本が増えてしまった。
夏目漱石も西田幾多郎も、反骨の人であることが指摘されている。いずれも父親の愛情がない、あるいはきわめて少ないという境遇に育つ。そういう境遇から育った者は、「権威にとらわれない自由独立の精神が生まれやすい」(30頁)とのこと。2歳で父が病死している私も、家父長的な父親の支配を受けなかったからか、反骨精神をもち反権威的な精神を有している。
学位授与を拒否した漱石は、「小生は今日迄ただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、是から先も矢張りただの夏目なにがしで暮したい希望を持って居ります。」と手紙に書いている。
私も、小田実の「人間みんなチョボチョボ」だという信念を持っている。漱石と同じような感覚だろう。
だが、いろいろな人と交わると、あまりつきあいたくない人たちと遭遇する。たとえば、肩書きをいっぱい書いてある名刺をもった人、「僕って偉いでしょ」とばかりに自慢話を繰り広げる人、今まで関係なかったのにあたかも今まで関わりがあったかのようにしゃしゃりでてくる人、話のなかに功成り遂げた人の名前を出してその名前で自らをかざろうとする人、そういういや~な人がいて、そういう人たちとも話をしなければならないこともある。あ~いやだ。だから私は、そういう人たちがいるところには行かなくてもよい状況をつくりだそうとしてきた。だから静岡市にはもう行かない。「オレが、オレが・・・」という人、権威にすがり、みずからを売りこみたい人が集まるところには顔を出さないのだ。
ちなみに、田中正造の名刺は、「田中正造」とだけ書かれている。私の名刺は、住所氏名だけのものと、今年まで主宰していたある催しを主催する「〇〇実行委員会」の名刺だけをもつ(それはもう終わった)。私も「ただのなにがし」で最後まで生きていこうと思う。漱石と異なり、私は最初から最後まで「ただのなにがし」なのだから。
夏目漱石全集を私は持っているが、この本を読んで、漱石が反権威の人であることがわかった。これで全集を読もうという意欲が湧いてきた。