浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

『夢二を変えた女 笠井彦乃』(論創社)

2023-12-08 21:27:47 | 

 かつて「夢二とその時代」というテーマで話したことがあった。夢二の日記や書簡などできるだけ資料を入手して夢二の一生とその時代を語った。

 夢二は多くの女性と関わった。そのなかでも、年若い笠井彦乃を、夢二はもっとも愛したことは日記などで明らかであった。もちろんそれは指摘した。

 しかしそのテーマで話すのは時間が足りなかったと思う。テーマにあるように、夢二が彼が生きた時代とどう関わったのかを主に話したので、女性関係については詳しくは語らなかった。

 知人からこの本を教えられ、古書店から購入して読みふけった。夢二と彦乃との強い結びつきを、具体的に知ることになった。強い結びつきであったが、その関係は、彦乃が数え年25で結核に冒されて亡くなることによって終わったのだが、しかし夢二は、彦乃に対する愛情を捨てることなく、最期まで持ち続けた。

 夢二の多くの女性関係から「女たらし」のように非難するひともいるが、しかしこの本を読んでからは、おそらく非難できなくなるだろう。彦乃も、夢二も、真剣だった。ただ、夢二が長じても大人になりきれなかった「少年」だったこと、それ故の、すべき時にすべきことを為さなかったことから、悲劇は生まれた。

 私は、歴史講座の直前、結核となった夢二が息を引き取った高原療養所(今はJAの病院になっている)を訪れた。長野県富士見町、途中、甲斐駒や八ヶ岳が見えた。「山」である。夢二は彦乃を「山」と呼んだこともある。

 彦乃のあと、夢二は多くの女性関係をもったが、彦乃だけが夢二の「愛(する)人」であったのだということが、この本を読んでよくわかった。その「愛」は、「黒船屋」という絵や、『山へよする』などいくつかの書籍にも記されている。

 著者は、彦乃の血縁者である。私は彦乃の日記が残されていることを全く知らなかった。夢二の日記などと対応させて、ふたりの「愛」の諸相が具体的に描かれている。夢二を知るためには不可欠の文献だと思う。

 

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【本】小林敏明『夏目漱石と西田幾多郎』(岩波新書)

2023-12-08 10:39:36 | 

 おそらくあまり注目されることもなく消え去る本であると思う。

 夏目漱石は教科書にも出てくる作家であるが、西田は『善の研究』で高名な哲学者であるが、しかしあまりに難渋な書き方で人々に読まれるようなものではないからだ。

 著者は、漱石と西田を研究する中で、共通するものがあることを発見しこの本を書いたようだ。

 当初、漱石と西田の共通するところを指摘しながら、彼らの周辺を描いていると思いながら読み進めていった。「西田も漱石も若いときから人並み以上の反骨精神や独立心をもっていた人物である」(30頁)と指摘しているように、である。しかしそれは当然で、「反骨精神や独立心」がなければ新たなユニークな思想や作品は生まれないからだ。

 共通することとして著者は、「漱石と西田の戦争観を通して見えてくるもの、それは地球全体を包み込もうとしている近代世界システムが、大は国家間の戦争から小は個人間の競争にいたるまで、さまざまな闘争の契機をはらんでいること、またその危ういバランスの上に立って、いわゆる「文明」の産物が教授されているという認識である」を指摘しているが、しかし近代資本主義は総じて「競争」の原理に立っているから、あえてこういう指摘はふたりの「共通性」として挙げることは妥当なのかと思う。

 私は本を読むときは、赤線を入れたり書き込みをするが、この本の場合は、書き込みはなく、赤線は著書による指摘ではなく引用部分に線を引いていた。

 そういう本である。

 

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三木卓『裸足と貝殻』から

2023-12-08 08:37:00 | 社会

 『裸足と貝殻』には、興味深い話が出てくる。

 「今は苦しい時代で、諸君のお父さんやお母さんは、毎日の生活のために今までにない苦労をしていらっしゃるはずだ。諸君も日本の貧乏は身に染みて味わっているだろう。味わうのはけっこうだが、だからといって心のなかまで貧乏になってはいけない。諸君のまわりには、今までの優れた精神が残していたものがたくさんある。文学や哲学はもちろんそうだが、音楽や絵画もある。どんなに時代がひしゃげても、そういう古典は豊かな精神の産物だ。そういうものとこれから、それも自分から触れていくことで目先の貧しさから精神を解放する。そういうことを考えてほしい。」(386頁)

 これは豊三に、ある先生が話した内容である。この先生は、自分自身が関心のあることを、映画や本などを子どもたちに話して聞かせ、そしてそうしたものに接するように促した。その内容は、中学生が理解できるようなものではなかった。しかしそんなことはかまわずに話した。子どもにとって、それらは理解できない難解な内容ではあったが、それらは子どもたちの精神を刺激した。豊三、すなわち三木卓も、そうしたむつかしいものに憧憬を抱いた。

 「人も見て法を説け」ということわざがあるが、理解できそうもないことを話すということも、刺激になるのだ。

 学校からそうした風潮がなくなってきたのは、いつごろからだろう。私は、文部省が、高校生の政治運動対策として打ち出してきた部活動必修化がその大きな要因ではないかと思う。部活動は、朝の練習、放課後、それも夜遅くまでの練習、土日の練習や試合、子どもたちは部活動によって体力を消耗させられ、本を読むどころか、授業中は体を休める時間となってしまっていた。子どもたちは、「優れた精神」に触れる機会を持たないまま成長していった。

 宝塚歌劇団のパワハラ、上意下達のすさまじさや長時間の拘束が問題となっているが、学校の部活動も同じようなものだ。宝塚歌劇団がもっている問題点は、学校の部活動がもっている問題点でもある。とりわけ静岡県はほとんどの高校がスポーツ推薦で入学させているから、部活動のもつ悪弊が際立つ。

 部活動が強制ではなく、子どもたちの自主的な興味関心にもとづいてクラブが運営されている頃は、子どもにも余裕があり、「優れた精神」に接する機会もあった。三木卓の中学生時代がそうだったし、私もそうした時代に、学校生活を送っていた。

 

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