浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

寺院のあり方

2025-02-05 19:59:38 | 社会

 母の一周忌をやった。母は埼玉県の姉の家で亡くなったので、葬儀はそちらでやった。その際、坊さんは、「お坊さんドットコム」に依頼した。とてもよいお坊さんであった。そのため、昨年の49日法要、今年の一周忌も、そのお坊さんに遠路来ていただいた。曹洞宗である。

 わが家の墓は家の近くの寺院にあったのだが、その寺院の住職により葬儀をやらない場合は、出ていかなければならないといわれた。その寺院の坊さんは昔からカネに執着する一家であったので、その寺院から退去することを決意して、葬儀後にさっさと墓じまいをした。父の遺骨と母の遺骨は、今も実家にある。

 なお墓じまいをしたとき、その寺院の坊主に読経だけを依頼した。3万円、10分未満の読経であった。それ以外には一切のカネを払っていない。知人から墓じまいにいくらかかったかと問われることがあるが、その際には、10分未満の読経代3万円のみというと、驚かれる。墓じまいには多額のカネが、その寺院から請求されるという。

 墓じまいは、友人たちとの会話に何度もでてくる。墓はあるけれども、子どもがみな女子で結婚していったから、跡を継ぐ者がいないから、あるいは子どもがいないから・・・・しかしそれだけではない。

 坊さんから葬儀や仏事以外にも様々な請求にさらされている老若男女は、異口同音に、「わたしの代までは何とか対応するが、子どもの世代にそれをやらせるのはかわいそうだ」という。多くの人は、寺院と手を切りたいという願望をもつ。

 わたしの友人は日蓮宗である。外塀の新設に40万円、ホール(?)の建設に〇〇万円・・・・という請求に音を上げている。墓じまいの話を聞いてみたら、〇〇〇万円だと言われたという。

 今、寺院に墓を保有している老若男女は泣いている。仏教から神道にかえる家庭も増えている。

 しかし仏教界は、老若男女の苦しみを慮ることなく、どのようにカネをせしめようかと考えている。

 わたしはもう墓は持たない。曹洞宗の坊主が、「袈裟が古くなって・・・」とか、おねだりをしている姿を見て育ったわたしは、坊主への不信感をもっている。

 仏教の教えには、賛同できるところも多い。しかし現実の坊主の姿には、あきれるばかりである。

 わたしの亡き後は、父母の遺骨といっしょに埋葬してもらうつもりである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする