今日は、アクトシティ浜松大ホールで「遠野物語」を見た。
一幕75分、休憩15分、二幕70分という長いオペラである。
さて、わたしの隣席にいた高齢の女性、一幕の75分の間、ずっと咳をし続けていた。隣席で咳をされると、とても気になると共に、台詞(歌詞)が聞きにくく、この舞台の世界に入り込むことはできなかった。
休憩の際に、はるか後方の席に移ったが、時すでに遅し、あまり楽しめなかった。だからこの「遠野物語」についての感想はない。
ただ少し柳田國男について記す。わたしは柳田に関しては、民俗学は学ばなければならないと思い、著作集みたいなものは購入した。今は処分してなくなっているが、読みはじめて、わたしは民俗学にはなじめないと即座に思った。柳田の文体にまったくなじめなかったからだ。
ほとんど読まなかったので、具体的にどうなじめなかったかを書くことはできないが、何とか思い出してみると、柳田の文は、論文でもなく、評論でもなく、感覚的な文章で、とらえどころのない内容がだらだらと書かれていたというように記憶している。
そしてまた、民俗学を研究している方々と自治体史の仕事を共にしたことがあるが、民俗学は今残されている事象をそのまま表現していくというもので、その事象を歴史的に分析することはしないといわれた。
たとえば、今、ムラに秋葉神社の分社が残されているとしよう。しかし、近世までは秋葉神社は存在していない。各地にあった秋葉社は、神仏習合の秋葉三尺坊大権現を祀ったもので、おおもとは秋葉寺であった。
明治初期の維新政権による強引な神仏分離政策の結果、秋葉神社が出現したのである。民俗学は、その歴史的経緯を叙述しない。
また民俗学研究者の調査活動をはたでみていると、きちんと史料調査をするのではなく、あんがいいい加減に叙述していたことを思うと、民俗学は果たして学問か、と思ったこともある。
わたしはかつて「近代日本の国学」というテーマで連続講座をもったことがあるが、近代日本の国学こそ、民俗学なのだということを指摘した。
そして、今日の「遠野物語」をみていて、ああこれは平田篤胤の世界だなと思った。