窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

安田祐輔さん②-NPO法人キズキ

2012年04月10日 | 講演メモ
  大学では紛争解決などに携わるインカレ団体に所属。20歳にして、激しい民族対立を繰り返す、イスラエル人とパレスチナ人の若者を来日させ、会議を開催するという事業を資金集めから奔走し、実現させました。この時、会議そのものより、当初は決して分かり合おうとしなかった両民族の若者が、1ヵ月後、帰国の途に着く成田空港で、お互い涙を流しながら惜別する姿を見て、自分が課題と思ったことについて小さなことからでも状況は変えられるということの学びが大きかったそうです。これが現在の安田氏の活動の原点になっているとのことでした。

  学生時代の活動の中で、やがてサンフランシスコなどにも講演に呼ばれるまでになりますが、ある九州大学での講演でルーマニアに誘われ、三年生の時、同国で平和活動をする若者のワークキャンプの運営を任されます。しかし、現地を知らず、抽象論で平和を語る彼らの姿に違和感を覚え、帰国。

  三年生の秋頃から、バングラディッシュへ頻繁に行くようになります。そこでは現地を知るため、娼婦街で農村から身売りされてきた娘たちと共に生活し、やがて完全に理解することはできなくとも、半分くらいは彼女達の視点で物を考えられるようになったといいます。

  彼らの貧困問題は、衛生・医療・教育など多々あるものの、決して餓死するという類の貧困ではありませんでした。貧しくても、幸せそうに生きている人々が沢山いる。一方で、イスラム教国における極貧の農村にいるよりは、はるかに所得もあり、自由も保障されているはずの娼婦達の中に、リストカットを何度も繰り返す者がいる。そこで、人はどんなに貧しくても、お金や暮らし向きによってではなく、尊厳や生きる意味によって生きているのだ、それを守る仕事がしたいと肌身で感じるようになったそうです。

  帰国後、大手商社に入社しますが、何が自分のやるべきことなのか迷い、半年で休職。しかし、その時間が自分のやりたいことについてじっくりと考える期間となり、忘れていた10代の頃の経験が蘇ってきたそうです。「尊厳や生きる意味を見失い苦しんでいるのは途上国でも、日本でも同じ。ならば、まず母国である日本で活動を始めた方ができることも多い。自分の経験から、「受験」を通じて、苦しむ子供達に自己肯定感を取り戻してもらうことができるのではないか?」と。

  2010年、NPO法人キズキを設立。まず実績作りから開始します。当初は梨の礫でしたが、半年後ぐらいから問い合わせが増え始め、現在では受け入れ体制が課題となっているそうです。お伺いしたこの日もまさにそうでした。



  家庭と学校だけ、あるいは家庭の中だけしか居場所のない、様々な事情を抱えた子供達が、キズキという新たな人との接点の場を持つことができる。それだけで、大きな前進といるでしょう。安田さんが入塾面接で心がけているのは、面接に訪れた子供達を「いかに安心させるか」ということ。面接を通じて、誰とも話すことのできなかった子供が口を開くようになったり、虐待を受け傷ついた子供が面接終了時には「一緒に写真を撮ってほしい」と言い出すまでになったりする。子供達が大学に合格し、自己肯定感を取り戻す切欠としてくれるのはもちろんのこと、こうした事が安田さんの遣り甲斐となっているそうです。

  これからの展望としては、もっと多くの子供達に「人生は失敗しても何度でもやり直せる」ということを知ってもらいたい、たとえ根拠はなくとも「何とかなる」と思える強さを育んで生きたいということでした。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

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