窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

よみがえり、100万双ありがとうございます!

2013年01月31日 | リサイクル軍手の世界


  2009年10月の発売以来、ご好評いただいております「特殊紡績手袋よみがえり」シリーズは、このたび累計販売数が大台の100万双を突破いたしました。

  一口に100万といっても想像しにくいですが、ほぼ宮城県仙台市や和歌山県の人口と同じくらいの数と思っていただければよろしいかと思います。これだけ多くの皆様にお使いいただけましたことを心より感謝いたしております。



  これまで約48トン、Yシャツに換算すると約24万着もの古着が、この「特殊紡績手袋よみがえり」の材料としてよみがえりました。再生した糸の総延長は約53万㎞にもおよび、これは地球を13周するほどの長さです。



  「特殊紡績手袋よみがえり」は第一回かながわリサイクル認定商品となっているほか、第14期・第15期ヨコハマグッズ001にも認定され、地元横浜ブランドのお土産品ともなっております(第14期審査員特別賞受賞)。また、横浜市HPからも「特殊紡績手袋よみがえり」の特集番組が配信されております。



  また、昨年からは「よみがえりプロジェクト」が始まり、弊社工場が15年にわたり拠点を置いているフィリピン・スービックで貧困女性や子供たちの支援を行っております。この支援には、同工場で製造される「特殊紡績手袋よみがえり」の売上の一部が充てられています。

「特殊紡績手袋よみがえり」ギャラリー


  来る2月8日、日本丸メモリアルパークにて、「特殊紡績手袋よみがえり」についてお話しさせていただく予定です。

  詳しくは神奈川県HPをご覧ください。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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ペイ・フォワード

2013年01月27日 | レビュー(本・映画等)
  先日、「徳育セミナー」という講演で、建長寺宗務総長、高田正俊さんのご講演を拝聴する機会がありました。その中で、こんなお話がありました。

  ある時、高田さんがたまたま乗ったタクシーで運転手と会話になりました。その運転手さんは多分相手がお坊さんと言うこともあったのでしょう、「子供の頃可愛がってくれた祖父が認知症になってしまった。今こうして大人になり、やっと恩返しができると思ったのに、自分のことが分からない状態ではそれも叶わない」と苦しい胸の内を明かされたそうです。

  その後、会話のやり取りが続き、運転手さんが最終的に辿り着いた結論は、「祖父に対する感謝を祖父の代わりに周りの人に返そう」ということだったそうです。

  このお話を伺って思い出したのが、「ペイ・フォワード」という映画。11歳の主人公トレバーが、社会科の授業で与えられた「世界を変えたいと思ったら、何をする」という課題に対し、「他人から受けた好意をその人に返すのではなく、別の3人の人へ贈っていく」というアイデアを思いつき、実行していきます。様々な障害に悩みながらも事態は思わぬ方向へと進み、やがて多くの人へ影響を与えていきます。

  振り返ってみれば、僕も思い出すことがあります。貧乏学生時代、稽古が終わると先輩が良く食事に連れて行ってくれました。その時先輩から受けた教えが「俺に礼をいう必要はない、感謝の気持ちはこれから入ってくる後輩たちに返してやれ」というものでした。部活動であれ、会社であれ、恐らく多くの方に同じような経験があるのではないでしょうか?

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【WBN】偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける

2013年01月25日 | WBN情報


  1月24日、早稲田ビジネスネット横浜稲門会(WBN)の分科会に参加してきました。

  今回の講師は、ユーリズムコンサルティング代表、早稲田大学ラグビー部OBで経営コンサルタントの小野有理さんにお越しいただき、「激動の時代に部下を導くリーダーシップコミュニケーション」と題してご講演いただきました。

  小野さんは2000年、2001年と同ラグビー部のコーチを務められ、現在は大阪府立生野高校ラグビー部の監督も務めておられます。そうした背景から、ラグビーの話題を中心に、会社役員や経営コンサルタントとしての経験も踏まえつつ、今の時代に求められる「自律」した人財を育成するためのリーダーシップのあり方についてのお話となったのですが、僕なりに内容をまとめてみたいと思います。

  まず、「自律」とは何かということ。「自立」と共に最近良く使われる言葉ですが、ひとつは文字通り、「自分で立てた規範に従って行動する」こと。そしてもう一つ、小野さんは「旋律」という意味を加えているそうです。すなわち、個々が自発的に能力を発揮し続けようとする結果、それぞれがバラバラではなく生き生きとした調和を奏でるようになること。これを小野さんは「アンサンブル」と呼んでおられましたが、当社の役職名である「和声」(ハーモニー)と通ずるものがあると思いました。



  さて、個々の「自律」を促すためのリーダーシップのあり方についてですが、アメリカの教育者ウィリアム・アーサー・ウォードは、次のような名言を遺しているそうです。

  普通の教師は、言わなければならないことを喋る
  良い教師は、生徒に分かるように解説する
  優れた教師は、自らやってみせる
  そして、本当に偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける


  ここで求められているのは「優れた教師」以上のリーダーですが、特に「自律」を促すには、リーダー自身が「優れた」から「偉大な」へと変化を遂げなければならないということです。

  まずは「優れた」リーダーのレベル。これだけでも本当に難しいと思うのですが、小野さん曰く「身体から考える」ことが大切だということです。良く「平常心」と言われますが、心と体は密接につながっており、実際には心をコントロールするより身体をコントロールする方が容易い。それでも余程意識して心掛けていないと難しいのですが、簡単に言えば「人は身を以て知ったことしか、身を以て示すことができない」と心得ることだということです。

  次に「偉大な」リーダーのレベル。小野さんは現役時代、大西鉄之助氏、宿沢広明氏、木本健治氏という三人の名将の薫陶を受けたそうですが、彼らに共通していたのは執念ともいうべき異常なまでの情熱だったそうです。その情熱がなぜ「心に火をつける」のかと言えば、やはり根底として「身を以て知ったことを、身を以て示す」ということがあるからではないかと思います。偉大なリーダーは高く明確な目的、目標、要求水準は徹底的に伝えますが、それ以外は個々が自発的に考え行動するのを待つのだそうです。こうした組織の姿を小野さんは2003年大学選手権準決勝における関東学院大学の選手たちのハーフタイムの過ごし方に見たそうです。それは個々の選手が自由に創意工夫をみせつつ、自生的に一つにまとまる姿、個々がやるべきことを理解しており、監督が選手を信じ切っている姿でした。個々が自ら考え行動するようになるまでの我慢、これができるか否かが「優れた」と「偉大な」を分けるのだと思いました。因みに、小野さんのお話も熱気にあふれ、恐らく参加された皆さんは部屋が相当暑く感じられたであろうと思います。

  最後に印象に残ったこととして「本当に分かりあうために効率化や合理化はない」という小野さんの言葉がありました。本気で個人の「自律」を促したいのであれば徹底的に話し合わなければならず、そのための時間を惜しんではならないのだということです。結局のところ、リーダー自身がどれだけ本気かということに尽きるのではないかと思いました。

  「本当に偉大な教師というのは、生徒の心に火をつける」、当社の部長級の役職名を「中孚」(ちゅうふ)といいますが、これには「誠心」という意味があります。つまり、指示する、教えるのではなく真心で感化する、まだまだ理想の段階ですが、これも相通ずるものを感じました。

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豆乳豚しゃぶ寅太郎/元祖にしんそば松葉

2013年01月24日 | 食べ歩きデータベース


  打ち合わせのために訪れた、京都四条烏丸にある豆乳豚しゃぶのお店。

 

  写真はこのお店のスタンダードコース、星寅会席です。



  温泉水にくずし豆腐を溶かして作った出汁で豚しゃぶをいただきます。後でご紹介するように、実はこの少し前、祇園四条にある「松葉」でにしんそばを食べたばかり。あまりお腹はすいていなかったのですが、かなりあっさりしていたので、しゃぶしゃぶばかりか豚骨胡麻だれに自家製ラー油を加えた締めのつけ麺まで美味しく食べることができました。



  そしてこちらがその前に訪れた、京都にしんそばの元祖、今年で創業152年を迎える松葉さんです。



  甘く煮たにしんに京都風の薄い色をした鰹出汁のおそば。関東のおそばを食べ慣れた方には少々物足りないと思われるかもしれませんが、汁が控えめな分、にしんが引き立っているともいえます。

  温かいおそばも悪くありませんが、夏の暑いときに、鴨川を眺めながら冷やしのにしんそばを食べたら、なお美味しいのではないかと思いました。

豆乳とんしゃぶ 寅太郎

京都府京都市下京区仏光寺通烏丸東入上柳町331
タカノハスクエアB1



松葉本店

京都府京都市東山区四条大橋東入ル川端町192



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鷲峰山 高台寺

2013年01月23日 | 史跡めぐり


  1月19日。この日京都の四条で予定されていた会合の前に1時間ほど時間があったので、高台寺の境内を散策してきました。静かで、東山から吹き降ろす風が心地よく、散策には好適のお寺でした。



  高山寺は豊臣秀吉の正室である北政所(ねね)が秀吉の菩提を弔うため、1606年(慶長11年)に開創した寺院です。秀吉の死後、実権を握った徳川家康は北政所に接近し、高山寺造営に多大な援助を行いました。恐らく豊臣恩顧の家臣を味方につけるための政治的配慮であったであろうと思われます。

  このため、高台寺は出家し隠遁した北政所(高台院湖月尼)の尼寺というイメージと違い、かなり大規模なものです。度重なる火災により多くの建築物が焼失してしまったものの、現在でも開山堂、霊屋(おたまや)、傘亭、時雨亭、表門、観月台などが現存しています。



  高台寺を代表する茶席の一つ、遺芳庵。井原西鶴「好色一代男」の主人公世之介のモデルであったとされる、元禄時代の豪商灰屋紹益が紹益に身請けされた名妓二代目吉野太夫を偲んで建てた茶席と伝えられています。



  観月台。檜皮葺き、三方に唐破風を施した、文字通り偃月池より月を観るための建物です。

 

  方丈より臨む前庭と勅使門。

 

  開山堂。高台寺第一世の住持、三江紹益禅師を祀る塔所。内部は撮影できないのですが、禅師の像の左右には北政所の兄である木下家定とその妻雲照院の木造も安置されています。柱や天井には、後の日光東照宮を思わせる壮麗な彫刻が施されています。特にこの天井は北政所の御所車と豊臣秀吉の御所船の天井を用いたと言われています。



  霊屋。豊臣秀吉と北政所の霊廟です。当然のことながらこちらも撮影禁止。須弥壇や厨子には高台寺蒔絵と称される華麗な蒔絵が施され、秀吉と北政所の木像が安置されています。襖絵は狩野派によるものといわれ、桃山時代の美術工芸がここに凝縮されているかのようです。



  臥龍廊。霊屋と開山堂を結ぶ階段です。

 

  傘亭。千利休の意匠による茶席で、伏見城から移築したものと言われています。竹を放射状に組んだ、傘のように見える天井から傘亭とお呼ばれていますが、正式には安閑窟というのだそうです。

 

  時雨亭。傘亭の並びにある、同じく伏見城からの移築と伝えられる茶席。珍しい二階建ての茶席です。

  



鷲峰山 高台寺

京都府京都市東山区高台寺526



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神泉苑と風水

2013年01月22日 | 史跡めぐり


  先日、京都の神泉苑に行ってきました。

  神泉苑は元々、平安京遷都(794年)と共に大内裏(天皇の宮城)の南側に接するように造営された禁苑(天皇のための庭園)でした。水が絶えることなく湧き出ていた天然の泉を利用して造成された池を中心とした庭園で、当初は東西240m、南北500mにも及ぶ大規模なものでした。

  余談ですが、京都の祇園祭は869年(貞観11年)にこの神泉苑の南端に当時の日本の国の数と同じ66本の鉾を立て、祇園社から神輿を出したのが始まりとされています。

  この神泉苑を風水の立場から見ると、次のようになるのだそうです。平安京そのものが風水都市であったことは良く知られています。即ち、北(玄武)の丹波山地、東(青龍)の大文字山、西(白虎)の嵐山と三方を山に囲まれ、南(朱雀)には巨椋池と理想的な四神相応の地形をなし、北からのエネルギーがたまるポイントである龍穴には天皇の住む太極殿がありました。巨椋池は昭和初期の干拓事業によって失われてしまいましたが、それでも京都の南側は桂川と鴨川によって挟まれており、エネルギーを受け止める地形となっています。

  しかし、龍穴に位置していた大内裏は戦乱などにより荒廃し、鎌倉時代中期には現在の位置に御所が移されています(京都御所)。朝廷の衰退がそのためなのかは分かりませんが、少なくとも建武親政(1333年~1336年)のわずかな時期を除いて、平安末期以降朝廷が政治の表舞台に立つことは明治に至るまでありませんでした。>



  話を平安初期に戻します。古くから北西の方角は龍が運気を運んでくると信じられていました。龍は水の神でもあり、北西から南東へと抜けていきます。そのため、南東方向には龍の水飲み場となる池や湖があると良いとされていました。神泉苑はまさに平安京の北西方向から大内裏を通り、南東方向に抜ける位置にありました。実際、神泉苑は昔から龍神(龍女善王)が住んでいると信じられてきました。824年(天長元年)には空海により、ここで雨乞いの祈祷が行われています。

  つまり、都の北西から神泉苑にかけては、朝廷にとって運気を運んでくるエネルギーラインであったということができます。1602年(慶長7年)、関が原の戦いに勝利した徳川家康は神泉苑を大幅に縮小した上、かつエネルギーラインを分断するかのように、神泉苑の真北に大規模な二条城を築きました(それ以前にも二条城と呼ばれるものは存在しましたが、位置が違います)。風水師でもあった僧天海をブレーンとし、江戸城や日光東照宮など江戸幕府の基盤を固めるために積極的に風水を活用した家康のことですから、ひょっとすると意図してこの位置に二条城を作ったのかもしれません。

  この時代すでに御所の移転や巨椋池の縮小などにより、都の持つパワーは徐々に失われていたのですが、家康は徳川幕府安泰のため朝廷が幕府に対抗する力を完全に失わせようとしたのではないかという見方もできなくはありません。そして翌1603年、家康はこの二条城において征夷大将軍の宣旨を受けています。

  それから264年後の1867年、同じ二条城において大政奉還が行われ徳川幕府が滅亡したというのは、歴史の皮肉というべきでしょうか。

神泉苑

京都府京都市中京区御池通神泉苑東入門前町167


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マツケン食堂

2013年01月22日 | 食べ歩きデータベース


  一見すると町の大衆食堂のような名前ですが、大阪・北新地にあるワインダイニング、創作料理のお店です。薬師堂ビルという建物のさらに奥まったところにあるため、少し分かりにくいかもしれません。初めてこの地を訪れた僕は、大いに迷いました。



  さて、この日は珍しくワインをグラスで通したため、ワインについては割愛させていただきます。しかし、店内には大きなワインセラーがあり充実していました。



  今回頼んだ料理の写真はフォトチャンネルにまとめましたので、ここではその内の幾つかをご紹介したいと思います。まず、和牛テールのどて煮込み。「どて煮」といっても、スペイン料理に出てきそうな洋風な仕上がり。意表を突かれましたが、とても柔らかくて美味しかったです。



  タコのアヒージョ。さすが大阪、びっくりするぐらい大振りのタコがゴロゴロ入っています。一昨年「しぇりークラブ」に行って以来、ワインとアヒージョを合わせるのが好きになりました。



  犬鳴豚肩ロースの炭火焼。大阪唯一のブランド豚、犬鳴(いぬなき)豚の肩ロース肉を炭火で焼き、厚切りにしたものを塩、マスタード、熟成ニンニクのペーストでいただきます。ワインとの相性もよく、お勧めです。



マツケン食堂

大阪府大阪市北区堂島1-3-19 
薬師堂ビル1階1-C



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もつ幸-最近、くどいのがダメで-

2013年01月18日 | 食べ歩きデータベース


  一日中冷たい雨が降り注いだ、1月のある夜。友人と「最近、くどいのがダメになってきてさ...」など妙なところで意気投合しながら、福岡は呉服町近く、昭和53年創業のもつ鍋専門店、「もつ幸(こう)」へ行ってきました。寒い夜はやはり鍋ですね。



  なぜもつ幸かといえば、ここのは鶏がらベースのあっさりしたお鍋だからです。しかし、もつ特有の臭みは全くありません。たっぷりのキャベツやニラに加え、とろっと柔らかくなった餃子の皮がアクセントになっています。メインメニューはもつ鍋だけですが、サイドメニューの白センマイ、ぽんぽん(牛の動脈とニラを炒めたもの)、一口餃子なども美味しいです。



  新鮮なモツは油もさっぱりしていて、自家製酢醤油でいただきます。この胃腸に衰えを感じ始めている我々でも2杯は軽く食べられました。そのためか、女性のお客が比較的多いようにも感じました。



  〆はちゃんぽんをスープがなくなるまで煮込み、そこに白胡麻をたっぷりとかけていただきます。これもどろっとして一見くどそうに見えますが、野菜の旨みが染み込んだあっさり味。これでひとまずお腹は満足。

  にもかかわらず、最後はラーメンを食べて帰ってしまいました。



  懲りないぼろ屋と質屋の二人組です。

もつ鍋専門 もつ幸

福岡市博多区綱場町7-14



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如水庵のいちご大福

2013年01月17日 | 食べ歩きデータベース


  福岡老舗の和菓子屋さん、如水庵のいちご大福です。以前、このブログでぶどう大福柿大福をご紹介しました。ぶどうや柿に比べるといちご大福は比較的ポピュラーなのではないかと思います。僕も大好きです。

  やはりいちご大福はあっさりした白餡といちごの相性が抜群ですね。福岡を代表するいちご「とよのか」は甘すぎず、酸っぱすぎず、その酸味が白餡の甘みを抑えながら、白餡の甘みがいちごの酸味と香りを引き立てることで絶妙のバランスを保っていると思います。

  噛むと口の中でシュワッとした、ラムネを飲んだ時のような感触がありますが、これはいちごが呼吸によって放出する炭酸ガスの影響なのだそうです。いちごも生きているというわけですね。

  外側を包むやわらかいお餅とプチプチのタネ(正確にはこれが実ということですが)が合わさった食感が良く、放っておくと何個でも食べてしまいそうです。

  いちごの香りは、まだまだ冬真っ盛りながら、何となく春の訪れを期待させます。

如水庵

福岡県福岡市博多区博多駅前2-19-29



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九州営業所を移転しました

2013年01月15日 | リサイクル(しごと)の話


 2013年1月15日、移転した弊社九州営業所が新天地にて業務を開始いたしました。



 これに先立つ1月12日、営業所の移転作業に行ってまいりました。



 こちらが11年お世話になった、京都郡苅田町磯浜町の旧営業所です。



 各営業所からも応援に駆けつけ、社員で力を合わせての移転作業。小さな営業所とはいえ、いざとなると結構大変でした。上の写真のコピー機など予想以上に重く、よくぞ運べたものだと思います。



  さて、新営業所は約2kmほど離れた、苅田町富久町にあります。これまで人数も増え、ずっと手狭でしたが、ようやく広々としました。完成したばかりの営業所は、気分も新鮮になります。



  今回手伝いに駆けつけた各営業所のメンバー。この後、疲れた中ではありましたが、月例の会議を行いました。



  そして夜は一足早い開所祝いで乾杯。社員の皆さん、引越し作業に会議に本当にお疲れ様でした。

  新しくなった九州営業所共々、今後ともナカノ株式会社をよろしくお願いいたします。

ナカノ株式会社九州営業所

福岡県京都郡苅田町富久町2-27-12



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  ブログをご覧いただいたすべての皆様に感謝を込めて。

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