同書は、昭和56年(1981年)2月20日から12月25日にかけて『週刊朝日』に連載された野村克也氏のコラムをまとめたものです。
先日、友人が小学生の頃に買ってもらったという同書を紹介してくれ、少し読ませてもらったところ、非常に面白かったので早速買い求めた次第。昭和57年の発売で既に絶版していますが、最近はネットで簡単に古本を購入できるのが良いですね。本当に便利な世の中になったものだと思います。
昭和56年当時、僕は8歳だったので野球の細かいことは分かりませんでしたが、登場する選手はほぼ記憶に残っている人達ばかり。それだけに少年のそれとして残っている記憶と大人視点での同書をつき合わせることで、より一層興味深く読めたという面もあるかもしれません。一気に読了してしまいました。
同書の良い点は連載なので昭和56年のプロ野球シーズンと平行しながら書き進められているという所です。勿論昔話もあるのですが、結果論ではなくリアルタイムでの氏の考えが反映されている点が他の著書とは一線を画すのではないでしょうか。選手として27年間、輝かしい実績を持ち、監督経験もあった野村氏ですが、連載当時は評論家としてデビューしたばかりの時です。それにもかかわらず、理路整然とした文章と氏の慧眼には本当に驚かされました。ここでは特に印象に残ったことを思いつくままにご紹介したいと思います(以下、登場する選手の敬称略)。
プロ野球の男たち―野村克也の目 (1982年) | |
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朝日新聞社 |
後に「野村スコープ」として有名になる配球図。これが同書にはしばしば登場し、前年セ・リーグ新人王である原(現巨人監督)の攻略法やこの年の日本シリーズ(巨人vs日本ハム)における投手陣の解説がなされています。
木田勇。前年に新人でありながら投手のタイトルを総なめにした投手。僕自身、木田の記憶は大洋に移籍して以降しかなく、1イニング4被本塁打やら広島戦での先頭打者からの三連続本塁打(高橋・正田・ロードン)など良い思い出がないので、昭和55年の木田がいかに凄かったか、10年後にやはり新人ながらタイトルを総なめにした野茂英雄投手と比べてみます(かっこ内が野茂の記録)。
・最多勝…22勝(18勝)
・最優秀防御率…2.28(2.91)
・最高勝率…0.733(0.692)
・最多奪三振…225(287)
しかし、野村氏は2年目のシーズン5勝1敗(防御率2.70)で来ていた木田に対する不安要素を挙げています。実際、この年の木田は10勝10敗、そして3年目以降は上記の如くほとんど活躍できませんでした。
金村義明。この年の夏の甲子園を制した報徳学園のエース。プロ入り前でありながら、既に野村氏は金村を「投手より野手が向いている」と看破しています。事実、金村はプロ入り後野手に転向、後の近鉄「いてまえ打線」の一翼を担いました。
最終回は広岡達郎氏との対談。昭和57年のシーズンから西武の指揮を執ることになった広岡氏の前年12月末時点におけるチーム状況の把握力、若手の能力を見抜く眼力は一読の価値ありです。来シーズンの順位予想で、野村氏は巨人を優勝候補筆頭、対抗馬を広島としながらも、この年5位に沈んだ中日に注目しています。一方、監督となる広岡氏も「日本シリーズに向け投手陣にバント練習をさせる」と就任1年目での優勝宣言。実際、昭和57年は中日と西武が優勝しました。
当時から「管理野球」と揶揄された広岡氏のスタイルですが、その「管理野球」が当時の西武には不可欠だったということも同書を読めば分かります。また、現在12球団中3球団の監督が当時の西武で薫陶を受けた選手(伊東・工藤・田辺。因みに元監督も含めれば、秋山・石毛)であることも注目されます。
余談ですが、対談の中で「最下位は決まっている」と言われた横浜大洋は5位でした。この年は最終戦の中日vs大洋で中日が勝てば中日優勝、大洋が勝てば巨人優勝という展開でした。さらにこの試合には中日谷沢と大洋長崎との間で首位打者が懸かっており、谷沢が5連続敬遠でタイトルを逃すなど、思い出に残るシーズンでした。同書の中で「たとえていえば病人」とまで書かれた当時の大洋については村瀬秀信氏の『4522敗の記憶』に詳しいです。
4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史 | |
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双葉社 |
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした