10月から始まるNHK朝の連続ドラマ「マッサン」は、ニッカウヰスキーの創業者竹鶴政孝と妻リタ(本名:ジェシー・ロバータ・カウン)がモデルだそうです。ニッカと言えば、このブログでも以前宮城峡蒸留所をご紹介しましたが、どのように描かれるのか楽しみです。
ニッカ 宮城峡蒸留所①
ニッカ 宮城峡蒸留所②
ニッカ 宮城峡蒸留所③
さて、先日たまたま長年撮りためたデジカメ写真を整理していましたら、8年前に訪れた山崎蒸留所の写真が出てきました。当時はまだブログを開設していなかったので、ここであらためてご紹介したいと思います。
山崎蒸留所は、1582年に羽柴秀吉と明智光秀が雌雄を決した天王山の麓、山崎駅から降りてすぐの所にあります。2006年8月、ここを訪れた日はうだるような猛暑でした。
ここ山崎は名水の地として知られ、千利休もここの水を好んだと言われています。サントリーの創業者鳥井信治郎も1923年、日本初のウィスキー蒸留所を建設するにあたり、良質の水が湧き湿潤な気候の山崎の地をウィスキーづくりに最適の地と考えたようです。山崎蒸留所の敷地内では今でもきれいな水が湧き出ています。
モルトウィスキーの製造工程を順にご説明します。まず糖化槽(マッシュタン)。大麦にお湯を加え、粥のようにして糖化します。
発酵槽。糖化した麦汁に酵母を加え、発酵させます。この酵母の働きにより麦汁が水とアルコールと二酸化炭素になります。酵母の種類によりウィスキーの香りなども異なってきます。山崎蒸留所では様々なウィスキーを製造しているので、様々な種類の酵母を使用しているそうです。写真の発酵槽は木桶槽ですが、ステンレス槽のものもあります。木桶槽は扱いが難しい反面、自然の働きによりウィスキーに独特の香りが付加されるメリットがあるそうです。
ウィスキー蒸留所のシンボルとも言うべき、蒸留釜(ポットスチル)。ここで蒸留を2回行います。蒸留釜は大きさや形状により、ウィスキーの個性に大きな影響を与えます。山崎蒸留所では多品種を製造するため、様々な大きさの蒸留釜が並んでいます。
蒸留されたニューポット、アルコール度数は60度~70度。まだ樽熟成前なので、無色透明です。
熟成。ここでウィスキー原酒は樽の中で何年間も熟成されます。樽の大きさ、使用している木材の種類、ウィスキーをつめる前にその樽を何に使っていたか、など様々な条件がウィスキーの個性に大きな影響を与えます。また、貯蔵庫の気温や湿度、貯蔵の位置、下か上か、壁に近いか遠いかなどもウィスキーに影響します。
樽の内側は、チャーといって真っ黒に焦がしてあります。これによりウィスキーが樽に触れる表面積が大きくなり、樽材に含まれるエキスが抽出されやすくなります。樹木を樹木たらしめているリグニンというフェノール化合物を分解するとバニリンというバニラ成分が抽出されるそうですが、ウィスキーがもつバニラ香もこれと関係があるのかもしれません。
蒸留段階では透明だったウィスキー原酒は、樽の中で樽に含まれる様々な成分が時間をかけて溶け出すことにより、次第にわれわれのイメージするウィスキー色に変化していきます。熟成が進むにつれ、樽の中のウィスキーが蒸発し減っていきます。この目減り分を「天使の分け前」(エンジェルズ・シェア)と言います。
余談ですが、昨年飛行機の中で「天使の分け前」という映画を観ました。 カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたケン・ローチ監督による作品らしいのですが、最後までウィスキー泥棒の話でした。
こちらは現役としては最古のミズナラ樽です。1957年と刻印がされています。通常、ウィスキー樽にはアメリカンオークやスパニッシュオークが使われるのですが、ミズナラ(ジャパニーズオーク)はこれらの樽とは違った、独特の香りが生まれるそうです。最近では、あのシーバス・リーガルが昨年10月に「ミズナラスペシャルエディション」をリリースし、話題となりました。
これは日本最古のウィスキー樽です。かすれて見えませんが、山崎蒸留所開設の翌年1924年の樽です。
工場見学が終わると、試飲コーナーで「山崎10年」の試飲ができます。
山崎蒸留所
大阪府三島郡島本町山崎五丁目2番1号
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
よろしければクリックおねがいします!
↓