窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

早稲田大学空手道糸東会55周年

2024年10月07日 | その他


 10月5日、かつて籍を置いていた(1993年~96年)早稲田大学空手道糸東会の創部55周年記念式典に参加してきました。コロナ禍その他の事情により50周年は行われず、今回の55周年は50周年も兼ねた大規模なものとなり、レセプションには現役、OBOG総勢100名を超える関係者が出席しました。今や僕もその歴史から見て前半の部類に属するOBになりました。

*早稲田大学空手道糸東会45周年
*早稲田大学空手道糸東会40周年

 

 第1部の合同練習は、江東区辰巳にある日本空手道会館で行われました。2011年にできた施設だそうで、訪れるのは初めてです。



 初めに、教育武道拳心館、早稲田大学空手道糸東会名誉会員の岡村康秀先生による空手セミナーが行われました。前半は講義形式の「礼法」について。座礼、立礼ともに武道にあっては当然その作法に武的意味があるわけですが、それでも明治の近代化と共に入ってきた西洋式礼法(例えば、結び立ちや「気を付け」の姿勢)が大日本武徳会によって取り入れられていたりして変質しているということを学びました。驚いたのは、今日「正座」とされる座法が太平の江戸時代になり、むしろ武的要素を取り去る「恭順」の座法として茶の湯から取り入れられ、それが明治になって「正座」とされたということです。確かに正座は、武的に見れば不合理極まりない座法ではあります。しかしながら、座礼の作法については手のつき方や呼吸法(これまで思っていたのと真逆でした)など、武的意味を保ったものが受け継がれています。尤も、僕のように今日に至るまで礼法をきちんと学んできていない人たちが恐らく大勢いるわけですが…。文化的礼法としては、煎茶を多少齧ったことがあるのですが、それとの明確な違いも興味深いものでした。



 後半は型(形)について。まず、那覇手系の流派に見られる、三戦、転掌といったいわゆる「鍛錬型」と呼ばれる方ですが、実はあのガチガチに力を入れて文字通り「鍛錬」するイメージは、体幹を鍛え、身体各部を連動させるためのもので、最終的にはどんどんと脱力する方向に向かうそうです。脱力とは、ただ力を抜くというのではなく、丹田を起点として身体を連動させ動けるようになった結果のことです。したがって、三戦、転掌にせよ、十八や征遠鎮といったその他那覇手の型にせよ、それらに含まれる技はすべて脱力した運用になります。しかし、実際に技の威力を目の当たりにし仰天。自分でも少しやってみましたが、力んだのでは却ってできないということが身をもって分かりました。



 つづいて、合同稽古。ちなみに「稽古」という言葉も、「古を稽(かんがえる)」が語源で、先人の教えを工夫・研究をすることを意味するそうです。基本の移動稽古の他、平安二段、抜塞大の型、打ち込み稽古を行いました。



 一応、「真面目に稽古参加していました」といった感じの写真が撮られていたので、載せておきます。なお、当日は「意外と身体動くじゃん」と思っていたのですが、左足の中指は内出血で腫れ上がっているし、翌日は筋肉痛で、やはり鈍った身体は誤魔化せませんね。

 

 現役諸君による型演武。今回は全日本空手道連盟第一指定型である、慈恩(松濤館)と抜塞大(糸東流)でした。

   

 最後は、現役とOB・OGによる組手対抗戦。現役諸君の多大な配慮のおかげで、OB・OGは30代の比較的若手から、上は糸東会黎明期を担われた70歳を超える先輩方までが楽しく参加することができました。



 30年前とはルールも大きく変わり、戸惑うところもありましたが、本当にいい交流でした。現役の皆さん、ありがとうございます。

 

 第2部は、早稲田のリーガロイヤルホテルに場所を移し、レセプションが行われました。



 以下のご来賓の皆様よりご祝辞を頂戴しました。

・糸東会理事長 北原三造様
・創誠会師範 中山雅一様
・東京都糸東会会長 新井敏仁様
・株式会社チャンプ 井出将周様



 また、長年ご指導いただいた中山師範とご子息の純先生には、サプライズで感謝状と記念品の帯が贈呈されました。僕も学生の頃はご指導いただき、稽古の後はいつも美味しい大ジョッキをご馳走になっていました。

 5年後、60周年の時には今の現役生の皆さんにぜひOB・OGとして大勢ご参加いただきたいと思います。

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近江商人博物館(東近江市五個荘)

2024年09月09日 | その他


 9月6日、近江商人について学ぶため、近江商人発祥の地、五個荘にある「近江商人博物館」へ行ってきました。近江商人については、『てんびんの詩』のDVDと漫画、それに『近江商人学入門 改訂版: CSRの源流 三方よし』が分かりやすかったですが、やはり現地に足を運んでビジュアル的に感じたい思いは以前からありました。





 残念ながら館内は撮影禁止だったため、画像はありませんが、見学した展示物に沿って要点をまとめたいと思います。

1.古代

 五個荘は古代から交通の要衝でした。近江は三角縁神獣鏡などが出土するなど、弥生時代、古墳時代より出雲など周辺地域と交易があったことが分かっています。



 古代、五個荘付近は、現在の京都に至る東山道と伊勢に至る東風街道が分岐する位置にあり、地図を見てもまさに東西を結ぶ要衝地であったことが分かります。現在の地図で見ると、より琵琶湖沿岸の土地の方が通りやすそうですが、現在安土城址や八幡山城址があるあたりは、昭和の初めに干拓された土地で、それまでは大中の湖、伊庭内湖、弁天内湖といった琵琶湖の内湖でした。安土城が築かれた安土山と、観音寺城が築かれた繖(きぬがさ)山の間に彦根街道が整備されるのは江戸時代になってからであり、それを考えると、この土地の重要性が分かります。中世、近江守護の佐々木六角氏が観音寺城を居城としたのもまさにこの理由によります。

2.中世・近世

 さて、室町時代に入ると貨幣の流通で商業が発展しました。この頃の商業地は、市庭(いちば)または座と呼ばれる定期市で、座商人と呼ばれる、貴族や寺社などに金銭を払って営業特権を得た商人が商売をしていました。現在も二日市、五日市、八日市、十日市、廿日市といった地名が全国いたるところにみられますが、これらはこの定期市の名残です。やがて、戦国大名がこの特権を廃し、楽市または楽座が開かれるようになります。楽市・楽座というと、織田信長が岐阜や安土で施行したものが有名ですが、佐々木六角氏は信長に先駆け、観音寺城下で楽市を行っています。

 そうした座商人に、五個荘を拠点する小幡商人が登場します。彼らは若狭から伊勢にかけて手広く活躍しました。彼らは、鈴鹿山脈を越え伊勢方面と取引したので、山越商人とも呼ばれています。この山越えは、今でも車で通ると感じますが、難所の上、山賊にも遭遇しねない命がけの仕事だったようです。しかし、やがて伊勢方面へ通商を行っていた四本商人(小幡・保内・沓掛・石塔)の一角である保内商人との争いが激化。小幡商人は安土城下へ移り、継いで八幡山城下へと移ります。小幡商人は、五個荘商人、そして近江商人の一つに数えられる八幡商人のルーツとなりました。



3.近江商人の活躍

 近江商人とは、江戸時代から明治にかけ、近江に本拠を置き、他国で行商を行った商人のことを指します(意外なことですが、近江国内限定で商売をしていた商人は、近江商人に含まれません)。五個荘、八幡、日野などから特に多く輩出されました。湖西の高島を含める場合もあります。近江商人は、日本の近世、近代の商業発展に大きく貢献しました。現在に至る、名だたる大企業が近江商人にルーツを持っています。

 その発祥と言われる五個荘商人は、呉服や綿、絹織物など繊維を主に扱いました。「諸国産物廻し」といって、近江商人たちは各地のニーズの違い、そこから起こる価格差に目をつけ(例えば、京の古着は東北で重宝され、高く売れたそうです)、関西から関東など地方への「持ち下り荷」、地方から関西や江戸に向けた「登せ荷」を廻して利益を上げました(「鋸商売」とも呼ばれます)。

4.商人教育

 展示物を見ていて特に印象的だったのは、江戸時代の商人教育の水準の高さです。江戸時代の初等教育といえば寺子屋ですが、五個荘は人口の割に寺子屋が多かったようです。10ヶ所あった寺子屋のうち、7ヶ所で読み・書き・算盤を教えていました。識字率の高さだけでなく、算術の普及も全国平均を大きく上回っていたようです。博物館には、四書五経(論語・大学・中庸・孟子、易経・詩経・書経・礼記・春秋)、小学といった儒教経典の他、江戸時代の算術の教科書である塵劫記も展示されていました。これは、寺子屋教育が子供だけに行われたものではないことを示しています。代表的な寺子屋に、医師であった中村義通が五個荘町宮荘村に開いた時習斎があります。

 女子教育についても、寺子屋に通う女子の比率は全国平均より高かったようです。近江商人はその本質が他国での行商にあるので、主人はほとんど家におらず、商家の妻は「関東後家」と呼ばれていたそうです。その分、留守を預かるものとして、家政のみならず丁稚の教育など店の運営にも大きな役割を担っていました。現在の相撲部屋の女将さんに似ていますね。したがって、女性にも高い教養と人格が求められたことは言うまでもありません。近江商人の女子は、寺子屋から汐踏みといって、他の商家での行儀見習い奉公へ進み、上女中を経て商家の妻となります。近江商人の理念として「三方よし」と並び、「始末して気張る(倹約して努力する)」が有名ですが、女子の見習いの家庭でも、例えば余った布や糸を大事に使う「始末のかたち」が教えられました。また、上女中となった女子が嫁入りする際、嫁入りの支度は育て上げた商家が自分の娘として行い、送り出したそうです。

5.石田梅岩と商人道徳

 こうした高い教育水準を背景に、江戸時代中期には石田梅岩(1685年-1744年)を開祖とする石門心学と呼ばれる倫理学が商人や農村にも広がりました。農村においては、「分度」と「推譲」を基本として全国600ヶ所以上の荒廃した農村を再建した、二宮尊徳(1787年-1856年)が有名です。一方、儒教(朱子学)を倫理の中心に据えていた江戸時代にあって、『論語』の「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という言葉が偏狭に解釈された故か、当時の商人は道徳的に卑しめられていました。これに異を唱え、「商人が利益を得るのは天の理にかなったことである」として彼らの道徳的地位を高めることに貢献したのが、石田梅岩とその後の門下生たちだったのです。これは何と、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864年〜1920年)が、著書『プロスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、勤勉、倹約、貯蓄といったプロテスタントの精神が資本主義と適合性を持っていると主張する200年も前のことです。

 梅岩の唱える商人道徳について、質問や批判に答える形で説明した問答集、『都鄙問答』では、「客に誠を尽くし、支払う対価以上の満足を人々に与え、そのことによって社会に貢献すること」が商人の使命であり、あわせて事業の合理化に努めること(これを「倹約」といいます)が説かれています。また、梅岩は仕入先に圧力をかける一方で、売値を吊り上げるようなことをして得た利益を「正当でない利益」として退けました。なぜなら、このような利益は人々に幸福をもたらした対価ではなく、人々からの収奪によって得られたものだからです。

 商人はそうした社会貢献によって初めて自らの持続的発展が可能になります。当時の商人にとって、最も重要なのは当主の繁栄ではなく家業の永続でした。したがって、家業永続のために目先の欲心で信用を失うようなことがあってはならないと梅岩は説いたのです。ちなみに、家業永続という目的に関しては、後継者の能力が足らないと判断された場合、血縁以外の有能な者を後継者としたり、もし当主が能力不足でれば、従業員の総意で当主を引退させるというケースもあったようです。同様のことは嫡子相続が絶対と思われがちな武家社会にさえあり、笠谷和比古氏によると、主君が諫言を聞き入れず暴政を止めない場合、家老達が主君を監禁して隠居させるという「押込」と呼ばれる慣行が江戸時代にはあったそうです。

 このような商人道徳は、その後の日本企業の経営に大きな影響を及ぼしました。







6.近江商人の家訓

 博物館には、近江商人、(二代目)中村治兵衛宗岸が四代目宗哲に遺した2mに及ぶ書置(遺言状)が展示されていました。これは近江商人の精神を表す言葉として有名な、「三方よし(「売り手によし、買い手によし、世間によし」)」の原典であると言われています。展示で見えている第八条には、次のような意味のことが書かれていました。

 たとえ他国へ行商に出かけても、自分が持参した商品を、その国の人々が皆気分よく着用してもらえるように心掛け、自分のことばかりを思うのではなく、まずお客のためを思って、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら行商先の人々のことを大切に思って、商売をしなければならない。そうすれば、天道にかない心身ともに健康に暮らすことができる。自分の心に悪い心が生じないように、神仏への信心を忘れないこと。地方へ行商に出かけるときは、以上のような心構えが一番大事なことである。このことをよく心掛けることが一番である(引用元)。

 この他、近江商人の家訓または座右の銘として、次のような言葉がありました。

●奢者必不久(奢れる者かならず久しからず)…五個荘商人松居遊見の座右の銘
●好富施其徳(富を好しとし、其の徳を施せ)…八幡商人西川利右衛門の家訓

 こうしたところに、心学の影響が見て取れます。商才に長けた近江商人や倹約家で有名な伊勢商人は、「近江泥棒、伊勢乞食」と揶揄されることもありました。そうしたやっかみもありながら、地元を離れ、他国で商売をして成功した近江商人だからこそ、長期的スパンで信用を得ることの重みを一層身に染みて感じていたのかもしれません。

近江商人博物館



滋賀県東近江市五個荘竜田町583



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ぬちまーす観光製塩ファクトリー/果報バンタ(うるま市)

2024年07月19日 | その他


 2月19日、海中道路で宮城島へ渡り、「命の塩」という意味の、ぬちまーす観光製塩ファクトリーへ行ってきました。



 ここでは、冒頭の写真にあるような、美しい宮城島の東側の海から海水をくみ上げ、「常温瞬間空中結晶製塩法」という独特の製塩法で塩を作っています。



 霧状に噴射した海水に熱風を当て、水分を飛ばします。こうすることで、カルシウムやマグネシウムなどミネラルを豊富に含んだ塩の結晶が積もっていきます。相対的にナトリウムが少なめですので、しょっぱさが抑えられていると思われます。この塩であら汁を作ったら、最高でしょうね。



 集めた塩を乾燥後、人の手と目視で検品します。



 建物を出たすぐのところに、「龍神風道」と書かれた碑が立っています。ここは良い気が通るパワースポットと言われています。木々の間から見えているのは、琉球開闢の祖女神アマミキヨと男神シルミキヨを祀る、浜比嘉島。さらにその先には、アマミキヨが天界から降り立ったとされる神の島、久高島がほぼ一直線に並びます。そのために、良い気が通っているのかもしれません。



 ファクトリーは宮城島の高台にあり、珊瑚岩でできた複雑な地形を散策し、透き通るようなコバルトブルーの海を楽しむことができます。



 果報(かふう)バンタ。幸せ岬という意味。冒頭の写真もここからの眺めですが、素晴らしく美しい海。下の白い砂浜には、ウミガメが産卵に訪れるそうです。



 三天御座(みてぃんうざ)。ガジュマルに守られた形の鍾乳洞には天・地・海の神様が集まるとされ、ここもまた神聖な場所であり、パワースポットです。



 良いエネルギーと塩ソフトをいただきました。

ぬちまーす観光製塩ファクトリー

沖縄県うるま市与那城宮城2768



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屋形船から大岡川お花見

2024年04月09日 | その他


 4月7日、屋形船で大岡川を遡上しながらのお花見に行ってきました。今年は昨年と比べ、桜の開花が遅かった上、雨が多く満開まで時間がかかったため、絶好のお花見日和に恵まれました。この日は本当に少し暑いくらいで、横浜も桜を愛でる大勢の人たちで一杯でした。



 屋形船自体はこれまで何度か乗ったことがあるのですが、もっぱら横浜港周遊するコースで、川のぼりは初めてです。

屋形船 うみかぜ
屋形船うみかぜ②



 大岡川の河口から、弊社所在地の近く、道慶橋の辺りまで上って行ったかと思います。決して大きくない川から両岸にこぼれんばかりの桜並木を見上げるのは、また格別なものがありました。



 居酒屋で呑むのとさして変わらない値段で、桜を愛でながら舟で食事を楽しめることを考えると、屋形船は結構お得なのではないかと思います。



 普段は出不精な性格で、お花見のために外に出ることなどないのですが、お誘いいただいたおかけでいつもと違う風流な体験をすることができました。たまには日常のスタイルを変えてみるのもいいものですね。ありがとうございました!

屋形船 野毛丸 ずーみん

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大室山のパワーを浴びて-静岡県伊東市

2023年10月11日 | その他


 伊東に向かう途中、阿蘇の内輪山や霧島連山の御鉢を思わせるような、きれいな緑色の草に覆われた山が見えました。それが滞在先近くの大室山であるということが分かったので、昇ってみることにしました。

 行けば、小学校の卒業旅行で行った「伊豆シャボテン動物公園」のすぐ近く。ということは、38年前にここへ来たことがあるということになります。



 大室山は標高580mのスコリア丘で、山自体が国の天然記念物です。スコリア丘は、噴火活動によって地表にスコリア(岩滓)が放出され、それが火口の周りに堆積することで形成されたすり鉢状の丘を言います。上の写真はまさに御鉢の縁から火口を見下ろした景色になります。山全体が木ではなく草に覆われているのは、毎年春に山焼きが行われるためだそうです。この山焼きの伝統は700年くらい続いているのだとか。大室山ができたのは推定5,000年前で、最後の噴火は約4,000年前と言われています。山頂へはリフトで登り、現在徒歩での登山は認められていません。



 これがスコリアです。



 御鉢の縁はぐるりと一周できますが、とても素晴らしい眺望で気持ちがいいです。とても良い気、パワーをもらった気がしました。ちょうどからりとした青空、秋の夕方だったのも良かったのかもしれません。



 伊豆七島のうち、大島、利島、新島、神津島などが見えました。



 初冠雪が報じられたばかりの富士山も見えました。大勢いた外国人観光客の皆さんも喜んだと思います。改めて写真を見ても清々しい気分になりますね。

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実践型パーパス経営ラボ第9回勉強会に参加しましたー静岡県伊東市

2023年10月10日 | その他


 今年の1月から参加させていただいている、本業を通して社会の持続可能性を高めながら稼ぐ力を高める経営を探求する、「実践型パーパス経営ラボ」の第9回勉強会が、静岡県伊東市の古民家で行われました。



 正確に言うと、現代的な住宅の内装に囲炉裏や和室など古民家の資材を移築した施設で、「未来を作る人たちが集う場所として使って欲しい」という家主さんのご厚意で、今回開催の運びとなったそうです。木々に囲まれた静かな場所で、お風呂からは遠く海も臨めます。



 さて、勉強会は株式会社オーザック代表取締役西山基次さんによる自社のパーパス(社会における存在意義)およびコア・バリュー(核となる価値観)設定と、その社内共有した際の事例発表。連結金具や産業用吊り具等、金属加工、ステンレス加工を得意とする、広島県福山市にある創業70年の会社です。今回の会場の近くでは、静岡県三島市にある日本最長の吊り橋、「三島スカイウォーク」のワイヤーソケットにもオーザックの製品が使われているそうです。

 株式会社オーザックは西山さんの奥様の家系の会社で、三代目にあたるそうです。昨年6月に代表に就任し、パーパスとコアバリューを設定したのが今年の8月になります。従来も会社に「社是」・「経営理念」というものはありましたが、それらを改めて「パーパス」・「コアバリュー」として再定義した形です。

●社是
未来の可能性にチャレンジする
●経営理念
地域社会への貢献と使命
顧客第一主義の姿勢と顧客創造
全社員の幸せと自己規範の育成

●パーパス
人の力で、支えるを創造し、社会を調和させる
●コア・バリュー
全体視点で行動する
多様性を尊重する
変化とチャレンジを楽しむ
あたり前以上を提供する

 従来との違いは、より社会的存在意義が分かりやすく打ち出されたことですが、お話を伺っていて印象的だったのは、「支える」という事業ドメインが明確にされたこと、コア・バリューは、核心的価値観という名の通り、自社が辿ってきた70年の足跡を具に振り返り、そこに非明示的ながらも一貫して流れていた価値観を整理し、明示しているという点です。つまり、それらは代が変わっていきなり現れた価値観ではなく、既に会社の中で脈々と受け継がれ、事業を通じて表現されてきたものなのです。



 その上で、西山さんはご自身の人生も振り返り、自分が何を大切に生きてきた人間で、それがどのようにパーパスやコア・バリューと結びついているのかも整理して伝えられています。同じ価値観を共有していても、それを表現していくかには、少なからず歴代経営者の個性や時代感覚が反映されるでしょう。それを明確に社員に伝えることで、新たに設定されたパーパスやコア・バリューが、経営者本人とはかけ離れた単なるお題目でないことが明らかになるでしょう。何のために、どうして、そしてどこへ向かうのか?



 そして夜は囲炉裏で炭をおこし、バーベキュー。



 翌朝は手打ちの二八蕎麦、十割蕎麦もいただきました。とてもリラックスできる環境で、価値観を共有できる仲間たちと頭もお腹も満たす、とても贅沢な時間でした。

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SUGIZO TOUR 2023に行ってきました

2023年07月14日 | その他


 7月10日、LUNA SEAやX JAPANのギタリスト、ヴァイオリニストであるSUGIZOさんのツアーにお誘いいただき、お台場のZepp DiverCityに行ってきました。SUGIZOさんは当社も縁の深い秦野のご出身なのですね。



 お台場は展示会のため東京ビッグサイトに行くぐらいで、ほとんど行くことがありません。展示会以外では、今はなきヴィーナスフォートに1回、ホテル・グランパシフィック・メリディアン(現グランドニッコー東京)に1回、それと船の科学館に1回行ったことがあるくらいです。



 このツアーには、ウクライナの人気ポップバンド「カズカ」も参加していました。カズカとは、ウクライナ語で物語という意味だそうで、ウクライナの民俗音楽も取り入れた独特の曲調でした。



 正直、僕は音楽自体に疎く、もちろんライブに行くのも初めてのことです。また、ほとんど興奮することのない性格上、会場と一体となって盛り上がるというより集中して音楽に聴き入ってしまいました。



 素人なのでギターでこんなに幅広い表現ができるというのも新鮮でしたし、激しい曲からヴァイオリンのしっとりと聴かせる曲まで実にヴァラエティーに富んでいて、飽きることがなかったです。3時間以上も立っていたのは50歳の身体には堪えましたが、感覚としてはあっという間でした。それでも、このビートの波動が身体に良かったのか、翌日はとても身体が軽かったです。

 SUGIZOさんのギターとヴァイオリンもさることながら、バックのドラム、パーカッション、シンセサイザー、トランペット、ヴォーカル、どれをとっても一流であることが僕でも分かりました。変な話ですが、トランペットの方は人間の頬がこんなに膨らむんだというくらい膨らんでいて、プロの奏者は違うのだなと本当に驚きました。



 最後は、SUGIZOさんとカズカによるコラボ曲“ONLY LOVE,PEACE & LOVE”で締めました。



 その後はSUGIZOさんと直接お会いできる機会もあったようなのですが、僕は帰りの電車の関係もあったので、残念ながら失礼しました。お誘いいただきありがとうございました。

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初めての屋久島-ヤクスギランド/屋久杉自然館②

2023年04月04日 | その他
<つづき>



 切株更新。今度は人間が伐採した後の切株の上に幼木が育つ、切株更新です。江戸時代、材木として価値のある部分だけを切り出すため、根からかなり上の部分を伐採していました。そのため、このような大きな切株が数多く残っています。



 土埋木。江戸時代、屋久杉の用途は屋根に用いる平木であったため、加工しやすい部分のみを利用し、利用されなかった部分はそのまま放置されました。そうした木を土埋木と言います。屋久杉は非常に脂分を多く含むため、300年経った今でも朽ちることなく木の形をとどめて残っています。こうした土埋木の上にも倒木更新が起こっていますね。



 栂の木。



 杉にヤマグルマという木が着生しています。このヤマグルマ、大きくなると杉を絞め殺すこともあるのだとか。ヤマグルマの樹皮からはトリモチが採れます。



 荒川橋という吊り橋から、真っ二つに割れた巨石が見えます。その手前には井戸のような穴も見えますが、いずれも自然の働きによってできたものです。



 仏陀杉。高さ21.5m、胸高周囲8m。樹齢1,800年と推定されます。幹に無数のコブがあり、幹の左下が菩提樹の下で瞑想する仏陀のように見えます。



 屋久杉とは屋久島の標高500m以上の山地に自生し、樹齢が1,000年以上の杉を言います。上の写真は、屋久杉自然館に展示されていた樹齢1,660年の屋久杉の輪切りです。年輪の一番外側の赤い部分が、明治以降の150年で育った部分です。仏陀杉はさらに古いわけですから驚きです。



 こちらは杉にヒメシャラが着生しています。



 これは道を塞ぐ倒木を切って階段にしたものです。



 最後はくぐり杉。こちらの方がくぐり栂より分かりやすいですね。

ヤクスギランド

鹿児島県熊毛郡屋久島町安房0

屋久杉自然館

鹿児島県熊毛郡屋久島町安房2739-343



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初めての屋久島-ヤクスギランド/屋久杉自然館①

2023年04月03日 | その他


 これも随分前になってしまいましたが、昨年11月12日、初めて屋久島を訪れました。



 鹿児島空港からカンボジア以来のプロペラ機に乗って屋久島へ。窓から見えるのは隣の種子島です。


※屋久杉自然館の掲示より。

 屋久島は花崗岩が隆起してできた島。その高さは中心部の宮之浦岳で1,936mにもなります。すぐ近くにあるにもかかわらず、砂岩でできた平坦な種子島とは全く地質が異なります。南の島でありながら、2,000mも上に上がれば気温は北海道と同じくらいまで下がります。ヤクスギランドも標高1,100mのところにあるのですが、この日地上の気温は11月にもかかわらず24度。それでつい上着を置いていってしまったのが失敗でした。標高100mにつき気温は0.6度下がると言われていますので、この日のヤクスギランドの気温は単純計算で17.4度。実際には雨が降っていたので体感温度ははるかに低いものでした。



 そしてこの断面で見ればとんがり帽子のような地形が屋久島に独特の複雑な気候を生み出しています。話を聞くほど、奇跡の島、神秘の島です。例えば、上の写真は屋久島の地杉(標高160m)の年輪です(屋久杉自然館の展示より)。年輪の幅は気温が高い程広くなります。



 これを標高1,050m、ヤクスギランドと同じくらいのところにある屋久杉と比べてみましょう(屋久杉自然館の展示より)。年輪の幅が全く異なることが分かると思います。


 
 しかもその緻密さは標高520mの秋田杉にも劣らないほど(屋久杉自然館の展示より)。



 また、島の南を流れる黒潮の影響により漁獲資源が豊富。トビウオや首折れサバなどが有名です。上の写真は宿で出てきたトビウオの押し寿司(左)と首折れサバの刺身(右)です。首折れサバはゴマサバですが、鮮度を保つため、水揚げ直後に首を折り、血抜きをすることから首折れサバと呼ばれています。



 さて、車に乗ってヤクスギランドへと向かいます。途中、南の島にもかかわらず紅葉が見られました。標高が高いためですね。



 痛々しい地滑りの跡は、2019年の豪雨災害によるものです。花崗岩に堆積物が覆いかぶさった島ですので、土砂災害に対しては脆弱だとも言えます。



 ヤクスギランドに到着。屋久杉ばかりでなく、檜、栂(つが)など多くの植物が見られます。例えば、写真の百日紅(サルスベリ)のような木は、ヒメシャラ。尤も、ヒメシャラをサルスベリと呼ぶ地方もあるようです。地盤が花崗岩のため根が浅く広がらざるを得ず、このように倒れてしまったのですね。



 くぐり栂。根の下をくぐって遊歩道が通っていることから「くぐり栂」と呼ばれているらしいです。



 倒木更新。倒木更新とは、倒れた木の上に新たな幼木が育つ現象をいい、ヤクスギランドではこのような倒木更新が数多く見られます。



 林泉橋という吊り橋から見た川の上流と下流の様子。橋を挟み、片や巨石、片や砂地の浅瀬という全く異なる風景が見られます。

<つづく>

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第2回「利他メソッド」無料勉強会でお話しさせていただきました

2021年07月27日 | その他


 7月26日、日頃お世話になっている株式会社MANY ABILITIES、野原秀樹先生の第2回「利他メソッド」無料勉強会(オンライン)でお話しさせていただく機会をいただきました。野原先生はYMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)でも最多登壇いただいている先生です。



 「利他メソッド」とは、野原先生の提唱する、より良い人間関係の構築、他を思いやる心の醸成、仲間と共にやりがいを実感できる、他者のよろこびを自らのよろこびと感じることができる人材を育成し、成長、変革できる組織を開発するメソッド(株式会社MANY ABILITIES、HPより)を言います。先月より、この「利他メソッド」を実践されている株式会社ミヤマエの宮前昭宏社長を中心とする、主に大阪の中小企業経営者の皆様との勉強会が始まりました。

 ハーバード大学、ロバード・ウォールディンガーによる、同大学2年生の学生とボストンの極貧街で育った同年代の少年たち724名を75年にわたり追跡した有名な調査では、人を健康に幸福にするのは、富でも名声でも 無我夢中で働く事でもなく、「良い人間関係」であったということを明らかにしています。他者と健全な関係は他者への貢献から始まりますが、他者への貢献は同時に自尊感情も高めることが脳神経学者リリングらの実験で分かっています。つまり、「利他メソッド」で言うところの「他者のよろこびを自らのよろこびと感じることができる」ということです。

 「他者への貢献」と「自尊感情」は相補的な関係にあります。他者への貢献は自尊感情を高めますが、自尊感情の高いことが他者への貢献を健全な形にもします。何故なら、共依存的な他者への貢献は自尊感情が低いために生じると考えられるからです。つまり、自尊感情と他者への貢献の健全な相互作用が人間関係の質を高め、幸福感の増進に繋がるということです(これを今回参加されたある社長は、経験的に「ハッピー・スパイラル」と呼んでおられました)。



 では、その「自尊感情」を高めるにはどうすればよいのか?アメリカ心理学の父とも言われるウィリアム・ジェームズの時代から、自尊感情(ジェームズは「自己重要感」と呼んでいますが)は人間の根源的欲求とされているはずですが、人間は外部環境の影響を受けて育つので、現実にはこの欲求が必ずしも満たされる環境にいるとは限りません。その結果、人は満たされない自尊感情を補償する様々な行動をとるようになり、それが様々な問題を引き起こします。当然、人間関係にも良くない影響を及ぼすでしょう。

 しかし、我々は環境を選んで産まれてくるわけではありません。したがって、所与の環境の中で健全に自尊感情を高めていくには、無意識に行われる補償行動を回避する、何らかの視座が必要になります。僕は心理学の専門家ではありませんが、経験的に理解している範囲において、この点の最も基本的な部分、「自己受容」についてお話しさせていただきました。普段から野原先生のお考え、また今回のテーマである「利他メソッド」に共通する点が多かったためです。

 距離的にも離れ、全く違った仕事をしていますが、参加された中小企業経営者の皆さんとお話しさせていただいて、経験や表現方法は違っても、ベースのところではみな同じようなことを考えていらっしゃるのだということが分かりました。それだけでもとても心強く感じました。逆にベースは同じでも、その表現方法は千差万別ですので、大変勉強になりました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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