窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

驚きの価格で近江牛食べ放題-MAWARI(近江八幡)

2024年09月13日 | 食べ歩きデータベース


 以前ブログで、牛はあまり食べないというようなことを書いた気がしますが、最近焼き肉の投稿が多くなっていますね。9月6日、近江八幡駅近くの「近江牛焼肉 MAWARI」さんへ行ってきました。食べ放題焼肉というと、質の面でちょっと…というイメージがあり、また量を志向する歳でもないので、まず行くことはなかったのですが、なかなかどうして質もよく、それでいてこれからご紹介しますが、これだけ食べても4,500円食べ放題という驚きの価格。しかも、今回ご紹介するのはお酒やサイドメニューをすべて省いた肉のみです(写真を撮り忘れましたが、「花咲カルビ」や「近江牛ホルモン」も頼んでいます)。

 では、早速参りましょう。まずは何といっても名物から、

 

 しゃぶしゃぶ肉のような、大きな薄切り肉の「近江牛大判カルビ」。薄いためあっという間に火が通るので、ほぼ片面焼きでも良いくらい。お店のたれが独特でおいしかったですが、ここはピンク岩塩がおすすめ。



 「ガリバタ上ハラミステーキ」。最近感じるのですが、バター系のグルメって多いですよね?鶴見の「三年目の浮気」でもガーリックバターのタンがありましたし、地元「大苑」には、イベリコ豚のガーリックバターフォンデュがあります。



 「近江牛肉寿司」は軽く炙った牛カルビと中トロ。普通のお寿司より一回り小さいので、一口でどんどん入ってしまいます。肉寿司だけでついお腹いっぱいになってしまわないよう、注意。

 

 「牛タン塩」。レモンはテーブルにありませんが、頼めば持ってきてくれます。

 

 厚切りの「上ハラミ」。



 「炙りすき焼きハラミ」。先ほどの上ハラミと違い、すき焼き風に薄切りにし、タレに付け込んだハラミ。以前ブログでご紹介した、「闇市酒場」の「壺漬けハラミ」のような感じです。



 「国産牛レアステーキユッケ」。卵も濃厚で、こだわりがあるのではないかと思います。「幸喜屋」のような、短冊状にカットしたタイプのユッケです。



 これも軽く火を入れた薄切り肉をタレに漬け込んだ、「国産牛レアステーキ」。焼き肉の後に少しさっぱり目にお肉を味わうことができます。

 これらに冒頭でも書いたように、写真を撮り忘れた「花咲カルビ」と「近江牛ホルモン」が加わります。これで4,500円食べ放題!早い時間からお店が賑わっているのも頷けます。

 二次会へ行く元気は残っていませんでした…。

近江牛焼肉 MAWARI 近江八幡店



滋賀県近江八幡市鷹飼町526-2



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人生を変え、組織を変え、地域を変えるキャリアツーリズム®ー第168回YMS

2024年09月12日 | YMS情報


 9月11日、NATULUCK関内セルテ 801にて、第166回YMS(ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。今回は、株式会社せんのみなと 代表取締役社長 高崎澄香様より、「非日常の体験で人生を変える『キャリアツーリズム®』」と題してお話しいただきました。



 僕が「キャリアツーリズム®」について初めて聞いたのは、昨年3月にZOOMでの勉強会でお話しさせていただいた時です。その時参加されていた、同社共同代表の長嶺将也さんに「ぜひYMSでお話を」とお願いしたのが同年6月、それから1年3ヶ月を経てようやく実現の運びとなりました(YMSは大抵1年先までの講師が確定しているため、どうしてもお待たせしてしまうことになってしまいます)。遠く、千葉県香取市からお越しいただきありがとうございます(Googleマップで調べたところ、「せんのみなと」さんが出てきました)



 さて、高崎さんは2021年に千葉県香取市で株式会社せんのみなとを創業。築100年の古民家を改装し、「泊れるキャリア相談所」として活用されています。元々人材紹介会社でコンサルタントをされていた高崎さん、コロナ禍で恐らくメンタルの面で休職していく人が相次ぐ状況の中、「遊びながら、事業しながら、社会に役立つ」、人間らしい生き方、人間らしい世界を目指し、古民家から組織コンサルティング、キャリア支援、キャリアツーリズム®の研究・推進を行っておられます。

 そんなお二人は、会社のパーパス、『体験と会話で生業の可能性を拡げ「ここにいて良かった」と誇れる人・社会を共創すること』を非常に大切にされています。オンライン上とはいえ、僕が長嶺さんとお会いしたのも、自分のパーパス、企業のパーパスについて考える勉強会、「実践型パーパス経営ラボ」においてでした。このパーパスがどういうことなのか、後のお話で明らかになります。

 まず、「キャリアツーリズム®」に先立ち、なぜ都会から離れた古民家に宿泊して自身のキャリアについて考えるのか?ということについてですが、「日常から離れること」に大きな意味があります。非日常的な空間に身を置き、リラックスした環境で、時にはお酒を酌み交わしながら対話する。そうすることで、日常の思考の枠組みを外れ、より深く自己を見つめたり、環境のとらえ方が転換したりすることが期待できます。

 もう一つ、「キャリアツーリズム®」に連なる大きな出来事として、2022年に、「キャリア相談だけで日本一周できるか?」という、広報を兼ねたプロジェクトを実施されたそうです。それも相談料は任意の物々交換で。それこそ缶コーヒー1本という方もいらっしゃれば、数万円という方もいたそうです。この各地を回ったことが、全国の地域事業者とコミュニティづくりを推進するきっかけとなりました。

 いよいよ、「キャリアツーリズム®」についてのお話です。そもそも人はなぜ旅をするのか、その動機や目的はそれこそ十人十色の多様な価値観があると思いますが、キャリアツーリズム®は「旅」が持つ性質を利用して、「自身でキャリアを切り拓く力を身に着けること」を目的としています。キャリア相談に旅を結びつけることで、例えば次のようなことが期待できます。

1. 物理的な移動…一言でいえば「気分転換」ですが、日常から離れた環境に身を置くことは、精神的にリフレッシュすることが分かっており、これを「転地効果」と言います。リラックスした環境に身を置くことで、普段気づかなかった本音が浮かび上がってくることがあります。僕も閃きやパラダイムシフトは、海外出張した先のホテルで起こることが多かった気がします。
2. 第三者との対話…キャリアツーリズム®では、旅先で出会う、バックグラウンドの全く異なる第三者と対話することになります。そこでは、第三者からの「問い」を通じて自己理解を深め、潜在意識下に眠っていた価値観などを顕在化していきます。例えば、都会に暮らす農業とは全く縁のない相談者が、農家の人から発せられる予想外の切り口からの「問い」により、パラダイムシフトが促される可能性があります。
3. 異なる価値観と文化…キャリアツーリズム®は一種の越境学習ですが、異なる価値観と文化に触れることは自己理解や成長を促す効果が期待できます。
4. 目指す方向性…対話を通じて、自分と組織のパーパスを明らかにします。

 この他、そもそも既存の枠組みから外れる経験をすることで、想定外のことにチャレンジできるようになります。また、受け入れる地域の方も、外部から異なるバックグラウンドを持った人々と交流することにより刺激になるようです。近年、メディカルツーリズムやウェルネスツーリズムが世界的に盛んになっていますが、将来的に「自己理解と成長、そして共創」を目的として外国人が来日するようなことにも繋げていきたいとおっしゃっていました。

 キャリアツーリズム®は、下図のような個人の行動変容のメカニズムを刺激するものと言ってよいでしょう。



 なぜ今、キャリアツーリズム®なのか?それには、日本における働き方、キャリアの重ね方の変化が背景にあります。大雑把に言えば、企業が個人のキャリアを用意し、一つの組織の中で評価されることが社会的成功とイコールだった時代から、様々な場所で経験を積み、自分自身の成功のために自ら進む形への変化です。後者を「キャリア自律」と呼んでいます。キャリア自律型の時代は、決して組織と個人が対立関係にあるのではなく、むしろパーパスを共有しながら良い関係性を築いていくことが重要になります。

 なぜなら、キャリア自律型の人は、雇用の安定性や働く仲間との関係性(これらも重要ですが)よりも達成感やパーパスへの共感、成長を重視しているからであり、そうした個人で構成される組織は、むしろ成長しやすいという関係にあるからです(下図)。





 さて、ここでワークショップを行いました。最初に個人で、以下の問いについて考えます。

問.あなたが考える理想の町についてイメージしてみて下さい。

 次に、グループで次の問いについてディスカッションしました。

問.チームで理想の街をつくるとしたら、

・どんな雰囲気で どんな人がいるか?
・何を大事にしている町か?
・その町の中であなたは何をしている人か?
・その町でやっていけないことは何か?

 後で分かったことですが、これはキャリアツーリズムの疑似体験でした。これを物理的に離れた場所に身を置き、(YMSのような知己ではなく)第三者と対話し、時間をかけて行うとさらに深いものになるということです。

 現在、キャリアツーリズム®には以下のような様々なプログラムがあります。

 宮城県三陸…「復興から学ぶレジリエンス」
 和歌山県熊野…「歩く世界遺産 歩いて自分を見つめ歴史を学ぶ」
 千葉県香取…「伊能忠敬とリスキリング」

 キャリアツーリズム®を通じた交流は、コミュニティづくり、地域創生にもつながります。こうしたキャリアツーリズム®の特徴は、以下の5つにまとめられます。

1. 旅とキャリアの研究
2. 実践的なプログラム
3. 組織開発と採用の専門家
4. 地域事業者との連携
5. 地方創生、CSR

 地方との取り組みとしては、キャリアコンサルティングの他、大学でのキャリア講義、地域おこし協力隊のキャリア支援などを行っています。一つの例として、今年、地方のまちづくりや人材の確保、PRやビジネスを通じて地域経済を創発していく「Community Branding Japan」プロジェクトが始まりました。例えば、青森市で廃棄コスメを「ねぶた祭」の山車の染料として再利用するねぶた師の支援、北海道夕張郡長沼町で、本屋減少問題に立ち向かう主婦が立ち上げた、町の小さな本屋さん「KIBAKO」の支援、空き家問題を抱える鳥取県湯梨浜町で古民家を改装したサウナを手掛ける会社のPRおよびブランディング支援などです。

 キャリア支援を行ってきた高崎さんは、その過程で培ったチーム作りの手法は、基本的にまちづくり、仕事づくり、コミュニティづくりでも同じだとおっしゃっていました。YMSも過去何度か、まちづくり、地域創生に携わる人をお招きし、お話を伺ってきました。そうした方々が有機的につながり、さらに大きな力となるといいですね。

【参考:地域づくりをテーマにした過去のYMS】
第162回:「日本の田舎をどうにかしようと思ったら、東南アジアでホテル経営をしていた件」
第152回:「地域の自立・自走を目指す伴走型支援」
第143回:「主力サービスのピボットと社名変更に至る道のり~地方創生の現状と私たちが目指す地域活性化~」
第108回:「沖縄の演劇、芸能活動を通じた地域振興の取り組みについて」

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

過去のセミナーレポートはこちら
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国登録有形文化財の旧商家でランチー近江商人亭(愛知郡愛荘町)

2024年09月11日 | 食べ歩きデータベース


 7月に日野商人の商家を改装した「石挽そば 守貞」をご紹介しました。大城神社参拝の後、ランチに寄ったのは、国登録有形文化財にも指定されている愛知川(えちがわ)の麻織物商の別邸を改装した、「近江商人亭」です。

 お店のHPによれば、1892年(明治25年)に南土蔵を再利用し、1919年(大正8年)に主屋を新築。いずれにしても100年以上の歴史がある建物です。旧中山道に沿ったこの辺りは、かつて愛知川宿と呼ばれた宿場町でした。



 玄関を入ると、土間に井戸、奥に土蔵が見えます。

  

 食事は、広い庭を見渡せる大広間で、静かにゆったりと楽しめます。



 お昼は松花堂弁当。滋賀の名物、赤こんにゃく煮やホンモロコの佃煮もあり、お昼としてはかなりのボリュームで大満足でした。

近江商人亭



滋賀県愛知郡愛荘町中宿51



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大城神社(東近江市五個荘)

2024年09月10日 | 史跡めぐり


 近江商人博物館を見学し、今も近江商人屋敷の残るこの地であれば、必ず近江商人が祈願しただろう神社があるはずだと思い、博物館で案内してくれた方に聞いたところ、すぐ近くにありました。大城神社というところで、テレビを見ないので知りませんでしたが、少し前の朝の連ドラ『カムカムエヴリバディ』(2021年~2022年)で重要な舞台となった神社だそうです。



 大城神社の由緒は古く、621年(推古天皇29年)に厩戸皇子(聖徳太子)が金堂寺を建立し、その護法鎮護のため、この大城の地に社殿を造ったのが始まりとされます。現在も町名を金堂町と言います。1170年(嘉応2年)、現在の場所に社殿を改造し、天満天神(菅原道真公の神霊)、大梵天王、八幡大神を合祀し、五個荘の産土神(土地の守護神)としました。それにより、この頃から天満宮と称されるようになりました。1869年(明治3年)、恐らく前年の神仏分離令により、現在の大城神社という名称になりました。



 ここは、観音寺城から見て北東にあたります。北東は日本の風水で「鬼門」、つまり邪気が入ってくる方角とされたため、その方角を守る城の守護神として、室町時代の近江守護であった佐々木六角氏からは特に崇敬されました。しかし、1568年(永禄11年)、箕作城の戦い(観音寺城の戦い)に伴う佐々木六角氏の没落により、社殿記録等が失われました。

 1831年(天保2年)、大梵天王を五箇神社分祀。1855年(安政2年)、八幡宮を結神社に分祀。残るは天神様で、境内には太宰府天満宮にもある御神牛の青銅像が3体ありました。写真を撮り忘れてしまったのですが、御神牛は必ず座った姿勢の「臥牛」です。これは菅原道真公が亡くなった際、遺言により御遺骸を牛車に曳かせたところ、牛が座り込んで動かなくなり、その場所に埋葬されたという言い伝えによります(その場所が、現在の太宰府天満宮になりました)。



 かつては表鳥居から、御旅所(神社の祭礼で、神が休憩する、つまり神輿を鎮座する場所)に至る2丁(1丁は109.09m)ほどを桜馬場と言い、両側に桜を植えた小堤があったそうです。しかし、その桜は1860年(万延元年)に曳山車(ひきやま)を造るにため伐採されたとのこと。現在は見る限り、桜はなさそうですね。



 楼門。最後は、参拝して終えました。

大城神社



滋賀県東近江市五個荘金堂町66



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近江商人博物館(東近江市五個荘)

2024年09月09日 | その他


 9月6日、近江商人について学ぶため、近江商人発祥の地、五個荘にある「近江商人博物館」へ行ってきました。近江商人については、『てんびんの詩』のDVDと漫画、それに『近江商人学入門 改訂版: CSRの源流 三方よし』が分かりやすかったですが、やはり現地に足を運んでビジュアル的に感じたい思いは以前からありました。





 残念ながら館内は撮影禁止だったため、画像はありませんが、見学した展示物に沿って要点をまとめたいと思います。

1.古代

 五個荘は古代から交通の要衝でした。近江は三角縁神獣鏡などが出土するなど、弥生時代、古墳時代より出雲など周辺地域と交易があったことが分かっています。



 古代、五個荘付近は、現在の京都に至る東山道と伊勢に至る東風街道が分岐する位置にあり、地図を見てもまさに東西を結ぶ要衝地であったことが分かります。現在の地図で見ると、より琵琶湖沿岸の土地の方が通りやすそうですが、現在安土城址や八幡山城址があるあたりは、昭和の初めに干拓された土地で、それまでは大中の湖、伊庭内湖、弁天内湖といった琵琶湖の内湖でした。安土城が築かれた安土山と、観音寺城が築かれた繖(きぬがさ)山の間に彦根街道が整備されるのは江戸時代になってからであり、それを考えると、この土地の重要性が分かります。中世、近江守護の佐々木六角氏が観音寺城を居城としたのもまさにこの理由によります。

2.中世・近世

 さて、室町時代に入ると貨幣の流通で商業が発展しました。この頃の商業地は、市庭(いちば)または座と呼ばれる定期市で、座商人と呼ばれる、貴族や寺社などに金銭を払って営業特権を得た商人が商売をしていました。現在も二日市、五日市、八日市、十日市、廿日市といった地名が全国いたるところにみられますが、これらはこの定期市の名残です。やがて、戦国大名がこの特権を廃し、楽市または楽座が開かれるようになります。楽市・楽座というと、織田信長が岐阜や安土で施行したものが有名ですが、佐々木六角氏は信長に先駆け、観音寺城下で楽市を行っています。

 そうした座商人に、五個荘を拠点する小幡商人が登場します。彼らは若狭から伊勢にかけて手広く活躍しました。彼らは、鈴鹿山脈を越え伊勢方面と取引したので、山越商人とも呼ばれています。この山越えは、今でも車で通ると感じますが、難所の上、山賊にも遭遇しねない命がけの仕事だったようです。しかし、やがて伊勢方面へ通商を行っていた四本商人(小幡・保内・沓掛・石塔)の一角である保内商人との争いが激化。小幡商人は安土城下へ移り、継いで八幡山城下へと移ります。小幡商人は、五個荘商人、そして近江商人の一つに数えられる八幡商人のルーツとなりました。



3.近江商人の活躍

 近江商人とは、江戸時代から明治にかけ、近江に本拠を置き、他国で行商を行った商人のことを指します(意外なことですが、近江国内限定で商売をしていた商人は、近江商人に含まれません)。五個荘、八幡、日野などから特に多く輩出されました。湖西の高島を含める場合もあります。近江商人は、日本の近世、近代の商業発展に大きく貢献しました。現在に至る、名だたる大企業が近江商人にルーツを持っています。

 その発祥と言われる五個荘商人は、呉服や綿、絹織物など繊維を主に扱いました。「諸国産物廻し」といって、近江商人たちは各地のニーズの違い、そこから起こる価格差に目をつけ(例えば、京の古着は東北で重宝され、高く売れたそうです)、関西から関東など地方への「持ち下り荷」、地方から関西や江戸に向けた「登せ荷」を廻して利益を上げました(「鋸商売」とも呼ばれます)。

4.商人教育

 展示物を見ていて特に印象的だったのは、江戸時代の商人教育の水準の高さです。江戸時代の初等教育といえば寺子屋ですが、五個荘は人口の割に寺子屋が多かったようです。10ヶ所あった寺子屋のうち、7ヶ所で読み・書き・算盤を教えていました。識字率の高さだけでなく、算術の普及も全国平均を大きく上回っていたようです。博物館には、四書五経(論語・大学・中庸・孟子、易経・詩経・書経・礼記・春秋)、小学といった儒教経典の他、江戸時代の算術の教科書である塵劫記も展示されていました。これは、寺子屋教育が子供だけに行われたものではないことを示しています。代表的な寺子屋に、医師であった中村義通が五個荘町宮荘村に開いた時習斎があります。

 女子教育についても、寺子屋に通う女子の比率は全国平均より高かったようです。近江商人はその本質が他国での行商にあるので、主人はほとんど家におらず、商家の妻は「関東後家」と呼ばれていたそうです。その分、留守を預かるものとして、家政のみならず丁稚の教育など店の運営にも大きな役割を担っていました。現在の相撲部屋の女将さんに似ていますね。したがって、女性にも高い教養と人格が求められたことは言うまでもありません。近江商人の女子は、寺子屋から汐踏みといって、他の商家での行儀見習い奉公へ進み、上女中を経て商家の妻となります。近江商人の理念として「三方よし」と並び、「始末して気張る(倹約して努力する)」が有名ですが、女子の見習いの家庭でも、例えば余った布や糸を大事に使う「始末のかたち」が教えられました。また、上女中となった女子が嫁入りする際、嫁入りの支度は育て上げた商家が自分の娘として行い、送り出したそうです。

5.石田梅岩と商人道徳

 こうした高い教育水準を背景に、江戸時代中期には石田梅岩(1685年-1744年)を開祖とする石門心学と呼ばれる倫理学が商人や農村にも広がりました。農村においては、「分度」と「推譲」を基本として全国600ヶ所以上の荒廃した農村を再建した、二宮尊徳(1787年-1856年)が有名です。一方、儒教(朱子学)を倫理の中心に据えていた江戸時代にあって、『論語』の「君子は義に喩り、小人は利に喩る」という言葉が偏狭に解釈された故か、当時の商人は道徳的に卑しめられていました。これに異を唱え、「商人が利益を得るのは天の理にかなったことである」として彼らの道徳的地位を高めることに貢献したのが、石田梅岩とその後の門下生たちだったのです。これは何と、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864年〜1920年)が、著書『プロスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、勤勉、倹約、貯蓄といったプロテスタントの精神が資本主義と適合性を持っていると主張する200年も前のことです。

 梅岩の唱える商人道徳について、質問や批判に答える形で説明した問答集、『都鄙問答』では、「客に誠を尽くし、支払う対価以上の満足を人々に与え、そのことによって社会に貢献すること」が商人の使命であり、あわせて事業の合理化に努めること(これを「倹約」といいます)が説かれています。また、梅岩は仕入先に圧力をかける一方で、売値を吊り上げるようなことをして得た利益を「正当でない利益」として退けました。なぜなら、このような利益は人々に幸福をもたらした対価ではなく、人々からの収奪によって得られたものだからです。

 商人はそうした社会貢献によって初めて自らの持続的発展が可能になります。当時の商人にとって、最も重要なのは当主の繁栄ではなく家業の永続でした。したがって、家業永続のために目先の欲心で信用を失うようなことがあってはならないと梅岩は説いたのです。ちなみに、家業永続という目的に関しては、後継者の能力が足らないと判断された場合、血縁以外の有能な者を後継者としたり、もし当主が能力不足でれば、従業員の総意で当主を引退させるというケースもあったようです。同様のことは嫡子相続が絶対と思われがちな武家社会にさえあり、笠谷和比古氏によると、主君が諫言を聞き入れず暴政を止めない場合、家老達が主君を監禁して隠居させるという「押込」と呼ばれる慣行が江戸時代にはあったそうです。

 このような商人道徳は、その後の日本企業の経営に大きな影響を及ぼしました。







6.近江商人の家訓

 博物館には、近江商人、(二代目)中村治兵衛宗岸が四代目宗哲に遺した2mに及ぶ書置(遺言状)が展示されていました。これは近江商人の精神を表す言葉として有名な、「三方よし(「売り手によし、買い手によし、世間によし」)」の原典であると言われています。展示で見えている第八条には、次のような意味のことが書かれていました。

 たとえ他国へ行商に出かけても、自分が持参した商品を、その国の人々が皆気分よく着用してもらえるように心掛け、自分のことばかりを思うのではなく、まずお客のためを思って、一挙に高利を望まず、何事も天道の恵み次第であると謙虚に身を処し、ひたすら行商先の人々のことを大切に思って、商売をしなければならない。そうすれば、天道にかない心身ともに健康に暮らすことができる。自分の心に悪い心が生じないように、神仏への信心を忘れないこと。地方へ行商に出かけるときは、以上のような心構えが一番大事なことである。このことをよく心掛けることが一番である(引用元)。

 この他、近江商人の家訓または座右の銘として、次のような言葉がありました。

●奢者必不久(奢れる者かならず久しからず)…五個荘商人松居遊見の座右の銘
●好富施其徳(富を好しとし、其の徳を施せ)…八幡商人西川利右衛門の家訓

 こうしたところに、心学の影響が見て取れます。商才に長けた近江商人や倹約家で有名な伊勢商人は、「近江泥棒、伊勢乞食」と揶揄されることもありました。そうしたやっかみもありながら、地元を離れ、他国で商売をして成功した近江商人だからこそ、長期的スパンで信用を得ることの重みを一層身に染みて感じていたのかもしれません。

近江商人博物館



滋賀県東近江市五個荘竜田町583



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初のキックボクシング観戦②-RISE181(後楽園ホール)

2024年09月05日 | スポーツ観戦記


 第7試合、スーパーフェザー級(-60㎏)小出龍哉選手vs近藤大晟選手。近藤選手は道着を着ての入場だったので、フルコンタクト空手の出身なのでしょう。やや後屈立ちの構え。1R早々、プッシュ気味のパンチに見えましたが、ダウンを奪います。9㎝の身長差ということもありましたが、パンチ、キック共に近藤選手が優勢。2R、近藤選手のミドルキックが効きましたが、ダウンとはならず。小出選手も後ろ廻し蹴りや胴廻し回転蹴りを見せますが、強引な印象は否めません。3R、前のラウンドの近藤選手のミドルキックが効いているように見えました。小出選手も気持ちの強さを見せますが、膝蹴りでついにダウン。その後、小出選手のガードが下がり、再び膝蹴りでダウン。結果は判定3-0で近藤選手の勝利。



 第8試合、スーパーフェザー級(-60㎏)勝次選手vsSEIDO選手。この試合で何と80戦目という勝次選手と今年40歳を迎えるSEIDO選手の超ベテラン対決(それでも僕よりは10歳以上若いのですが…)。やはり若い人と比べるとスピード、キレともに落ちますが、それは仕方のないことです。1R、SEIDO選手がバランス良く、よく相手を見てパンチとローキックを上下打ち分けます。途中、勝次選手がふらつく場面、コーナーに追い詰められる場面も。2RもSEIDO選手の間合い。ラスト30から強烈なミドルキックが入りました。勝次選手はその後、左瞼をカット。3R、勝次選手がラッシュをかけます。SEIDO選手もローキックで応戦。両者疲れが見えましたが、最後まで打ち合い、結果は判定2-1でSEIDO選手の勝利。



 第9試合、-52㎏契約、松本天志選手vsJIN選手。1R、JIN選手は相手をよく見て間合いを図ります。序盤彼の間合いだと思ったのですが、松本選手が一気にコーナーに詰めると、ショートフック一閃。一瞬のKOでした。JIN選手は立ち上がることができず、ストレッチャーで運ばれることに。心配です。



 第10試合、RISEバンタム級(-55㎏)タイトルマッチ、初防衛の大崎孔稀選手vs挑戦者大森隆之介選手。タイトルマッチは5R無制限延長Rで行われます。身長差10㎝、1Rは慎重に背丈でハンディのあるチャンピオンが様子を見ているように見えました。初防衛ということで、多少ナーバスになっていたかもしれません。しかし、広い背中、スピードとパワーを兼ね備えたチャンピオンが終了間際、強烈なワンツーでダウンを奪います。2R、攻めなければならない大森選手ですが、なかなか手数が出ません。チャンピオンのパンチの強さがそれを封じているということもあるのでしょう。さらに、偶然のバッティングによって大森選手、左瞼を大きくカットしてしまいます。出血もひどく、たびたび中断する展開に。時折、大森選手もよいミドルキックを返すのですが、大崎選手が手数と有効打で上回ります。3Rに入ると、有利に試合を進めている大崎選手がスパートをかけます。大森選手はなかなか手数が出ません。接近してからの首相撲までいかないギリギリのところで大森選手の頭を押さえる大崎選手の巧みさもありました(1度ホールディングの注意をとられましたが)。そしてラウンド終盤でパンチをまとめてくるところも試合巧者です。5Rになると、さすがにチャンピオンもクリンチに逃れる場面が見られました。最後、大森選手は果敢に攻めましたが、判定3-0(49-47、50-47、50-46)で大崎選手が初防衛を達成。何とも残念でしたが、チャンピオンが上手でした。

 キックボクシングは初めて生観戦しましたが、想像以上に接近して戦う印象です。当然ですが、生半可な気持ちでやれる競技ではなく、詳しいことはわからなくとも、選手それぞれの背中に背負っているものが感じられました。自分も怠惰な中年やっている場合ではないと思いました。

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初のキックボクシング観戦①-RISE181(後楽園ホール)

2024年09月04日 | スポーツ観戦記


 8月31日、後楽園ホールに初めてのキックボクシング観戦(RISE181)に行きました。きっかけは、2年前の大阪で行われた第154回YMSで同じグループだった大森隆之助選手がタイトルマッチに臨むためです。当時は左手を骨折している状況でしたが、それから2年、RISEバンタム級4位からついにタイトル挑戦のチャンスを得たのです。

 台風10号の接近で、東海道新幹線が運休している中ではありましたが、会場には大勢のお客さんが詰めかけていました。大森選手は最後の10試合目です。キックボクシングについては詳しくないことをお断りした上で、僕なりに試合の展開を見ていきたいと思います。



 第1試合、スーパーフライ級(-53㎏)星憂雅選手vs横山大翔選手。1Rは星選手がワンツーで攻めます。一方の横山選手も後半カウンターを返します。2Rは一進一退の攻防となります。横山選手の結構良いボディーブローが入っていたように思えましたが、3Rに入って激しい打ち合いとなり、星選手のワンツーに横山選手がダウン。カウント8でしたが、結果は判定3-0で星選手の勝利。



 第2試合、スーパーライト級(-65kg)森本現暉選手vs野口紘司選手。一気に体が大きくなり、迫力があります。1Rから森本選手が優勢、途中野口選手スタンディングダウンを取られます。最後は、ハイキックからのラッシュでKO。森本選手の鮮やかな勝利でした。



 第3試合、アトム級(-46㎏)奥村琉奈選手vs百花選手。キャリア48戦のベテラン百花選手に対し、9戦目の新鋭奥村選手。1Rは終始奥村選手のペース。着実にボディーブローを重ねると、顔面へのパンチとローキックのコンビネーション。百花選手、嫌がっているように見えました。2Rに入ると、百花選手がローキックで反撃。これに対し、奥村選手もローキックとボディブローのコンビネーションで返します。ただ、2Rは奥村選手にやや疲れが見え、動きが鈍くなったように見えました。3Rに入ると激しい打ち合いにローキックの応酬。中盤からはかなり奥村選手の顔面へのパンチがまとまって入りましたが、百花選手も倒れませんでした。結果は判定3-0で奥村選手の勝利。



 第4試合、ミニフライ級(-49㎏)宮本芽依選手vsMelty輝選手。7㎝の身長差がありましたが、宮本選手はそれを感じさせません。序盤から巧みにMelty選手の間合いを潰していきます。Melty選手はハイキック、ミドルキック、上中の後ろ廻し蹴り、バックハンドブローなど華麗な技を繰り出しますが、やや強引な印象を受けました。2Rに入ると、宮本選手の強烈なミドルキックにボディーブローが入るようになります。3R、宮本選手の左フックが効きました。Melty選手の顔にもこの試合への不退転の決意がうかがえましたが、結果は判定3-0で宮本選手の勝利。宮本選手、これが4戦目ということですが、強かったです。



 第5試合、ライト級(-63㎏)竹市一樹選手vsTAKU選手。47戦目のベテラン竹市選手に対し、8戦目でこれまで全勝のTAKU選手。試合は1RからTAKU選手が終始プレッシャーをかける展開。竹市選手は年齢なのか調整の失敗なのか分かりませんが、キレがありません。TAKU選手のパンチに竹市選手がぐらつく場面も。2Rに入ると、TAKU選手が一気に攻勢に出、竹市選手ダウン。カウント8で最下位となりますが、TAKU選手の強烈なボディー2発で再びダウン。2R1分3秒でTAKU選手のTKO勝利。



 第6試合、-57㎏契約、オートー・ノーナクシン選手vs拳剛選手。ノーナクシン選手は後ろ足重心の典型的なムエタイスタイル。パンチの見切りが巧みで、拳剛選手のパンチをスウェーでかわしながら、前足に強烈なローキックをビシビシ決めていきます。1Rから拳剛の左足は真っ赤。2Rに入っても、ノーナクシン選手のうまさが目立ちます。拳剛選手のローキックに合わせカウンター、ラッシュでコーナーに追い詰める場面も2回。ローキックだけでなくミドルキックも強烈でした。しかし、このラウンドでノーナクシン選手も鼻血を出します。3R、拳剛選手はしゃにむにラッシュをかけます。対するノーナクシン選手はミドルキック連発、これは効いているように見えました。終盤は上段飛び膝蹴り 中段膝蹴り、ボディブローのコンビネーション。

 素人目には終始ノーナクシン選手のペースに見えましたが、判定はジャッジ1名拳剛選手、2名ドロー。試合は延長に入ります。延長はノーナクシン選手のストレートがまず効きました。そこからミドルキック、ハイキック、前蹴り、膝蹴りと多彩な蹴り技を繰り出したノーナクシン選手が終始優勢に進め、判定3-0で勝利。

<つづく>

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うなぎ蒲焼発祥の地、浦和で-しみず(中浦和)

2024年09月03日 | 食べ歩きデータベース


 中山道の宿場町浦和は、現在も残る別所沼という大きな沼で獲れたうなぎが江戸時代の旅人に人気で、うなぎ蒲焼発祥の地とも言われています(諸説あり)。



 そのため、現在も歴史あるうなぎ店が数多くあり、浦和駅西口には、故やなせたかしさんデザインの「浦和うなこちゃん」の石像も建っています。



 今回訪れたのは、中浦和にある「しみず」というお店です。地元の方の紹介で、うな重はもちろんなのですが、海なし県を物ともしない、お魚の美味しさに驚きました。お通しの鱧の梅肉添えから始まり、



 刺身の盛り合わせはどれも新鮮。特にシマアジはコクがあり、本当に美味しかったです。



 さらにキンキの煮つけ。驚くほど身がふわっとしており、肝も全く固くなっておらず、絶妙の煮加減でした。真打登場の前に、感激。

 そして最後に、うな重(冒頭の写真)。こちらも、掬うのが難しいくらいふんわりと仕上がっています。考えてみたら、関東風のふんわりしたうなぎは久しぶりな気がします。

 ごちそうさまでした。

うなぎ 天ぷら しみず



埼玉県さいたま市桜区西堀2-11-1



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

創業90周年記念式典の模様を公開しました

2024年09月02日 | リサイクル(しごと)の話


 去る7月12日に行われた、ナカノ株式会社創業90周年記念式典の動画を公開しました。

*動画はこちらからご覧ください


繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2014年8月アクセスランキング

2024年09月01日 | 人気記事ランキング


 防災の日。こちら横浜は遅々として進まぬ熱帯低気圧に変わった台風10号の影響により、非常に蒸し暑い雨の天気。このブログ執筆中、遠くで雷鳴も轟いています。

 さて、2024年8月にアクセスの多かった記事、トップ10です。6月、7月と比べ、8月は更新頻度が落ちましたが、その割に月を通して多くのアクセスがありました。

 まずは、7月12日に行われた、弊社創業90周年記念式典の記事が、前月に続き個別記事のトップ(2位)、本当にありがとうございます。近日中に式典の動画も公開の予定です。そして、「近くにできたハンバーグ屋さんに行ってきましたー万平食堂(吉野町)」が前月に続き3位、長年の定番記事で唯一の生き残り、「Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子(3ヶ月連続)」も前月同様6位でした。お隣にあるお店の「下町に咲いた素敵なイタリアンーオステリア 小川製麺所(吉野町)」も9位に入っています。

3位:近くにできたハンバーグ屋さんに行ってきましたー万平食堂(吉野町)(4ヶ月連続)
6位:Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子(3ヶ月連続)

 「『上田和男さんバーテンダー歴50年を祝う会』に参加してきました」は惜しくも11位で、連続記録は3ヶ月で途切れました。10位は、丹羽さんの著書、「マーケティングの大事なところを3時間で学ぶ」です。

 意外だったのは、29日に投稿し、実質掲載2日半の「あまりに身近すぎて盲点でしたー焼肉レストラン大苑(日枝町)」があっという間に4位に上り詰めたことです。つまり、地元のお店3軒がいずれもトップ10入りしたことになります。繁華街ではない、いずれも下町の住宅地に立地するお店です。

1 トップページ
2 90年の感謝を込めて-創業90周年記念式典を開催しました
3 近くにできたハンバーグ屋さんに行ってきましたー万平食堂(吉野町)
4 あまりに身近すぎて盲点でしたー焼肉レストラン大苑(日枝町)
5 2024年7月アクセスランキング
6 Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子
7 オリンピックにかこつけて、フランスワインを楽しむ-第167回YMS
8 3万人が、6万の目を疑いました-日本プロ野球2024 横浜vs中日20回戦
9 下町に咲いた素敵なイタリアンーオステリア 小川製麺所(吉野町)
10 マーケティングの大事なところを3時間で学ぶ

繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする