5、4、3、2…日産スタジアムを埋め尽くした67,666人の大観衆からカウントダウンの大合唱が始まりました。そして、試合終了を告げるドラと共に、ラックから出たボールを山中選手が外に蹴り出し…。
28vs21。割れんばかりの大歓声、スコットランドの猛攻を見事に耐え抜き、日本は全勝でプールA1位、史上初のベスト8進出を果たしました。4年前の前回大会、強豪南アフリカを破り、プール戦で3勝を挙げながら勝ち点差で予選敗退。臥薪嘗胆、悲願の準々決勝進出が成し遂げられた瞬間でした。
個人的には初めての日産スタジアム。収容人数72,327人を誇る日本最大級のスタジアムを赤白のレプリカジャージーを纏ったラグビーファンが埋め尽くす。26年前、旧国立競技場を埋め尽くした早明戦、いや、それ以上の壮観な眺めに心が震えました。「こんな時代が来たのだ」と。
試合前、まず両軍整列し、前日首都圏を直撃した史上最大級の台風19号による被害に遭われた方に対し黙祷を捧げ、その後アンセム斉唱がありました。今大会、日本の観客が各国の国歌や応援歌を歌っている姿が話題となっていますが、これは元日本代表キャプテンの廣瀬俊朗さんが中心となって、歌を通じて大会を盛り上げ、交流を深めようという「スクラム・ユニゾン」というプロジェクトの果たした役割が大きいと思います。本当に素晴らしいアイデアだと思います。
さて、試合は日本のキックオフで始まりました。通常、キックオフは地域を獲得すため敵陣深く蹴りこむことが多いのですが、田村選手は相手ディフェンスの前にボールを転がす、グラバーキック(ゴロパント)を選択しました。グレイグ・レイドロー(SH)、フィン・ラッセル(SO)、スチュアート・ホッグ(FB)ら強力なバックスを揃えるスコットランドを相手にするには、できるだけキックで相手にボールを渡さず、いかにポゼッションを多くできるかが重要と思っていたので、これは特に驚く選択ではありませんでした。むしろ前半の戦い方を明確に示したものと思います。
この試合で4トライ以上のボーナスポイント付きで勝ち点5を挙げなければプール戦敗退が決まるスコットランド。当然ながら、序盤から目まぐるしい攻防が展開されました。特にブレイクダウンでは、これまでのサモアやアイルランドすらも上回るのではないかと思えるほどスコットランドが激しくファイト、被ターンオーバーはこの試合を通じて両軍合わせ27(日本14、スコットランド13)に上りました。
先制はスコットランド。前半6分、グレイグ・レイドロー選手からのパスを受けたフィン・ラッセル選手が日本ディフェンスのギャップを突いて、ゴール右にトライ。レイドロー選手のゴールキックも決まり、0vs7。
注目のファーストスクラム。この出来が試合の命運を左右すると言っても過言ではありません。そのスクラムで互角に以上に渡り合い、「いける!」という雰囲気が高まったと思います。
日本は16分、ゴール正面でのペナルティ・キックを得ますが、失敗。確かに距離はあったものの、田村選手であれば十分決められるゴールと思いましたが、惜しくも距離が足りず。ゴールは正面だからこそ難しいとも言いますが、さすがの田村選手も少し固くなっていたのかもしれません。
しかし18分、日本はハーフウェイライン付近の密集から流選手がラファエレ選手にパス。さらにスコットランド陣10mライン付近で福岡選手にボールが渡ると、俊足を飛ばしゲイン。最後は松島選手が、がら空きになったスペースを25mほど一気に駆け抜け、ゴール左側にトライ。相手ディフェンスを翻弄する見事なトライで、会場は大騒ぎ。
田村選手のゴールキックも決まり、7vs7の同点。
直後の21分、具選手が脇腹を痛めたのか、ヴァル・アサエリ愛選手と交替します。ビジョンに映し出された、ピッチを退く具選手の悔し涙に、チームは鼓舞されたことでしょう。我々観客も胸にこみあげるものがありました。非常に激しかったこの試合、リーチ選手や堀江選手なども痛んでいた様子でしたので、軽傷であることを祈っています。
続いて26分、スコットランド陣22mライン付近から、松島選手、堀江選手、ムーア選手、トゥポウ選手とオフロードパスを繋ぎ、最後は稲垣選手が代表初となるトライをゴール下に決めます。再三タックルを受けても倒れない、見事な攻撃でした。世界トップクラスのタックルを受けても、容易には倒れない日本になったのです。
ゴールも決まり、14vs7。日本が初めてリードします。
前半38分、日本は40mほどのペナルティ・キックを得ます。しかし、これもわずかに距離が足りず失敗。
しかし、直後の39分。日本はスコットランド陣10mライン付近の密集からパスを繋いで左に展開。ラファエレ選手からのキックパスを走りこんできた福岡選手が片手で抑え、トップスピードのままインゴール左隅にトライ。
難しい角度でしたが、田村選手のゴールキックも決まり、21vs7。前半を2トライ、2ゴール差で折り返します。やはりキックで地域をとられると非常な脅威を感じるスコットランド。そういう点では、ノットリリースなど密集での反則も少なく、前半は理想的な展開、恐らくプラン通りの戦いができたのではないかと思います。
後半、日本はボーナスポイントを獲得し、準々決勝進出に大きく前進する、あと1トライに注目が集まります。後半のキックオフは前半よりはやや深めでしたが、それでも相手にできるだけボールを渡さない方針に変わりはなく。
後半早々、日本陣10mライン付近でのスコットランド・ボールのラインアウト。ラックからグラント・ギルクリスト選手がボールを出すと、スコットランドはパスを繋いで左に展開。しかし、スコットランド陣10mライン付近で福岡選手が相手ボールをジャッカルすると、そのまま40m近くを独走しゴール下にトライ。ゴールキックも決まり、28vs7。21点差、4トライ以上で与えられるボーナスポイントを獲得した日本は、このまま勝利すれば勝ち点19でプールA1位通過。試合の流れは完全に日本に移ったかに見えました。
ところが、ここからティア1の意地とプライドを懸けたスコットランドの猛攻が始まります。後半9分、スコットランドはスクラムから日本陣インゴール前でひたすらフォワードをぶつけ、力技で迫ります。日本もよく耐えましたが、最後はネル選手がゴール左側に押し込んでトライ。
レイドロー選手のゴールキックも決まり、28vs14。
前半から消耗の激しい試合。日本は後半10分に流選手とトゥポウ選手に代わり、田中選手と山中選手を投入。さらに、12分にはムーア選手に代わり、ヘル選手を投入。
一方のスコットランドも、12分に両プロップとフッカー、左ロックを入れ替えます。さらにはバックスのレイドロー選手とシーモア選手も交替。反撃に向け、大幅に元気な選手を投入します。
これで勢いを増したか、スコットランドはさらにフォワードでごり押し。ティア1のプライドとも取れますし、固い日本のディフェンスを力でこじ開けようというようにも見えました。後半15分、日本陣22mライン付近まで攻め込んだスコットランドは、ジョニー・グレイ選手、スコット・カミングズ選手、再びグレイ選手とパスを繋ぐと、最後はザンダー・フェーガーソン選手がゴール右に持ち込んでトライ。全てフォワードの選手、濃紺のジャージーに身を包んだ巨漢が次々と突進してくる様は、まるで獲物に襲い掛かるシャチの群れのよう。まさに粉砕と呼ぶにふさわしい、迫力あるトライでした。
ゴールキックも決まり、あっという間に7点差。まだ時間はたっぷり残されており、場内に危機感が走ります。仮に日本が逆転を許しても7点差以内であれば、既に獲得しているボーナスポイントと合わせ2点となり、勝ち点16で準々決勝進出が決まります。しかし、それすらも安心とは言い難い展開になってきました。
スコットランドの猛攻は止まりません。後半22分、スコットランドがラインアウトからパスを繋ぎ、クリス・ハリス選手がゴール右に2点差に迫るトライを決めたかに見えました。しかし、これはその前のピート・ホーン選手のスローフォワードの判定に救われ、ノートライ。九死に一生を得ました。
27分、ジェーミー・リッチー選手が倒れている田村選手を蹴ってしまい、田村選手がリッチー選手の胸を突いたことから、両軍がエキサイトする場面も。
その後もスコットランドの猛攻は続き、試合時間のこりわずか3分となっても、スコットランドによる日本陣インゴール前でのモール、スクラムなどの攻撃が続きました。一方の日本も低いタックルやダブルタックルで必死の防戦。疲労のため少しフィットネスが落ちているように見えましたが、それでも相手を仰向けに倒し、土壇場でのゲインを許さないディフェンスは見事な集中力でした。刻々と迫る時間…。ついに39分、日本は相手ボールスクラムからのターンオーバー。これにより、ボールを保持したまま時間を使い、最後は山中選手が蹴りだしてノーサイド。28vs21、まさに死闘、歴史に残る名勝負ではなかったかと思います。
試合が終われば、選手も観客も互いの健闘を讃え合う。ラグビー観戦における最も美しい光景の一つです。本当に互いに敬意を表するにふさわしい、素晴らしい試合でした。
試合後、新横浜駅構内では、バッグパイプを演奏するスコットランドファンを囲んで、人だかりができていました。僕はスコッチウィスキーのファンであり、首都エディンバラは新婚旅行先に選んだ地。スコットランドには、個人的にも親しみがあります。
過去、日本とスコットランドの対戦成績は、この試合の前までで1勝10敗でした。日本が最初で最後に勝ったのは、1989年5月28日のことです。ところがこの試合、スコットランドは主力の多くがニュージーランドへ遠征しており、スコットランドラグビー協会は今でもテストマッチとして認めていません。あれからちょうど30年、当時16歳だった僕は46歳になりました。そして、W杯という大舞台において今度こそ両軍本気でぶつかり合い掴み取った勝利。実に感慨深いものがあります。また、これにより日本は過去最高の世界ランク7位となりました。
準々決勝へと駒を進めた日本は、10月20日(日)、世界ランク5位の南アフリカと対戦します。奇しくも、この日は1989年のスコットランド戦で主将を務めた、ミスター・ラグビー、故平尾誠二さんの命日でもあります。
さらにもう一つ、世界のラグビー史に日本代表が1頁を刻むことを期待して。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした