2月14日、
NATULUCK関内セルテ 801にて、第160回YMS(
ヨコハマ・マネージャーズ・セミナー)を開催しました。
今回の講師は、石川町で人気のかき氷店「
小桃」を営んでいらっしゃる、川井まさ美様。3年前までパート主婦だったという川井さん。「進化し続ける『かき氷』について」と題し、わずか3年の間に人気店を育て、本も出版されるまでに至った経緯、現代のかき氷事情、そしてかき氷に対する思いなどをお話しいただきました。
1.かき氷店を開くまで
まず意外なことに、川井さんがかき氷店を開いたのは、「かき氷を食べたことがなかったから」なのだそうです。かき氷の好きな友人がおり、彼女がインスタグラムに投稿するかき氷に惹かれて、食べてみたいと思うようになったとのこと。ところが当時は横浜にかき氷店がなく、「横浜にもかき氷店があればいいのに…」から、「だったら作っちゃえ!」へと夢が膨らみました。この話、社労士で5児の母、「保育所がなくて困るから、作ってしまった」
第13回YMS講師、菊地加奈子さんと重なるものを感じます。
そんな時、川井さんは友人が手伝っていた飲食店が昼間は営業しておらず、空いていることを知ります。そこでそのお店にパートとして入り、仕事をしながら信頼関係を築き、半年後オーナーにかき氷店の提案書、企画書を提出。その間、かき氷店開業講座を受講し、ビジネスとの向き合い方、考え方を学びました。その時、川井さんは晴れて初めてかき氷を食べることができました。インスタグラムによる完全予約制の集客でまずプレプレオープン。そして3日間のプレオープンを経てグランドオープン。たちまち人気店となりましたが、諸般の事情がありお店は2ヶ月で閉店することとなりました。
失意の川井さんでしたが、この2ヶ月の間に来てくれたお客さんからの感謝や励ましのDMに力を得て、自前のお店を開くことを決心します。しかし、物件探しは難航。一方で2ヶ月とはいえ人気店を作り上げた経験と実績から、全くの個人にも拘らず日本政策金融公庫から融資を受けることができ、「かき氷店 小桃」をオープン。とはいえ、記憶に新しいところですが、折からの半導体不足で満足な冷蔵庫もガスコンロも揃わず。家庭用冷蔵庫でその日必要な分だけを用意して回すという苦難の船出でした。しかし、「その時のつらい経験が今の力になっている」と川井さんは言います。
2.現代のかき氷
かき氷の歴史は、平安時代中期、『枕草子』に「けずりひ(削った氷)」の記述が見られるのが初出と言われています。当然のことながら、当時夏でも氷を保存しておくのは至難の業であり、かき氷は貴族だけが食べられる貴重品だったはずです。以前、韓国で「
清道石氷庫」という17世紀末に造られた氷室を見物したことがありますが、氷室を持っているということ自体が権力の象徴であったことでしょう。
その後時代は下り、明治2年(1869年)、横浜馬車道で町田房造が「氷水店」を開き、「氷水」と「あいすくりん」を発売しました。この「氷水」がかき氷にあたります。明治20年頃になると人工的に製氷できるようになり、かき氷が普及し始めました。一方で、下手をすると健康を害しかねないような粗悪な氷も出回るようになりました。これと似たような話として、日本が開国し、緑茶が主要な輸出品となる中、到底お茶とは呼べないような葉っぱに緑青で色をつけた、聞くだに恐ろしい粗悪品まで登場したという話を以前読んだことがあります。閑話休題、こうした動きに国も取り締まりに乗り出しました。「氷製造人並販売人取締規則」を発令し、国の衛生検査に合格した業者だけに氷の産地などを記した「氷旗」を掲げることを義務付けたのです。この名残が、今でもかき氷屋の軒先にぶら下がっている「氷」と書かれた旗です。さらに昭和に入ると削氷機が全国に普及するようになり、かき氷は日本の夏の風物詩となりました。
ところで、70年代生まれの僕に限らず、今でもこれがかき氷の一般的なイメージだと思うのですが、上の写真のような粗削りの氷にシロップをかけた、美味しいけれども食べると頭が痛くなる、お祭りの屋台などでみかけるアレです。しかし、1990年以降、雪のようにふわっとした、頭の痛くならないかき氷が登場します。そういえば、先日フィリピンに出張した際、フィリピンのかき氷「
ハロハロ」もふわっとしたのが人気なのだと言っていました。今度行ったら食べてみます。
食べても頭が痛くならないのには秘密があります。かき氷に使う氷は「天然氷」と人工的な「純氷」とに大別されますが、純氷は純度の高い水を天然氷と同じように時間をかけ、ゆっくりと凍らせます。不純物が少なく結晶が整っているため、溶けにくいという特徴があります。この性質により、通常-20℃ある冷凍庫から-5℃程度にしても氷の状態を保つことができます。この温度差により、頭が痛くなりにくいという訳です。ちなみに「小桃」では、この温度を保つため、冷凍庫を二種類使用し、-20℃ある冷凍庫から使用前日に‐5℃の冷凍庫に移しています。この移すタイミングは、お店によってまちまちなのだそうです。
次に、氷を削る削氷機について。業務用の削氷機は大きく、20kgs~30kgsぐらいあるのだそうです。削る際は刃ではなく氷の方を回転させます。刃はステンレスか鋼が主流。ステンレスは錆びにくく、刃の持ちが良いという特徴があります(交換までに100回くらい使える)。鋼は切れ味が良いものの錆びやすく刃の持ちが悪くなります(交換まで30回ほど)。ただし鋼の刃は研いで使うことができます。それでもステンレスに比べると安定して使用するには扱いが難しいのだそうです。氷の質を保つのは結構デリケートな作業なのだと想像はできます。氷は薄く削るほどふわふわになりますが、その分氷の状態を保つのが難しくなります。
最後に仕上げ。小桃では、削った後、氷の流れに沿って表面を軽く抑えるようにしています。そうすることで形が整い、溶けにくくなるそうです。そしてシロップをかけますが、シロップの浸透具合によってフワフワ感が異なってくるので、全体に染み渡らせることが大事になります。しかし、シロップの種類によって新党の仕方が異なるので量の調整などを行います。川合さんの経験では、浸透しにくいシロップの場合には間に練乳を挟むと効果的と感じる時があるそうです。
3.進化し続けるかき氷
小桃のかき氷は、「発掘系」と呼ぶ、氷を掘り進んだら中から何が出てくるか楽しみなかき氷。このように、屋台のかき氷しか知らない僕から見たら、驚くような進化をかき氷は遂げています。
前回(第159回)YMS講師の寺澤さんが「かき氷2杯でお腹いっぱいになる」とおっしゃっていたのが最初分かりませんでしたが(何しろ溶けてしまえば水ですから)、その意味が分かりました。
エスプーマ:「エスプーマ」とはスペイン語で泡のこと。その名の通り、泡立てたムース状のソースをかけたかき氷で、見た目が華やかで、ふわっとした氷が溶けにくいのも特徴です。
お食事系:いわゆる甘味ではなく、食事として食べられるかき氷。オマール海老がのっているかき氷、ともろこしとウニのかき氷、お茶漬けかき氷、天丼かき氷、お好み焼きかき氷、グリーンカレーかき氷など、無数の種類があるようです。かき氷から入って、その元の料理の方に関心を持つようになる人もいるそうです。
ケーキ型:文字通り、まるでホールケーキのような見た目のかき氷です。バリエーションとしてリング型などがあります。
疑似型:他の食べ物をかき氷で再現したもの。
演出系:メレンゲで固めた氷にアルコールをかけ、火をつける。バーナーであぶる。チーズやトリュフを目の前でかけるなど、演出を凝らしたかき氷です。
コラボ:人気かき氷店同士、あるいは寿司屋など異業種とコラボレーションするパターン。
催事・イベント系:かき氷店は集客力があるので、催事での出店が増えているそうです。かき氷のみの催事もあります。奈良県の
氷室神社では2014年から毎年「
ひむろしらゆき祭」というかき氷の祭典を催しており、奈良はかき氷の聖地と呼ばれているそうです。
このような進化の背景には、インスタグラムのようなSNSの普及とも無縁ではない気がしますが、いずれにせよ、その多様化によってかき氷は今や夏だけに楽しむものではなくなっているのです。
4.かき氷への想い
川井さんは48種類ものかき氷のメニューのイラストをご自身で描き続けているそうです。「発掘系」は食べ進めていくにつれて発見があり、変化が楽しめるのが特徴なので、その分イラストは複雑で簡単ではありません。それでも、お客様の反応を見ながら、ご自分の想像も膨らんでいくとおっしゃっていました。
前述の「かき氷店開業講座」で、「かき氷を売りたいなら、かき氷を売るな」という教えがあったそうです。その心は、お客さんはどうしてかき氷を食べに来るのか、さらにはどうして「小桃」のかき氷を食べに来るのか?ということです。それを川井さんは「幸せな気持ちになりたいから」と考えました。さらに「どんな時に幸せになれるか?」と考えた時、「誰かに大切にしてもらえた時、大切にしたい何かがある時」だというのが川井さんの結論です。
今日の進化したかき氷は決して安いものではありません。ちょっとした非日常の贅沢です。それでも敢えて幸せを感じるためにかき氷を選ぶのはなぜなのか?お客様が大切にしていることを、川井さんは最初の店舗の時に学んだと言います。それは、氷が持つ儚さ、1秒ごとに形を変えていく瞬間の貴重さ。二度と戻らぬ、その瞬間だけに感じられる喜び。それをお客様とともに大切にしたい…。こうして生まれたお店のコンセプトが「ひと口ごとに 大切なひとときを」です。
かき氷にはまっているコアなファンはもちろんですが、3年前の自分と同じように、かき氷を食べたことがなく、食べてみたいけれどもどうしたら良いか分からないという方たちのため、小桃は完全予約制をとっていません。また、たくさんの人にお家で気軽に「発掘系かき氷」を楽しんでもらいたいが、小さな店舗と身一つでは限りがあるということで、本も執筆しました。これがわずか3年、しかもコロナ禍の3年の間に起こったことです。
最後に。奈良の「ひむろしらゆき祭」は、和銅3年(710年)に春日野の氷を氷室に蓄え、平城京に献上するようになった歴史から、今日に至るまで氷室神社で毎年夏に純氷のかき氷の奉納を行っていることを活かした「かき氷の祭典」として、地域活性化に一役買っています。翻って、横浜はというと前述の通り、人口380万人を擁し、現在に連なるかき氷は横浜発祥であるにもかかわらず、3年前までかき氷店が1軒もありませんでした。市民の多くも馬車道がアイスクリーム発祥の地であることは知っていると思いますし、5月9日を「アイスクリームの日」としてアイスクリームを配ったり、イベントを開催したりしていますが。同時にかき氷も発祥であったことはほとんど知られていないと思います。今や季節を問わず親しまれるようになったかき氷は、もっと横浜のためにできることがあるのではないか?そんな小さな想いを大きな力に変えていきたいと川井さんはおっしゃっていました。
かき氷店 小桃
神奈川県横浜市中区石川町2-78-10 ビーカーサ石川町102
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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