窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

クリアフィールドウォーター

2009年04月30日 | リサイクル(しごと)の話


 最近、豚インフルエンザで世間は大騒ぎですが、今回は僕が日常使っている除菌消臭水、「クリアフィールドウォーター」をご紹介します。

 クリアフィールドウォーターは食品添加物にも使われる次亜塩素酸水と呼ばれるもので、人体に入っても無害であるばかりか除菌、消臭に優れた能力を発揮します。試しに手に米酢を刷り込んでからこのクリアフィールドウォーターをスプレーすると本当に酢の匂いが消えます。

 試験結果ではノロウィルス、レジオネラ菌、O-157、インフルエンザウィルスなどの除菌にも効果があることが実証されており、例えば当社の事例では老人ホームで除菌用アルコールとうがい薬がこれ一つで済むということでお使いいただいたりしています。

 我が家では石鹸で手洗いしたあとにスプレーしたり、うがい薬として使用したり、歯ブラシで磨ききれない部分の除菌のため歯磨きの後にこれで口を漱いだりしています。あとスーツについたタバコのにおい消しにも使っています。

 以前、保護クリーム「デルマシールド」をご紹介したことがありましたが、それと並び僕が実際使ってみて本当にお勧めできる商品です。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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開国博Y150はじまる

2009年04月29日 | その他


 上の写真は万国橋から撮影したMM21地区です。4月28日、ご覧の通りの日本晴れの下、横浜開港150周年を記念する50年に一度の「開国博Y150」が開幕しました。



 花時計もこの日が正式なオープニングの日です。



 各イベント会場で開会式が行われるため、恐らく超過密スケジュールであろう中田市長や、



 横浜出身の女優五大路子さんなどから開花のご祝辞をいただきました。



 次に、ご来賓の皆様に巨大花時計で残った最後の箇所にマリーゴールドを植えていただきました。



 花植えで活躍したのが、当社の「特殊紡績手袋 よみがえり」です。古着をリサイクルして作った手袋で、環境都市横浜の150周年を祝う花時計にはピッタリではないかと思い、協賛させていただきました。



 最後にテープカット。巨大花時計、正式のスタートとなりました。

 巨大花時計の場所は下の地図の通りです(運河パーク、ナビオス横浜前)。桜木町駅から開国博のイベント会場に向かう通り道ですので、ぜひご覧ください。



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開港150周年花時計その後

2009年04月27日 | その他


  土曜日の朝6:00に花時計の花の様子を見に行ってきました。花植えから1週間経ちましたが、どうでしょう?先週よりは少し成長したような気もします。この日は終日雨の予報だったので水を遣る必要はありませんでしたが、しばらくは早起きして水遣りやごみ拾いなどをしなければなりません。



  28日の水曜日には正式に巨大花時計の「開花式」が行われます。

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月刊リサイクルデザインに掲載されました

2009年04月26日 | リサイクル(しごと)の話


  横浜資源リサイクル事業協同組合が発行する「月刊リサイクルデザイン」5月号に当社の記事が掲載されました。



  今回はなかなか一般の目に触れる機械の少ない「再生資源業」の仕事を分野ごとに取材する「徹底追跡シリーズ」という特集記事で、その第一弾が古着・古布を扱う故繊維業ということで当社が取上げられました。



  「月刊リサイクルデザイン」は横浜市内の一部の地域で新聞折込として配布されていますが、以下の場所でも無料配布されています。

http://www.recycledesign.or.jp/rd_get.html

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横浜開港150周年巨大花時計プロジェクト

2009年04月20日 | その他


  4月19日、桜木町の「汽車道」と呼ばれる遊歩道の先、「ナビオス横浜」の前に、横浜開港150周年を記念して設置する花時計の花植えに行ってきました。



  花時計といっても直径40mもある巨大な日時計です。植えたのは白とピンクのベゴニアとマリーゴールドの3種類を合計2万株ほど。



  花植えは18日から始まり、19日の読売新聞朝刊には18日の作業の様子が掲載されていました。上の写真にあるとおり、あの「ラ・マシン」の巨大蜘蛛よりも大きく取上げられていました。



  暖かい春の陽気に包まれたこの日、横浜開港150周年を記念して各地でさまざまなイベントが催されていることもあり、桜木町周辺は大変な賑わいでした。汽車道も大勢の通行があり、たまたま通りがかった一般の皆様から本当に沢山のご参加をいただきました。



  そのために会社から持参した軍手20打(240人分)を2日間であっという間に使い切ってしまったほどです。本当にありがとうございました。



  上の写真は花時計が正確に12時を指している瞬間です。この巨大花時計は7月19日に花の植え替え作業を行い、9月末の開国・開港祭終了まで設置される予定です。まだ植えたばかりで目が粗いですが、しばらく経つと花が成長しもっと綺麗になると思います。お近くを通りがかりの際はぜひご覧ください。

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フィリピンでのランチ

2009年04月18日 | 海外での出来事


  今回は僕がフィリピンでしばしば昼食に行くところをご紹介します。オロンガポという町のショッピングモールの一角に、バイキングのように色々おかずを選んで食べられるお店があり、昼時になると現地の人たちで大変混雑します。上の写真に写っているようなトレイにご飯やおかずを好きなように選び、ドリンクもついて値段は何と65ペソ(約130円)です。



  皆好き勝手に相席などして食べます。ですから時々話が弾んで友達になってしまうことも。外国人ばかりのレストランで食事をするより、折角なのだから現地の人たちと混じって、同じようなものを食べた方が楽しいと思います。



  この時僕が頼んだのはチキン・マミといって、簡単に言えば鳥のラーメンみたいなものです。値段はこれもドリンクつきで35ペソ(70円)。東南アジアに広く普及している福建麺に似ていますが、フィリピン人の好みに合うようニンニクを効かせています。

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古布をつかった小物

2009年04月17日 | ひろがるエコソフィー(古布作品集)


  以前もFRNさんから作っていただいた、古布を使った小物をご紹介しましたが(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/74e68ea898b683df63c1ccb920335e08)、今年も歳時に合った素敵な小物を作っていただき、当社の玄関に飾っております。

  写真はご覧の通り、お茶に柏餅、そして土筆です。古布を活用して何かを作るということだけでなく、歳時を愛でて楽しむのが風流であった日本の伝統的な美意識までも現代にリサイクルさせているという点が素晴らしいと思います。季節感の薄れがちな都市部の生活にあって、そういう風流心を忘れないところは見習いたいです。

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Spanish Gate

2009年04月16日 | 史跡めぐり


  当社のスービック工場があるエリアに残るスペイン統治時代(1571年~1898年)の門の跡で、スパニッシュゲートと呼ばれています。この門は1885年にスービック湾に建設されたスペイン海軍基地の西門です。スービック-オロンガポの基地はスペイン海軍によって艦船の修理や物資の供給、弾薬や医療支援のために使われていました。基地はカビテの基地の副司令官によって指揮されていました。



  1898年6月、スペインの守備隊はフィリピン人の軍隊によってスービック‐オロンガポの基地から追い出され、この地域は1899年9月、米西戦争に勝利したアメリカによって正式に占領されました。

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恐慌の黙示録

2009年04月15日 | レビュー(本・映画等)
  本書は世界恐慌が勃発した1920年代前後の知の巨人たち(ミンスキー、ヴェブレン、ヒルファーディング、ケインズ、シュンペーター)が資本主義の本質をどう捉え、その将来をどう予測していたかを辿り、「世紀に一度の不況」と形容される現在の経済状況下において、資本主義の前提となるヴィジョンの再構築を提起しています。 

  彼らの分析に概ね共通しているのは、企業における「所有と経営の分離」が進んだ結果、従来想定されていた「産業資本主義」とは別に「金融資本主義」が発展、拡大し、産業と金融の二つの価格決定メカニズムがそれぞれ別個に働くようになった。その結果、資本主義は制度的な不安定性を常に内在するようになり、従来の自由主義の考え方では必然的に自己破壊の方向に向かう。その自己破壊は一面で資本主義を発展させる原動力となるものの、やがては資本主義そのものを破壊してしまうため、それを抑制する何らかの手段、多くの場合政府の役割が必要になる、というものです。

  しかし、自己破壊の作用を抑制するための政府の役割について論じると同時に、それが有効に作用するために彼らが重視しているのは、合理的とされる経済学や科学が成立する前提として、活動主体である人間が共有すべきビジョン(非合理的な先入観)についてです。何故なら、政府がある経済政策を打つにしても、どういうビジョンを描いているかによって打たれる政策は変わり、ビジョンを誤ると経済政策は資本主義の自己破壊作用を抑止するどころか、ますます発展させてしまう可能性さえあるからです。

  例えば日本の経済史で、ビジョンを誤ったために思惑とは反対の結果を生んでしまった例として、1920年代終わりの井上財政、1950年代空半ばのドッジライン、1980年代のいわゆるバブルなどが挙げられます。井上財政は明らかなデフレであったにもかかわらず緊縮財政を実施しデフレをさらに悪化させてしまった例。ドッジラインはインフレが収束しつつあり十分金融が引き締まっていたにもかかわらずさらに金融引き締めを行い景気を悪化させてしまった例。80年代後半はインフレ傾向にあるにもかかわらず金融緩和を行い(これはアメリカからの要望があった事も否めませんが)、結果としてバブルを生み出してしまった例です。最近では明らかにデフレ傾向にあった90年代半ばに緊縮財政を推し進め、いわゆる「失われた10年」(「失った10年」というべきでしょう)という停滞を生んでしまった例があります。

  彼ら巨人たちがビジョンの重要性を説いた当時と同様に、なぜ今、短期的には景気回復に結びつくとも思えないビジョンの構築をわざわざ問い直さなければならないのでしょうか。それは欧米はじめ各国がこの10年こぞって推し進めた金融偏重の経済モデルの破綻が誰の目にも明らかになっているにもかかわらず、未だにそういうモデルを目指した市場万能主義の先入観(ビジョン)は消え去っていないように思えるからです。景気回復は焦眉の急ではありますが、短期的に効果を挙げそうな経済政策にばかり血道をあげていても、ではなぜそうした政策を行い今後どういう経済モデルを目指すのかが共有されなければ、結局「市場か政府か」というような単純かつ硬直的な二元論を脱することができず、「これからの10年」をも失う可能性があるからです。国家百年とは言いませんが、せめて国家二十年くらいの計は立てられるのではないかと思います。

  「失う前の10年」、つまり90年代半ば頃ですが、当時、バブル崩壊後の経済低迷は日本経済の構造的欠陥が原因であるとして(この頃は「構造改革」ではなく「規制緩和」と呼ばれていました)、「日本異質論」や「1940年体制論」が盛んに叫ばれていました。僕が卒業後就職した経営コンサルタント会社においても社内報であるパートナー(共同経営者)が当時ITバブルに沸き返るアメリカ経済の繁栄は80年代のサプライサイドの成果である」と賞賛し、「グローバルスタンダード」である「アングロ・サクソンモデル」に日本企業を変革しなければならないと強調していたように記憶しています。

  しかし、資本主義の普遍的モデルであるはずの「アングロ・サクソンモデル」でさえも、今やその盟主たるアメリカが大手金融機関を次々と国有化し、巨額の公的資金を注入するなど普遍などではないことは明白となりました。90年代初めに認知されつつあった資本主義モデルの多元性、つまり資本主義を機能させる制度は唯一普遍のものなどなく、その国の歴史、文化、慣習などを背景として様々なモデルが存在しうるという、冷静になれば当たり前の議論が再び脚光を浴びるようになるでしょう。経済システムが歴史、文化、慣習などを反映したものである以上、形成されるビジョンは必然的にナショナルな性格を帯びます。これからの時代はネイションを基盤としたビジョンを描くことができるかどうかが繁栄の鍵となることでしょう、なぜならスーパーパワーとしてのアメリカの存在が急速に低下した今日、各国はそれぞれ国益の拡大を図って鎬を削ることになるわけですが、その中で短期的な経済利益だけを国益と捉えて右往左往する国と、自らの国柄を反映して長期的戦略で意思決定を行う国とでは、その勝敗は明らかだからです。

  経済モデルの前提としてのビジョン、ビジョンの前提としてのネイション。よってネイションは経済モデルの前提であるという関係で、本書は著者の前作である「経済はナショナリズムで動く」や前々作「国力論」と繋がっていきます。

恐慌の黙示録―資本主義は生き残ることができるのか
中野 剛志
東洋経済新報社

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掛谷剛志さん

2009年04月14日 | 講演メモ
  つい先日、掛谷剛志さんのコンサートを聴く機会がありました。

  掛谷剛志さん、16歳。生まれながらにして視力がなく、成長障害、ホルモン障害など様々なハンディを負っていながら1歳頃より音楽やリズムに対する類まれな能力を発揮され、耳にした曲や歌をたちどころにしてピアノ演奏してしまいます。ピアノも歌も本格的に習ったことはなく、独習とのことです。

  しかしそのピアノ演奏は「ピアノを弾いている」というより奏者とピアノとが一体となって奏でられているようで、高音域の歌声は歌を言語としてではなく音として認識されているためなのでしょうか、音楽と全く調和し、強いて言うなら聖歌隊の歌声を独奏・独唱でやっているようです。

  特に剛志さんが作曲した音楽はヒーリングミュージックのような不思議で、魂に響く旋律です。僕は音楽音痴なので何と表現したらよいのか分からないのですが...。

  何より驚いたのは、ダンボールを楽器に手の甲・掌・爪・指などを巧みに使った「ダンボール・パーカッション」です。最初はボンゴの演奏のようなものを想像していたのですが、シンセサイザーでも使っているのではないかと思うほど、複雑に調和したリズムを奏でるのです。例えが適当かどうか分かりませんが、昔、シャーマンがある種のトランス状態に入り神と交信するために使った音楽はきっとこのようなものではないかと思いました。

  勝手な見解ですが、剛志さんの音楽は宇宙が本来持っているリズムで、そこには表層意識的な恣意性が感じられず、故に聴衆の魂に直接響くのではないでしょうか。お客さんの拍手も拍手の質が違うのです。それはその後行われた会議における形式的な拍手とは明らかに違うものがありました。

  拍手といえば、剛志さんのご尊父によると、剛志さんは各地を回って音楽を披露するようになり、聴衆から拍手をもらう様になってから病気をしなくなったのだそうです。恐らく剛志さんの音楽が聞く人の魂を揺さぶり、それが拍手に乗って剛志さんに伝わったからではないでしょうか。剛志さんとお客さんの波動がお互いに干渉しあい、人を幸福にする気の調和した状態を剛志さんの音楽が作り出しているのだろうと感じました。

  そう考えると、音楽とは人が言語を獲得する前から持っていたコミュニケーション、それは人と人だけでなく自然や宇宙も含む、人間の根源的なコミュニケーション手段だったのではないかと思えてきます。だからこそ、世界中で宗教と音楽とは不可分のものなのでしょう。そして、人が生まれ最初に獲得する一番身近な音楽のひとつが「拍手」なのではないでしょうか。

  人は言語を獲得することにより文明を高度に発達させてきました。しかし、その代償として抑圧した能力もあるのだと思います。確かに我々の社会的枠組みでは、剛志さんは障害を持っていると見なされます。しかし、剛志さんはその代わり我々が抑圧してしまっている能力を高度に発達させています。その意味においては、我々の方がむしろハンディを負っているとさえ言えると思います。まして、我々は眼が見えていながら、さまざまな先入観や偏見によって見えていないということがあり、聞こえているようで聞こえていないということがしばしばあります。それよりは心澄まし「あるがままに感じ」ている剛志さんの方がはるかに貴い領域に達しているのではないかと思うのです。

  「感じる」ことの大切さと難しさを教わった気がしました。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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