窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

アンコール遺跡の壁画①-マハーバーラタ

2010年09月30日 | 史跡めぐり


  アンコール・ワットやその他の遺跡群については、かつてこのブログでご紹介したことがありました。そこで、今回は遺跡群に数多く残るレリーフをいくつか取り上げたいと思います。

  初めに、アンコール・ワットに描かれた、インド二大叙事詩のひとつ、「マハーバーラタ」。マハーバーラタは、ヒンドゥー教の神話的叙事詩で、5人の王子率いるパーンダヴァ王家と、100人の王子率いるカウラヴァ王家との間に起こった争いを描いています。



  パーンダヴァ王家のアルジュナはビジュヌ神(宇宙の維持を司る神)の化身とされる従兄弟クリシュナの助けを得て、18日間の戦いの後にカウラヴァ軍を破りました。

   

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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カンボジアの踊り

2010年09月29日 | 海外での出来事
 

  先日、フィリピン舞踊のショーが観られるレストラン、Zamboangaをご紹介しましたが、カンボジア、シェムリ・アップのレストラン「KOULEN2」でも同様にカンボジア舞踊のショーを見ることができます。以前少しだけ触れたことがありましたが、今回はショーの中身をやや詳しくご紹介したいと思います。



  天上界の踊り。カンボジア舞踊では、ヒンドゥー教の神話に基づく演目が多くあります。バリ舞踊などに比べ、音楽もゆったりとしているのが特徴的です。



  先ほどのは宮廷舞踊ですが、こちらは民衆舞踊。フィリピンでもあった、ココナッツをリズミカルに叩く踊りです。



  こちらもフィリピンにもありました、バンブーダンス。フィリピンで見たのに比べると、ややリズムが単調な印象がありました。



  漁撈民の踊り。日本各地でも見られるような、民衆舞踊です。



  最後に再び、宮廷舞踊。アプサラ(天女)たちの踊り。冒頭の写真のように、指を大きく反らせ、腰を低く落とし、足をゆっくりと上下させるのがカンボジア舞踊の特徴ですが、この指の形それぞれにも意味があるのだそうです。

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INTRAMUROS(イントラムロス)とJOSE RIZAL(ホセ・リサール)

2010年09月28日 | 史跡めぐり


  イントラムロスは、フィリピンのスペイン統治時代にマニラの中核をなした城塞都市です。1606年に完成しました。その一部でもある、フィリピンに残る最も古いスペイン要塞の一つであるサンチアゴ要塞(Fort Santiago)に行ってきました。



  サンチアゴ要塞は、フィリピンがアメリカの植民地となった後はアメリカ軍司令部、日本軍政下においては日本の憲兵本部としても使われました。また、後述しますが、フィリピンの国民的英雄ホセ・リサール(José Rizal)が処刑まで投獄されていたところでもあります。



  ゲートをくぐり、すぐ左にある"Baluarte De San Miguel"という稜堡のようなものに上ってみると、かつては堀であったと思われるところがゴルフ場になっていました。





  スペイン兵の兵舎だったところです。



  ホセ・リサール像。ホセ・リサールは医者であり、フィリピン独立運動の闘志です。植民地下で知識階級が育ってくることによって民族意識が形成されてきますが、彼もそうした中の一人であったと思われます。彼自身は、暴力に訴える運動家ではなく、むしろフィリピン人の地位向上を願った思想家でしたが、宗主国のスペインはそんな彼を危険視し、1896年に逮捕、同年12月30日に処刑されました。



  サンチアゴ要塞の中には、彼を祭る廟(Rizal Shrine)があり、彼の遺品などが展示されています。





  リサールが処刑までの間、投獄されていたところです。



  処刑場へとつづく、リサールの足跡。



  なお、リサールは1888年に一ヶ月ほど日本に滞在していたことがあります。その時の恋人と言われている日本女性、「おせいさん」と呼ばれていました。なお、リサールの高祖父の一人は日本人であったとも言われています。



  砦よりパシン川を望む。このすぐ先(左側)はマニラ湾です。



  地下牢跡。元々は火薬を湿気から守るために作られた地下倉庫でしたが、後に捕虜収容所として使われました。



  ラジャ・スレイマン劇場(Dulaang Rajah Soliman)。ラジャ・スレイマンというのはスペイン統治前にこの地を治めていた、イスラム系マレー人の族長の名前です。



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Zamboanga-フィリピン料理レストラン②

2010年09月27日 | 食べ歩きデータベース
  以前、フィリピン料理についてご紹介したことがありました。それらは必ずしもフィリピンを代表するようなものではなかったかもしれません。今回のZamboangaもスペインや中華料理の影響を受けたメニューが多くあるレストランだったので、頼んだものがフィリピンらしいとはいえないかもしれません。



 Halaan Soup。「Halaan」というのは「貝」のことで、日本では見かけないような大振りのアサリがたくさん入ったスープです。とても日本人好みの味だと思います。



 Zamboanga Rice。パエリアを思わせる、恐らくこのレストランの創作メニューでしょう。



 Adobong Kangkong。「Adobong」と言ったらフィリピン風の醤油煮のこと。「Kangkong」とは、いわゆる空心菜のことです。つまり、空心菜の炒め物ですが、東南アジア全般で食べられます。日本でもポピュラーになってきてますので、お好きな方も多いのではないでしょうか。



 Spicy Crab。読んで字のごとく、カニのチリソース炒め。完全に中華風。



 Sirloin Tapa。「Tapa」とは干し肉のこと。干し肉を焼いたもので、これはフィリピンでは一般的だと思います。白いフィリピン米によく合います。



 以前もご紹介したLapu Lapuの醤油蒸し。好きなもので...

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キックオフパーティーを開催しました

2010年09月26日 | リサイクル(しごと)の話


  去る9月25日、横浜桜木町のブリーズベイホテルにて、当社新社長、中野博恭就任に伴うキックオフパーティを行いました。



  これまでの76年の歴史とこれからのビジョンについて語る、新社長、中野博恭。



  相談役、五十嵐正男。



  会長、中野聰恭。



  司会は、当社の若手お二人にお願いしました。



  フィリピンからの1名を含め、全営業所、工場の社員が一同に会し親交を深めました。長い人は、このあと明け方まで熱く語り合っていました。

  また、ナカノ株式会社では、新社長就任を機に、部長、課長といったこれまでの呼称を以下のように改めました。

①中孚(ちゅうふ)
部長職にあたります。由来は『易経』から。誠心を意味します。

②変革(へんかく)
次長職にあたります。由来は『易経』の「革」から。文字通り変革を意味します。

③同人(どうじん)
課長職にあたります。由来は『易経』から。志を同じくする者、という意味があります。

④大観(たいかん)
係長職にあたります。由来は『易経』の「観」から。俯瞰的な洞察、という意味を込めています。

⑤琢磨(たくま)
主任職にあたります。由来は『詩経』から。文字通り、研鑽を意味します。

⑥和声(わせい)
新入社員を含む、担当職にあたります。「和声」とはharmony(ハーモニー)の日本語訳です。それぞれの個性が調和して奏でられる新たな創造という意味を込めています。

  ひきつづきナカノ株式会社をよろしくお願いいたします。

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クモの唐揚げ

2010年09月23日 | 海外での出来事


  クモの唐揚げ、アピンです。ハッキリとご覧になりたい方は写真をクリックしてください。

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記事掲載のお知らせ

2010年09月21日 | リサイクル(しごと)の話
  かながわ県民サポートセンターの情報誌「JUNCTION」vol.80、p.4-5に記事が掲載されました。

  神奈川県のHPからもご覧いただけます。

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Zamboanga-フィリピン料理レストラン①

2010年09月20日 | 海外での出来事


  マニラにある、フィリピン料理のレストラン。Zamboanga(ザンボアンガ)。ザンボアンガというのはミナダナオ島にある港町の名前です。



  以前、飛び込みで入ったのですが、ギターの生演奏や、20:30からはこれからご紹介するフィリピン舞踊のショーなどがあるので、観光客には旅の思い出に楽しめる店なのではないかと思いました。料理もフィリピンとしては高めですが、美味しいと思います。



  さて、この日行われたフィリピン舞踊のショーをご紹介したいと思います。フィリピンは最初に渡ってきたと思われるマレー人やイスラム、中国、そして400年に渡ってフィリピンを支配したスペインなど、様々な文化の影響を受けており、伝統舞踊にもその影響が現れています。店の人に演目のリストを書き出してもらったのですが、ひょっとしたら名称と内容が一致していないものもあるかもしれません。始まりはAntipolo(アンティポロ)。アンティポロはマニラ郊外、リサール州の州都の名前ですが、踊りの詳しい内容は分かりません。



 Latik(ラティック)。ラティックというのはヤシの実のことで、体につけたヤシの実の殻をリズミカルに叩いて踊ります。



  Kalatong(カラトン)。これも詳しいことは不明です。



  Tinikuling(ティクリン)。バンブーダンスとして知られる、レイテ島ビサヤ諸島に伝わる踊りです。昔、運動会の棒立てや球入れで使ったような長い竹を交差し、その上を竹に足を挟まれないようにしながらリズミカルに踊ります。この踊りにはお客さんも参加できます。



  Paragua(パラグア)。"Manton De Manila"というフィリピンのショールを羽織って踊る、いわゆるフラメンコです。



  演目表ではMalong(マロン)となっていましたが、この日は別の踊りだったようです。中国南部やインドシナ半島の影響と思われる、勇壮な剣舞でした。因みに、マロンは前回来た時は見ることができました。マロンは筒状の布のことで、それを踊りながら巧みに操り、スカートやローブ、ターバンなどに変えていきます。実際、昔の人たちは1枚の布を様々な用途につかっていたのでしょう。



  Janggay(ジャンガイ)。ミンダナオ島に伝わる、長いつけ爪をつけ、優雅に踊ります。何故かは分かりませんが、頭にお札をさしています。



 Singkil(シンキル)。これもミンダナオ島のイスラム貴族の踊りです。



 Bahini(バヒニ)。ポリネシア圏に広く見られる、フラダンスのようなものです。



 Royale(ロワイヤル)。こちらもフラダンスのようなものですが、名前から推察するに身分の高い人たちの踊りなのではないかと思います。

 以上、ザンボアンガで披露されたダンスショーのご紹介でした。レストランですから料理が出てこないのも変ですので、そちらについては次回ご紹介したいと思います。

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Yema(イェマ)-フィリピンのお菓子

2010年09月18日 | 食べ歩きデータベース


  久し振りのブログ更新、今回はフィリピンのキャンディー、Yema(イェマ)のご紹介です。僕自身、イェマを知らなかったのですが、知人に教えていただいたので探してみました。



  イェマは砂糖、卵、牛乳にバニラを加え、煮詰めて作る、スペインから伝えられたお菓子です。キャラメルの原形のようなものとお考えいただければよいと思います。

  味は練乳かキャラメル、柔らかくキャラメルより早い口溶けです。ピーナッツやカシューナッツを加えたりもします。結構美味しいですよ。

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【ドキュメント】循環型社会の機先を制す~ものづくりを支える資源再生人【ナカノ株式会社】
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北京ダックの老舗 全聚徳

2010年09月06日 | 食べ歩きデータベース


  全聚徳は1864年創業。清朝の宮廷料理人を招き、宮廷の家鴨料理を現代に受継ぐ、北京ダックの老舗だそうです。北京の本店はこれまで毛沢東周恩来、外国要人ではキッシンジャー田中角栄などがこの店を訪れ、いわば中国政府御用達とも言える店のようです。



  店に入るとすぐに家鴨を焼く窯が見えます。横浜生まれの僕にとって、家鴨がぶら下がっているのは結構見慣れた風景です。日本では銀座と新宿に支店がありますが、製造工程は全て北京本店と同じ方式を採用しているそうです。



  確かにお通しも上品な気が...。因みに上段の右から二番目ですが、家鴨の舌です。



  こちらがメインの北京ダック。



  焼きたての北京ダックを北京から派遣された専門調理師(烤鴨師というのだそうです)が目の前で切り分けてくれます。



  最初に、僅かしか取れないという胸の皮の部分に、何と砂糖をたっぷりまぶして食べます。かの西太后も好んだ食べ方だそうですが、パリパリの皮に溶け出した脂分と砂糖が交じり合い、お菓子を食べているかのようです。



  あとは日本でもポピュラーな食べ方。北京ダックの皮を野菜や揚げニンニクなどと一緒に小麦の皮で包んで食べます。つける味噌が焼酎のような匂いのするのが少し特徴的かと思いました。コースのほとんどを北京ダックで終えてしまうというのも珍しい経験でした。

全聚徳 銀座店

東京都中央区銀座5丁目8-17 銀座ワールドタウンビル6階



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