久しぶりの三連休で、僕が筆跡心理学の世界を知るきっかけとなった本、” Handwriting Analysis Putting It to Work for You ”を読み終えました。グラフォロジー(graphology)という聞きなれない言葉を耳にしたのは、2012年6月9日のことだったと記憶しています。その時紹介されていたのが、この本です。早速購入し、第Ⅱ部まで読み終えたのですが、その後ずっと放置していました。今年5月の連休から再び暇を見て少しずつ読み始め、ようやく終わったという次第です。
グラフォロジー(筆跡学や筆跡心理学と訳されますが、ここではグラフォロジーで統一します)とは、手書き文字から書き手の心理特性を読み取る手法のことです。本書は英書なので当然英語圏(アルファベット圏)におけるグラフォロジーが紹介されているわけですが、日本語の場合であっても適用できるのではないかと思われるものもいくつかありました。本書の構成は概ね以下のようになっています。
第Ⅰ部:グラフォロジーを理解するための簡単なクイズ
第Ⅱ部:グラフォロジーの科学
第Ⅲ部:筆跡特徴の詳細
・傾き
・ベースライン
・余白
・字間・語間
・筆圧
・字の大きさ
・書く速さ
・ゾーン
・書体
・サイン
第Ⅳ部:性格特徴
第Ⅴ部:分析に挑戦
第Ⅵ部:ケーススタディ
第Ⅶ部:生活の中のグラフォロジーについて
第Ⅷ部:落書きの分析
筆跡特徴についてですが、経験的に傾き、余白、字間・語間、(筆圧)、大きさ、速さ等は、横書きであれば日本語での場合でも適用できるのではないかと思います(厳密に言うと、僕自身はあまり「筆圧」を重視していないのですが)。
最も興味深かったのは、「第Ⅵ部:ケーススタディ」です。この部では、著者アンドレア・マクニコルが実際に携わった事例を元に、探偵小説のようなストーリー仕立てで以下の「事件」をグラフォロジーで解決していきます。
・10歳の少女、リサの問題は何か?
・この模範囚は社会復帰の準備ができているか?
・この囚人を仮出所させるべきか?
・心気症患者なのは誰か?
・麻薬中毒なのは誰か?
・失読症なのは誰か?
・経理部に誰を雇うべきか?
・なぜこのプロジェクトは成功しないのか?
・家政婦として誰を雇うべきか?
・診療所に放火したのは誰か?
・秘書の上司を殺害したのは誰か?
・ダイヤモンドを盗んだのは誰か?
・取引の秘密を洩らしたのは誰か?
・自殺か殺人事件か?
・副社長の不正を社長にどう告げるか?
・叔母は脅されて遺言書にサインしたのか?
・彼女は本当に洗脳されていたのか?
著者はグラフォロジーの盛んなヨーロッパ、ソルボンヌ大学とハイデルベルグ大学で学び、アメリカでグラフォロジーの普及活動を行う傍ら、FBI、司法省、国防省、スコットランド・ヤード、フォーチュン500社の企業などに対するコンサルティングも行っています。そうして得られた幅広い事例はそれだけでも読み応えがあります。
中でも印象に残ったのは、ある生徒が本当は失読症であるにもかかわらず、それが見抜けなかった為に情緒障害の子供のクラスに入れられてしまったケースです。教師にグラフォロジーの知識があったならば、その生徒を失読症と見抜くことは容易であったろう、と著者は言います。
本書の発売は1994年。しかしこれは「第Ⅷ部:落書きの分析」を追加した第2版なので、内容の大部分は1989年頃のものと思われます。つまり四半世紀以上前になるのですが、本書の中で著者はグラフォロジーを有効な学問として認めない、オカルトの一種と見なすアメリカの風潮を憂慮しています。27年の時が経過し、現状がどうであるのかは分かりませんが、例えば2008年に出版されたイアン・ローランド著『コールド・リーディング』(原題” The Full Facts Book of Cold Reading: A Comprehensive Guide to the Most Persuasive Psychological Manipulation Technique in the World”)で、ローランドがグラフォロジーを「コールド・リーディングの一種である」と断じているところを見ると、一般的な認識レベルはあまり変わっていないものと思われます。
果たしてグラフォロジーは科学なのか、という問題について、著者は次のように述べています。「1.原義は、知るという状態または事実;知識、しばしば直感や信念の反対語。2.研究対象の性質や原理を決定するために実施された観察や研究、実験によって体系化された知識。3.知識または研究の一分野、とりわけ仮説と検証によって事実、原理、方法論を確立したり体系化したりすることに関わるもの。」という、辞書による「科学」の定義に照らした時、グラフォロジーがこの定義に当てはまるのかという問題ですが、グラフォロジーは仮説と膨大なサンプルによる検証によって得られた方法論です。グラフォロジーの批判者は、グラフォロジーが主観による解釈を排除できず、またそれが測定不能であることを指摘しますが、そのようなグレーゾーンは「科学」と見なされている心理学においても完全には排除できていません。
また、筆跡特徴とパーソナリティの相関関係を調べた研究は、僕の知る限りいずれも「個々の筆跡特徴とパーソナリティとの間に有意な相関関係は見られない」と結論付けています(槇田ら、1980;高野ら、2011)。しかし著者は「個々に筆跡特徴を学ぶことは確かであるが、グラフォロジーはそれらが包括的に適用されてのみ有効であるということを心に留めておかなければならない」と述べています。グラフォロジーとパーソナリティに関するこれまでの研究は、個々の筆跡特徴の相関関係に焦点を当てたものであったというところに限界があったと思います。それはまさに「群盲、象を撫ず」のたとえ通り、鼻や耳や足を個別に捉えて「象」を論じるようなものだからです。
最後に。グラフォロジーに対する関心事の一つである、「筆跡を変えることによって性格を変えることはできるのか?」という問題(「グラフォセラピー」と呼ばれています)に対して、著者はYESと答えています。「私たちは幸せだから笑うのではない。 笑うから幸せなのだ」というフランスの哲学者アランの有名な言葉がありますが、それと同じように身体的活動が心理的変容に影響を及ぼすという考え方です。このグラフォセラピーについて、著者は以下のようなステップを勧めています。
・変わりたいと願う内容を白紙に書く。
・その際、文が紙の右端まで達しないよう、また行が右下がりにならないよう注意する。
・これを朝晩2回、3カ月続ける。
入門書という位置付けでありながら、かなり中身の濃い本でした。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした