6月19日、第48回燮会を開催しました。毎年6月は横浜で行われますが、昨年は緊急事態宣言下で中止となり、2年ぶりの開催となりました。燮会は交渉アナリスト1級会員のための交渉勉強会です。
横浜開催は通常の燮会の倍の時間が取れるため、毎回普段では時間の制約上難しいテーマを取り上げてきました。過去の横浜開催の内容については、下記をご覧ください。
【過去の横浜開催】
第42回燮会
第37回燮会
第32回燮会
第27回燮会
今回もオンラインと併用することで、これまでより多くの方にご参加いただくことができました。今回の参加人数を実地だけで収容することはできませんでしたので、オンライン研修の一般化はこの2年の良かった出来事の一つだと思います。
開催に先立ち、燮会幹事の末永正司さんより、新たに発足する「購買・営業交渉研究会」のお知らせがありました。こちらは特定の分野に特化したテーマ型の燮会とも言うべきもので、ケース、ディスカッション、理論を3つの柱に進められます。真逆の立場にいる購買と営業双方の知見を同時に得られるユニークな内容となっておりますので、ぜひご参加ください。将来的には1級以外の会員にも広げていく計画だそうです。
さて、毎回担当している「交渉理論研究」第13回のテーマは「3D交渉」。3D交渉とは、ハーバードのJ.セベニウスが提唱する、交渉をよりマクロに、より戦略的に捉える概念を言います。日本でも2007年に『最新ハーバード流 3D交渉術』として翻訳本が出版されています。交渉関係の書籍の中では有名ですが、その割に内容についてはあまり知られていない、あるいは「交渉術」とした邦題が災いしたのか、誤解されていることも多いと以前から感じていました。そこで今回は3D交渉について、以下の3部に分けてお話ししました。
第Ⅰ部:3Dスキーマ
第Ⅱ部:セットアップ
第Ⅲ部:マルチ・フロントの交渉キャンペーン
第Ⅰ部:3Dスキーマ
3D交渉とは、D.ラックスとJ.セベニウスによって提唱された、交渉を「交渉戦術(1D )」、「交渉設計(2D)」、「セットアップ(3D)」の3次元でとらえる概念を言います。一般に交渉というと、交渉当事者がテーブルをはさんでやり取りするイメージがあると思います。実際その通りで、したがって交渉研究の多くもこの「テーブルでのやり取り」に焦点を当ててきました。これが「交渉戦術(1D )」になります。むしろ近年は行動心理学の立場から交渉を研究することがトレンドになっており、一層1Dに焦点を当てる傾向が強まっているとさえ言えると思います。
一方、状況によっては、交渉テーブルに着く前に、誰と手を組むのかとか、二者間では解決が難しいので、仲裁者や調停者を呼んでくるべきかとか、「どういうやり方で交渉を行うのが望ましいのか?」をデザインする必要も生じます。こうした、交渉テーブルに着く前(あるいは交渉の合間でも)の戦略的行動が「交渉設計(2D)」になります。これまでの交渉研究の大半はこれら1Dと2Dの範疇に収まります。
従来の交渉研究(ここでいう1D、2D)に共通しているのは、交渉を所与としてとらえ、その中でどうするかを対象としていたという点です。しかし、より複雑な交渉、例えば多数の当事者が関わるような交渉、刻々と問題が変化するような交渉、相手が絶対的に有利な立場にいるような交渉においては、1Dと2Dだけでは不十分であるとJ.セベニウスは考えるようになりました。そのような交渉では、事前に交渉を有利な状況に設定する戦略(新たな次元)が必要であり、それこそが「セットアップ(3D)」になります。この交渉を有利な状況に設定することを交渉理論の世界では「ゲームを変える」と言いますが、簡単に言うと1Dと2Dが「与えられた土俵」で何をするかを扱っているのに対し、3Dは「土俵そのものを作り変えてしまう」ことを扱っています。
J.セベニウスは「ゲームを変える」という考え方を、2Dを拡張する形で発展させてきました。1987年の著書”Manager As Negotiator”の中にも「ゲームを変える」という言葉が出てきますが、この段階では現在の3Dの概念に照らして言うと、2Dの範疇に入ることを扱っています。明確に3つの次元として扱うようになるのは、僕の知る限り2002年頃ではないかと思います。
さて、3Dというとき、全体概念として3Dという場合と、概念を構成する要素(つまりセットアップの部分)を3Dと呼ぶ場合とがあります。ここではJ.セベニウス(2003)に倣い、全体概念としての3Dを「3Dスキーマ」と呼んで区別することにします。なお、1.それぞれの次元は、累積的・補完的なものであり、ある次元が他の次元に取って代わるものではないこと、2.完全な次元分析には3つの次元が全て含まれること、3.3つの次元の境界は明確ではなく、漏れもダブりもある、つまりMECEではないことに注意が必要です。
第Ⅱ部:セットアップ
1D、2Dは従来の交渉理論が対象としてきた範囲ですので、第Ⅱ部は3Dスキーマ最大の特徴である3D(セットアップ)に絞ってお話ししました。交渉のセットアップには、次の4つの「見極め」が必要です。
1.交渉相手の見極め
2.関心の見極め
3.BATNAの見極め
4.交渉順序と交渉プロセスの見極め
ここでは交渉相手を見極める、「全当事者相関図」、交渉順序を見極める「逆方向マッピング」の二つを取り上げましょう。
A.ブランデンバーガーとB.ネイルバフは1990年代半の名著『コーペティション経営』の中で、組み合わせや合意によって新たな価値を生み出す可能性のある関係者の相関関係を図にした『価値相関図(バリューネット)』を提案しました。この価値相関図と同様に、交渉の直接範囲を超えて交渉に価値を与えたり、自他のBATNAを強化または弱化させる当事者を「全当事者相関図」としてまとめることをJ.セベニウスは勧めています。
上の図はケースとして取り上げたベトナム戦争停戦交渉(パリ和平協定交渉)の全当事者相関図です。「交渉テーブル」の直接的当事者は、上の図の赤点線枠で囲まれた、アメリカと北ベトナムです。しかし、「交渉テーブルを離れて」この交渉に価値を与えうる当事者は誰かということにまで思考の範囲を広げると、このように様々な当事者が浮かび上がってきます。このように当事者を相関図にまとめることで、より広い視野で交渉戦略を構築するのに役立ちます。
次に、「逆方向マッピング」について。交渉理論研究「第2回:ゲーム理論と交渉」で、結論からゲームの木を遡っていく「後退帰納法(バックワード・インダクション)」(上図)を取り上げましたが、同じように暫定的な「最終ターゲット交渉」を設定し、そこから現在の状況へと立ち戻る図を描くことで、適正な交渉順序を明らかにしていきます。それを描いた図が「逆方向マッピング」です。具体的には、最終ターゲットの相手から「イエス」を引き出す前提条件として、他の誰に働きかけるべきかを考えます。さらに、その相手の「イエス」を得るために、誰に働きかけるべきかを考えるのです。この逆戻り方式を繰り返し、あらゆる可能性の中で最も有望な道筋を見つけ出します。下図は、「パリ和平協定交渉」で交渉を担当した国務長官H.キッシンジャーが辿ったと思われる「逆方向マッピング」です。こうすれば、どの順序で交渉すべきかが明らかになります。誰が誰に従うか、先行者が合意しているか否かは、後の合意に影響する(バンドワゴン効果)ため、適切な交渉順序は極めて重要です。
なお、パリ和平協定交渉のケースについての詳細は、『キッシンジャー超交渉術』をご覧ください。
第Ⅲ部:マルチ・フロントの交渉キャンペーン
最後に、J.セベニウスが2010年頃より唱え始めた「マルチ・フロントの交渉キャンペーン」について。これは、交渉を関連する様々なサブ交渉の集合体ととらえ、交渉全体の観点からそれぞれサブ交渉の現場(フロント)を連携させ、戦略的に対処する組織的活動をいいます。これも3Dスキーマの一形態ですが、複数の当事者を管理しやすいフロントにグループ分けし、戦略的に統合したり分離したりするという特徴があります。
上図は、ケースとして取り上げたアメリカ通商代表部副代表S.バーシェフスキーの米中知的財産権交渉(1993年~1995年)の「全当事者相関図」です。図中の赤点線枠が、当事者を関心などによって分類した「フロント」です。そして、各フロントの関心に響くよう、それぞれに合ったフレーミングを行うことでサブ交渉の合意をまとめ上げます。これを「音響的分離(Acoustic Separation)」と言います。「心に響く言い回しの使い分け」といったところでしょうか。
最後は、参加者の皆さんでディスカッションを行い、身近な3D事例について考えていただきました。急なことで難しいかと思っていたのですが、さっそくオリジナルの「全当事者相関図」を書きあげ、説明された方もいらっしゃいました。「全当事者相関図」を書き、それについて説明するだけでも新たな交渉のヒントにつながるのではないかという実感が得られました。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした