本書を手にしたとき、ちょうど大塩中斎(平八郎)の『洗心洞箚記』を読み終えたばかりでした。そして本書で述べられていることが、大塩のそれと非常に類似した点が多いという偶然の一致にまず驚いた次第です。
本書はその題名の通り、日本を代表する文芸評論家、小林秀雄の『考えるヒント』から、著者がその根底に流れる小林の思想を学問、知性、時代、政治、職業という5つの切り口で述べたエッセイ集です。前半部では学問や知性に対する「自立」の態度について、後半部では迷走を極める現代の大衆社会の病原が、この自立心の消失にあることを描き出しています。
『考えるヒント』の「考える」とは、小林にとって「物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わること、(中略)そういう経験」なのであり、自分を取り巻く周辺環境や時代を忌避して思索の中に閉じこもるのではなく、あくまでそれら受容し、積極的なかかわりの中で「生きる」ということです。この「考える」態度は著者の前作『自由貿易の罠、覚醒する保護主義』で特に強調されたプラグマティズムと共通すると思います。
さて、冒頭に本書と『洗心洞箚記』との共通点が多いことに驚いたと述べました。『洗心洞箚記』は江戸末期の陽明学者(38歳で隠居するまで大阪町奉行所の与力でもありました)大塩中斎の読書雑記です。
陽明学は明代半ばに古典の解釈論に堕していた朱子学を批判する形で興った儒教の一派(王陽明は学派を立てることを拒否していたので不適切だとは思いますが、便宜上)です。そもそも儒教とはわが身を修め、民を治める「修己治人」の学問として知られていますが、朱子学と陽明学の最も際立つ相違の一つは、朱子学が修己において知を行に先んずるもの、すなわち時間の中で捉えているのに対して、陽明学は知と行とは不可分なもの(「知行合一」)としている点にあります。つまり陽明学は、朱子学が真性の追求を忘れ空論博識に堕した原因を知と行を分けて考えたことに求め、それを避けるために、実践生活の場において自覚的に真性(良知)を発揮することを求めたわけです(「事上磨錬」)。この陽明学の考え方は、まさに前段における小林の「考える」に一致します。
しかし、陽明学も時代を経るにつれて形骸化や浅学の弊を免れませんでした。大塩は『洗心洞箚記』の中で、ただ党派心に依って朱子学を批判する態度を戒め、また聖人である孔子の教えでさえも太虚(大塩が考える、良知を発揮した結果として帰する宇宙の本体)に至るための手掛かりとして独自の見解を導き出しています。それらは、わずか11歳で父親から大坂町奉行所の与力を継いで以来、本来善とは程遠い現実に正面から向き合ってきた経験を踏まえて書かれたものです。
ところで、『考えるヒントで考える』に「ソクラテスの闘争」についての話が出てきます。本書によれば、ソクラテスの闘争とは自分の力で考えることをやめた大衆たちが依拠するイデオロギーや世論を徹底的に疑い、批判することで「自己を取り戻そう」という営みのことです。しかし容易に分かることですが、自己を放棄した者に「自立の精神」を説くことはほど虚しい戦いはありません。それでもなお、ソクラテスは勝ち目のないことを承知の上で論争を挑みました。ソクラテスは「それによって自分が社会に影響を与えて、社会を変えることができるなどとは夢にも思っていなかったし、勝ち負けにも関心がなかった」(本書141頁)、しかしながら、自立の精神をもった「真の人間」でありつづけるためには、そうせざるを得なかったのだと思われます。
このソクラテスの闘争は、『洗心洞箚記』から2年後、そのために大塩の名が歴史に残ることとなってしまった「大塩平八郎の乱」を思い起こさせます。大塩も恐らく、書生の集まりが反乱を起こしたからといって、それによって幕府に勝てるとも、また社会を変えられるとも思ってはいなかったはずです。しかし、飢饉や物価高騰に苦しむ民衆の姿は、大塩の考え方からすれば、そのままわが身の苦しみだったのであり、それを見過ごして己のみが洗心洞にこもり学問に耽ることなど、太虚に照らして到底できなかったのだろうと思います。時代は下りますが、大塩の乱から40年後に西南戦争を起こした西郷隆盛もきっと同じような心境であったことでしょう。
本書は小林秀雄の『考えるヒント』を基にした、著者による考えるヒントであると僕は思いますが、本書自体もまた「ソクラテスの闘争」であるかもしれません。つまり本書は、自らの経験を引き受け、真理に到達せんとする「自立心」のない者、少なくとも自立心を確立しようとする気概のない者にとって、恐らく受容し難い内容であることでしょう。しかも、そうした自立心を持つ者は確かに少数派かもしれません。しかし、小林秀雄は「そういう人は隠れているが至るところにいるに違いない。私はそれを信じます」(本書197頁)と述べています。大塩も西郷も問われれば恐らく同じように答えたでしょうし、著者の思いもそこにあるのではないかと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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本書はその題名の通り、日本を代表する文芸評論家、小林秀雄の『考えるヒント』から、著者がその根底に流れる小林の思想を学問、知性、時代、政治、職業という5つの切り口で述べたエッセイ集です。前半部では学問や知性に対する「自立」の態度について、後半部では迷走を極める現代の大衆社会の病原が、この自立心の消失にあることを描き出しています。
『考えるヒント』の「考える」とは、小林にとって「物に対する単に知的な働きではなく、物と親身に交わること、(中略)そういう経験」なのであり、自分を取り巻く周辺環境や時代を忌避して思索の中に閉じこもるのではなく、あくまでそれら受容し、積極的なかかわりの中で「生きる」ということです。この「考える」態度は著者の前作『自由貿易の罠、覚醒する保護主義』で特に強調されたプラグマティズムと共通すると思います。
さて、冒頭に本書と『洗心洞箚記』との共通点が多いことに驚いたと述べました。『洗心洞箚記』は江戸末期の陽明学者(38歳で隠居するまで大阪町奉行所の与力でもありました)大塩中斎の読書雑記です。
陽明学は明代半ばに古典の解釈論に堕していた朱子学を批判する形で興った儒教の一派(王陽明は学派を立てることを拒否していたので不適切だとは思いますが、便宜上)です。そもそも儒教とはわが身を修め、民を治める「修己治人」の学問として知られていますが、朱子学と陽明学の最も際立つ相違の一つは、朱子学が修己において知を行に先んずるもの、すなわち時間の中で捉えているのに対して、陽明学は知と行とは不可分なもの(「知行合一」)としている点にあります。つまり陽明学は、朱子学が真性の追求を忘れ空論博識に堕した原因を知と行を分けて考えたことに求め、それを避けるために、実践生活の場において自覚的に真性(良知)を発揮することを求めたわけです(「事上磨錬」)。この陽明学の考え方は、まさに前段における小林の「考える」に一致します。
しかし、陽明学も時代を経るにつれて形骸化や浅学の弊を免れませんでした。大塩は『洗心洞箚記』の中で、ただ党派心に依って朱子学を批判する態度を戒め、また聖人である孔子の教えでさえも太虚(大塩が考える、良知を発揮した結果として帰する宇宙の本体)に至るための手掛かりとして独自の見解を導き出しています。それらは、わずか11歳で父親から大坂町奉行所の与力を継いで以来、本来善とは程遠い現実に正面から向き合ってきた経験を踏まえて書かれたものです。
ところで、『考えるヒントで考える』に「ソクラテスの闘争」についての話が出てきます。本書によれば、ソクラテスの闘争とは自分の力で考えることをやめた大衆たちが依拠するイデオロギーや世論を徹底的に疑い、批判することで「自己を取り戻そう」という営みのことです。しかし容易に分かることですが、自己を放棄した者に「自立の精神」を説くことはほど虚しい戦いはありません。それでもなお、ソクラテスは勝ち目のないことを承知の上で論争を挑みました。ソクラテスは「それによって自分が社会に影響を与えて、社会を変えることができるなどとは夢にも思っていなかったし、勝ち負けにも関心がなかった」(本書141頁)、しかしながら、自立の精神をもった「真の人間」でありつづけるためには、そうせざるを得なかったのだと思われます。
このソクラテスの闘争は、『洗心洞箚記』から2年後、そのために大塩の名が歴史に残ることとなってしまった「大塩平八郎の乱」を思い起こさせます。大塩も恐らく、書生の集まりが反乱を起こしたからといって、それによって幕府に勝てるとも、また社会を変えられるとも思ってはいなかったはずです。しかし、飢饉や物価高騰に苦しむ民衆の姿は、大塩の考え方からすれば、そのままわが身の苦しみだったのであり、それを見過ごして己のみが洗心洞にこもり学問に耽ることなど、太虚に照らして到底できなかったのだろうと思います。時代は下りますが、大塩の乱から40年後に西南戦争を起こした西郷隆盛もきっと同じような心境であったことでしょう。
本書は小林秀雄の『考えるヒント』を基にした、著者による考えるヒントであると僕は思いますが、本書自体もまた「ソクラテスの闘争」であるかもしれません。つまり本書は、自らの経験を引き受け、真理に到達せんとする「自立心」のない者、少なくとも自立心を確立しようとする気概のない者にとって、恐らく受容し難い内容であることでしょう。しかも、そうした自立心を持つ者は確かに少数派かもしれません。しかし、小林秀雄は「そういう人は隠れているが至るところにいるに違いない。私はそれを信じます」(本書197頁)と述べています。大塩も西郷も問われれば恐らく同じように答えたでしょうし、著者の思いもそこにあるのではないかと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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