窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

ブラックアダー試飲会②

2009年02月28日 | BAR&WHISKY etc.


  "Whisky Magazine Live! 2009"に伴い来日中のロビン・トゥチェク氏を囲んで、昨年11月1日以来となるブラックアダー試飲会がPPR(http://blog.goo.ne.jp/paradiseroad2006)にて開催されました(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/43858059f464dac86188543912bd5f6f)。



  ブラックアダーの特徴は何と言ってもロウカスク。つまり樽から取り出した「ありのままの」ウィスキーをボトリングするという点にあり、冷却濾過やカラメルによる着色などを行わないことをモットーにしています。その結果、ブラックアダーのボトルには樽に含まれる油分や脂肪分の他、沈殿している澱までが入っています。

  ここでは今回提供されたボトルの中から僕が試飲したものをご紹介します。

1.ブラックアダー・スモーキングアイラ(Blackadder Smoking Islay ) 



  その名の通り、非常にスモーキーでピーティー。今回試飲したウィスキー全般に言えることですが、カスク・ストレングスでアルコール度数が高い(これは45度ですが、まだ低い方です)ためか余韻が短く、舌の上でパッと消えてなくなる感じです(HPには「驚くほど長いフィニッシュ」と書かれていますが)。アイラ島のウィスキーであることは確かですが、どこのウィスキーであるかは明らかにされていません。

  ロビンがさし入れてくれたイチゴのチョコパイと合わせてみましたが、良く合いました。

2.リンクウッド 1989 (Linkwood) 



  そのレモンのような爽やかさと華やかな香り、滑らかな蜜のような味わいで僕の好きなウィスキーの一つ。56度とアルコール度数は高く、ほんの少し加水するとフルーティな香りが開いてきます。

3.ブレアフィンディ 1976(Blairfindy)



  シェリー樽由来の赤みがかった濃い琥珀色と強いシェリー香。度数は48.7度。しかしこの色合いと香り、31年という年数から想像する強い甘みを期待すると、そうでもなかったりします。少し時間をおくと落ち着いてきて味が出てきます。

  ブレアフィンディはスペイサイド、メアリーパークのバリンダロッホにあるグラント家が所有する蒸留所からのシングルモルトだそうですが、法的な理由で蒸留所名をラベルに掲載することができないのだそうです。そこで代わりにグラント家が所有するブレアフィンディ農場から名前をとっています(グラント家は歴史的に「ブレアフィンディ・グラント家」と呼ばれているそうです)。「バリンダロッホにあるグラント家が所有する蒸留所」、すなわちグレンファークラス(Glenfarclas)蒸留所と考えて間違いないでしょう。



  グレンファークラス蒸留所は1836年にロバート・ヘイによって設立されましたが、1865年にジョン・グラントが蒸留所を511.19ポンドで取得。蒸留所はそれ以降グラント家によって所有され、運営されています。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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大不況こそ日本のチャンス

2009年02月27日 | その他
  先日「大不況こそ日本のチャンス」と題した堺屋太一さんの講演を拝聴する機会がありました。

  前半は今日の経済状況に至るまでの経緯を60年代からおさらいしました。この辺は以前ご紹介した三橋貴明さんの御著書『ドル崩壊』に詳しいので割愛します(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/21b34ca33dfce82a324a4b838dcfa532)。

  後半は現在の状況と日本へのこれからの処方箋についてでした。以下にそれを簡単にまとめます。

*アメリカにおける金融危機自体はアメリカが日本が10年前に実施したのと同じ施 策、すなわち①公的資金の注入、②不良債権の買い上げ、③借手保証によりほぼ 収まった。ただし②については金融工学があまりに発達しすぎた結果、不良債権 の価格算定が難しく、思うように進んでいない。ただし、世界大不況はこれから。

*アメリカ:ローンによる過剰消費体質は今後も変わらない。

*中国:中国の不況は先進国と違い近代工業化過程における設備投資過剰による初 期不況。政府がかなり強引な手法で内需拡大に舵を切っている。中国が大消費社 会に向かう中で製品に対する信頼、ブランド力のある日本の製造業はチャンス。

*日本:取り組みによっては1年後にはかなりの景気回復をみせる。その鍵となるのは円高と高齢化。継続的な円高は内需産業に利益をもたらし、輸出企業のリストラによる労働力を吸収できる余力をもつ可能性がある(労働流動性が課題)。一方、高齢化については団塊の世代の定年退職が完了。しかしそれは市場からの退出を意味するのではなく、経験豊富な労働力を市場価格に見合ったコストで活用できるということ(年金併用型労働者)。2010年代の日本は高齢労働力をいかに活用できるか、また人口比で多数を占める高齢消費者に合った商品、サービスをいかに供給できるかが重要。その経験の蓄積は、消費社会に転じた中国市場が後を追って高齢化社会を迎えたとき(1979年生まれ以降は一人っ子)、日本にとって大きなチャンスとなるだろう。

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両外国人監督が見たもの

2009年02月26日 | その他
  サッカーの事は良く知らないのですが、先日たまたま前日本代表監督であったイビチャ・オシムの本を読んでいたところ、オシムの見た日本選手の特性が現ラグビー日本代表ヘッドコーチであるジョン・カーワンが著書の中で述べていた(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/decf71cd97e4d461abcc6258114311aa)日本選手像と非常に似通っていることに気づき、興味を惹かれました。今日はそんなお話をひとつ...。

  まず最初にオシムもカーワンも日本化したサッカー(ラグビー)を目指す、と宣言しています。日本化とはすなわち「日本人の強みを活かしたプレースタイル」のことで、オシムはその強みを敏捷性と相手にスペースを与えない流動性であると指摘し、カーワンは低いタックルとスピードであると指摘しています。両者とも強豪国から学ぶことを一概に否定はしていません。しかしながら単なる列強の模倣では所詮模倣に過ぎず、彼らと伍することはできないというのです。「バルセロナのまねをしたからバルセロナになれるわけではない」とはまさにその通りだと思います。

  第2に、日本のスタイルを確立するためには自分たちの強みを良く理解し、そこに集中しなければならないということです。要するに「己を知る」ということですが、「日本人だからといって日本のことを良く分かっているとは限らない」とオシムが指摘しているように、簡単なようで意外と難しいことだと思います。オシムやカーワンの目から見れば日本人は自分たちの強みに集中することによって今日の経済的地位を築いてきたのにサッカーやラグビーではそれができていない。両者とも日本を「大国」と表現していますが、われわれ日本人に大国であるという自覚が薄いということなど、まさに「日本人だからといって日本のことを良く分かっているとは限らない」典型と言えるのではないでしょうか。

  第3に、客観的に相手を知る、つまり「敵を知る」ということです。オシムはこれをリスペクトと表現していますが、相手を必要以上に過大評価して恐れたり、逆に過小評価して見下したりするのはいずれも相手に対する無知と偏見に起因するものです。オシムの著書でも例として挙げられ、僕も当時確かにそのように思ったのですが、2006年のワールドカップ予選Fグループで大方のメディア報道は日本が「ブラジルには敵わないが、オーストラリアとクロアチアには勝てる」というものだったと記憶しています。これなどはまさしく相手に対する無知からくる過小評価でした。ひょっとしたら同じ予選グループにブラジルがいることに絶望するあまり、心理的にそのような希望的観測をせざるを得なかったのかもしれません。しかし、本当に予選突破を目指すのであれば対戦相手のいずれもが日本より実力的に勝っていることを認めたうえで、それでも勝機を見出すにはどうしたらよいか、という点に関心が集中するはずだったのではないでしょうか。勿論当事者である代表チームはそうでなかったかもしれませんが、少なくともメディアによって作り上げられたのはそんな雰囲気だった気がします。期待が大きすぎるあまり、逆に現実から目を背けようとするあまり、普通では考えられない誇大妄想が支配的になる可能性はスポーツに限らず起こり得、意思決定を誤らせる原因となります。
  
  第4に、自分を信じること。ラグビーはサッカー以上に世界との差が激しく、カーワンはそんな日本代表の「敗者の文化」を払拭することにまず着手したと述べていますが、オシムも同様に自分たちを信じるために強い相手と戦っていくことを説いています。いかに相手が強くても、逆に弱くても絶対はないというのが勝負であり、だからこそ己を知り、敵を知り、そして信じることが大切なのだろうと、これもスポーツに限ったことではなく、そう思います。

  オシムとカーワンに共通するのは「こうすれば絶対勝てる」というようないわゆる「勝利の方程式」を安易に口にしない理性を備えているという点だと思います。勝負に絶対はないのですから、一時の成功体験だけを取り上げて勝利のハウツーを説いたりしないのは勝負師として当然の態度なのかもしれません。しかしそうした理性を保つことは意外と難しいのではないかと思います。

日本人よ!
イビチャ オシム
新潮社

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Whisky Magazine Live! 2009 ③

2009年02月25日 | BAR&WHISKY etc.


  さて、休憩の合間にジュラをベースとしたカクテルが披露されました。まず最初は、"Snowy Paps"という名のデザートカクテルです。レシピは以下の通り。



ジュラ・スーパースティション    30ml
フレッシュ・クリーム        20ml
ボルス・ホワイト・カカオ      10ml
ナン・パッションフルーツシロップ  5ml
オレンジ・ツイスト



マスタークラスも後半に入りました。7杯目は先ほどのカクテルでも使われていたジュラ・スーパースティション。スーパースティションとは「迷信」のことですが、ボトルにはアンククロスと呼ばれる「幸運の十字架」があしらわれています。アンク(Ankh)とは古代エジプト語で「生命」を表し、十字架の上部が環状になっているのが特徴で、古代エジプトでは幸運を導くとされ、長寿のお守りとされていました。なお、「王家の谷」で発見された有名なツタンカーメンは"Tut-ankh-amen"と表し、「アメン神の生きる似姿」という意味になります。生命を意味するアンク、ゲール語で「命の水」を意味する"Uisgebeatha"(ウシュクベーハ)が語源となったウィスキーにふさわしいエンブレムです。




  余談ですが、マスタークラス終了後、この「幸運の十字架」を持ってパターソン氏と写真を撮りました。



  ピートを焚かないイメージのあるジュラですが、スーパースティションは軽いピート香がします。13年と21年をバッティングしているそうです。じめじめした塩とピートの香りから温かみのあるシナモンスパイスの味、キャラメルや厚切りマーマレードへと移り変わるそうですが、だいたいそんな感じがしました。



  因みにピートというのはスコットランドの10%を占める泥炭層から切り出される泥炭のことで、スコットランドでは燃料として使われ、ウィスキー作りの際には原料である発芽した大麦の進行を止めるため、大麦を乾燥させるためにこのピートを焚きこみます。



  8杯目はジュラ・プロフェシー。プロフェシーとは「預言」のことです。かつて、ジュラ島はキャンベル一族によって支配されていましたが、ある時「キャンベル一族はやがてなくなり、一つの目と全ての財産を載せる一つの荷車だけが残る」という預言があったそうです。当時誰もそれを信じる者はいませんでしたが、やがて1938年に預言が当たったのだそうです。本当か嘘かは分かりませんが...。そんなことからボトルには「一つ目」が描かれています。





  ところでジュラ・プロフェシーは今回日本初のサンプルとなりますが、価格は何と1本40万円もするのだとか(聞き間違えであることを祈りたいところです)。シトラスフルーツ、洋なし、完熟りんごの果樹園にピート香に包まれたほのかな温ワイン。う~ん、とてもそこまでは分かりません。



  9杯目。世界に658本しかないジュラ1974年、1本15万円。ゴンザレス・ビアスのティオ・ぺぺ、熟成13年以上のシェリー樽を使った46%のカスクストレングス。より強いピート香で救急箱のような香りがしつつも、一方で花のようなエレガントな香り、チョコレートのような甘みもあり上品な味わいです。カカオ86%のチョコレートと合わせて試飲しましたが、大変素晴らしいウィスキーです。高くて手が出ませんが...。本当に今回のジュラ蒸留所の意気込みを感じます。



  リッチなジャワコーヒー、ビターチョコ、フレッシュマンゴーの香り。マデリアケーキの温かみのあるフレーバー。何となく分かります。



  最後に、10杯目となる2番目のカクテル。"Jura Sunset"という名のジュラとクランベリージュースを使ったさわやかな味わいのカクテルです。レシピは以下の通り。



ジュラ 10年          30ml
クランベリージュース 20ml
ストーンズ・ジンジャーワイン 5ml
フレッシュライムジュース 5ml
グレナディン(石榴)シロップ 1/2tsp

  充実した2時間が終わりました。スコットランドといえばウィスキー、それからタータンチェックのキルトにバッグパイプではないでしょうか。最後になりましたが、休憩中に披露されたバッグパイプの演奏をご紹介したいと思います。

バッグパイプ


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Whisky Magazine Live! 2009 ②

2009年02月24日 | BAR&WHISKY etc.


  ウィスキー・マガジン・ライヴへの会場入りに先立ち、11:15~13:15に開催されたアイル・オブ・ジュラのマスタークラスを受講してきました。講師はジュラ蒸留所のマスターブレンダー、リチャード・パターソン氏。今回の数あるマスタークラスでも唯一、そして世界初の2時間に及ぶマスタークラスだそうで、ジュラ蒸留所の意気込みが伝わります。パターソン氏の英語は分かりやすく、しかもユーモアに富んでいたので、話の中にすっかり引き込まれ時間の長さを感じませんでした。



  最初にウェルカムドリンクとして、Jura 10yrs。



  ジュラ蒸留所のあるジュラ島はスコットランドの西側、ピートを強く焚き込んだウィスキーで知られるアイラ島のすぐ北にあります。ジュラとはスコットランドの古語であるゲール語で「赤い鹿」という意味で、現在でもわずか189人の人口に対して6,860頭もの鹿が生息しているそうです。アイラ島と異なり人口が200人いないわけですから、当然ジュラ島に蒸留所はこのジュラ蒸留所のみです。そして蒸留所の周りにこれまた島で唯一となるホテル、パブ、教会があります。スコットランドで寒冷なイメージのあるジュラ島、確かに雪も降るのですが、海流の影響で温暖な地中海性気候らしく夏の写真では蒸留所の敷地に椰子の木が生えていました。



  次に、ニュー・スピリッツの試飲。ニュー・スピリッツというのはポットスチル(蒸留釜)で蒸留して誕生する最初のお酒のことで、写真のように無色透明です。ウィスキーらしい琥珀色がつくのは樽の中で熟成してからのことです。



  ポットスチルは上の写真のような格好をしていて(写真は山崎蒸留所のポットスチルです)、蒸留所ごとに形や大きさが異なります。一つの蒸留所で異なる大きさ、形のポットスチルを使う場合もあります。ポットスチルはいわばウィスキーの象徴的な存在で、スコットランド銀行発行の10ポンド紙幣にはポットスチルが描かれています。なお、ジュラ蒸留所のポットスチルは高さが約8mもある非常に大きなもので、その背の高さゆえにゆっくりとした蒸留ができ、ジュラ独特のなめらかな仕上がりになるのだそうです。

  さてニュー・スピリッツですが、香りは麦焼酎を思い浮かべていただければよいのではないかと思います。味は潮を感じました。アイラ島もそうですが、大西洋の激しい荒波や潮風の影響を感じさせます。実際、蒸留所を取り巻く気候風土はウィスキー作りに大きな影響を与えるそうです。



  3杯目から5杯目は Jura Papsというワイン樽を使った3種類のシリーズ。日本では9月頃発売予定だそうです。"Paps"とは「おっぱい」のこと。ジュラ島の西側に連なる円錐状の3つの山で、標高は730~780m位。それぞれゲール語で「黄金の山」、「海峡の山」、「聖なる山」を意味する"Beinn an Oir"、"Beinn Shiantaidh"、"Beinn a' Chaolais"という名がつけられています。この3つの山に因み、それぞれブルゴーニュワイン、ボルドーワイン、バローロワインの樽で熟成させた異なる個性のウィスキーを発売する予定だそうです。パッケージも山の形が描かれています。さて、乾杯します。スコットランドで乾杯は"Slainte mhor"(スランジバー)といいます。

  最初の「黄金の山」はブルゴーニュ、ピノ・ノワールという黒ブドウで作った赤ワインを熟成させた樽を使用しています。スコッチ・ウィスキーはウィスキーにワインなどを添加してはならないことになっていますが、ウィスキー自体が樽に染み込んだピノ・ノワールの個性を抽出する分には構わないのです。マジパン、パルマスミレ、ブドウの果肉のアロマなんて書いてありますが、僕にはそんな細かいことは分かりません。干しブドウのような香りはします。



  「海峡の山」はボルドー、カベルネ・ソーヴィニョンという僕も好きな黒ブドウ品種の赤ワイン樽を使用しています。こちらは一度香りをかいで先ほどの「ピノ・ノワール」と全然違うのにまず驚きました。これまで、シェリー樽やバーボン樽というような大まかな括りで味の違いを捉えることはしていましたが、同じワイン樽でもブドウ品種が異なるだけでこれ程までウィスキーの個性に違いが出るとは思いませんでした。クラッシックな濃いコーヒーの味、オレンジの皮、挽きたてのコーヒー、ビターチョコと移り変わる魅惑的なアロマだそうですが、少なくとも花のような香り、口当たりはやわらかく、チョコレート、舌の上でプラムのようなフルーツの香りが広がります。これは発売されたらぜひ買いたいと思います(高くないことを祈ります…)。



  「聖なる山」はイタリア、バローロのワイン樽を使用しています。ブドウ品種は聞き漏らしました。タンジェリンやスパイスのニュアンス、バラの花びら、スイカズラ、マデイラケーキ、完熟リンゴの香りだそうで、食後酒に合うとのこと。潮の香り、ややオイリーで余韻は短いのですが、時間をおくとチョコレートのような甘みが出てきます。前の2杯は時間を置くまもなく次のウィスキーが出てきてしまったので感じることができませんでしたが、時間を少し置き、空気を含ませ香りを開けばもっと違ったニュアンスが楽しめたかもしれません。

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Whisky Magazine Live! 2009

2009年02月23日 | BAR&WHISKY etc.


 2月22日、今年で9回目となる世界的なウィスキーイベント、"Whisky Magazine Live! 2009"が東京ビッグサイトで開催されました。





  今年も会場はたくさんのビジターで大盛況でした。ウィスキー・マガジン・ライヴでは、世界の蒸留所やボトラーなどからなる26もの展示ブースがあり、それぞれ個性溢れるウィスキーを無料(一部有料)で試飲することができます。



  上の写真は最近話題のイチローズ・モルトです。



  ステージではジャズシンガー、ナオミ・グレースさんのライヴもありました。

  今年は各蒸留所がそれぞれの特徴や魅力を語り、試飲しながら学ぶことができるマスタークラスも受講してきました。これについてはまた改めてご紹介したいと思います。

  午前11頃から午後4時半頃までウィスキー飲みっ放しの一日でした。

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リサイクル軍手の環境における優位性

2009年02月22日 | リサイクル軍手の世界
  前回特殊紡績は、①短繊維でも糸にできるので無駄が少ない、②素材の種類を選ばない、③風合いが良いなどの特色があり、資源を無駄にしない伝統技術であるということをお話しました(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/cf0d31e436d7fa9a193b125c15125c66)。



  投入した資源を無駄なく使えるだけでなく、元々が羊毛で毛糸になりにくい短繊維の毛を活用するために生まれた技術ですから、特殊紡績はそもそも資源リサイクルのための技術であるということができます。上のグラフは特殊紡績の糸と新たに紡績した綿糸について、製品ライフサイクル全体で見た場合にかかるエネルギー消費量の比較です(出典:経済産業省『繊維製品(衣料品)のLCA調査報告書』2003年)。

  このグラフによると、特殊紡績の場合にかかるエネルギー消費量は新たに綿糸を紡績した場合のわずか6分の1に過ぎません。さらによく見ますと、新たに綿糸を紡績した場合のエネルギー消費量のうち、実に43%はそもそも原料である綿を生産するために投入されたものであることが分かります。すなわち両者の圧倒的な数値の違いは、その大半が綿糸をつくるために新たに資源(綿)を追加投入したために発生したものなのです。環境問題を考える場合、資源やエネルギーの追加投入を抑えることがいかに効果的かつ重要であるかが分かります。この点は「ウエスものがたり」の最終回でお話したことと同じです(http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/4df73a9813270ebb8b01fb155a3fdfdc)。

関連:http://blog.goo.ne.jp/hardworkisfun/e/086fea7c7daf95a9556d6cf73e99066b



  さらに2番目のグラフはCO2換算で環境負荷を比較したものです。同様に特殊紡績の環境パフォーマンスが際立っています。ここで新しく綿糸から軍手を生産した場合と、特殊紡績で生産した場合の環境負荷を考えて見ましょう。糸になった後の生産工程について同資料に調査データはありませんが、糸から軍手を編む過程は両者とも同じですから環境負荷は同じとみなして差し支えないと思います。したがって、上のグラフの差がそのまま両者の差となります。

  仮に軍手1双の重さを50gとしますと、軍手1双を生産するにあたり発生するCO2は新たな綿の軍手で約38g、特殊紡績の軍手で約6gとなります。つまり、このことは新たに資源を投入して軍手を生産するより、特殊紡績の軍手を使用した方が環境的厚生として約32gのCO2発生抑制につながるということを意味しています。したがって軍手を日常的に使用する方は、ただ特殊紡績軍手に代替するだけで日々の行動をまったく変えることなく1双あたり約32gのCO2発生抑制が可能になると言えるのです。

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江戸の古着屋

2009年02月21日 | リサイクル(しごと)の話


  仕事で日本橋を訪れた際、建設現場の塀に描かれた絵に目がとまりました。それは上の写真のような江戸の町の古着売りの絵で、説明書きには、

「寛永6、7(1629、30)年頃、家城太郎治という者が竹馬のようなものをこしらえ、それに呉服をかけ、常盤橋のそばで売ったのが初めのようです。お客の女性は『地もいとうすく、色もさめつれば価は安からん』といって、生地の具合を見ながら値切っている様子がうかがえます」(三谷一馬著『江戸商売図絵』(中公文庫)より引用)

とありました。

  資料に見られる日本での古着屋の登場は室町時代と言われており、僕はまだ確認していませんが、恐らくこの時代の習俗を描いたものとして有名な『洛中洛外図屏風』などに古着が売られている様子が描かれているのではないかと推測されます。日本の長い歴史全体から見れば、衣類に限らず需要を上回るほど供給が多くなったのはごく最近40年位のことに過ぎませんから、古くから古着屋が存在するのはむしろ当然と言えるかもしれません。ただし現在でもそうですが、需要があるからそこに業が成り立つとは限りません。古着屋が存在しうるためには安定した需要があると同時に、再販できるだけの良質な古着がまとまった数量で確保できることが必要です。

 したがって古着屋が成立するためには都市化と、それに伴って商品経済がある程度発達していることが条件になりますので、都が置かれた上方では室町時代頃やはり古着売りを生業とする業者が現れ、江戸において上記の説明にある通り1630年頃、すなわち二代将軍徳川秀忠が死去し三代将軍家光の治世に移った頃で、幕藩体制が確立しつつあった時期。徳川政権のお膝元である江戸の町が次第に発展し、人口が増加、商業や流通が整えられていく中で古着売りを生業とする業者が現れたと考えられるのではないでしょうか。

  三谷一馬著「江戸庶民風俗図絵」(中公文庫)によれば、「富沢町、橘町の古着店は毎朝晴れの日には大通りに筵を敷き、衣服を並べ、店にもならべて、買ったり売ったりしている。午前11時頃には店をたたんで、表に格子を立てる。村松町は筵の上では売らず、終日店を開いて、衣服を店に釣り、あるいは並べて売っている。日カケ町にも古着屋がある。日カケ町とは芝口より宇田川町に至る大通りの北の小さな通りをいう字である。浅草中町、西中町にも古着屋は多い」(現代語に直しました)と江戸の町で古着が売られている様子が『守貞饅謾稿』に記されています。また、安永元年辰年(1772年)11月26日に出された「古物商へ売買定法再令」では御紋(江戸で御紋といったら徳川家の家紋を指すのでしょうか?定かではありません)の入った道具類は一切買取ってはならないというお触れまでされています。今風に言えば偽ブランド品の流通を禁じるようなものでしょうか?「再令」とあるところをみると繰り返し規制されていたようで、この頃には貨幣経済の発達と米価の値下がりにより都市の武士の生活もかなり苦しくなっていますから、仮に徳川家の品でなくても由緒ある大名の家紋が入った道具類が質入などの結果、市中に出回っていたとしてもおかしくありません。何だか江戸時代の事ながら現代にも通じるところがあり、興味深いです。

  なお、古着屋ですが京や大坂などの上方では古手屋と呼ばれていました。上方落語に「古手買」というのがありますが、それには大坂船場の坐摩神社の門前に集積した古手屋が登場します。因みに、現在百貨店で有名な「そごう」はこの坐摩の前の古手屋であった「大和屋」が起こりです。  

江戸庶民風俗図絵 (中公文庫)
三谷 一馬
中央公論新社

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栄螺堂

2009年02月20日 | 史跡めぐり


  飯盛山に建つ1796年に作られたお堂で正式には正宗寺三匝堂といいます(正宗寺は廃仏毀釈により廃寺)。外観がさざえに似た特異な形をしているばかりでなく、内部は二重の螺旋階段が組み合わさって他人とすれ違うことなくお堂の上まで登り、また下って出てくることができるという実に珍しい構造になっています。



  当時は螺旋状の斜路に沿って三十三観音像や百観音像が配置されていたそうで、お堂の中をすすむことで巡礼ができました。そういう意味では、この二重螺旋構造が混雑をさけるのに有用であったかもしれません。少なくともこの世にも珍しいお堂によって巡礼者を呼び寄せることができたでしょう。



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飯盛山

2009年02月19日 | 史跡めぐり


  有名な白虎隊自刃の地です。白虎隊というと20人いてその内飯沼貞吉を除く19名がここで自刃したと思われがちですが、白虎隊そのものは士中一番隊、士中二番隊、寄合隊、足軽隊からなる総勢340人余りの少年部隊でした。飯盛山で自刃した有名な20名はその内の士中二番隊です。



  士中二番隊は戸ノ口原の戦いで壊滅的な打撃を受け、上の写真にある猪苗代湖の水を引くために作られた人工の洞穴、戸ノ口掘洞穴を抜けて飯盛山に落ち延びます。



  しかし戦闘によって城下町が燃えているのを見て若松城が落城したものと誤認し、20名が自刃。唯一飯沼貞吉のみが一命をとりとめます。この有名な場面は飯沼貞吉の晩年の証言によるものです。実際、ここから若松城方面を眺めると天守閣はかろうじて見える程度であり(上の写真の赤枠線の内側あたりが天守閣です)、その前に広がる城下町が炎につつまれていれば激戦で疲労困憊していた15歳から17歳の少年たちが落城したと誤認したのもうべなるかなと思います。

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