窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

富山湾の味処 鯛家

2012年10月26日 | 食べ歩きデータベース


  半日という短い滞在でしたが、初めて富山へ行ってきました。

  日本海側に来たならば、やはりお魚を食べなければということで、夜は富山駅から市電桜橋駅近くにある、「鯛家」さんへ行ってきました。



  今回頼んだ品々は、下のフォトチャンネルをご覧いただくとして(うっかり写真撮り忘れもあり)、ここでは富山の地酒「吟醸 銀嶺立山」と特に相性の良かったものをご紹介していきたいと思います。「銀嶺立山」、元々好きなお酒ですが、芳醇な香り、それでいて甘ったるくなく、キリッとしたのみ口で食事と非常に合わせやすいお酒です。



  まず冒頭の刺盛りですが、巻貝の肝。濃厚な肝と辛口の日本酒との相性は抜群でした。



  自家製ほたるイカの沖漬け三種盛り。これはいわずもがなと思います。



  富山県の魚にも指定されている、名物、白海老(しらえび)刺身。身は柔らかく、しつこさのない上品な海老でした。ここ富山湾でした獲れない海老なのだそうです。



  いか肝のルイベ。「ルイベ」というのはアイヌ語で「溶ける食べ物」という意味なのだそうです。恐らく本来は肉や魚が凍ったものを指すのではないかと思いますが、ここではイカの肝が凍ったもの。凍った肝は口の中で溶け、それがまたキレの良い立山と良く合いました。



  〆の氷見うどん。その名の通り、富山県氷見市のうどんです。細麺で、見た目も食感も稲庭うどんと良く似ており、〆にはちょうど良いうどんでした。

鯛家

富山県富山市本町2-17
富山マンテンホテル横
「マンテンプラザ」B1



  最後に。今回、地元富山で見かけた、光岡自動車オロチをご紹介。



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唐津城(舞鶴城)

2012年10月23日 | 史跡めぐり


  JR筑肥線唐津駅より徒歩10分強、唐津湾に突き出た満島山の地形を利用し、まさに海沿いにそびえる唐津城。



  上の地図を見て分かるとおり、三方を海に囲まれた堅固な平山城でした。



  唐津城は寺沢広高によって、1608年(慶長13年)に完成しました。広高は肥前名護屋城の普請も務めた、豊臣秀吉の側近で、この唐津の地に封ぜられていましたが、関が原の戦い(1603年)で徳川方につき、家康から天草4万石を加増され、同時に唐津城の築城にも着手しました。

  築城に当たっては、廃城となった名護屋城の解体資材が使われたとされ、上の写真や地図からも分かるように、なかなか堅固な城でしたが、天守については天守台のみで、天守閣は存在しませんでした。これは仙台城(青葉城)などもそうですが、この時代の特に外様大名の城には一般的なことです。



  お城が好きな方ならすぐに分かると思いますが、現在の天守閣は1966年(昭和41年)に建てられた模擬天守に過ぎません。その他、石垣、堀、櫓や門などが一部再建されています。



  天守閣より唐津湾の眺望。文禄・慶長の役では兵力や物資の輸送を担当、西国諸大名との折衝や土木工事など実務能力に長けていた広高は、この唐津の新田開発にあたり、海辺に厚い防風林を造成しました。これが日本三大松原として現在も残る「虹の松原」です。

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如水庵の柿大福

2012年10月22日 | 食べ歩きデータベース


  ちょうど2年前に如水庵ぶどう大福をご紹介しましたが、今回は「柿大福」です。



  その名の通り、柿餡の中に、干し柿で有名な「市田柿」が刻んで練りこまれています。干し柿からくる先入観で、相当甘いのではないかと思っていましたが、意外と甘さは控えめ。しかし、しっかりと柿の風味が感じられ、餡と刻み干し柿が対照的な食感をなして、美味しさを引き立たせています。



  秋らしさを楽しめる柿大福、季節限定です。

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ヨーロッパグルメ紀行フェア

2012年10月21日 | ワイン・日本酒・ビール


  10月17日~20日、大桟橋ホールにてピーロート・ジャパン株式会社主催の「ヨーロッパグルメ紀行フェア」がありました。来場者1名当たり、ワイングラスが2脚ついてきて、おおよそ3,000円台の手頃なワインを1杯500円で試飲できるという企画。中にはヴィンテージワインを15ml、それこそ舐めるように試飲できるものもありましたが、それについては見送りました。

 

  生ハムやチーズのブースもあり、おつまみに生ハムとカヌレを選択。カヌレというのはフランスの焼き菓子で、一頃流行っていたようなのですが、僕は初めて食べました。外側はカラメルが焼けてカリカリ、中はしっとりとカスタードのような感じで、なかなか美味しかったです。



  さて、ワインは短い時間でそう飲めるものでもないので、4杯だけ。初めは、ピーロート・ブルー・カビネット2011。ドイツのナーエという地方のワインで、葡萄品種はケルナー,、ミュラー・トゥルガウ、シルヴァーナ。アルコール度数は8.5%とかなり低く、甘くフルーティな飲みやすいワインです。最初の1杯としてはちょうど良かったと思います。



  次に、しっかりとしたボルドーの赤を。キュヴェ・ジルウェット・シャトー・ペルンヌ2008。メルロー75%、カベルネ・ソーヴィニヨン22%、マルベック2%、カベルネ・フラン1%。程よくタンニンが感じられしっかりしていますが、それでいて飲み易く、鴨料理に合わせたら良さそうです。



  3杯目はすっきり目の白を。メゾン・M・シャプティエというコート・デュ・ローヌのワイナリーとピーロートのコラボレーションで生まれたという、ピー・シー・コート・デュ・ローヌ・ブラン2010。青リンゴのような爽やかな香り、すっきりとした飲み口、しかしコクもあり、バランスの良い飲み易いワインでした。



  最後はハンガリーのワイン。ボール・フォーラス2011。2011年ですがしかっりとしたルビー色をしています。葡萄品種はブラウフランキッシュ、ハノス・バハという地方のワインです。濃いベリー、蜜のような甘み。貴腐ワインほどではありませんが、僕には少々甘さが強すぎました。その代わり、生ハムとの相性が良かったです。

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筆跡アフタヌーンティに参加してきました

2012年10月21日 | 筆跡心理関係


  10月20日、日本筆跡心理学協会の「筆跡アフタヌーンティ」に参加してきました。日頃、筆跡アドバイザーの通信講座を学習(または修了)されている方が集まり、なかなか添削では解消しにくい疑問や質問を寄せ合うという、初めての試みという事でした。

  喫茶店の個室でコーヒーを飲みながらの、気楽な会でした。

  前半は会長の根本寛先生より、「人生成功のカギ-行動変容」と題してお話がありました。人生に成功要因を身につけるにはいくつか行動変容の要因がありますが、その一つに「繰り返しによる行動習慣」というものがあります。筆跡つまり「モノを書く」という行為もその一つであるということです。



  後半部では、参加者が共通の課題に対する筆跡診断を行い、人による筆跡特徴の捉え方や重みづけの違いなどを学びました。もちろん、学習をされている皆さんですので、大きな違いないのですが、微妙な違いにこそ、得るものが大きかったと思います。僕自身、こうした意見交換の場は初めてでしたので、大変勉強になりました。今後、こうした機会が増えると良いと思います。

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久村俊英さんの超能力を目撃してきました

2012年10月15日 | その他


  10月13日、長崎県川棚町にて久村俊英氏の超能力ショーを観て来ました。久村氏は「あんでるせん」という喫茶店を経営する傍ら、25年以上もお客さんに無料で超能力ショーを披露しているそうです。

  私が氏のことを知ったのは、今から20年近く前、医師であり気功師でもある矢山利彦氏の『気の人間学』を読んだ時でした。しかし、当時はインターネットも普及していない時代、場所や連絡先を突き止めようにも容易ではなく、そのまま記憶の中に埋もれていました。

  ところが、先日36式気功太極拳の暑気払いに参加させていただいた際、たまたま隣にいた気功インストラクターの女性と久村氏の話題になり、彼女が実際にショーを観たということを聞きました。ずっと忘れていたことが、ひょんなことで甦り、またお店の場所と連絡先も教えてもらうことができました。もちろん、私が忘れていただけですから、現在はネットで検索すれば簡単に見つけることができます。

  そこで今回たまたま九州へ行く用事があったため、少し足を伸ばして「あんでるせん」を訪問してきたというわけです。

  開店時間の11時に到着すると、店の前は既に予約のお客さんで一杯でした。正確には数えていませんが、30名位ではないかと思います。ご夫婦で営まれている普通の喫茶店ですので、まずは人数分のお客さんの食事を作り、片付けるだけで相当時間がかかります。実際にショーが始まったのは14時頃でした。しかし、そこから2時間、驚くべき世界を目の当たりにすることになったのです。

  僕は超能力に対して懐疑論者というわけではありませんが、かといって特別関心があったわけでもありません。しかし、ショーが始まり、いきなり1メートルも離れていないところで、お客さんの財布から出てきた千円札が宙に浮いたのを見せられれば、目の前で起きていることを認めざるをえませんでした。私もやってもらいましたが、久村氏が指先を頭頂部に近づけるとバチッと電気ショックのようなものが走りました。



  目撃した全てをご紹介することはできませんが、記憶を頼りに印象に残ったものを幾つか取り上げたいと思います。

・久村氏が先に並べたカード5枚の前に5人のお客さんがそれぞれ好きなカードを並べる。裏返すと、カードの模様が全て一致。

・お客さんが見えないようにテーブルの下で切ったカードの模様を全て当てる。

・お客さんから借りた10円玉が500円玉ほども大きくなったり、一瞬にして米粒ほどに小さくなったり。

・ペットボトルのコーラのラベルが一瞬にして、ボトルの内側に。

・あるお客さんがサイコロの目とそれが出る回数を指定する。他のお客さんがサイコロを振ると、指定した目が指定した回数だけ出る。

・ビール瓶を捻ると、瓶が飴のように捻じ曲がる。

・お客さんが見えないようにメモした友人の名前を漢字も含め正確に当てる。

・1枚だけ本物で、残りの51枚は白紙のトランプ。にもかかわらず、お客さんが指定した通りの札が出る。

・五寸釘がグニャグニャに。また、お客さんの掌の上にあるスプーンが見る間に曲がっていく。

・お客さんから借りた1万円札の間を私が出した50円玉が通り抜けていった。1万円札はもちろん破れていない。

・久村氏がお客さんから借りた500円玉を噛むと、500円玉がぼろぼろに。それをつなぎ合わせると一瞬にして元に戻った。

・チョコボールの箱を振ると、卵ほどもあるチョコボールがいくつも出てきた。

・ルービックキューブを2秒で完成させる。また、それをもう一つのランダムにシャッフルしたルービックキューブの配置を同じように6秒ほどで変えた。

・お客さんがメモに書いた生年月日および現在抱えている悩みを当てる。生年月日に至っては、5人のお客さんがランダムに電卓に打ち込んだ数字を+-し、出た数字が「39521」。お客さんの誕生日は1939年4月21日。外れたかと思うと、袋から取り出したメモには「下3桁の数字から1を引く」と書いてあった。現在抱えている悩みは即答で的中。お客さんは驚きのあまり涙ぐんでいた。




  久村氏の語り口は柔らかく、ユーモアに溢れ、会場は笑いが絶えませんでした。逆にそれは、私たちが思考も体も行動もいかに硬直しているかを教えてくれているようでもありました。30名もの観衆がすぐ近くで凝視する中、これだけのものを見せられると、むしろ自分が現実だと認識しているものこそが、自分の思考によって生み出した虚構ではないかと思わずにはいられません。手品だ、催眠術だと一蹴することもできるでしょうし、信じようと信じまいとどちらでも良いと思うのですが、久村氏は人間の持つ可能性やこの世界に生まれてきたことの素晴らしさを伝えようとしてくれているのではないかと感じました。

気の人間学
矢山 利彦
ビジネス社


あんでるせん(要予約)

長崎県東彼杵郡川棚町栄町2

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【ドキュメント】循環型社会の機先を制す~ものづくりを支える資源再生人【ナカノ株式会社】
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高島/宝当(ほうとう)神社

2012年10月15日 | 史跡めぐり


  風水師、山道帰一氏の『風水パワースポット紀行』に掲載されていた、佐賀県唐津市高島にある宝当神社に行ってきました。

 

  JR筑肥線唐津駅から徒歩10分程度、唐津城すぐ近くにある宝当桟橋から、「ニューたかしま」という定期便が1日6本出ています。そこから高島までは10分ほどです。



  上述の『風水パワースポット紀行』によれば、高島は「折脚文星」という龍穴格局(パワースポットを形成する地形構造)で、かつ冒頭の写真を見て分かるとおり、山頂が丸くなっているに当たる吉地形だそうです。「折脚文星」には、「社会的に高い地位を得られる試験に及第し、たとえ身分の向上が無くとも、降格も無く安定し、税を重く課せられない安全が得られる」という意味があるのだとか。

  上の航空写真(Google mapより)で印のある位置が宝当神社ですが、明治時代より「当島の寶」ということで寶当神社と呼ばれていたものを、この名前に因み、平成5年(1993年)、島民が町興しのために「宝当袋」(今でも神社近くの土産物屋に売っています)という黄色い袋を発売したところ、宝くじに当選したというご利益が続々と集まり、その噂が全国に広まって、一躍有名になったのだそうです。



  さて、その宝当神社は、船を降りて5分と歩かないところにあります。ずっと案内が出ているので、すぐに分かると思います。

  ここは野崎隠岐守綱吉を祭神としています。野崎綱吉(以下、綱吉)は元々信州諏訪(長野県)の生まれ。それがどういうわけか豊後(大分県)の大友義鎮に仕官し活躍しました。主君の大友義鎮は肥前草野(佐賀県)の草野鎮永に迎えられ、ここでも綱吉は当時九州三強の一翼であった龍造寺隆信の軍勢を撃退するなどの活躍をみせましたが、これを妬んだ草野家家臣に追われ、この高島に逃れてきました。そのわずか3ヵ月後、草野城は再び龍造寺に攻められ落城しました。



  当時、高島の島民は筑前吉井(福岡県)の海賊、火山神九郎に苦しめられていました。ある時、吉井荊娯という海賊が神九郎の手下三十余名と共に高島を襲撃してきました。それを聞きつけた綱吉は海賊を相手にたった一人で奮戦、賊は次々と倒れ、生き残った者わずか5名だったということです。これ以降、海賊は綱吉を恐れ、襲ってくることはありませんでした。

  しかし、綱吉は1586年(天正13年)、わずか32歳で病死。その死を悼んだ島民は綱吉のために祠を建てました。余談ですが、現在でも島民の90%が野崎姓なのだそうです。そのことからも、綱吉がいかに島民に慕われていたかが分かります。その後、1901年(明治34年)に鳥居が奉納され、「寶当神社」と呼ばれるようになりました。



  現在の石の祠は1768年(明和5年)に建てられたものですが、この下に綱吉が埋葬されているとされています。



  宝当神社の裏は、山へと続く登山道へと通じています。非常にのどかで、肩が軽くなるような雰囲気です。見える鳥居は、高島の氏神を祭る塩屋神社です。



  塩屋神社は1581年(天正9年)に綱吉が先祖を祀るため、島民と共に建立したものです。本当に祖先かどうかは別として、藤原鎌足、不比等、魚名(不比等の子)、産土神(うぶすながみ:土地または先祖の発祥地の守護神)として大山祗神(おおやまつみのかみ)を祀っています。須佐舘男尊(すさのおのみこと)、菅原道真も合祀しています。



  急な登山道を登っていくと、標高約170mの山頂付近に石仏があります。高島では、石仏は「おだい様」と呼ばれ、厚く信仰されているのだそうです。



  山頂付近より、唐津方面の眺望です。赤丸で囲った所が唐津城(クリックすると拡大します)です。海からの風が心地よく、清々しい気持ちになります。



  せっかく来たので、島の食堂でお昼を。こちらは、海鮮丼です。11時40分唐津発の船で到着し、13時20分の高島発の船にちょうど良い位でした。

風水パワースポット紀行
クリエーター情報なし
メディア総合研究所


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交渉戦略研修に参加しました

2012年10月11日 | 交渉アナリスト関係


  10月5日と6日の2日間、株式会社トランスエージェント主催の「交渉戦略研修」に参加してきました(本記事掲載の写真は「NPO法人日本交渉協会」提供によるものです)。



  講師はNPO法人日本交渉協会専務理事、名古屋市立大学大学院経済学研究科教授の奥村哲史先生。アメリカの大学院で使われているようなケースを使い、2日間に渡りロールプレイ方式でそこに含まれる交渉理論を学びました。



  簡単な自己紹介を済ませると、早速ケーススタディに入りました。午前と午後でビジネスシーンで最も一般的な取引型交渉を2つ行いました。お互いからどれだけ情報を聴き出すことができ、かつそれを双方にとってより良い成果のために活用できたかが交渉のポイントでした。一見自分にとって不利と思われる情報も、交渉次第で有利な情報として利用しうるということ、そうした可能性をお互いがどれだけ引き出すことができるかが、大切であるということを学びました。それなりにやれたと思っていたのですが、解説を聞いて、まだまだ可能性があったと思いました。

  また、お互いが最も重要と考えている交渉のポイントをトレードすることにより交渉の可能性を大きく広げることができるということも学びました。しかしながら、多くの交渉者は既定の枠組みにとらわれ、相手から有効な情報を得るために率直な質問をしていませんでした。これは、初めから交渉のパイの大きさは決まっており、それをどう奪い合うかに過ぎないという思い込み、相手の提示条件に引きずられてしまうなど、可能性の掘り起こしを妨げる様々な認知バイアスが働いてしまうためです。さらに、パイを大きくした後もさらにそれを分配する「奪い合い」は厳然として存在する、この点が意外と盲点だと感じました。



  2日目は、紛争解決交渉と三者間による提携や同盟のための交渉についてケーススタディを行いました。さらに、ある映像から、そこにどのような認知バイアスが隠れていたかについて議論しました。

  この日は利害だけでなく、構造的な問題、さらには感情が絡むという点が昨日とは違ったところでした。しかし、ここでもやはり互いの要求をぶつけ合いながら、埋もれている可能性を掘り起こし解決に結び付けていくことができるかが大切だと感じました。また、逆にこの日のようなケースでは、第三者的立場をとれる人の役割が非常に重要となるということを学びました。

  また、利害関係がはっきりしており、互いの力関係は不均衡、それでいて相互依存関係にあるケースでの交渉では、実際の国際社会でも見られるように、客観的な力関係に勝る者が常に交渉でも有利とは限らず、場合によっては誰も望まない「囚人のディレンマ」ゲームのような結果を生むこともさえあり得るということを体験しました。

  そして、今回の研修の最後に、ある交渉事例の映像を観て、そこにどんな認知的バイアスが隠れていたかについて議論しました。認知的バイアスの厄介なところは、それが無意識に働き判断に影響するという点です。こうして結果論として色々指摘することはできるかもしれませんが、いざ当事者となった場合、どれだけ自分の判断や行動にバイアスがかかっていないかを見極めることができるか、非常に難しいところだと思いました。

【今回のおすすめ書籍】

マネジャーのための交渉の認知心理学―戦略的思考の処方箋
クリエーター情報なし
白桃書房


「話し合い」の技術―交渉と紛争解決のデザイン
クリエーター情報なし
白桃書房


影響力のマネジメント
クリエーター情報なし
東洋経済新報社


交渉の達人
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社


信頼の構造: こころと社会の進化ゲーム
クリエーター情報なし
東京大学出版会


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第26回YMSを開催しました

2012年10月11日 | YMS情報


  10月10日、横浜市開港記念会館にて、第26回YMSを開催しました。

  今回の講師はデザイナーの高橋正実さん。東京都墨田区生まれ、墨田区育ちの先生は、墨田区のイメージキャラクターや東京スカイツリーのエレベーター、成田空港の壁画など数々のデザインを手掛けておられますが、その特徴は「モノ」だけでなく、社会の未来像やライフスタイルなど「コト」にも踏み込み、デザインによって企業や地域が活性化することを一貫した信条として目指しておられるという点です。



  実は、当社商品「特殊紡績手袋 よみがえり Mariage」の新パッケージも先生にデザインしていただいたものですが、パッケージそのものより、その背後にある伝えたいメッセージに打合せのほとんどを費やした記憶があります。

  というわけで、今回のテーマは「東京スカイツリーエレベーターデザイン-地域の歴史を未来へ繋ぐデザイン-ものづくりを創造する」、スカイツリーに限らず、過去と未来を繋ぎ、新しい世界を創造するというデザインの果たす役割についてお話しいただきました。



  まずは成田空港第一ターミナルの南北ウィングを繋ぐ、金銀の金魚の壁画と葛飾北斎の浮世絵をコラージュした壁画。上の写真は僕が成田空港で撮影したものですが、ご覧のとおり壁面一杯に広がる、大規模なものです。金魚は先生が若いころにデザインされたものということです。また、94歳まで生きた北斎が残した、江戸庶民の生活を伝える膨大な記録ともいえる浮世絵のコラージュは、東京ひいては日本を世界にPRする絶好の材料であるということで、取り入れたものだそうです。因みに、葛飾北斎は墨田区本所の絵師でした。

  現在は過去の歴史の蓄積と、人が想像力によって補う未来の両方の影響の下で成り立っています。伝統文化が伝える技術、モノづくり、素材を大切にする習慣、美意識などは、国内外を問わず現代社会が抱える問題の解決に様々なヒントを与えてくれる可能性を秘めています。デザインとはその手段であり、必ずしも個人的なものに限定されるものではないということでした。

  高橋先生は、中小の製造業がひしめく墨田区で育ち、幼いころから工場に出入りしては、「あんなものがあったら面白い、この技術でこんなことはできないかな」と大人たちと会話して楽しんでいたそうです。工場ブームの火付け役ともなった先生の御著書、『工場へ行こう!!』(美術出版社)には、そんな先生の思いを反映した、ユニークなアイデアと技術を持つ中小の工場が数多く紹介されています。



  そんな先生の価値観が、上のラーメンフォークにも表れていました。こちらは、名古屋のラーメン屋「寿ガキヤ」さんのためにデザインされた、麺とスープが同時に楽しめるフォークです。個人的には何となく名古屋らしさを感じるのですが、単に実用的であるというだけでなく、地域を盛り上げるグッズとして話題となり、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のグッズとしても販売されているそうです。

  昨年オープンした、墨田区にある東京スカイツリーのエレベータデザインにも、「過去と未来の融合の結果としてデザインされた現在」が一貫して表現されています。まさに現代技術の粋であるスカイツリーに設置された、4基のエレベーターの内装は春夏秋冬をテーマとし、それぞれ花見、花火、牛島神社の祭(鳳凰)、雪見で表現されています。そこには、日本の伝統技術が如何なく発揮されており、例えば銀色をした雪見のエレベーターは、押絵羽子板の技術で作られた雲を銀箔を施した背景の上にはめ込み、その上を鋳物で作られた都鳥(在原業平がこの地で詠んだ「名にし負はば いざ言問はむ都鳥 わが思ふひとは ありやなしやと」の歌に因んでいます)がスカイツリーに向かって羽ばたいているという絵となっています。



  最後に、特に心に残ったお話をひとつ。先生によると、過去の歴史の蓄積は、木に例えれば、地下に張った根のようなものだそうです。地上に生い茂る木は、根がいかに強く、大きく張っているかに依存する、つまり未来をどれだけ素晴らしいものにできるかは、過去の蓄積をいかに未来に繋げられるかにかかっているというのです。結局の所、現在とはその営みの中で私たちが創造した結果に過ぎません。言い換えれば、現在とは私たちが表現した結果なのであり、その責は私たち自身にあるという自覚こそ、より良い未来を創造する原動力になるのではないでしょうか。



  終了後の懇親会ですが、今回参加された皆さんは、それぞれにインスピレーションを得られたようで、大変盛り上がりました。この得た気づきが皆さんそれぞれの仕事に、生活に反映されることによって、より良い未来が創造されるのではないかと思います。

工場へ行こう!!―デザインを広げる特殊印刷の現場
クリエーター情報なし
美術出版社


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2012 Xリーグ 1stステージ オービックvs オール三菱

2012年10月08日 | スポーツ観戦記


  10月7日、川崎球場に、アメリカン・フットボールXリーグ、オービック・シーガルズvsオール三菱ライオンズの試合を観に行ってきました。昨年、2ndステージの同カードを観戦しましたが、その時は49vs0でオービックの圧勝でした。



  その記憶もあり、今回も大差の試合になるのではと思ってはいたのですが、第一クォーター2分50秒、古谷選手のタッチダウン+金親選手のトライでオービックが先制。



  5分23秒には菅原選手から木下選手へのパスが通り、金親選手のトライも決まって14vs0。オール三菱はこの試合を通じてファーストダウン獲得が7回(オービックは17回)、内ランによるものはゼロとオービックの堅いディフェンスに阻まれ、何もさせてもらえなかった印象があります。



  第二クォーターも6分14秒に中西選手がタッチダウン+金親選手のトライで21vs0。



  11分46秒には菅原選手から萩原選手へ24ヤードのパスが通り、タッチダウン。トライは失敗しましたが、これで27vs0。



  第三クォーターは何とキックオフリターンで清水選手が90ヤードを走り切りタッチダウン。34vs0。去年と同じようなロングゲインをまた観てしまいました。ただ、第三クォーターの得点はこれだけであり、その点ではオール三菱のディフェンスも善戦したといえます。



  オール三菱が攻撃の時は10ヤードが非常に遠く感じるのですが、オービックはいとも簡単にファーストダウンを獲ってきます。結果的にはファーストダウンを獲れませんでしたが、罰退などで残り28ヤードというような時でもあっという間に数ヤードのところまで詰めてきた場面もありました。



  第四クォーターもオービックが加点し41vs0。今回も完封かと思われましたが、11分25秒にようやくパスが通るようになり、敵陣深く攻め込んだオール三菱が祖父江選手のタッチダウンで反撃。



  ところが、その後ツーポイントコンバージョンを狙ったオール三菱の選手が、ボールをファンブル。それをオービックの池沢選手がリターンしてオール三菱側のエンドゾーンまで走り切り、逆にオービックに2点が追加されてしまいました。僕にとっては初めて観たプレーで、驚きました。



  結局、43vs6でオービックの圧勝。観戦には行けませんが、次の試合はライバル富士通との大一番を迎えます。

  最後に。アメフトはやはりサイドから観たいです。

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