窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

姫路城3

2008年07月31日 | 史跡めぐり
後で分かったことですが京都で37.5度を記録したこの日、正午をまわり朝ろくに食べずに横浜を出てきたこともあって少々疲れてきました。本丸から二の丸を出るまでに巡ったところをご紹介していきます。

5.帯郭櫓(腹切丸)



 南側の堀を渡ってくる敵を攻撃するための櫓です。曲輪内の井戸や櫓の内部が切腹をする場を連想させることから俗称腹切丸と呼ばれています。勿論こんな場所で切腹が行なわれたはずもなく、あくまで俗称です。



6.お菊井戸



怪談話『播州皿屋敷』のヒロインであるお菊が責め殺され投げ込まれたと伝えられる井戸です。もちろんこれは作り話で、『播州皿屋敷』自体、姫路城の第9代城主小寺則職と家臣青山鉄山の対立を元に作られたものと言われています。

7.るの門



孔門または埋門と呼ばれる門で、菱の門から右側に天守に向かう途中の道からそれたところに隠れるように作られており、抜け道ではないかといわれています。有事にはここを埋めて塞ぐと考えられたことから埋門(うずみもん)とも呼ばれています。姫路城独特のものです。

8.西の丸長局(百間廊下)



菱の門から入ってすぐ左側を登っていくと二の丸です。徳川秀忠の娘でもともと豊臣秀頼に嫁ぎ、大阪夏の陣の後、姫路城4代目城主となる本多忠政の長男本多忠刻に嫁いだ千姫に仕えた侍女たちが居たところで、その名の通り大変長い建物です。



 内部は3階にわたり延々と廊下、片側に六畳間位の部屋がいくつも並んでいます。ただ侍女が住むだけならばこのような漆喰の頑丈な建物である必要はないはずですが、これは元々実戦を想定しての渡櫓だったのからではないかと思います。というのは、ここからわずかの距離には男山があり姫路城を攻略する際にはまずこの男山が戦略上重要拠点となったであろうと考えられるからです。

9.化粧櫓



西の丸長局の一番右端は櫓になっており、ここだけが座敷になっています。千姫は男子に恵まれなかった上、夫の忠刻も病気がちだったため()、ここから男山にある男山八幡神社を拝み男子誕生と夫の快癒を祈ったと言われています。しかし、その甲斐も空しく結局忠刻は31歳で急逝、本多家は弟が跡を継ぐことになりました。

このとき千姫が休息所としたのがこの櫓で、化粧櫓と呼ばれていました。これは千姫が本多忠刻に嫁いだ際、徳川秀忠が与えた化粧料10万石でこの櫓を建てたからだと言われています。

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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姫路城2

2008年07月29日 | 史跡めぐり
3.備前丸

ようやく大天守を真上に見上げる備前丸に到着。この備前丸には明治15年まで現在の姫路城を築城した池田輝政が実際に居住していた御殿があったそうですが、火災で焼けてしまい現在は何も残っていません。ここまでくると大天守の圧倒的な威圧感が感じられます。因みに豊臣秀吉の築城した大阪城天守閣は恐らく姫路城ぐらいの大きさであっただろうと言われています。秀吉時代の築城技術では全て漆喰の白壁というわけにはいかず、この位の大きさが限界であったようです。



大天守は外観5層、地下1階、地上6階となっており、高さはおよそ48m。千鳥破風や唐破風を多用した非常に美しい城で、その美しさから別名白鷺(はくろ)城と呼ばれています。

4.大天守内部

大天守は内部を見て推察するに、安土城のように居住を目的としては作られておらず籠城の場合に使用するところだったように思われます。というわけで内部は実に薄暗く、殺風景です。天守閣地階から5階までを貫く東西の大通し柱が上手く撮影できずここに載せられないのが残念ですが、大天守内部の様子を簡単にご紹介していきます。



 上の写真は大天守地階にある「流し」です。その名のとおり、籠城の際の炊事のために設けられたものです。因みに姫路城が作られたのは関が原の戦いが行なわれた直後の1601年であり、衰退したとはいえ当時はまだ大阪に豊臣氏が勢力を保っていたため極めて実戦的につくられた城ではありますが、結果的に姫路城が実際の戦闘で使用されることはありませんでした。



 したがって内部の壁は火縄銃や槍、弾薬袋などを掛けられるようになっており、大天守が籠城時の文字通り最後の砦であったことを窺がわせます。



 上の写真は「武者隠し」と呼ばれていて、ここに身を隠し攻めあがってきた敵を攻撃するのだと言われていますが、本当のところは疑わしく思います。こんなところに身を隠したところでその効果は知れており、むしろ打って出た方がましですし、そもそも籠城もここまで敵に突破されるのであったら、守備側もほとんど抵抗できる状態にはないでしょう。



 大天守最上階の望楼からの眺めです。姫路城が築城された頃までの天守は望楼型天守といい、天守の最上階に望楼と呼ばれる独立した櫓をのせています。大天守内には姫路城の構造を再現した模型がありますが、これを見ると最上階の望楼だけが階下の天守とは独立しているのが分かります。

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姫路城1

2008年07月28日 | 史跡めぐり


 7月19日、30年来の宿願だった姫路城をついに訪れました。長年何かのついでに訪れようと思いつつ、なかなか神戸以西に行く機会に恵まれませんでした(九州になると飛行機になってしまいます)。というわけでこの三連休の旅行は姫路城が最大の目的だったのです。暑い季節に姫山を登るわけですからある程度覚悟はしていましたが、想像以上に大変でした。僕の趣味に付き合わされた家族には申し訳ないことをしたかな、と思います。

1.菱の門

二の丸の入口にある、安土桃山時代の建築様式を残した非常に美しい櫓門です。時代劇でもしばしば登場するのでご存知の方も多いのではないかと思います。



 冒頭の姫路城天守の写真はこの菱の門をくぐり、二の丸に入ったところから撮影したものですが、ご覧のとおり既に天守はすぐ近くに見えます。ところが、姫路城はここから大天守にたどり着くまでの通路が実に迷路のように入り組んでおり、いくつもの門を潜り抜けなければなりません。インドのアグラ・フォートもそうでしたが、姫路城は外観の壮麗さとは裏腹に実戦を想定して造られているため構造が非常に複雑です。曲がりくねった通路は門と塀に囲まれ、塀には無数の狭間があり、攻め込んだら四方八方から狙い撃ちでしょう。実際、銃眼の一つを覗いてみましたが、ちょうど門の入口を直線で結ぶようにできており矢でも火縄銃でもここから撃てば特に狙いを定めることなく門を突破する敵を攻撃することができるようになっていました。



2.乾小天守



 姫路城といえば大天守と東・西・乾3つの小天守を渡櫓で結んだ環立式の縄張りが愛媛の松山城などと並んで有名です。その3つの小天守うち最も大きい乾小天守の真下まで来ました。小天守といっても外観3層、地下1階、地上3階と全国にある江戸時代初期に建てられた多くの天守並みの大きさです。

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D'Uva Tintilia 2004

2008年07月26日 | ワイン・日本酒・ビール
目黒にあるイタリアンレストラン、「トラットリア・デッラ・ランテルナ・マジカ」で出会ったワインです。それほど高くないのですが、料理との相性が抜群で非常に印象に残るワインでした。

 たまたま僕がいつもワインを購入するお店でこの「デューヴァ ティンティリア 2004年」を偶然発見、迷わず購入しました。しかし開栓して最初の印象は何か違う...。あの時のインパクトが感じられない。これは料理との相性のせいではないかと思い翌日トマトのスパゲティーに合わせ改めて飲んでみると、これです、やはり素晴らしく美味しい。

 非常に濃密でベリーの香り、コーヒーを感じさせるので樽由来のものかと思っていましたが、実際はこのワイン、樽ではなくタンク熟成なのだそうです。ぶどう品種はティンティリアといい、18世紀の終わりごろスペインからもたらされたと言われています。僕の好きな南イタリアモーリゼ州のワイン、生産者のデューヴァさんの「デューヴァ」というのはイタリア語で何と「ぶどう」という意味なのだとか。おすすめのワインです。3,000円

*トラットリア・デッラ・ランテルナ・マジカもおすすめです。
http://www.lanternamagica.jp/

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Katnook Estate Shiraz 2004

2008年07月25日 | ワイン・日本酒・ビール
 毎週木曜日にTVK(テレビ神奈川)で放映されている『世界銘酒紀行』でオーストラリアワインが取り上げられていて、久しぶりにシラーズを飲んでみたくなりました。

 こちらはサウス・オーストラリア州クワナラの「カトヌック・エステート シラーズ 2004年」。クワナラはテロッサ(赤い大地)と呼ばれる石灰質に鉄分を多く含んだ水はけの良い粘土質の土壌で、気候もブドウ栽培に適した土地なのだそうです。フルボディでカシスの甘みとスパイシーさがあり、個人的には好きなタイプのワインです。2,800円 

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ファミリー・タイズ DVD

2008年07月11日 | レビュー(本・映画等)
 確か中2の夏休みではなかったかと記憶していますが、当時毎日楽しみにしており、またそれ以降ずっとDVD化を待望していた「ファミリータイズ」が6月22日ついに発売されました。

 言わずと知れた「バック・トゥー・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの出世作、今回発売されたのはシーズン4の23作です。吹き替えは22年前そのままに懐かしい宮川一郎太のアレックス、やっぱりマイケルの吹き替えは彼をおいてないと思います。

 ただ吹き替えは20年以上前のものなので、その時代を憶えていない人にはちょっとピンと来ない台詞や死語も沢山でてきます。ですから吹き替えに違和感を覚える場合は字幕版か英語そのままで観るのも良いと思います。

 最近本当に笑えるコメディーがめっきり少なくなりましたが、ファミリー・タイズの絶妙の間の取り方はやはり素晴らしい、今後続編やシーズン1からの発売が期待されます。

ファミリー・タイズ 赤ちゃんにジェラシー編

パラマウント ホーム エンタテインメント ジャパン

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クルタレ-朝鮮の宮廷菓子

2008年07月08日 | 食べ歩きデータベース
お土産として定番に近いくらい有名なものらしいのですが、僕は初めて知りました。たまたま釜山で参鶏湯を食べていたとき窓の外の屋台で何やらデモンストレーションをしているのが見えたので、帰りに立ち寄ってみました。



  クルタレは漢字で「蜜束」と書き、固い蜂蜜の塊をトウモロコシの粉の中で引き伸ばし、手延べの麺をつくるのと同じ要領で次第に細長くしてゆきます。最終的に16,384本(つまり14回繰り返し引き延ばす)の絹糸の束のようになり、それを外皮にして中の餡としてゴマ、ピーナッツ、アーモンドなどの粉を詰めて繭のように丸めれば出来上がりです。その昔もピーナッツやアーモンドを使っていたかどうかはさておき、元々朝鮮王に献上された宮廷菓子だったそうです。



  外皮はトウモロコシの粉と混ぜ合わされているのでベタベタせずむしろサクッとした食感なのですが、口の中で次第に溶けてくると蜂蜜であることが実感できます。雷おこしが苦手という方にはお勧めできませんが、僕にとっては相性が良かったようで、冷やしたほうが美味しいと言われていたにもかかわらずあっという間に一箱食べてしまいました。一箱10個入で確か300円位だったと記憶しています。

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カンボジア・カルチャー・ヴィレッジ

2008年07月08日 | 海外での出来事
 最後に帰りの飛行機までまだ時間があったので、シェリム・アップの「カンボジア・カルチャー・ヴィレッジ」に立ち寄りました。文化村というよりはカンボジアの歴史や生活を題材にしたテーマパークのような所です。

  ちょうどわれわれが訪れた時間帯は少数民族や昔の習俗を題材にした参加型結婚式ショーが行われている時で、そのうちの「クメール王女の結婚式」に飛び入り参加することになりました。

  ストーリーは至ってありがちなもので、アーサー王やオデッセウスの伝説を思い浮かべていただくと分かりやすいと思うのですが、まずクメールの王様が金色の強弓を持ち上げた者に娘を与えると宣言します。そこで国中の力自慢が、自らの得意技を披露した後、台座に置いてある弓を持ち上げることに挑戦するのですが、悉く失敗してしまいます。

 業を煮やした王様が観客席に向かって「誰か弓を持ち上げられる者は居らんのか」と叫び、家来が観客席から希望者を募ります。そこで僕が観客席から立候補し、ショーに参加することになりました。



 その場にいた豪の者たちが僕の体をあちこちと触って「本当にこんな奴に持ち上げられるのかい?」と馬鹿にして、まずは力比べになります。



  当然お約束なのでこの勝負に僕が勝ち、弓を持ち上げる挑戦権を得ます。



  弓はいとも簡単に持ち上がり、



  晴れて王様の娘と結婚する権利を得ることができました。



  僕が王宮の中で着替えさせられている間、外ではお祝いの儀式が行われていたようです。



  そして半分裸のような格好で着替えさせられた僕と王女様が登場。あとで聞いた話ですが、顔が相当引きつっていたそうです。



  最後は観客席の前に進み出てお祝いの踊り。一緒に旅をした仲間をはじめ、現地の人たちにも喜んでもらえたので、恥ずかしいことは恥ずかしかったのですが旅の良い思い出になりました。



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バヨン寺院

2008年07月08日 | 史跡めぐり
バヨン寺院は12世紀後半にジャヤーヴァルマン7世によって建設された城塞都市「アンコール・トム」の中心に位置するヒンドゥー教と仏教の混交寺院です。バヨンとは「美しい塔」(バ=美しい、ヨン=塔)という意味です。タ・プロームと同様、四面に人面像を施した塔が50近くもあり、外見よりかなり奥行きのある寺院です。



 日も暮れかけ、一日歩き回ってかなり疲れていたのですが、ここもまたかなり急な石段を登らなければなりませんでした。写真の人面像は117個あるという像の中で最も美しいとされ、カンボジアの200リエル紙幣にこの人面像が描かれています。



  第二回廊にはアンコール・ワットと同様にレリーフが描かれていますが、ここのはトンレサップ湖でのチャンパ(現在のベトナム)との戦いの様子や、市場、漁、狩りの様子など当時の生活・文化をうかがい知ることができるもので、馴染みのない神話を描いたものよりはリアリティがあって興味深いものです。褌の風習があり耳の長いクメール人、髭を蓄えた中国の商人、長髪を束ねたチャンパ人など習俗の細かい部分まで、また食べ物を盗む者や商談をしているもの、酔っ払いなど躍動感をもって描かれています。当時のトンレサップ湖に鰐まで描かれているのには驚きました。



  そのトンレサップ湖には翌日行ったのですが、雨季になると東南アジア最大といわれる巨大な湖が出現するそうで写真の背景に見える草原は全て湖と化してしまいます。トンレサップというのはトンレ=川、サップ=大きな湖という意味です。乾季に2,700平方キロメートルしかない湖が雨季には16,000平方キロメートルと実に6倍にもなります。この湖はあの巨大なメコン川に通じており、レリーフに描かれたチャンパ人はそんな時に川を遡って攻め込んできたのだろうと想像できます。

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アンコール・ワット

2008年07月07日 | 史跡めぐり


さて昼食を済ませ、いよいよ知る人ぞ知るアンコール・ワットにやってきました。アンコール・ワットというと上の写真のような池(または濠)に映った姿が有名だと思うのですが、この池実は大して大きくない水溜りといってもいいような大きさで、そこに映る祠堂ははるか遠くにあり、その規模たるや想像をはるかに超えるものでした。伽藍全体では東西1.5km、南北1.3km、外堀は幅が200mもあります。



 アンコール・ワットとは「王都の寺院」(アンコール=王都、ワット=寺院)という意味で、12世紀前半にクメール王国のスリーヤヴァルマン2世によって30年以上の歳月をかけて建てられたヒンドゥー教寺院です。一部彫刻が途中で終わっているところも見られるので、恐らく未完成の建築と思われます。

 1431年にアンコールが放棄された後、長く忘れ去られていましたが16世紀の終わりごろ仏教寺院に改修され現在に至っています。最近世界遺産に対する落書きが話題になりましたが、実はアンコール・ワットの中央祠堂には1632年にここを訪れた森本右近太夫一房という日本人の落書きが残っていて、後から書かれた落書きによってほとんど見えなくなっていますが現在でも辛うじて読むことができます。

 第一回廊の壁面にはスリーヤヴァルマン2世の功績や天国と地獄の様子、乳海攪拌の様子を描いたレリーフがびっしりと彫られています。



 回廊は第三回廊まであり、最後の祠堂は現在修復工事中で登ることができませんでしたが、すでにここまでで相当急な石段を登ってきており、それなりに体力がないとアンコール・ワットを見て回るのはかなり辛いと思います。



 最後はいつものお約束でアンコール・ワットをつまみ写真を撮りました。

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