先日このブログでも
ご紹介しました、地元野菜の直売所「驛テラス」は毎週火曜日11:00-14:00、17:00-19:00に開催しています。今日、その驛テラスにお邪魔してきました。
いつもの癖か関内で下車してしまい、慌てての訪問となりましたが...
地元の新鮮な野菜を販売するコンセプトの驛テラスですが、昨日午前中に降った雪の影響で随分ご苦労されたようです。それでも棚には市内農家のほうれん草、ブロッコリー、キウイ、夏みかん(マーマレード用)、にんじん、アイスプラント、玉ねぎ、じゃがいも、大根、いちご、水菜、泥ネギなどが所狭しと並んでいました。
アイスプラントというのは、最近テレビなどでも取り上げられるようになった野菜ですが、肉厚の葉物野菜で、表面に塩嚢という地中から吸収した塩分を隔離する細胞がたくさんついています。それがまるで葉に霜がついたように見えることからアイスプラントと呼ばれているらしいです。この塩嚢によって食べると薄い塩のような味がするということなので、今度ぜひ試してみようと思います。
そして、こちらは既に予約済みの野菜。固定ファンも多いようです。
ありました!先日ご紹介した、岡崎社長の「
横浜・馬車道ハイカラ野菜」ですね。植物の生育に最適な色のLED照明を照射することで効率よく栄養価の高い野菜が栽培できるそうです。僕もミニトマトをひとつ試食させていただきました。
驛テラスには、野菜のほか横浜産の加工食品も売られています。上の写真に見えるのは、
上島珈琲綱島工場の「横浜工場直送便」コーヒー、それからこれも以前ブログで
ご紹介したことのある山梨県道志村の水「はまっ子どうし」。
道志村と横浜は深いつながりがあります。というのも、横浜に引かれた日本初の近代水道の水源が道志村だったのです。そして今でも道志村には横浜の水源の一部を担っていただいています。道志村の水は、当時薪水の補給のために日本にやってきた外国船の間で、「赤道を越えても腐らないゴールデンウォーター」と高く評価されていました。
信州飯田、木下久昭農園さんのリンゴジャム(最前列右)の後ろは、
濱楽さんの「横浜かりん糖」です。
かりん糖の起源については唐菓子説、南蛮菓子説など諸説あるようですが、少なくとも明治の初めには今日のような形のかりん糖が横浜に存在していたようです。これは横浜に居留していた中国人の間で「麻花」と呼ばれる練った小麦粉を油で揚げたものが食べられていたこと、そして開国当初、横浜を通じて砂糖が入ってきていたことが関係しているようです。
明治初期において砂糖は日本の主要な輸入品目であり、明治3年(1870年)の統計によれば、横浜港の上位輸入品目は以下のようになっています。
1.米
2.綿糸
3.綿織物
4.砂糖
5.毛織物
何と、米が輸入品目のトップとは。今日ではちょっと考えにくいですね。因みに、当社の扱っているウエスは、昭和10年前後には日本の輸出品目の10位程度を占めていたそうです(詳しくは「
ウエスものがたり」をご覧ください。)。
左から、昭和12年(1937年)創業、横浜唯一の醤油メーカー、
横浜醤油さん、創業何と安政4年(1857年)、伝統的製法を守る
岩井の胡麻油さんです。この辺は
ヨコハマ・グッズ001の審査会でもお見かけした横浜ブランドばかりです。
さらにその隣が、日本初の国産トマトケチャップを復刻した「清水屋ケチャップ」です。ケチャップといえばトマトですが、トマトケチャップが一般化したのは比較的新しく、1876年にアメリカのハインツ社が普及させて以降のことだと言われています。実際、ケチャップは必ずしもトマトというわけではなく、僕がよく訪れるフィリピンでもバナナケチャップの方が一般的です(バナナなのにどういうわけか赤いですが)。
そして横浜の清水與助が初めて国産トマトケチャップに成功したのが明治36年(1903年)。ハインツが瓶詰めトマトケチャップを発売してから27年後のことでした。
こうしてみると、横浜の歴史も色々と感じられて楽しいです。考えてみれば西洋野菜のほとんどは横浜が発祥です。自分の生まれ育った横浜ですが、意外と知らない事が多いものです。
驛テラス
横浜市中区住吉町6-68-1横浜関内ビル横浜ビール1Fテラス
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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