更新が遅くなりましたが、去る6月16日、立教大学現代心理学部「対人関係の心理」講座のゲスト・スピーカーとして、筆跡心理学のお話をさせていただきました。一部変更を加えた箇所もありますが、内容としては3月にWBN(
早稲田ビジネスネット横浜稲門会)でお話させていただいたものとほぼ同じですので、そちらを参考にしていただければと思います。
約160名ほどの学生さんを前にお話しさせていただくのは、本業の方では珍しいことではないのですが、筆跡のお話では初めてです。僕はイラストレーターが少々大げさなところがあり、そのせいか持っているマイクが時々口から遠ざかってしまい、一部の学生さんから「声が聞き取りにくかった」とのご指摘をいただきました。ピンマイクにすれば良かったですね、今後の反省とさせていただきます。
さて講義終了後、学生の皆さんに提出していただいたレポートを拝見しました。今回は僕が診断をしたわけではなく、あくまで講義に対するレポートですが、一度にこれだけ沢山のフィードバックをいただける機会は滅多になく、大変貴重な経験となりました。日頃から筆跡診断は経験とフィードバックの蓄積が非常に重要だと思っていますので、本当に有難いことです。
レポートを拝読して、学生の皆さんの学問に向かう真摯な姿勢には素直に感心しました。診断結果を鵜呑みにして一喜一憂するのではなく、それを自分なりに多面的に解釈しようと試みる姿勢。疑問や批判的に考察を試みる姿勢。とりわけ、診断結果から過去の体験なども交えつつ、自分の性格を深く掘り下げて考察している学生さんが非常に多かったのは、僕にとって大変嬉しいことでした。何故なら筆跡診断の価値は、診断結果そのものより、そこから解釈を逞しくしてより深い自己理解、他者理解に繋げていくことにこそあると思っているからです。
ここで皆さんから頂いたご意見やご質問の一つ一つにお答えすることはできませんが、主だったものから講義でお話しし切れなかった内容について、いくつか補足したいと思います。
1.筆跡特徴について
今回は、皆さんに筆跡診断とはどのようなものかを感じていただくための入門編でしたので、70数種ある筆跡特徴の内わずか14個しかご紹介できませんでしたが、実際の診断では、字そのものの特徴の他、字の大きさ、字間、字の傾き、書き出しの位置、行のうねりや上昇・下降、余白、筆圧などの要素も考慮します。
2.人は多面性を持っている生き物ではないのか?
これは全くその通りです。最も注意しなければならないのは、個々の筆跡特徴を取り上げて「あなたは~な人だ」というように、その人を一面的に断じることです。書き手の文字に現れる個々の筆跡特徴は、少なくとも他の特徴と合わせて総合的に判断し、個々の特徴が書き手の中でどの程度の強さを占めているのかを推測しなければなりません。また、その文字を書いた時のコンテクストが分かるのであれば、それも考慮した方が良いでしょう。例えば「表情分析」でも「怒り」と「熟考」は同じ表情筋が動きます。それを「怒り」と捉えるか、「熟考」と捉えるかは、その表情が現れた時のコンテクストを考慮しなければなりません。これと同じことが筆跡診断にも言えます。そもそも、個々の筆跡特徴を表した文言も、あくまで代表的な傾向を述べているにすぎません。逆に言うと、そうしたことから個々の筆跡特徴とパーソナリティを関連付けようとした従来の研究は、軒並み「有意性が見られない」という結論になったのだと思います。
また、今回のようなわずか数文字ではなかなか現れにくいですが、実際には相反する特徴がどちらも現れるというのは珍しいことではありません(例えば「接筆開型」と「接筆閉型」が混在するというように)。こういう場合、現れる頻度からどちらが優勢かを判断します。
さらに言うと、外向的傾向と内向的傾向の特徴が混在することもしばしばです。こういう場合も現出する頻度や筆跡特徴を包括的に判断した結果から、どちらが外面の傾向でどちらが内面の傾向かなどを想像します。そうした面が、筆跡診断はバーナム効果を狙ったコールド・リーディングに過ぎないという批判が根強くあるところの一因なのかもしれません。
3.筆跡特徴の判断は主観的なものではないのか?
今回は特に筆跡診断に初めて触れた皆さんが、自分で書いた筆跡傾向の判断を自分で行ったので、やむを得ない部分はありました。あくまで筆跡診断に触れていただくということが主旨だったとご理解いただきたいと思います。実を言うと、拝見したレポートの筆跡が、講義の時に書いた数文字とは違う、あるいは取るべき程の特徴でないという方も結構いらっしゃいました。しかし、これは上記のような制約がある以上、起こり得ることです。
ただ、実際の場面でも、筆跡診断は診断者の主観であることに変わりはなく、診断する上で非常に気を遣う部分です。例えば、大抵の人は自分の文字を基準に考えるでしょうから、自分の文字より大きな字を書く人を「大字型」だと判断するでしょうし、小さければ「小字型」だと判断してしまうでしょう。しかし、他の人から見たら自分が「大字型」だと考える文字が「小字型」と判断されるかもしれません。こうした主観を修正していくためには、筆跡診断の経験とフィードバックの積み重ねが必要です。また、知っている人を診断する、対面で診断を行うような場合には、その人に対する印象などから来る先入観をいかに排除するかも重要な課題となります。
また、筆跡特徴も相対的なものです。例えば「我慢強い」といった時、それはどの程度のことを言うのか?世の中には拷問にも耐えられるほど我慢強い人もいれば、毎朝6時に起きるというだけで「自分は我慢強い」と思っている人もいるかもしれません。筆跡特徴はその性格傾向が強く出ているかどうかは分かりますが、その程度までを測ることはできないのです。そういう意味では、この点は筆跡診断の限界の一つです。それを補うために、自分の診断結果を自分を良く知る身近な人に見てもらい、フィードバックを得るというのも一つの方法でしょう。
4.筆跡で性格を変えられるのか?
「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」というフランスの哲学者アランの有名な言葉がありますが、自己暗示としての効果の他に、例えば字を大きくゆったりと書くと気持ちが落ち着くというような、その時の感情に働きかける効果はあるでしょう。それを長く継続して続けることにより、例えば激しやすい性格だったのが丸くなったとか言う効果は期待できるかもしれません。だからといって、例えば経済的に成功した人に多く見られる筆跡特徴を真似したから経済的に成功すると考えるのは飛躍のし過ぎだと僕は思っています。少し例が古いですが、王選手やイチロー選手の打法を真似たからといって誰もが王選手やイチロー選手になれるわけではないのと同じです。
実は160名を前にお話させていただいた僕ですが、本来人前に出るのも話すのも大の苦手で、筆跡には今でも内向的な性格が強く出ています。人前で話せるようになったのは、社会人になってからの訓練と経験によるもので、未だに本質的な部分は変わっていないと思っています。しかし、人前で話せるようになった自分も偽らざる自分なのです。このように、先天的な性格が変わっていなくても人は違った行動をとることが十分可能であるとすれば、筆跡が行動変容に影響を及ぼし、やがてはそれが性格の一部を形成する可能性も排除できません。
しかし、手書きをする機会が激減している昨今、自分を変えられるほど一定量の文字を継続的かつ期待する筆跡特徴で書き続けることは、意外と大変なのではないでしょうか?日記を書くというのも方法かもしれません。いずれにせよ、僕自身このテーマについて、より多くの実体験に出会ってみたいと思っています。
最後に。筆跡だけでなく、視覚障害の方が使う点字にも点跡と言って書き手の癖があるという事を初めて教えていただきました。これはアメリカで発行された筆跡心理学の本で読んだことですが、事故か何かで手を失い、口やつま先で字を書くことを覚えた何千人もの人たちを調査した結果、最後には手が使えていた頃と同じ、その人固有の筆跡で字を書くようになったそうです。つまり、どのような字を書くかを決めているのは脳であり、手や口やつま先ではないということです。なお、右利きか左利きかについても、筆跡診断では考慮しません。
長くなりましたが、結びにこのような機会を下さった先生と、忌憚ないフィードバックを下さった学生の皆様に心より御礼申し上げます。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした