窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

日本語の中の「ぼろ」

2007年12月27日 | リサイクル(しごと)の話
 先日取材を受けた「リサイクルデザイン」に掲載するため、「ぼろ」についての小話を頼まれました。そこで改めて「ぼろ」という言葉について考えてみたいと思います。

 業界内ではともかく、ひょっとすると「ぼろ」という言葉は元来の意味である古い服や布を指すものとしては最近使われなくなったかもしれません。しかし言うまでもなく「ぼろ」とは「ぼろぼろ」という擬音語から派生した言葉で、「古い服または布」という意味です。「ぼろ」には立派に漢字もあって中国語でいずれも「破れた服」を意味する「襤褸(らんる)」という字をあてます。ここから転じて日本語では①古いもの、②欠点、③価値のないものを意味する言葉として「ぼろ」という言葉がよく使われます。
例えば、

①おんぼろ…古いもの
②ぼろが出る…欠点が明るみに出ること
③ぼろ儲け…少ない元手で大きな利益を上げること

などです。同様に「残り物」や「価値のない物」を意味する言葉として「くず(屑)」、「ごみ(塵)」、「かす(粕)」なども使われます。
 ところが、この「ぼろ」という言葉は不思議なもので上にあげた「くず」や「ごみ」のように「価値のない物」を意味する場合には使われますが、「捨てる物」というニュアンスではほとんど使われません。例えば、「ごみ箱」や「くずかご」とは言いますが、「ぼろ箱」とは言いませんね。逆に「ぼろ」は「古い物」という意味にはよく使われますが、「くず」や「ごみ」などはそのような意味では使われません。「ぼろ車」(古い車)とは言いますが、「くず車」、「ごみ車」とは言いません。

 これは日本では伝統的に古い布や衣服が、布あるいは衣服としては古くなり価値のなくなったものであっても、捨てるのではなくてそれをまた雑巾にしたり、座布団にしたりしてまた使うということを前提にしていたからではないでしょうか。先ほどあげた「ぼろ車」や「ぼろ家」という意味も、確かに古い車であったり粗末な家であったりはするけれども、通常廃棄された車や家を意味するのではなく「まだ使用するもの」を指しています。捨てられた場合は「廃車」、「廃屋」と言いますね。

 このように「ぼろ」という日本語には前提として、今日でいう「リユース」のニュアンスが含まれているのだと思います。最近確かにあまり使われなくなった「ぼろ」という言葉、見直してみませんか?

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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スービック工場のX'mas Partyに出席しました

2007年12月23日 | リサイクル(しごと)の話
 12月22日、フィリピン・スービック工場のクリスマスパーティに参加しました。フィリピンはほとんどカトリックなのでクリスマスは1年で最も大切なイベントのひとつです。工場に限らずフィリピンはどこもクリスマスムード一色、どの教会でもクリスマス・ミサ(マス)をやっています。何でも12月半ば頃から約10日前後早朝に行われるミサを皆勤すると願い事がかなうのだそうです。

 今年は工場のスタッフが去年以上に工夫を凝らし、歌やダンスのコンテストで大いに盛り上がりました。元々彼らは陽気なのでこういうことをやらせると本当に上手だと思います。普段は見られない彼らの個性を見ることができ、日々の一体感を高める上でも大切にしたいイベントです。日本の繊維リサイクルが100人を超える彼らに日々支えられているだということに感謝したいと思います。

 明日日本へ帰ります。こちらは連日30度を超えているので帰国したらさぞ寒いことでしょう。

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リサイクルデザインの取材がありました

2007年12月18日 | リサイクル(しごと)の話
 今日は秦野工場にて横浜資源リサイクル事業協同組合(リサイクルデザイン)の広報紙『月刊リサイクルデザイン』の取材がありました。テーマは「衣類分別のポイント」。衣類リサイクルの大敵である濡れ・破れ・汚れの「3れ」は×、夏物衣料>冬物衣料という要点でお話ししました。『月刊リサイクルデザイン』は横浜市の一部地域において新聞折込にて配布されます。今日の記事(2月号)は2008年1月25日配布の予定です。

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中竹竜二監督

2007年12月16日 | 講演メモ
 12月15日23:00、NHK BS1『スポーツ大陸』は早稲田大学ラグビー蹴球部の特集でした。昨年から同ラグビー部の監督をしている中竹竜二監督と僕は年齢も同じで、同学年。勿論面識はありませんが、学生最後の96年シーズンの主将が中竹監督で、早明戦および大学選手権決勝での認定トライによる敗北は今でも忘れられません。

 その後書籍や雑誌等で監督の考え方や人柄に共感と尊敬の念を持っていましたが、昨年より清宮克幸前監督の後を引き継いで監督に就任されてから特に注目していました。とりわけ最初のシーズンであった昨年、同志社大学以来の大学選手権三連覇という大きな期待を背負った中で関東学院大学に決勝で敗れ、僕の知る限りネット上などでも随分と非難の声が聞かれていましたが、そんな中で敢えて反論するでも言い訳するでもなくほとんど沈黙しながらこの1年やってこられたのには同い年であるだけに一層敬服します。今日から大学選手権が始まりますが、頑張って欲しいと思います。

 中竹監督の「強いリーダーシップではなく強いフォロワーシップを持った組織が本当に強いのだ」という考えは全く賛成です。僕も「いるんだかいないんだか分からないけど組織が上手く回っている」と思ってもらえるようなリーダー像が理想だと考えてきました。しかし中竹監督が本当に立派だと思うのは、そういう組織を作るため、自ら考えられるフォロワーを作るための我慢が実際にできるリーダーであるということです。その点で僕などはまだ全く理想と対極にいます。結果を急ぐあまりあれこれ世話を焼きすぎる、より良い結果を生むため短期的な非効率にはもっと寛容にならなければと思います。

オールアウト―1996年度早稲田大学ラグビー蹴球部中竹組
時見 宗和
スキージャーナル

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放送日変更のお知らせ

2007年12月14日 | リサイクル(しごと)の話
 先日お知らせしたNHK総合『にっぽんの現場』ですが、放送日が下記のとおり変更となりました。

放送日:1月17日(木)23:00

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エコプロダクツ2007

2007年12月13日 | リサイクル(しごと)の話
 12月13日~15日東京ビッグサイトで行われている「エコプロダクツ2007」に出展しています。

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滴水会忘年会

2007年12月12日 | リサイクル(しごと)の話
 昨日11日は中華街にて中小企業金融公庫さんを通じて関係のある地元企業の主に後継者からなる会「滴水会」の忘年会に初めて参加させていただきました。業種は違っても中小企業は大抵似たような悩みを抱えていますから、比較的年齢も近い経営者(もしくは経営者候補)の皆さんと交流できるのは有意義なことだと思います。やはり皆さんお若いせいか(そういう僕は最年少の部類に属するのですが)熱い想いが迸っていて刺激になりました。

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シンガポールのバイヤー案内

2007年12月10日 | リサイクル(しごと)の話
 先週金曜に引き続き、今日はかれこれ14年取引関係があるシンガポールのバイヤーを秦野工場に案内。実は元々観光で来日しており今朝帰国する予定だったのを無理にお願いし工場まで来て頂いたのです。というわけで今朝8時半に成田のホテルまで迎えに行き、145km離れた秦野工場に案内。その後新橋で軽くMTGをし、再び成田まで送りにいくという強行軍でした。

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太陽の文明

2007年12月09日 | レビュー(本・映画等)
 『日本語の源流を求めて』を読んだのをきっかけに、PHP新書の『龍の文明・太陽の文明』を数年ぶりに読み返してみました。こちらは黄河文明とは異なる一大文明がかつて揚子江流域に存在しており、やがて中原の漢民族により滅ぼされたことにより一部が現在の中国雲南省方面に、また一部が海を渡って南九州や富山・新潟方面に離散していったという説です。中でもこのようにしてたどり着いた南九州や上越・下越の越人たちが大和王権のルーツではないかという説は一般に信じられている朝鮮半島からの渡来人による征服説よりも説得力があり実に興味深いことです。現在の富山から新潟にかけて越前・越中・越後と呼ばれていたのはその裏づけではないかとも思えますし、僕自身高校生の頃日本史を勉強していて継体天皇が何故福井から呼ばれ即位したのか腑に落ちませんでしたが、それもこの説が正しいとすれば頷けます。

 本書のあとがきでも述べられていることですが、一般に日本人は海外からの文化を抵抗なく受容し、その良い部分だけを消化して自国の文化に取り入れる能力を本質的に持っていると信じられていますが、歴史を辿ってみると実際はそのような呑気な話ではなく、古くは隣接する華夷秩序から、近くは列強の帝国主義秩序からと常に強大な軍事的・文化的圧力の中で自国のアイデンティティを喪失しなねない危機感の中で外からの先進文化の摂取に努めてきたという、非常に緊張感を伴った営みであったことが分かります。しかしそれが可能であったのは日本人に「海外文化の良いとこどりをして自国文化に取り入れる」本質的な能力があったからというよりもたまたま周囲を海で守られ、民族の存立を脅かすような規模での異文化の流入を防ぐことができたから地理的要因にあったからと考えるほうが妥当です。したがって、もしこの危機感がないとすれば日本人に残るのは海外からの文化を何の抵抗もなく受容するという性質だけであって、それを今後もまた自分のいいように血肉化して独自性を保持できるであろうと考えるのは少々楽観に過ぎると思います。現在、特にインターネットの普及と期を同じくしてグローバリズムの名の下、文化の同質化の流れが顕著になりつつあります。そうした時に果たして現在のわれわれが通念として信じているとおり本当に海外から入ってくる文化を自身の存立に照らして取捨選択し血肉化する努力をしているであろうか、再考のときであると言えるでしょう。

龍の文明・太陽の文明
安田 喜憲
PHP研究所

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タミル人と日本人のつながり

2007年12月07日 | レビュー(本・映画等)
 今日インドのお客さんと初めて会う予定になっていたので、何か話題の一つにでもと思い、岩波新書の『日本語の源流を求めて』という本を買って読みました。そこには古日本語と南インドからスリランカにかけて分布するタミル語との驚くべき類似性と、言語学的アプローチに最近の考古学の成果を補完して水稲耕作や鉄器の最初の伝播、つまり弥生時代の始まりが従来の定説であった朝鮮半島や揚子江下流域からではなく南インドからであったとする大胆な仮説が述べられており、大変興味深いものでした。

 日本史を考えるとき、とかく世界の動きと切り離し地理的に限定された日本という範囲だけでとらえがちですが、日本史は「鎖国」と呼ばれた時代も含めて複数の文化が混ざり合いながら形成されていったと考える方がむしろ自然なのです。インド洋を広く移動したマレー人や太平洋のポリネシア人、彼らの航海能力を考えればたとえ縄文時代であっても文化の窓口が地理的に近い朝鮮半島や揚子江下流域に限定されるとは言えないのではないでしょうか。これとはまた別のアプローチですが、数年前に読んだ『龍の文明、太陽の文明』という本もなかなか興味深いものでした。こちらもいずれご紹介しようと思います。

 この本によれば僕の苗字である窪田、日本語で"kubo"と"ta"="tambo"ですが、これに対応するタミル語で"kuval"と"tampal"というのがあるそうです。他にも偶然の一致とは思えない事例がたくさんあります。ご興味がある方はぜひお勧めです。

日本語の源流を求めて (岩波新書 新赤版 1091)
大野 晋
岩波書店

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