10月19日、帝京大学スポーツ局長で帝京大学を前人未到の9連覇を含む10度の優勝に導いた元ラグビー部監督、岩出雅之氏のお話を拝聴する機会がありました。実が岩出氏は大学の後輩の叔父さんでもあり、秩父宮ラグビー場でもお見かけしたことがあったので、何となく親しみもあり、今回のお話を非常に楽しみにしていました。ご著書、『常勝集団のプリンシプル 自ら学び成長する人材が育つ「岩出式」心のマネジメント』も5年前に拝読しています。
学生スポーツは毎年学年が入れ替わるため、連覇が難しいと言われています。大学ラグビーも例外ではなく、2009年に帝京大学が初優勝を成し遂げるまでの44年間、大学選手権を三連覇したのは1982年‐84年の同志社大学のみ。明治、早稲田、慶応といった創部100年を超える伝統校、90年代後半から2000年代にかけて一時代を築いた関東学院も三連覇はありません。そう考えると、帝京大学の9連覇というのがいかに偉業であったかが分かります。
単に大学チームとして強いというばかりでなく、現在開催中のラグビーW杯フランス大会でも日本代表の内7名が帝京大学OB。そして社会人のリーグワンでも加入1年目、2年目の卒業生がキャプテンに抜擢されることも珍しくありません。こうした「人づくり」の側面は、かつて無名の関東学院大学を6度の大学王座に導いた春口廣元監督同様、ラグビーの監督である以前に教員であることが大きく影響しているのかもしれません。実際、岩出氏が行ってきたことは、大学卒業後に教員として勤務した中学校、高等学校での経験がベースとなっているそうです。ここでは伺ったお話の内容を、1.心理的安全性、2.サポートと育成、3.経験学習サイクルの3つに分けてまとめたいと思います。もちろん、これらは互いに強く関係しあっているので、3つの別々のテーマというよりは、いかにこれらが密接に結びつくことで「強い組織」を作り上げているのかに着目していただければと思います。
1.心理的安全性
2015年、Googleの調査結果で「チームの生産性・パフォーマンスを高める最も重要な要素は、心理的安全性である」と発表されたことで、「心理的安全性」という言葉が一躍注目されるようになりました。心理的安全性とは、「組織や集団の中でも自然体の自分でいられる環境」のことを言います。しかし、岩出氏はそのような言葉が認知されるようになるはるか以前から、心理的安全性のある組織づくりに取り組んでいました。2015年時点では、既にそうした取り組みが実を結び、帝京大学は7連覇を達成していたのです。
チームにとって個々のメンバーの有能性はもちろん大事ですが、協力関係はより重要な意味を持ちます。組織の風通しが良ければ、人間関係が改善し、個々の集中力が増し、パフォーマンスの増大につながります。そのために、遣り甲斐、成長、幸せを感じられる組織をいかにつくるか?
帝京大学ラグビー部では、1年生の内から、試合や練習の場だけでなくあらゆる場で意見を出させ、能動的空気感をリーダーだけでなく全員で作り上げていきます。そうすると1年生も遠慮なく発言できるようになり、情報交換が増えることでチームの知識量が増え、多様な価値観からイノベーションが生まれます。ただし、心理的安全性とは環境要因であってそれ自体が目的ではありません。
ラグビーという競技は、監督は原則スタンドにいて、試合中は選手に干渉できません。フィールド内では選手たちが自分たちで判断してプレーしなければなりません。また、フィールド内も広いので、15人のプレイヤー全員が意思疎通を図れる機会は事実上ほとんどありません。せいぜい近いポジションの2名ぐらいです。したがって、選手が自分で考え行動する自律性を養うことが不可欠であり、そのために150人いる部員一人一人と向き合います。人を育てるには時間がかかりますが、その秘訣は常に「何故なのか」を説明すること。人は納得すればその先に可能性を見るからだそうです。
2.サポートと育成
帝京大学ラグビー部のチームスローガンは、「Enjoy&Team work」、理念として「ダブルゴール」を掲げています。「エンジョイ・ラグビー」と言えば、古くはTVドラマ「スクールウォーズ」でもそんなスローガンが出てきましたし、前述の春口廣元監督の著書にも同様の言葉が出てきたと記憶しています。岩出氏は、エンジョイ(enjoy)とは、「楽しむ」と訳されるが、元々の成り立ちはen(作る)+joy(喜び)、即ち「喜びを作る」ことだと言います。ラグビーを楽しむのみならず、その根底にある「喜び」を作り出すことが大切です。
一方、ダブルゴールとは、大学時の目標と社会に出てからの目標を同時に設定させ進めていくという考え方です。つまり、大学選手権優勝などは短期の目標ではありますが、長期の目標から見れば通過点になります。また、その先のゴールから自身の目標を捉えることで、一見部活動としてのラグビーだけを見れば関係ないように思えることでも、意味のある物として捉えられるようになります。
とはいうものの、150人の部員を抱えるラグビー部にあって、公式戦に出場できるのはAチーム、Bチームの一握りの部員たちです。Cチーム、Dチームになるとどうしても目標を見失い、焦り、諦めが出てくることもあります。そういう層の仲間たちに全員でどれだけ関わってあげられるか、サポートし、支援することができるかが極めて重要です。特にキャプテンには、自分からサポートし、支援するサーバントリーダーシップ(リーダーが部下に積極的に関わり、意見に耳を傾け、組織の進むべき方向を指し示し、奉仕することで人を導くリーダーシップ哲学のこと)が求められます。チーム愛とはその先に生まれるものであって、チーム愛を押し付けて部員を服従させるものではありません。
こうした日々の習慣が繰り返され、組織文化(カルチャー)へと醸成されていきます。カルチャー(culture)とは「耕す」を意味するcultivateと同じ語源ですが、文字通り、カルチャーは組織という木を育てる土壌の役割を果たします。その喩えで言えば、心理的安全性とは木に降り注ぐ太陽のようなものと言えるでしょう。
とりわけ現代は個と組織の関係が逆転し、若い世代は自分らしく、自己実現できる環境を求めています。これは内発的動機(自律性・有能感・関係性)に基づいた組織づくりという点で、むしろ真なのだと思います。岩出氏が1996年にラグビー部監督に就任して以降、心理的安全性のある環境づくりに取り組んできたのは、一つには教育者として強い組織を作るためにいわゆる「体育会系」のパラダイムを脱する必要を感じていたということがあると思いますが、もう一つには、ラグビー新興校としてそうする必要があったのだそうです。1996年監督就任時から初優勝する2009年までの期間は、大まかに言って早稲田と関東学院が覇を競っていた時代でした。1966年創部の帝京大学ラグビー部であっても、当時100年近い歴史を持っていた伝統校から見れば新興校であり、知名度は圧倒的に劣っていました。そのような環境の中で、優秀な高校生たちに帝京大学を選んでもらうためには、心理的安全性のある「脱体育会系」の魅力を打ち出す必要があったのだそうです。
脱体育会系の最たる取り組みが、四年生を頂点とする、いわゆる体育会系ピラミッド型組織を逆転させたことです。帝京大学では、4年生が掃除や食事などの雑務をこなし、1年生にラグビーに専念できる環境を作ります。下級生も最初は戸惑いますが、そのような先輩の姿を尊敬するようになり、尊敬することで行動が変わってくるのだそうです。そうした下地があって、前述のような1年生も積極的に発言できる雰囲気が生まれます。さらに自分で考える自律型人間を育成するためのポイントとして、
①可視化…やってみせること。
②問いかけ…先輩が先回りして答えを言わない。下級生に考えさせる。
③最適難易度…一人一人の力量を見極める。
の3つがあります。これにより、下級生のみならずむしろ上級生の力量が高まります。例えば、僕も長年ラグビーを見てきて感心していましたが、帝京大学の主将は驚くほどスピーチが上手です。さらに、個々の力量を見極めることが習慣となることにより、試合の時に相手の力量も見極められるようになると言います。典型的な例として、3年生による1年生向けの新人研修があります。これは1年生のためであるのと同時に上級生になった3年生が学ぶ場でもあります。卒業生がリーグワンに行っても早くからキャプテンに選ばれ、また学年が入れ替わるが故に連覇が難しいとされる大学スポーツにおいて帝京大学が9連覇を成し遂げられたのは、この「勝つことではなく学び続ける姿勢」が受け継がれていくからではないかと思います。
それから、人材育成に際して難しいことの一つとして「心」の問題があります。部員一人一人と向き合い、伴走したとしても「心」の変容は容易なことではありません。人の心というものは、その人の「特性」と「状態」と分けて考える必要があります。前者の心の特性は容易には変わりません、というより変えるのはムリなのです。大事なことは、心の「状態」に向き合い、その状態を作っている背景にアプローチしてあげることだそうです。例えば、ある選手のパフォーマンスの低下は、家庭での悩みが背景にあるかもしれません。心の状態の背後にあるものに踏み込むことができなければ、単純に「やる気がない」とか「たるんでいる」の一言で片づけてしまい、事態を悪化させることにもなりかねません。
岩出氏が中学校教員時代に教わり、今でも大事にしている言葉に「子育て四訓」があるそうです。元はアメリカインディアンに伝わる子育ての名言と言われていますが、次のようなものです。
乳児は何があっても肌を離すな
幼児は肌を離せ、手を離すな
少年は手を離せ、目を離すな
青年は目を離せ、心を離すな
これは子育てのみならず、「成人発達理論」における4つの発達段階、「利己的段階」、「他者依存段階」、「自己主導段階」、「自己変容段階」にも通じるサポートのあり方だと思います。また、これらの段階は、一つクリアすればその段階が消えてなくなるというものではなく、その人の心の状態が一時的にどの段階にあるかを知り、それに応じた適切なサポートをするための指標と考えることもできるでしょう。
部員の成長を支援することで思いやりの文化が生まれ、クラブが好きになります。卒業していく先輩に恩返しをするのではなく、下級生に対して恩送りをしていくようになります。ラグビーにおいてボールを前に投げる「スローフォワード」は反則ですが、受けた恩を先へ送る「ペイフォワード」は大いに推奨されるべきことです。
3.経験学習サイクル
日本能率マネジメントセンターによる意識調査によると、現代の若者は失敗を非常に恐れると言われています。したがって、挑戦を受け入れる関係が大事になってきます。たとえ失敗しても挑戦したプロセスを評価します。
失敗は次の3種類に分けることができます。
①防ぐことができるもの
②複雑なもの
③知的なもの
①は回避可能だったものなので、次回改善すればよいということになります。②は複雑で予測が難しいものなので、単純化することで、少しずつクリアさせていきます。例えば、昨年の大学選手権決勝(忘れもしない、我が早稲田が73vs20という選手権最大の大差で敗れた試合です)で初出場の選手がいました。その選手は走攻守揃った非常に器用な選手でしたが、器用故に何が自分の強みなのかはっきりせず、パフォーマンスがどれも中途半端に終わっていました。大学生にとって最も重要な選手権決勝という国立競技場の大舞台、それも初出場という最も緊張する場面にあたり、その選手に求めるものを「ラン」1本に絞ったそうです。その結果、彼は大舞台で目覚ましい活躍をしました。③はイノベーションを起こすために生じたものであり、まさに「挑戦」です。これは失敗ではなく「未成功」と考えるのです。未成功と捉えることでさらなる挑戦を促し、挑戦の総量が増えることで心理的安全性に繋がります。
そんな帝京大学も2018年シーズン、ついに連覇の途絶える時が訪れます。岩出氏曰く、「いつの間にかぬるい組織になっていた」と。そこで今一度、以下のような経験学習サイクルを徹底したそうです。経験学習サイクルとは、デイビッド・コルブが提唱したフレームワークで、一般に「経験、振り返り、概念化、実践」から成り立つサイクルを言いますが、内容はほぼ同じです。
①フィードフォワード(行動前の共通理解)
②リフレクション(内省、振り返り:自らの思い込みに気づき、行動を変容する)
③フィードバック(客観的事実を知る)
とりわけ②リフレクションが重要なのですが、これができている組織は案外少ないのではないかとのこと。
そして2021年シーズン、大学王座奪回をもって勇退。昨年から相馬監督に引き継がれ連覇。2023年シーズンの現在、関東大学ラグビー対抗戦も佳境に差し掛かっていますが、正直僕の目から見てですが、帝京大学が頭一つ、二つも抜きん出ており、再びの三連覇は堅いでしょう。構成する部員が毎年入れ替わっても学び続け、変わり続ける力。初優勝から14年経っても未だ他校がキャッチアップできない強さの本質。ひょっとすると伝統校はその「伝統」が頸木となっているのかもしれませんが、仮にそれが正しいとすれば、いかに本質的に重要なことを学び、そこから抜け出せるかがカギとなるでしょう。そして岩出氏のお話は、我々企業組織のあり方を再考する上でも大いに参考になるでしょう。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした