11月18日、
日本交渉協会主催の第12回ネゴシエーション研究フォーラムに参加してきました。
今回の講師は、関東ディベート交流協会事務局長、交渉アナリスト1級会員でもある高瀬誠先生。「知的複眼思考のすすめ-理性と感性を統合するEQディベート」と題してご講義いただきました。
ディベートというと、どのようなイメージを持たれているでしょうか?「論理的な言動で相手を論破する」、そんな捉え方をされている方も多いのではないかと思います。少なくとも僕はそんなイメージを持っていて、どちらかというとやや嫌悪感すら抱いていました。しかし、まず高瀬先生がおっしゃったのは、ディベートとは決してそのようなものではないということ。そして、ディベートが対象としているのは相手ではなくディベートを聞いている第三者であるということです。
コミュニケーションを「言葉などを通じて自分の気持ちや意見を相手に伝えること」と定義するなら、ディベートは間違いなくコミュニケーションのひとつであり、コミュニケーションは自分の気持ちや意見を伝える対象が誰かによって、名称が区別できるようです。例えば、
対象が自分:決断
対象が相手:指示・命令
対象が自分と相手:交渉
対象が第三者:ディベート
といった具合です。つまり、日本交渉協会が扱っている「交渉」も今回のテーマである「ディベート」も対象を異にしたコミュニケーションの一種であり、両者は求められるコンピテンシー(成果を生む望ましい行動特性)が共通しています。その特性とは、
①論理的思考能力
②傾聴力(聞く<聴く<訊く)
③表現力(何を言うか<誰が言うか:パトス(感性)の利いたプレゼンスキル)
④平常心(相手が自分を認めない限り、Win-winの関係を作ることはできない)
以上の4つです。
ディベートの起源は、古代ギリシアにおける「弁論術」や「弁証術」に遡ると言われています。『弁論術』を著したアリストテレスは、人を説得するためには(即ち、ディベートのためには)、ロゴス(論理)、パトス(共感)、エトス(信頼)の三要素が重要であると述べています。近年のディベートはロゴスに偏る嫌いがあるようですが、本来は相手のエトスを動かすためにロゴスが必要であり、ロゴスを納得してもらうためにパトスが必要であるというように、三者は不可分の関係にあります。そこで、これらを統合したディベートの形が高瀬先生の提唱しておられる「EQディベート」ということになります。三者の統合は、人間の右脳、左脳そして大脳辺縁系(いわゆる感情脳)をバランスよく鍛え、結果として先に述べた交渉にも通じる4つのコンピテンシーを磨くことにつながります。
さて、今回のテーマにある「複眼的思考」とは何か?それは、ディベートによって磨かれる視野・思考力のことです。ディベートは物事の肯定と否定が常に両方できなければなりません。つまり、ディベートを行うことによって物事を両面から見る訓練を行うことができます。「群盲象を撫ず」の諺通り、人は日頃様々な思い込みや錯覚に囚われています。例えば、下図の輪が輪ではなく鎖状に繋がって見えるというように。
交渉理論でも交渉において遭遇する様々な心理的バイアスや認知バイアスについて学習しますが、ディベートは物事を両面から捉えるばかりでなく、相手からの反論によってさまざまな角度の視点に晒されることになるので、こうしたバイアスを回避する格好の訓練になるでしょう。物事は全周囲からの視点がないと本当の姿が見えてこないというのは、以前このブログでも述べた「
筆跡診断」の視点とも共通します。
「第一級の知性を計る基準は、二つの相対立する思想を同時に抱きながら、しかもそれらを機能させる能力を維持できるかどうかということである」―スコット・フィッツジェラルド―
前述の通り、相手が自分を認めない限り、Win-winの関係を作ることはできません。即ち、相手が自分を認めるとはそこに信頼関係が醸成されているということです。「コミュニケーションではラ・ポール(信頼感)が大事」と言われる所以ですが、相手の中に信頼感を作り出すものが論理性と感性になります。やはり、ロゴス、パトス、エトスの不可分の関係が分かります。
論理性(ロゴス)とは思考の道筋のことです。論理的思考にはラテラル・シンキング(水平思考)とロジカル・シンキング(垂直思考)とがあり、前述の「複眼的思考」が前者にあたります。一方、後者は一つの考え方を深く掘り下げ分類・整理していくことです。人は物事を直感や感覚で判断してしまいがちです。そこに論理的検証を加えることで相手を納得させ、問題の解決につなげていくことができます。また、論理にも「主観的論理」と「客観的論理」とがあり、双方をぶつけ合い検証することによって、現実の問題への提案へとつなげていくことができます。この点は、現実の人間が非合理的、感情的であることを知りつつも、なぜ交渉に携わる者が理論を学ぶ必要があるのかということにも通じます。
また、感性(パトス)に働きかけるポイントとしては、視覚の力、音声の力、言葉の力の3つを抑えることが大切になります。前の二つはいわゆる「非言語コミュニケーション」に分類されるもので、まさに昨年の「
第11回ネゴシエーション研究フォーラム」や先日行われた「
情報収集テクニック研修」のテーマがこれにあたります。三番目の「言葉の力」は、伝わる言葉に磨きをかけることです。インターネットの登場により、我々を取り巻く言語情報は幾何級数的に増え続けています。そのような時代、伝わらない言葉は無視される傾向にあり、良し悪しに拘わらず我々は意思を伝える言葉を意識的に訓練していかなければならないということです。
最後に、ディベートのミニ体験を行いました。わずか30分という、本物のディベートとは比較にならないほどのミニチュア版でしたが、短い時間の中で瞬時に考えをまとめ、事実関係を調べ、ロジックを組み立て、反論に即応する。非常に高い集中力が求められ、終わった時にはげっそりと疲れていました。本物のディベート大会で場数を踏むということに大変な学習効果があるであろうことは容易に想像できました。そして冒頭に返るのですが、ディベートとは決して相手を言い負かすというような低俗なものではなく、現代社会を生きる上で誰もが求められているコミュニケーション能力を高い次元で訓練し、そしてその能力を社会に還元していく優れた方法論なのだということを肌で感じることができました。そしてそれは元をたどれば2,400年前から存在する人類の偉大な智慧なのだということも。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした