現在受講中の研修、「マーケティングスクール・アドバンス」は『新訳・経験経済』の訳者岡本慶一先生を講師としてコモディティ、製品、サービスと発展してきた経済価値の次の段階にくる経験という価値について学んでいるわけですが、この手の本を読まなくなってから久しい僕としては実に珍しく『新訳・経験経済』に目を通し、前述のように経験価値の事例として滋賀の「たねや」さんにも足を運んできました。そんな中で自分の商売についての経験価値化についてはまだあまり具体的なイメージが湧いてこないのですが、ふと身近なところで考えてみたときに先日開催した煎茶のお茶会などはまさに経験価値の一つなのではないかと思いました。
経済価値としての「経験」とは企業が製品をベースとして提供するある瞬間顧客の心の中に感情的、身体的、知的、精神的なレベルで働きかける「コト」を意味し、娯楽・教育・脱日常・美的という4つの要素が組み合わさって一つの「経験」が作り出されるのだそうです。文人趣味として始まった煎茶はこれら4つの要素を含んだ、文人によって100年以上も前に生み出された経験価値ということができます。
【娯楽】:一部精神修養的な色合いが強く出て「煎茶道」などという言われ方もしますが、元来煎茶は文人によって生み出された娯楽です。先日開催したお茶会(詳しくはブックマークの「明月庵 煎茶徒然草」をご覧ください)でもお茶席での会話は自由ですし、作法もお抹茶に比べるとはるかに簡易なので全く経験のない人でも敷居の高さを感じることなく楽しむことができます。
【教育】:これも言うまでもないことなのですが、元々漢詩や唐物の道具に対する教養の高い文人によって始められたものなので、煎茶はお茶そのものも含め漢詩や漢文学を背景とした「知的遊戯」としての性質がむしろ主であるといえます。先日僕が担当した茶席の主題は李白の『早発白帝城』という詩でしたが、お茶席はこの詩に詠われる世界を心の中で共有しながら眼前では主題に沿った茶道具、軸、盛り物などに趣向をこらし、現代風に言えばヴァーチャルな詩の世界を体験します。また、お茶葉についてや茶道具、お手前についても知的な楽しみがあります。
【脱日常】:お茶席そのものが脱日常の世界です。特にお抹茶はこの脱日常が強調された世界と言えるかもしれません。煎茶においても文人たちそのものが脱日常的存在ですし、現代の我々にとっても日頃目にすることのない茶器でお茶を飲んだり、茶会の会場であった北鎌倉の自然や静寂も脱日常の経験と言えるでしょう。
【美的】:煎茶は娯楽の世界であると同時に美術の世界でもあります。いくら立派な骨董を使って上の三要素を満たしたとしても、その茶道具がその場にふさわしくない、あるいは茶道具同士がアンバランスな物であったならば美的な要素は台無しになってしまいます。珍しい茶道具を使うことに意味があるのではなく、まさに「経験」を構築する4つの要素を引き立たせる「道具」として茶道具は存在していると言えます。
今回のお茶会について言えば僕はお客さんに「経験」を提供した側になるのですが、お茶をやること自体は僕自身にとっても経験です。お茶席に来たお客さんはどのような経験を得てお帰りになったのか。それは個々に違うと思いますが、個々に違うけれども多数の人が同じ場を求めるのが経験価値なのではないかと思います。
日々の仕事の中でも行為としては製品差別化もしサービスも提供しているが、結果としてコモディティ化の憂き目を見ている実態は偽らざるところ存在します。僕にとって身近なお茶を仕事共にもっと深く掘り下げてみることで新たな価値を創造していきたいと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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