窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

だるま鮨-夏に合う日本酒

2013年06月30日 | BAR&WHISKY etc.


  品川魚貝センターにある、懐かしい雰囲気の漂う鮨居酒屋、だるま鮨さん。以前このブログでご紹介した魚潮さんとは同系列のお店です。

  新鮮な魚料理がとても美味しいのですが、ここではお勧めいただいた、これからの蒸し暑い夏に良く合う辛口の日本酒をご紹介したいと思います。



  初めに正雪・純米吟醸。静岡県、神沢川酒造場さんのお酒です。香りの華やかさとは裏腹に、甘みが後を引くことなくすっきりとしていて、非常にキレのあるお酒です。



  姿・特別純米・ひとごこち生酒・「浴衣すがた」。夏らしい仕様の瓶。栃木県、飯沼銘醸さんのお酒です。後味のキレは先ほどの正雪よりやや劣りますが、その分旨みに厚みを感じます。やはりすっきりと飲めるので、食も進みます。



  鶴齢・純米超辛口。新潟県、麦米酒造さんのお酒。日本酒らしい青リンゴのような爽快な香りと旨み、正雪と姿がすいすいいけるお酒だとすれば、鶴齢はもう少しゆっくりと飲みたいお酒です。少し強いせいもあるかもしれません。それでも夏らしいキレのある爽快なお酒。



  早瀬浦・極辛純米酒。福井県、三宅彦右衛門酒造さんのお酒。やや黄色味を帯びた見た目とは裏腹な爽快なお酒、グッと飲んで喉越しを味わいたい。日本酒を飲む機会が減っていますが、これだけすっきり辛口を揃えていただけると、もっと夏は日本酒を楽しみたくなります。  



だるま鮨

東京都港区高輪3-26-33パル品川ビル219号



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BAR KEITH②

2013年06月29日 | BAR&WHISKY etc.


  このブログを始めたばかりの頃以来ですから、実に6年振りになります。三ノ宮のバー・キースにお邪魔してきました。正確に言えば、この日は日曜日でキースはお休みのため、隣接するキース・インの方です。



  三ノ宮といえば、このブログでおなじみの「炭火焼ステーキ カルネ」。今回も当然お邪魔してきました。実は、今年ブレイクした東進ハイスクールの林修先生もご夫婦でよく来られるのだそうです。



  そのカルネでワイン1/2本+α、山崎をロックグラスになみなみと注いで頂いた後のキースだったため、最初はミントジュレップもどき(?)、モスコミュールなどで休憩していましたが、最終的にはやはりウィスキー。カルネで飲み始めてから、実に6時間が経過していました。

  選んだのはブラックボトルのソーダ割り。ポットスチル(蒸留釜)をイメージしたというユニークなボトル形状のブラックボトルは、ピートを利かせることで知られるアイラ島の7つの蒸留所のモルトウィスキー(ボウモア、ラガーヴリン、ブルイックラディ、ブナハーバン、カリラ、ラフロイグ、アードベッグ)とグレーンウィスキー(ストラスクライド、ノース・ブリティッシュ、カーバン)をブレンドしたウィスキーです。

  これをソーダで割ると、ちょうど良いスモーキーさにキレのある飲み口で蒸し暑い梅雨時にはピッタリでした。これは収穫でした。

BAR KEITH

神戸市中央区中山手通1丁目15-7
東門エースタウンビル1F



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バー・ベッソマリアール②

2013年06月28日 | BAR&WHISKY etc.


  4月にご紹介した、ベッソ・マリアールです。今回は前回よりややゆっくりとお邪魔してきました。



  前回名前を忘れてしまっていた炭酸水、ノセミネラルソーダです。



  2件目なので、まずはこのソーダで大好きなハイランド・パークのソーダ割りで一息。しかしその後は、そうと決めていたわけではないのですが、山崎づくしとなりました。



  まず初めは、山崎パンチョン。パンチョンというのは、容量が480ℓほどのずんぐりとした樽のことです。北米産ホワイトオークのパンチョン樽で熟成させた山崎は、バニラのような香りと甘みがあり、なめらかでウィスキーに慣れていないという方にも飲みやすく仕上がっているのではないかと思います。



  つづいて山崎蒸留所オーナーズカスク2000年。オーナーズカスクというのは、オーナーが所有している樽を瓶詰めしたものです。樽はシェリーバッドとスパニッシュオーク。57度と強いですが、レーズンのような香りに樽由来のスパイシーさ、モルト由来の甘みがあり、これも飲みやすいです。



  三杯目は山崎ヘビリーピーテッド2013年。ジャパニーズ・ウィスキーの父の一人である鳥井信治郎氏が山崎蒸留所でウィスキー作りを始めて90周年を記念して限定発売されたボトル。その名の通り、ピートを効かせた、力強いウィスキーです。それでいて、山崎らしいバランスの良さも損なわず、最後を締めくくるには打ってつけといえる一杯でした。

バー・ベッソマリアール

大阪府大阪市北区曾根崎新地1-3-10
北新地山忠ビル2号館 B1F



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ビストロ・シャンパーニュ(Bistro Champagne)

2013年06月27日 | ワイン・日本酒・ビール


  猛暑の続く大阪に、久し振りににわか雨が降ったという蒸し暑い夜。こんな夜はやはり爽やかなものが飲みたいということで、シャンパンのお店、ビストロ・シャンパーニュへお邪魔してきました。

  外に看板が出ていないので少々分かりにくいですが、良く知られたお店のようでお客さんも沢山入っていました。



  お料理も本当に美味しかったのですが、とても書き切れないので、ここではシャンパンだけのご紹介にしたいと思います。まず食前酒はローラン・ペリエ・ブリュット。一昨年の英国ウィリアム王子の結婚晩餐会で振舞われたシャンパンらしいです。華やかですが、キリッとして余韻は短くさっぱりとしています。



  続いて、ドゥ・スーザ・シャンパーニュ・グラン・クリュ・特級・ブラン・ド・ブラン・レゼルヴ・ブリュット。爽やかな酸味のある辛口、この日のような蒸し暑い夏にはぴったりです。



  シャルル・エドシックブリュット・レゼルヴ。ピノ・ノワール、ピノ・ムニエ、シャルドネのブレンド。蜂蜜のような黄金色、柑橘系の爽やかさがあり、余韻もしっかり。これも夏向きです。

 

  ここからはロゼに切り替えて。フェルナン・ティル・ブリュット・ロゼ。ほのかにイチゴを思わせる香り、しかししっかりとした辛口。ちょうどきた夏トリュフのリゾットにとても良く合いました。



  最後はピエール・ペテルス・キュヴェ・ロゼ・フォール・アルバーヌ。シャルドネにピノ・ムニエのロゼをブレンドしたもの。これもイチゴを感じさせる上品な香り。爽やかなものの多かった今回の中ではしっかりとしていて、最後を締めくくるのにちょうど良い一杯でした。

  泡は調子に乗ると酔ってしまうので、これくらいにして。

その他の写真は、フォト・チャンネルにまとめました。


ビストロ・シャンパーニュ

大阪府大阪市北区曽根崎新地1-3-1大橋ビル3F



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2013 パールボウルトーナメント決勝 鹿島vs富士通

2013年06月26日 | スポーツ観戦記


  2013年6月24日、東京ドームで行われたアメリカン・フットボールのパールボウルトーナメント決勝観戦に行ってきました。平日にもかかわらず、入場前から非常に盛り上がっており、1階席がほぼ満員という盛況振りでした。



  決勝は昨年王者のオービック・シーガルズを準決勝で降した富士通フロンティアーズと昨年のXボウルでオービックをあと一歩まで追い詰め、また非常に残念ながら今シーズンで廃部が決まっている鹿島ディアーズ。コイントスは乃木坂46の斎藤ちはるさんでした。斎藤ちはるさんのお父さんは、X2セントラルのバーバリアンズでQBを務める斎藤伸明選手です。



  さて、試合の方は開始早々から富士通のペース。パスを繋ぎながらファーストダウンを取ると、前半5分、進士選手のタッチダウンで富士通が先制。フィールドゴールも決まり0vs7。



  一方の鹿島は、富士通の堅いディフェンスに阻まれ、思うようにランプレーが進みません。



  2Qも開始わずか2分45秒で後藤選手が21ヤードのフィールドゴールを決めます。これで0vs10。その後も富士通ペースが続きます。



  前半終了間際、鹿島陣18ヤードのところで、富士通がフィールドゴールを選択し、失敗に終わります。素人考えかもしれませんが、このプレーが富士通の押しムードに水を差したように思えました。10点差ではありますが、富士通が攻め切れなかったという印象が残りました。



  ハーフタイムは東日本のチームのチアリーダーによるパフォーマンス。



  さらにスペシャルゲストとして乃木坂46が登場。



  一部、アメフトの応援ではない方たちが大いに盛り上がっていました。



  後半が始まると、鹿島の動きが見違えるように良くなりました。開始直後、ショートパスから岩井選手が48ヤードのラン。



  さらに山城選手からのパスを前田選手がエンドゾーンに持ち込み、タッチダウン。フィールドゴールも決まり、7vs10。流れが大きく鹿島に傾きます。



  3Q、6分15秒。宮本選手が45ヤードを走り切り富士通陣5ヤードまで迫ると、次のプレーで山城選手からのパスを岩井選手がエンドゾーンでキャッチし、逆転。フィールドゴールも決まり、14vs10となります。



  4Q、12分5秒。鹿島の青木選手が31ヤードのフィールドゴールを決め、17vs10。これで大勢が決した感がありました。その後、富士通も反撃を試みましたが、結局17vs10のまま試合終了。鹿島の鮮やかな逆転勝利でした。

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筆跡心理学と交流分析との照合

2013年06月23日 | 筆跡心理関係


  更新が遅くなってしまいましたが、6月19日、メンタージャム東京という士業の方の勉強会に参加させていただきました。というのも、今回の講師が日本筆跡心理学協会の根本寛会長だったからです。

  約40名の参加者のうち、半数以上が士業の方、その他の方もセラピストなど何らかの形で個人事業を営んでおられる方がほとんどでした。

  さて、前半は筆跡心理学のアウトラインについての説明と、参加者の皆さんに実際に文字を書いていただき、自分の筆跡特徴の基本的な部分について知っていただくという内容でした。

  例えば、「口」の字の左上をきちんと閉じて綴る「接筆閉」という筆跡特徴があります。これは考え方が非常に真面目な方に多い特徴ですが、参加された方の約半数がこのタイプでした(因みに僕は閉じていません)。また職人気質の人に多い、「へん」と「つくり」の間隔が狭い「開空間狭」という筆跡特徴も多かったようです(会場からは「(間隔が)ほとんどない」というような声も聞かれました)。さらに、「木」の字などの頭部を突出して長く書くか、極端に短く書くかで、その人がリーダー型か協調型の性向が分かれるのですが、これも協調型が多かったようです。これらの特徴を総合すると、やはり士業の皆さんらしい特徴が現れていたのではないかと思います。

  後半は、筆跡診断による性格判断と交流分析で用いられる「エゴグラム」による性格判断との間に極めて高い同質性が見られたという調査結果のお話でした。

  交流分析(TA)というのは1950年代半ばにエリック・バーンという心理学者が提唱した自己分析法のことです。構造分析→交流パターン分析→ゲーム分析→脚本分析という4つの分析によって現在の自我状態に気づき、自分の感情・思考・行動をコントロールすると共に、愛情と信頼に基づく真の人間関係を回復することを目的としています。

  その最初の、個人の自我状態を分析する構造分析において用いられるツールがエゴグラムです。現在、エゴグラムは様々なサイトで公開されていますので、ご存知の方も多いのではないかと思います。

  例えば、前述の思考の生真面目さを表す筆跡特徴「接筆閉」ですが、これらの特徴をもつ方は95.3%の一致率でエゴグラムにおいてもCP高(批判的な親。厳格で批判的な自我状態)の傾向を示しました。「厳格で批判的な自我状態」といわれると、何だか非常にネガティブな感じを受けてしまいそうですが、筆跡心理でもエゴグラムでも、そこから導き出される性格傾向には必ずプラス面とマイナス面があるということを理解しておく必要があります。例えば、プラス面としては「確固たる信念・価値観・理想を持っている」とか「臆せず言うべきことが言える」というようなことが言えると思います。

  その他の筆跡特徴についても概ね90%以上の高い一致率が見られました。筆跡特徴は多くの観察によって導き出され、成果も認められてきたものではありますが、今回のように確立された他の心理学と照合することによって、その同質性が確かめられたことの意義は大きいと思います。

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第35回YMSを開催しました

2013年06月13日 | YMS情報


  6月12日、mass×mass関内フューチャーセンターにて、第35回YMSを開催いたしました。



  今回は株式会社iプロデュースの石垣秀之さんと、いつもお世話になっている向展弘さんにお越しいただき、「CSM 社会的意味の創造」と題し、ポジティブ心理学の観点から「意味づけ」することの意義と効用についてお話しいただきました。

 

  ポジティブ心理学というのはアメリカの心理学者、マーティン・セリグマンが唱えた心理学の一分野です。従来の心理学が精神疾患の治療に焦点を当てていた(マイナスをゼロに)のに対し、ポジティブ心理学は健常者とされる圧倒的多数の人がより幸福になるために(ゼロからプラスに)、「幸福」に焦点を当て科学的に研究したものだそうです。

  研究によると、金銭による幸福度は年収6万ドルを超えるとほとんど変わらないのだそうです。幸福には快楽、フロー(高度に集中している状態)、意味、の3つの要素があり、快楽<フロー<意味の順番に幸福度は高くなるということです。もちろん、これらの要素が全て揃っているのが最も望ましい状態となります。一般に信じられている努力→成功→幸福という図式は、刹那的あるいは成立しないことさえあり、むしろ幸福度の高い人ほど成功しやすいということが研究の結果、明かとなっています。

  さて、幸福になるための重要な要素とされる「意味」ですが、私にとっても、恐らくこれを読んでおられる多くの方にとっても身近な「日常の仕事」に意味が付されることにより幸福度が高まった事例としてこんなお話がありました。

  何をやっても長続きしない女性がいました。彼女は「つまらない」、「自分に合わない」と言っては職を転々とする日々を送っていました。あるとき、彼女はレジ打ちの仕事をしていましたが、それもすぐ辞めたくなり、実家に帰郷するため荷物をまとめていました。すると、子供の頃書いた日記が目に留まり、そこには幼いころピアノが好きで毎日練習していたということが書かれていました。そこで彼女は次の日から、ピアノを練習するようにレジを練習するようになりました。すると、いつの間にか店内でNo.1のレジ打ち名人となっていました。レジ打ちの傍らお客さんと会話するゆとりも生まれ、彼女のレジには彼女との会話を楽しみにするお客さんの列ができるようになりました。

   ある忙しい日、こんな店内放送が流れました。「お客様空いているレジにお回りください」しかし、彼女のレジだけ行列ができたままです。不思議に思った店長が他のレジに回るようお客に促すと、一人のお客が言いました。「私は、彼女と話がしたくてこの店に来ているの」それを聞いた女性はその場に泣き崩れたそうです。彼女はレジ打ちという仕事に「レジ打ちとはお客さんの心理的ニーズを見つけ、それに合ったサービスを提供する仕事である」という意味を見出し、自身の幸福度ばかりでなく顧客の満足度も上げることができたということです。




  人は自分の行っていることに意味を見出すと、はるかに大きなエネルギーを発揮し、活き活きとします。またそうして行われた活動がさらにエネルギーを与え、結果として自分もそして周りの人も幸福になるのです。ここで思い出すのが有名な三人のレンガ職人の話です。

  ある人が、建物の壁を作っている3人のレンガ職人に出会いました。彼は3人に近づき、「何をしているのですか?」尋ねました。最初のレンガ職人は、「何をしているかって?私はレンガを積み重ねているのです。一日中、モルタルを塗り、レンガを積み重ねています。」と答えました。二番目のレンガ職人は、「私はこの建物の壁を作るためにレンガを積み重ねているのです。」と答えました。三番目のレンガ職人は興奮した様子で、「私は偉大な神の栄光のために建てられるこの聖堂の壁を作るためレンガを積み重ねているのです。このような仕事ができるなんて光栄なことです!」と答えました。



  さて、幸福度を上げるため、人生にどうやってポジティブな側面を見出すか。そのための簡単なワークを行いました。やることは単純で「良かったこと」、「してあげたこと」、「してもらったこと」を思いつく限り挙げるというものです。日常の中にポジティブな意味づけを行う習慣をつける、むしろこうした小さな積み重ねの方が幸福度を増すようです。また、このワークからわかることは、幸福は他者との関係の中で成り立つということです。自分と他者との関係の中に意味を見出し、その結果が自分ばかりでなく他者の幸福も増す、まさに他利自得というわけです。これを個人レベルから企業に、そして社会に応用していくことで全体の幸福度を上げていく、それが石垣さんの提唱するCSM(Creating Social Meaning=社会的意味の創造)だということです。

 

  放課後はいつもの通りですが、今回はよりお酒を飲む意味について考えました。

ポジティブ心理学―21世紀の心理学の可能性
クリエーター情報なし
ナカニシヤ出版


過去のYMSレポートはこちら


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機張倭城

2013年06月07日 | 史跡めぐり


  こちらは釜山広域市機張邑竹城里山にある城で、文禄の役の際、黒田長政が築いたと言われています。



  昨日ご紹介した西生浦倭城と比べると、城というより小規模な砦と言った方が良いかもしれません(上の図をクリックすると拡大します)。竹城里倭城、豆毛浦倭城とも呼ばれています。



  しかし、正面に見下ろす入り江を始め、四方を見渡せる小高い丘の頂上(海抜64m)に築かれており、ここが要地であることは一目で分かります。城の総面積は8,595㎡(2,600坪)、石垣の周囲960m、現存する石垣の高さは4m~5mほどです。本丸を含む6つの曲輪に囲まれた輪郭式の縄張り。東側と西側の外郭は空堀で囲まれていました。

 

  本丸の入口。

 

  天守台と天守台から背後の丘陵を望む。正面の入り江は船を停泊させるのに適した地形で、川にも通じている良港であり、ここを守備するほか、西生浦倭城と釜山倭城の中間に位置するこの城は交通の要衝を抑える役割をも果たしていたのではないかと思います。

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西生浦倭城

2013年06月06日 | 史跡めぐり


  西生浦倭城は文禄・慶長の役のあった1593年、加藤清正によって築かれた城です。文禄・慶長の役の際、日本軍は朝鮮半島南東沿岸部に多くの城を築きました。西生浦倭城はその中でも最も保存状態の良いものです。実は、戦国時代末期の実戦用城郭は日本国内でも遺構が少なく、高さ10mほどの野面積みの石垣は国内の城と比べ小規模ではありますが、実戦のための城郭として貴重な資料となっています。

  以前、当ブログで熊本城をご紹介した際、この時期に見られる日本城郭の石垣の技術的進歩について触れました。当時は、対外戦争の経験がもたらしたものだと思っていましたが、今ではむしろ逆で、戦国から太平の時代に移行する過渡期にあったからこそ起こったものなのではないかと考えています。



  西生浦倭城は韓国・蔚山市にあり、入り江を見下ろす200mほどの小高い丘の上に本丸・二の丸・三の丸を山腹から海に沿って一列に並ぶように配置した連郭式の山城(平山城?)です(上の図をクリックすると拡大します)。



  特に三の丸は、当時の海岸線から丘の中腹にかけて、城壁のような帯状の石垣を築くことで補給のための防御線を確保しています(写真上)。これを登り石垣といいますが、国内では以前ご紹介した松山城、彦根城、洲本城などごく一部の城のみに見られる非常に珍しいものです。松山城を築いた加藤嘉明は朝鮮出兵で安骨浦城を拠点としていましたから、この時の技術が松山城に活かされたのでしょう。



  山の中腹にある大手口。つまりここから城の主要部である二の丸、本丸へ入っていきます。築城時は上部に櫓が建てられていました。大手門を潜ると、正面と右側面を石垣に阻まれる(つまり左に折れ曲がる)構造になっています。これは松山城でも数多く見られた「虎口」(小口)と呼ばれる構造で、城内への視界を遮ると共に、侵入してきた敵軍を四方から攻撃できるようになっています。



  丘の斜面に突き出したような形になっている曲輪。この曲輪の周りには、外枡形虎口、内枡形虎口、平入り虎口など合計3つの虎口が集中しています。連郭式の縄張りは側面攻撃に弱点を抱えますが、この曲輪によって、丘の斜面を登ってくる敵に対し、本丸・大手口・搦め手に通じる3つの虎口を同時に守備することができます。



  平入り虎口。



  外枡形虎口を抜けた曲輪より海を望む。当時の海岸線は現在よりはるかに内陸にありました。



  食い違い虎口。本丸の入口にあたり、ここでも石垣を交差させることで防御を固めています。

 

  現在は草木に覆われていますが、丘の斜面には畝堀という底が畑の畝のようになっている空堀が掘られていました。畝掘りは後北条氏が得意とした堀の技術で、この畝のために堀に侵入した敵軍は思うように行動できなくなります。そこを石垣の上から狙い撃ち、というわけです。1590年の小田原攻めの経験が活かされたのでしょうか?

  側面(写真左)から見ると大した事ないように見えますが、上(写真右)からみると石垣がかなりの急勾配であることが分かります。これで下が畝堀では、いかにこの城が攻め難い城であったか想像できます。



  天守台。高さは大してありませんが、幅の広い天守台で当時は三層の天守閣があったと言われています。



  馬出し曲輪。



  将軍水と呼ばれる、本丸の井戸の跡です。



  最後に、三の丸で調査が進められている朝鮮水軍の施設跡。豊臣秀吉の死後、日本軍の撤退が決まり、1598年、ここを守備していた黒田長政が撤退します。その後、明将・麻貴の軍が入場し、1895年(明治28年)まで朝鮮水軍の兵営として使われていました。西生浦倭城の保存状態が良かったのはそのためかもしれません。

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總持寺(横浜市鶴見区)

2013年06月05日 | 史跡めぐり


  子供の頃から鶴見を通るたびに電車から見える巨大なお寺、また、福井の永平寺と並ぶ曹洞宗の大本山として日本史に登場し、その名は知っていたものの不思議と今まで訪れたことのなかった、總持寺にお邪魔してきました。5月27日のことです。



  總持寺は道元禅師と並び曹洞宗の両祖とされる瑩山招瑾(けいざんじょうきん)禅師(1268年~1325年)によって、当初は石川県能登に開山しました。しかし、1898年(明治31年)に大火災に遭い伽藍を消失。その後、1911年(明治45年)に当時の貫首であった石川素童禅師の時、現在の横浜・鶴見に移っています。近代日本での布教の必要性から東京に近いこの地を選ばれたようです。

  15万坪という鶴見ヶ丘に広がる、横浜では他に見られない巨大なお寺です(伽藍の地図は上の図をクリックしてください)。多くの建物が国の登録文化財に指定されている境内を案内していただきました(有料)。



  受付のある香積(こうしゃく)台から出発し、初めは百間廊下と呼ばれる長い廻廊から。能登での大火災の教訓から、鶴見の總持寺は建物を離して建てました。そのため、建物と建物を長い廻廊で結ぶようになったのだそうです。板張りの床は磨き上げられ黒光りしていますが、これは修行僧の修行の一環で毎日二回、廊下を水拭きするからなのだそうです。



  百間廊下の途中にはそれぞれ、金鶏門、中雀門、玉兎門と呼ばれる3つの門があります。その内の中雀門から望む大雄宝殿(仏殿)です。この中を見ることはありませんでしたが、中には釈迦如来像が祀られています。床は御影石で造られており、できた当初は反射で人の顔まで映るというほどだったということです。現在は中を覗くことができますが、昔は一般人は中を見ることができなかったそうで、こんなエピソードを伺いました。

  明治~大正期の歌人、与謝野晶子がどこからかこの大雄宝殿の床の素晴らしさを聞きつけ、どうしても中に入りたいと頼んできたそうです。お寺の側は最初断りましたが、どうしてもと懇願され、とうとう根負けし中に案内することになったそうです。

  ところが、扉を開けて中を見た与謝野晶子は黙ってそこに立ったまま、ついに中に脚を踏み入れることはなかったそうです。そして、その時の想いを次のような歌にしました。

胸なりて 我踏みがたし 氷よりすめる 大雄宝殿の床 

  輝く床の素晴らしさもあるでしょうが、それよりそれが放つ神々しさが見た者を圧倒し立ち入ることを思いとどまらせたのではないでしょうか。話だけ聞くと初めは我儘な文化人の振る舞いにしか思えませんが、この句を詠むとさすがは当代一流の歌人だと思います。



  大僧堂。修行僧がここに寝泊りして修行を行う場所です。修行中は座禅も睡眠も全て畳み一畳の範囲で行います。俗に足るを知ることを表す「起きて半畳、寝て一畳」という言葉は、元々禅の修行から来ているのだそうです。中央には僧衣を纏った僧形文殊菩薩像が安置されています。

  法要中のため、写真を撮ることができませんでしたが、続いて訪れたのは伝光堂です。鶴見に移転した当初、まだ法要を行うお堂がなかった時、山形県鶴岡にある総隠寺が本道を献納して移築されたのだそうです。そのため、屋根の軒先が長い、柱の数が多い、畳を少し高くしてあるなど、雪国ならではの特徴が見られます。



  放光堂から大祖堂へは、昭和40年に作られた地下廊下を通ります。上の写真は先ほどの大雄宝殿の裏側地下に位置するところです。



  大祖堂。中国から曹洞禅を伝えた道元禅師や瑩山招瑾禅師を祀っています。千畳敷き、鉄筋コンクリートの巨大なお堂です。



  紫雲台侍局。總持寺の貫首(禅師)が住んでいるところです。当然、中には入ることができません。



  紫雲台。1914年(大正4年)に完成した、禅師が他の寺院と接見する場所です。



  上の写真の「紫雲台」の書は東郷平八郎元帥の筆になるものです。

   

  襖絵は大正時代の近代日本画の大家によるもので、それぞれ絵に因み、龍の間(狩野探令)、孔雀の間(佐竹永陵、島崎柳塢、今井爽邦、森脇雲渓、広瀬東畝)、雁の間(池上秀畝)、松の間(松林桂月)と名前がつけられています。



  待鳳館。大正時代に東京・千駄ヶ谷にあった旧尾張徳川家の書院を移築したものです。天璋院(篤姫)が亡くなったのがこの書院であったということです。總持寺の迎賓館として使われています。



  最後は香積台に戻ってきます。今は受付として使われていますが、元々香積台とは炊事をする庫院(くいん)を意味するのだそうです。したがって、上の写真のように五穀豊穣の神である大黒天が祀られています。

大本山總持寺

横浜市鶴見区鶴見2-1-1 



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