針の好きな愛読書には、生涯の書、「三国志」、「三侠五義」「三銃士11巻完結」その他、ありますが、この中の、「三侠五義」の話。 侠とは侠客の事。で三侠とは北侠事、欧陽春、南侠事、御猫展照、双侠の丁兆蘭、丁 兆惠と陥空島の五鼠、五鼠(ごそ)とは
鑽天鼠(天をくつがえす)の盧方(ろほう)
徹地鼠(穴を掘り起こす)の韓彰(かんしょう)
穿山鼠(山をうがつ)の徐慶(じょけい)
混江鼠(江をくつがえす)の蔣平(しょうへい)
錦毛鼠(にしきを着た)の白玉堂(はくぎょくどう)
侠客とはいっても、日本の侠客とちょっと違います。中国の侠客は忍者の様に、塀を飛び越え、暗器を使い、悪辣な事をしている者がいると、家に忍び込んで、成敗したり、弱い困っている者がいると、大金を持たせて救ったりします。つまり義に生きているんですね。この辺りは日本と中国とは、ちょっと、国状を異としますね。
有名なところでは、梁山泊の英雄達がいますし、新しいところでは、燕青拳・迷踪芸(めいそうげい)の大侠・霍元甲や形意拳の郭 雲深、八卦掌の董 海川がいます。こう言うと、伝説上の人かと思うかも知れませんが、梁山泊の地煞星を除いて実在の方々です。(水滸伝の原文は大宋宣和遺事です)
事の起こりは、皇帝の前で、御猫展照が技を披露した事が、錦毛鼠の白玉堂の癪に障った事から始まります。(ネズミだからね。猫が皇帝に可愛がられるのが許されないのさ。)
その話しの荒筋・経緯は読んで頂く事として、この方々は、所謂、世間様に、あの御方は誰誰と、名前も知れているし、功名も万人に知れ渡っています。所謂、陽侠。
ただし、この方々も、自分達がやった事は上手く隠しています。
一方、侠客には、世間の人々は、名前も知らなければ、功名は尚更知らない。人を成敗しても、それは、「妖怪の仕業、不慮の死に見せかける」。こういう人達を陰侠といいます。簡単に陰侠とはいいますが、世間に自分の存在を明かさない、知られない。時には、愚鈍を装う。普段はトンチンカンな事さえ言う。これは極めて困難な、大変な労力なんですな。是は、日本の、「根」に似ています。
兎角、人からチヤホヤされる事を好むものですが、この人達は、何の報酬も功名を求めない。ただ、悪徳な者を成敗した時に、家財を一切合財、持ち去りますが。(このお金は困った人達がいると惜しみなく施しをします。)
この物語では黒妖狐の智化、小諸葛の沈 仲元がそうだ。
中国ではこの「黒妖狐 智化が冠を盗む」が京劇であります。」[智化盗冠]
前者・陽侠は、日本では、幡随院長兵衛とかでしょうかね。(ちょっと違うか)。前にもいいましたが、日本のは飛んだり跳ねたりしません。
後者は今、流行の「必殺・仕事人」の人達でしょうかね。 後者のこの陰侠は、チョッと間違えると、ただの偏屈者の殺人者になりかねない。
よっぽどの信念・正義・自分自身の確立がないと、義侠の心が無駄になりかねないのであります。正義、義侠、智謀、学識、人格が全て備わっていないと、壮漢とか好漢(オトコダテ)とは認められないのだ。
中国でこういう人達が、現れた背景には、賄賂諌言が蔓延っていたのもありますよね。法があっても、いい加減な役人が適切な処理をしなかったのもありますので、国民自身が法になって、悪事を片付けていたのもあります。(なんせ、お金を積めば、死刑でさえも、免れて、遠島、流刑になったりします。
で、別に世間に知れなくても、不満にも、癪にも思わないんですね。一般に壮漢・好漢と言われるにはこの位の気持ちでいたいものだ。また、そうでなくとも、それに近い気持ちは持っていたいですよね。
「大道、親を滅す」じゃないんですけど、「その人の為」「その人の将来の為」なら、時には「良く思われないのを承知で」対応する。う~ん、なんか、「方便」にに似ていますよね。これは結構辛いんですな。よく思われないのを承知で、時には嫌われるのを厭わないで、応対するのも、好漢、壮漢の辛いところなんですね。あはは、ちょっと格好いい事を言っちゃったぜ。
気持ちの上では、「泣いて馬ショク(字が出てこないぞ。馬+畟。)を切る心情かなあ!」←出来もしないくせして!。フン。