都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
読響名曲シリーズ 「ドヴォルザーク:交響曲第8番」他 ヴロンスキー
読売日本交響楽団 第2回オペラシティ名曲シリーズ
オール・ドヴォルザーク・プログラム
ドヴォルザーク「序曲 謝肉祭」作品92
ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲 イ短調」作品53
ドヴォルザーク「交響曲第8番 ト長調」作品88
管弦楽 読売日本交響楽団
ヴァイオリン アラベラ・美歩・シュタインバッハー
指揮 ペトル・ヴロンスキー
2011/5/14 18:00~ 東京オペラシティコンサートホール
読響オペラシティ名曲シリーズより、ヴロンスキーの「オール・ドヴォルザーク・プログラム」を聴いてきました。
当初予定のマーツァルに代わり、急遽指揮台に立ったヴロンスキーですが、その務めを十分に果たしたのはもちろん、思いがけないほどの名演を聴かせてくれたと言っても過言ではありません。
1946年にプラハで生まれ、その後世界各地でキャリアを築いてきたヴロンスキーは、いわゆるご当地もののドヴォルザークの音楽から、驚くほど生気に溢れたリズムと華やかな響きを引き出してきます。
冒頭の「謝肉祭」から、「何かが違う。」と感じられた方も多かったかもしれません。ボヘミアの街のお祭りを表したこの曲を指揮するヴロンスキーはまさにノリノリで、それこそ人々の集った宴から発する独特のカタルシスまでを示してきます。まさに熱狂の謝肉祭でした。
そしてそのような指揮に半ばあおられたかのように演奏する読響も好調です。スラブ音楽の持つ独特なリズム感を全身で表現し、色彩感にも豊かな響きをホールいっぱいに満たしていました。
そのスラブ色の濃い演奏でより名演となったのはメインのドヴォ8です。かつてN響でエリシュカが振った際も非常に感心しましたが、それが細部に見通しのよい、音楽の全体の構造を提示してくるような演奏だったのに対し、ヴロンスキーはさながら音楽の持つ原初的なエネルギーを解放するかのようなアプローチで攻めてきます。
交響曲というよりも交響詩的な演奏と言えるかもしれません。ボヘミアの魂は一つの大きなうねりをもって音楽に取り憑きます。それは良い意味で泥臭いドヴォルザークです。曲を覆う音楽的な構造云々は一端取り払われ、その核心、まさに剥き出しとなった音楽の心だけがひたすら真摯に、また実直に表されていました。
この曲がまさかこれほど民族色の濃いものだったとは思いもよりません。スラブの大地と空の情景が思い浮かぶような見事な演奏でした。
なお同楽団のWEBサイトにヴロンスキーのメッセージが掲載されています。
「ペトル・ヴロンスキー氏が来日。読響と24年振りの共演へ!」@読売日本交響楽団
ヴロンスキーは24年ぶりに読響を振ったそうですが、さらなる共演を願ってやみません。これほどドヴォルザークの音楽に心揺さぶられたのは初めてでした。
オール・ドヴォルザーク・プログラム
ドヴォルザーク「序曲 謝肉祭」作品92
ドヴォルザーク「ヴァイオリン協奏曲 イ短調」作品53
ドヴォルザーク「交響曲第8番 ト長調」作品88
管弦楽 読売日本交響楽団
ヴァイオリン アラベラ・美歩・シュタインバッハー
指揮 ペトル・ヴロンスキー
2011/5/14 18:00~ 東京オペラシティコンサートホール
読響オペラシティ名曲シリーズより、ヴロンスキーの「オール・ドヴォルザーク・プログラム」を聴いてきました。
当初予定のマーツァルに代わり、急遽指揮台に立ったヴロンスキーですが、その務めを十分に果たしたのはもちろん、思いがけないほどの名演を聴かせてくれたと言っても過言ではありません。
1946年にプラハで生まれ、その後世界各地でキャリアを築いてきたヴロンスキーは、いわゆるご当地もののドヴォルザークの音楽から、驚くほど生気に溢れたリズムと華やかな響きを引き出してきます。
冒頭の「謝肉祭」から、「何かが違う。」と感じられた方も多かったかもしれません。ボヘミアの街のお祭りを表したこの曲を指揮するヴロンスキーはまさにノリノリで、それこそ人々の集った宴から発する独特のカタルシスまでを示してきます。まさに熱狂の謝肉祭でした。
そしてそのような指揮に半ばあおられたかのように演奏する読響も好調です。スラブ音楽の持つ独特なリズム感を全身で表現し、色彩感にも豊かな響きをホールいっぱいに満たしていました。
そのスラブ色の濃い演奏でより名演となったのはメインのドヴォ8です。かつてN響でエリシュカが振った際も非常に感心しましたが、それが細部に見通しのよい、音楽の全体の構造を提示してくるような演奏だったのに対し、ヴロンスキーはさながら音楽の持つ原初的なエネルギーを解放するかのようなアプローチで攻めてきます。
交響曲というよりも交響詩的な演奏と言えるかもしれません。ボヘミアの魂は一つの大きなうねりをもって音楽に取り憑きます。それは良い意味で泥臭いドヴォルザークです。曲を覆う音楽的な構造云々は一端取り払われ、その核心、まさに剥き出しとなった音楽の心だけがひたすら真摯に、また実直に表されていました。
この曲がまさかこれほど民族色の濃いものだったとは思いもよりません。スラブの大地と空の情景が思い浮かぶような見事な演奏でした。
なお同楽団のWEBサイトにヴロンスキーのメッセージが掲載されています。
「ペトル・ヴロンスキー氏が来日。読響と24年振りの共演へ!」@読売日本交響楽団
ヴロンスキーは24年ぶりに読響を振ったそうですが、さらなる共演を願ってやみません。これほどドヴォルザークの音楽に心揺さぶられたのは初めてでした。
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