決闘が終わっての衝撃展開からの4話でしたが、
学園内のスレッタたちの立ち位置を描いた話数だったのかな。
アーシアンやスペーシアンというガンダムで触れられる差別に触れ、
学園ものらしく落とし込んだ話数だったのかなという感。
今回見ていて子供たちの話が中心になると学園内の話になって、
やっぱ大人が動かないと話が進まないんだな、と思ってしまったな。
物語の転換点が子供の力ではないところに無力感を感じるというか。
割と普通の話でもあるかもしれませんが、
子供だ大人だを何十年もやってきたシリーズなので、
その辺、気にしてしまいますね。
泣いちゃうスレッタさん辛い。
地球寮のシーンで動物を見てたじろぐ姿とかを見て特に思ったんですが、
やはり声の力が大きくて、やはり中の人凄いなと思ってしまったな。
パイロットスーツきて泣くの涙拭けなくて大変そうといつも思いますが、
今作は吐息だったりでスーツの中の水滴を割と描いている風で、
その辺がちょっと気になります。
水星の水の字にかけているのかなという感じですが、
自分の体なのに触れることのできないもの、
不快なものを取り去れないこと、
そういうことを含めての意味合いなのかなぁと思ったりも。
不自由さというか。
母親も腕がサイボーグ化していますが、
肉体の延長の先に自分ではどうにもできない体になることについて、
みたいな延長線があるのかどうなのかという感じというか。
ミオリネが植物を育てているのも水が必要なので、
水の流れ、循環が何かしらの比喩になっていそうではあるかな、と。
そういうのが何かを追って見れたらいいですね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます