流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

米たにヨシトモファン 京アニに興味あり アニメ語りメイン

天気の子 を語る

2019-07-26 00:00:32 | ■アニメレビューとか
イオンシネマ三川で見てきました。
今年一番の注目作として楽しみにしていました。
あまりにも辛い事件があり、
今後自分は作品とセットで思い出すことを避けられない作品だと思いますが、
今のところ事件に引っ張られるような話題は見かけず、ちょっとホッとしています。

最近アニメ映画を見ていると必ず今作の予告を見せられるので、
予告が果たしてどれだけ物語りに沿ったものだったのかが個人的に見る前は楽しみでした。
自分がよく見た予告は下記の動画。

■映画『天気の子』予報②
https://www.youtube.com/watch?v=VGksHFs04Rc
以下予告を見ての感想、疑問点の羅列。

・決定的に変えてしまったことって何だろう?
→雨が降り続く世界が晴れる、または雨が恒久的に降り続けるか降らなくなる?

・都市に光が差す一連
→曲と合わせて高揚感が凄い。
1カットだけ『秒速5センチメートル』の予告18秒辺りを思い出す。
https://www.youtube.com/watch?v=1X95eE2fwuc

・天気がもたらす効果を知る。
→天気の価値をあまり意識していない世代ということ?

・銃の意味するところ。
→流血沙汰はあまりやってほしくない。銃というイメージをあまり扱ってほしくはなかった。

・線路を走る。
→電車に乗って黄昏るのが新海節だと思っていたので、
線路を走るってだいぶ前向きな主人公だなという印象。

・都市を見下ろす構図、自分の中ではシゴフミだな。
→シゴフミ 3話 を語る
https://yaplog.jp/lucyman/archive/1149
思ったより天気の子に通ずる感想っぽい感じがして面白かった。
本編も見てみようかな。

まあ予告を見ての感想なんてどうでもいい気もしますが、
きみなみも予告を見て気になるところを見る感じだったので、
とりあえず予告の感想も書いた方がいいかなと思ったので今回は書いてみました。
以下ネタバレ感想。



最初のシーンで母の死の予感させる病室、雨、
そして涙のメタファーのように見せる陽菜ごしの雨。
雨が一般的な演出意図を持つもの、不吉なもの、悲しみの先にあるものという描き方で、
序盤から雨に不のイメージを見せつけてくるのがちょっと気になる感。
その対比として差し込む光が希望として象徴されるのは正に予告で何度も見せられたシーンだなと。
母と一緒に空が見たいっていう感情も陽菜はもっており、
それが一般的な価値観だと知らないところが後々に響くのかなとこのときは思ったり。

全くどうでもいいけど、個人的に空の上の世界は『天外魔境ZERO』の高天原のイメージ。
まあ日本的なイメージの世界としてはそこら辺っていう印象だけれども。

雨を晴らす女子から雨の中ではしゃぐ男子。
船で移動するの割と新鮮な感じだったなぁと。
帆高の回送や雨に付きまとわれるような印象から凄い雨男なのかなと個人的に思えたり。
光を追いかけるシーンなんかは過剰にその疑いを煽られている気がして、
晴れ女VS雨男の話で、俺が雨男だから、という話になるのかなと思ったけど、
そんなことはなかったですね。
ただそういう匂わしをしていない訳ではないというのがやや気になる感じだった。

あと帆高がバイト探しで風俗店に行くのをためらわないのを見て、
家出少年少女はこうやって反社と関わりを持つというのをポップに描いていて、
こんなたくさんの人が見るような映画でそれやっちゃうのか、というビックリ感もあり。
ヤフーの知恵袋を駆使するのが若者なのか、ふーむという感も。

あと新宿のマックでよく時間潰してるので本当に見たことある風景ばかりで凄いなーと思ったな。
毎日通ってたころこんなことしてくれる店員いなかったなと思ったら後々出てくるヒロインでビックリ。
この作品、一度会った人物を必ず覚えているので、凄くアニメだな!と感じてしまったな。

恩人を頼っての移動、ここも『秒速5センチメートル』っぽいなと思ったり、
須賀圭介がムーを取り出したときは『君の名は』と繋がったなと思ったり。
しかしまさか本当に出てくるとは思わずびっくり。

子供役で花澤香奈や佐倉綾音といった方々が出演されていて、
前作の悠木碧を思い出す感。
花澤香奈で『言の葉の庭』と繋がった感あったけど、
まさか娘設定かと思ったけど年代的にそれはなさそう。
そういう意味では旧作を知ってる人に、
少女というのを注目してほしいという観点もあるのかなと思えたな。
とりあえず保留事項。

帆高、須賀、夏美の生活を擬似家族的に描かれているのがやや気になる感。
帆高は頼れるところは探してはいても両親を探していたわけではなく、
陽菜も親を求める感じではないのがちょっと気になったかな。
大人は徹底して自分たちを切り裂くものとして触れられている感じで、
須賀や夏美の役回りは子供から引き離された親という感じなので、
ちょうど互いが喪失を埋める感じになっていたのかな。
夏美についてはちょっと違うけどそこは読みきれてない感じ。

陽菜が了承済みとは言え水商売に走るのを止めるのはよくやった感があったな。
ここで最初の弾丸が放たれて女の子を救うための力となり、
すぐにそれを捨てたのでちょっとホッとさせられました。
予告で過剰に反応していたのでここで終わってくれてよかったというか。
ただそこに銃があるということは誰かに拾われてそれを利用される可能性がある。
そういう巡り合わせが帆高を追い詰めるのかなとも思っていたんですが、
そこにソレが「ある」という意識が最後に力を与えたというのはちょっとグッと来ましたね。
本当にどうしようもない状況、力もない、
しかしそこにある力の象徴がどれだけ彼を救ったか。
『君の名は』の変電所の爆破と今回の銃に一体どれだけの違いがあるのか。
自分は最後まで銃は出すべきではなかったと思っていますが、
今作ははみ出し者の少年少女の行く末という感があったので、
それもやむなしか、という意識で見ていたなという感。
監督はこういった批判は折込済みだと思うのでそれを一様に批判してもあまり意味は感じないかな。

しかし陽菜が年上だというのも意外で最初ビックリしましたね。
考えてみれば気づいていなかったけどマックでバイトしていたしまあそうなのかと。
まあまたまんまと騙されたわけですが、
途中までは年上属性わかるわーとかキモイこと考えてみてしまっていたな。
中学生と分かったときは唖然としましたが、まあそうだろうなというのも思ったかな。

陽菜が雨を晴らす辺り、
太陽を見せる象徴的なカットと青空の下にいる2人という太陽を見せないカットは、
太陽を見せるカットと何となく連続感に欠ける気がしたな。
陽菜が太陽の光を遮る様に手を伸ばすのを何度も挿入されるのも気になる。
キービジュアルにもなっているので、何かしら意図を持ったカット郡だと思いつつも、
ここも明確なものを読みきれなかったかな。
こじ付けはできそうだけどもうだいぶ忘れたので拾うにはもう一度見る必要があるように思える。

陽菜の家に行ったあたり、料理をする陽菜が気になる感。
料理してるところが今作だと何回か出てきますが、
どのシーンも切断を強調するようなカットが多い気がしたんですよね。
ハサミでチョキチョキやるの新鮮でグッとくるけども、みたいな。
空を見せるカットや陽菜が太陽に手を伸ばすカット、
その他カットに比べればそう繰り返し見せてはいないかもしれませんが、
包丁を入れる、ハサミで切るがやたら気になる印象だったなぁと。

天気を晴らす事業で乗りに乗って六本木ヒルズまで行くの、
正に今をときめく若者感あるなという感。
しかしそんなに都内の人間幸せにしてどうするのか、みたいなのは感じたな。

例の場所で陽菜が消えそうになるからの一連から、
警察、人柱、児童相談所など本来なら多くの人を救ったであろうものから逃げ続けていて、
この本道から外れた少年少女の切実さに徹底的にアプローチしていてグッときたな。
『君の名は』の美しさの1つに彗星がありましたが、
そこから分かたれた彗星、隕石となってしまった少年少女のが『天気の子』という気がしたな。
彗星の分裂を止める手立てがないように、
彼らが道を踏み外すのもまた必然だった。
そういう描かれ方だったように思います。

真夏に雪が降る都内。
ラブホに泊まる3人。
当然通報されるも、そのときに既に陽菜の姿はなく、
都内は陽炎に包まれたように白くとび、
本来であれば鮮やかな世界が光によって色を失ったかのような日差しが印象的でした。
この光を陽菜は恐れていたのかもしれないな、とも思ったり。
しかし雷を操りだすと一気に神の力をふるう感じが出てくるなという感。

須賀が最後に帆高につくの、やはり陽菜ともにいたいという願いが、
子供の願いと同じような願いを持つことに対する反発なのかなという気がする。
対比の結果として大人の役割をこなすことを余儀なくされる、みたいな。
帆高と同じではない、自分は子供ではないという子供がいる親の思考というか。
大切なものの順番を入れ替えられない、という気になる台詞がありましたが、
一番大切なものをわかっているというのが背中を押す格好だったのかもしれませんが、
だいぶ忘れてしまったので見返すときは気にしたいところかな。

グランドエスケープ。
最後に帆高が陽菜は予告と意味合いが全然違っていて、そっちに振れた感が凄かったな。
この一連、劇場内のトラブルで集中して見れなかったのでここをちゃんと見るためにまた見たい。
帆高が雲を抜けて落ちていくあたりは『君の名は』の彗星の落下のまんまという感じで、
やはり意味合い的には隕石なんだなと思ったな。
予告では多くの人に晴れを届ける形で「グランドエスケープ」が流れていましたが、
ここでは帆高の願いを後押しする形で流れていて、その反転にグッときたな。

監督のインタビューで曲が5曲あることは知っていたので、
鑑賞中は今が何曲目か数えていて、予告の曲が最後だなと思ったところで流れて、
肯定感の力強い感じでグッときましたね。
TVで久々に『君の名は』を見たときに最後に隕石が落ちてくる辺りの曲に凄くグッときていて、
こんなにグッとくる感じだったのかと感動したので、
今作も終盤の曲がグッとくる形で嬉しかったな。

雨が降って水没した東京などは正に糸守だなという感じでしたが、
例の場所で陽菜を見つけたところでまたグッとくる感。
こういう肯定感はやっぱ好きだなと思えたかな。
まだ陽菜が祈るような格好をとっているところにはまた思うところがありますが、
いい加減長くなってきたのでまた見返したら感想書こうかなと思います。


2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名で失礼します)
2019-07-27 17:37:27
小気味良く鋭い感想で、いつもながら共感と感動を覚えます。少し気になった点をコメントしていただきます。

帆高が初めて銃を撃つシーンからは、向こう見ずな印象を受けました。陽菜に糾弾されたあとに思い出したように恐怖で手が震えてくる帆高を見ると、銃の力に振り回されている気がします。
一方で、新海誠監督の過去作では、子供の無力さがゆえに手を伸ばしても届かないことばかりでした。銃が救いであるという発想は、なるほど、と思わされました。

陽菜が太陽に手をかざすカットは、彼女の手がほんのり透けてみえる血潮の赤色に目を奪われます。彼女が生きていることを強く感じさせられます。それと対比して、街灯やラブホテルのベッドライトで腕が透けるカットからは、人柱として消えていく未来を暗示させる不安や焦燥を覚えます。
私はあのカットから童謡の「手のひらを太陽に」を思い出します。太陽の下で生きていく人類の生命の尊さや美しさを感じます。
帆高の回想のなかでこのカットが出てくるのは、陽菜に会いたい、陽菜に生きてほしいと願っているからだと思います。そういう温かく、力強い効果があるのではないでしょうか。
返信する
Unknown (流星の人)
2019-08-12 19:49:40
ありがとうございます。
コメント返し遅くなってしまい申し訳ないです。

自分も2回ほど見返しましたが、
帆高が船で水をかぶるところでライトが割れるとの、
発砲でしてライトが割れるのは関連して見た方がいいのかなと思ったので、
理不尽な暴力としての天気、対比として銃があるのかなとも思えました。
どちらも共に光を壊すというイメージが似通ってるのが気になるかなと。
帆高も発砲は天に向けてばかりですよね。

>陽菜に会いたい、陽菜に生きてほしいと願っているからだと思います。そういう温かく、力強い効果があるのではないでしょうか。
見返していて、
天気なんて、狂ったままでいいんだ!という帆高のカットで、
太陽が端に隠れるような配置になっているので、
光よりも帆高の手を取ることを優先した陽菜の心情に沿った演出なのかもとも思えました。
光より互いの手を取るのを選んだ。
それが今作だったということを象徴するカット群なのかなと今は思えます。
返信する

コメントを投稿