●ふぁんたじあ (93年)
脚本:隅澤克之
絵コンテ・演出:神谷純
キャラクターデザイン・作画監督:黄瀬和哉
原画:浜名孝行 石井明治 小村方宏治 岡田和久 大竹逸子 後藤隆幸
I.GのGは後藤隆幸のG。
というわけでI.G制作のOVA。
スタッフ見るとI.G新潟が既にあったりとか、
パッケージには制作:プロダクション・アイジーとあるのに、
EDのクレジットはI.G TATSUNOKOになってたりだとか、
当時のゴタゴタした雰囲気が感じられるような気がしたなぁ。
この角度キビシー。
不意に挿入される女の子の手の仕草とか気になったかな。
丁寧な芝居、というより、
『そうした見えない仕草も想像してしまう男』というのが気になったというか。
雰囲気を醸し出そうと音楽流すときに見せられるコンポのディテールとかも。
妄想にリアリティを持たせようとしていたのが気になったというか。
絨毯にこんだけ毛が付着してるのもなんだかな。
拾い物だけど。
この中にヒロインたちの住んでいる世界があるわけですが、
『優しい人間』というのを求めるヒロインたちが住まう世界の枠が毛で覆われてるってのも。
わざわざこうして世界の『汚さ』を描き出してるのが引っかかるかな。
ケーキを持って主人公の家に行く女の子。
この主人公、何気にモテてるんだなぁ。
これがヒロイン。
しかし、このヒロインが今いる主人公の彼女に勝てる要素って全然見つからんのよね。
冒頭のたった数分、数十カットにしか現れない彼女に歯が立ててないというか。
彼の中にあるのは『彼女との世界』なんじゃねーかなぁ、と妄想を見せられると思うわけで。
とかゴチャゴチャ思ったんですが、ただ単に自分が彼女の方が好みなだけだな(笑)
だから彼女を怒らせる原因を作ったヒロインを罵倒し、
魔法を使うヒロインを否定するのは当たり前という感覚なのですが、
その中に主人公は一抹の不安が過ぎってしまう。
そうした『人を傷つけてしまったこと』に敏感な演出がちょっと気になった。
主人公の百面相がある意味この作品の見所なんですが、
ヒロインの生い立ちを知って自らの犯した罪をかみ締める主人公っていうとこ、
やけに顔のディテールがリアルよりになっていったのが気になった。
周りの美少女キャラもちょっとリアルよりな感じになって、
なんか『かみちゅ』の何話だったかみたいな印象が。
個人的にこの辺の苦悩の表現はグッときたなぁ。
妄想の中のディテールもそうですが、
キャラクターたちの『求めるもの』の抜き出し方が面白いような、と。
例えば、「妄想」ではコンポのディテールに代表されるように、
雰囲気を作ることを重視していることが伝わってくる。
しかしここは主人公の『後悔』や『悩み』を抜き出してるのが興味深い。
『あのときああすれば』という決まり文句をうまく省いていていいなぁ、と個人的には思います。
それは現実には『理想』の形、それが存在してないことも端的に意味している気がしますし。
あるのは「妄想」だけ。
そういう身勝手さ、エゴに気づいた『苦悩する人間』こそが、
ヒロインの「妄想」している『優しい人間』なのではないか、と思わせられるというか。
ディテールの細かさとはそうした『求められているもの』をあらわしてるのでは、というか。
絨毯が『汚い』のは、『優しい人間』がいるなら前提に『優しくない人間』がいないといけない、
ということなのかなぁ、とか思ってみたり。
そういうのを扱ってるのかなぁ、とかボンヤリ見てて思いました。
そう考えると、冒頭の買い物帰りと思しき主婦たちが主人公の行動を『常識』で捉え、
それに対する嘘がヒロインの『求めているもの』となってるのも引っかかるような、とか。
まあ、なんかどうとでも言える気がするし、まとまらないのでどうでもいい話なんですが。
脚本:隅澤克之
絵コンテ・演出:神谷純
キャラクターデザイン・作画監督:黄瀬和哉
原画:浜名孝行 石井明治 小村方宏治 岡田和久 大竹逸子 後藤隆幸
I.GのGは後藤隆幸のG。
というわけでI.G制作のOVA。
スタッフ見るとI.G新潟が既にあったりとか、
パッケージには制作:プロダクション・アイジーとあるのに、
EDのクレジットはI.G TATSUNOKOになってたりだとか、
当時のゴタゴタした雰囲気が感じられるような気がしたなぁ。
この角度キビシー。
不意に挿入される女の子の手の仕草とか気になったかな。
丁寧な芝居、というより、
『そうした見えない仕草も想像してしまう男』というのが気になったというか。
雰囲気を醸し出そうと音楽流すときに見せられるコンポのディテールとかも。
妄想にリアリティを持たせようとしていたのが気になったというか。
絨毯にこんだけ毛が付着してるのもなんだかな。
拾い物だけど。
この中にヒロインたちの住んでいる世界があるわけですが、
『優しい人間』というのを求めるヒロインたちが住まう世界の枠が毛で覆われてるってのも。
わざわざこうして世界の『汚さ』を描き出してるのが引っかかるかな。
ケーキを持って主人公の家に行く女の子。
この主人公、何気にモテてるんだなぁ。
これがヒロイン。
しかし、このヒロインが今いる主人公の彼女に勝てる要素って全然見つからんのよね。
冒頭のたった数分、数十カットにしか現れない彼女に歯が立ててないというか。
彼の中にあるのは『彼女との世界』なんじゃねーかなぁ、と妄想を見せられると思うわけで。
とかゴチャゴチャ思ったんですが、ただ単に自分が彼女の方が好みなだけだな(笑)
だから彼女を怒らせる原因を作ったヒロインを罵倒し、
魔法を使うヒロインを否定するのは当たり前という感覚なのですが、
その中に主人公は一抹の不安が過ぎってしまう。
そうした『人を傷つけてしまったこと』に敏感な演出がちょっと気になった。
主人公の百面相がある意味この作品の見所なんですが、
ヒロインの生い立ちを知って自らの犯した罪をかみ締める主人公っていうとこ、
やけに顔のディテールがリアルよりになっていったのが気になった。
周りの美少女キャラもちょっとリアルよりな感じになって、
なんか『かみちゅ』の何話だったかみたいな印象が。
個人的にこの辺の苦悩の表現はグッときたなぁ。
妄想の中のディテールもそうですが、
キャラクターたちの『求めるもの』の抜き出し方が面白いような、と。
例えば、「妄想」ではコンポのディテールに代表されるように、
雰囲気を作ることを重視していることが伝わってくる。
しかしここは主人公の『後悔』や『悩み』を抜き出してるのが興味深い。
『あのときああすれば』という決まり文句をうまく省いていていいなぁ、と個人的には思います。
それは現実には『理想』の形、それが存在してないことも端的に意味している気がしますし。
あるのは「妄想」だけ。
そういう身勝手さ、エゴに気づいた『苦悩する人間』こそが、
ヒロインの「妄想」している『優しい人間』なのではないか、と思わせられるというか。
ディテールの細かさとはそうした『求められているもの』をあらわしてるのでは、というか。
絨毯が『汚い』のは、『優しい人間』がいるなら前提に『優しくない人間』がいないといけない、
ということなのかなぁ、とか思ってみたり。
そういうのを扱ってるのかなぁ、とかボンヤリ見てて思いました。
そう考えると、冒頭の買い物帰りと思しき主婦たちが主人公の行動を『常識』で捉え、
それに対する嘘がヒロインの『求めているもの』となってるのも引っかかるような、とか。
まあ、なんかどうとでも言える気がするし、まとまらないのでどうでもいい話なんですが。