流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

米たにヨシトモファン 京アニに興味あり アニメ語りメイン

明日ちゃんのセーラー服アニメ 12話 を語る

2022-03-27 05:55:50 | ■アニメレビューとか

原作通りであまり言う事はない、かな。
OPのシルエットでここを持ってくるだろうという意識はあったので、
期待通りのものが見れて大満足という感。

あと今作はBGMでピアノやヴァイオリンがメインの曲だと、
どうしても最終話を意識した感じだったのかなぁとか、
そういうことを考えてしまっていたな。

今回途中でピアノとヴァイオリンが重なって木崎さんが分身したような感じになりますが、
そういう音が重なり合うような瞬間を感じられるステージだったのかなと思います。


軽音部が終わってから演劇部へ。
アニメのステージイベントは大体が演劇か軽音かという感じですが、
06年の涼宮ハルヒの影響ってまだあるんだなと感じたな。
というのも出し物のステージイベントで軽音部の後というのは、
歴史的にハルヒ後っていうのを意識せざるを得ないので、
あの後を引き継ぐ覚悟がないとこういう見せ方はやらないんじゃないかと感じたので。
あとセーラー服主体に考えると、涼宮ハルヒ+けいおん!という形は意識しちゃうかな、みたいな。

けいおん!を主体に考えるとステージ上の内輪感、
つまりは明日小路と木崎江利花の高密な繋がりを意識しちゃうけど、
ハルヒを意識すると外側と繋がること、クラスメイトたちの繋がりを意識させられて、
ホントに話的な意味でも制服的な意味でも、いい線いっているのかな、とか思います。


ステージがライトでボヤっと光ってる感じが観客席側から見る生っぽさがあったかな。


しかしステージ上は明るく。
床の反射によって雅な舞台に立つことを印象付けられますが、
その舞台を一番目にするのはステージ上にいる小路たちで、
それ故の緊張感がある感じが良いかなと。


音の聞こえない世界に入る音。
足音という自分が奏でた音を他人が踏襲する。
自分の音しか聞こえない、足音は自分だけのもの、からの意外性。

そして制服ではなくドレス。
セーラー服が明日小路の正装なら、これは木崎江利花の正装で、
その姿でステージに立つ意気込みを感じさせられる部分ですね。
目立つ服を着る2人の意識ってどんなものだろうか、みたいな。
そういうドラマを感じさせるのがタイトルからの引用っぽく印象深いですよね。

服関係は原作の味ですが、音はアニメ特有のもので、
アニメが内包できるものの大きさを意識しちゃうかな。




ダンスや光の加減がかっこよくグッとくるかな。


仕掛け人の兎原さんがステージ上にいつつも音を出さないの、
完全な黒子としてステージと観客を繋いでいる感じで、
本当にグッときますね。
兎原さんが尊重しているものにグッとくる感じというか。


原作にある動きの取り入れ方もいい。
今回、ほかの回に比べても原作通り度高いですね。


ピアノの淵をなぞる反射にトキメク。





ヴァイオリンを渡してステージから消える。
ステージを作ったのは兎原さんが観客に戻る。
合間に入る木崎さんの表情、瞳のハイライトの線的なエフェクト的動きや、
目線の見せ方なんかは繰り返し意識させられる部分でグッときます。


構図的な面白さに影の付けの印象深さ。
特に小路のステージに落ちている影つけ、
原作が割とライトが十字光していて、
アニメも80年代的なエフェクト祭りになる可能性もあるなと考えていたので、
その名残っぽいものが見れた気がして1人で勝手にグッと来てしまった。
ドレスを透過する光で木崎さんのボディラインを印象付けてるのも。



ターンの中で真正面からは見せない涙。
曲が繰り返し、ターンも繰り返す。

前回の記事で日常の中の細かなリフレインに触れましたが、
こういった繰り返しがメインの中で小路の涙が印象付けられるのは、
正しくそういうことだったんだろうなという感で見てしまっていたな。


ミサンガ。
割とこういう小物を使った繋げ方って、
京アニなんかがオリジナルでよくやるイメージでしたが、
今作で特に大きく取り上げないけども、
何気にクラスメイト全員がやっている、ということを徹底して描写する。

このしつこさが割と引っかかる部分でもあるんだけど、
1話の中で統一感を持ってやる凄みみたいなのはやはりあって、
よくやりきったし見せ切ったなという、
そういう制作側の意気込みを強く感じる描写でした。

キャラクター同士の描写というより、
作り手側の気合こそが描写されているんじゃないか、
と感じるところにグッとくるというか。
そこにキャラクターが後退を感じてもその意気込みで納得する、みたいな。




残像、スポットライト、浴びるような光線。
光の描写の多様な形にグッとくる感じ。
9話で光のパイプオルガンの話がでましたけど、
正にそういうものを意識させるようなラストが個人的に好きです。
原作のテイストが残ってる感じも好み。


後姿が非常に雅ですね。
後ろを振り向かないところに時代の流れを感じたかな。


完全に観客と化した兎原さん。
2人を繋ぐ役、クラスメイトを繋ぐ役、そしてそれを楽しめる役。
素敵な出来事はやはり下準備ができる人がいないとできない、
小路1人の力ではこの成功はないというのを強く意識しちゃうポイントですね。
兎原さんのドラマは2期ですかね。楽しみです。
という2期やるんだろうか。
個人的にはぜひこの感じで2期やってほしいですが。


小路はややハーモニーっぽい感じかな。
お辞儀を印象的に描いているのにグッとくる。



2人のお辞儀。
ステージの2人の世界ではなく観客とつながる世界、
だけど2人の世界でもある、みたいな。
そういうのが交互にくる感じに広がりがあるのかな、という感。



髪の描写とか細かくて好きです。


1話を彷彿とさせられる。
ステージのジャンプと合わせ、1話繋がりなところにグッときますね。
襟の描写とか、カバンを背負うあたりから描写していて、
そのきめ細かさにグッとくる。


OPの手を引く誰かを引用するような形の、
挨拶をする誰か。
個人的には2人いたので蛇森さん戸鹿野さんペア的な解釈、かな。

最後まで楽しんで見ることができて良かったです。
繰り返しになりますが最初は全く期待していなかったので。
自分が原作既読で好きになれるアニメは稀なので、
稀有な作品になってくれてよかったかなと。

今シリーズはクラスメイトの描写マシマシで最終回を迎える形でしたが、
続くとなると家族の話だったり特定のクラスメイトの話になったりで、
今回みたいな味のある作品になることはないんじゃないかとも思うので、
このシリーズを大切にしてほしい気持ちもあるかな。
どうなるのか楽しみです。

明日ちゃんのセーラー服 9~11話とか を語る

2022-03-20 10:52:36 | ■アニメレビューとか
●9話



髪切り。夏服は一旦お預けで。
フルメタTSR以降、散髪回はつい意識してしまうというか、
構えてしまう感じがするかな。
音響的な髪を刈られる雰囲気が好きなのかもしれない。
ASMRとかで割と定番ですしね。
あと信頼している相手に身を委ねる感じとか。
変身中という儀式めいた感じもあるかな。



読書と眼鏡。
舛成回で眼鏡キャラというのはいいけど8話だって眼鏡キャラやん!
みたいなツッコミを入れたい感。
ただ読書家の女子ってなると全然話は変わってきますよね。ROD。
読書家女子を横目で見る雰囲気を見せてるのが個人的にグッとくるかな。
この作品を見てると忘れがちですが、
女子の仕草をこれだけねちっこく見せるの、なかなかないですし。
左手に栞を差し込んでスタンバってる感じとか、
読み慣れている雰囲気にグッときます。


パンツルックな小路と木崎さんが新鮮ですね。



買い物の中での気づき。
セーラー服を着た人がいる、
というところに反応するかというミスリード。
ショッピングモール内を見て回る中でのやり取りでは新鮮だったかな。


合間に入る小物なども力入ってる感じで。
一瞬で流れますがやはり光物に目が行ってしまうのかな。
兎原さんのマニキュアとか、2期があれば繋がる一面というか、
そういったのをふんだんに盛り込まれている気がします。
木崎さんがアウトドアショップでカラビナいじってるのとか。
ぜひ2期はやってほしいな、という感。



薄明光線。光のはしご。
自分は天使のはしごと呼んでいたので、
宮沢賢治引用の光のパイプオルガン呼称は新鮮だったな。
自分の中のパイプオルガンはロボットとかだったりするので。

宮沢賢治引用は今回が古城さん回だからというのが根本にありそうですが、
こういった美しい情景をそれだけで終えるのはやや勿体ない気もして、
オルガン、鍵盤からのピアノという連想ゲーム的なやつなのかなと、
ちょっと意識しすぎる感じだったり。

ただ木崎さんがパイプオルガンを引用したので、
恐らく彼女が気に入っている表現なのだろうな、という感があり、
実にこの作品のアニメオリジナルらしい回り込み方だな!
みたいなことを思ってしまいましたが定かではない感。


ハンバーガー食べるのに周囲を見るの、
どこの小笠原祥子だよ、みたいなことを思ってしまったな。
ハンバーガーを始めて食べましたという話は色々ありますが、
この食べ方がわからず食器を探す、
みたいなのは自分はマリみての祥子さまをどうしても連想してしまうなと。
小路と木崎さんがパンツルックなのも割とその辺意識してしまうところ。



風船や栞の描写など、読めるところも割と多くて、
またアニオリだけど情報量の多い回で良かったですね。


●10話





積乱雲と窓の合間から見るクラスメイトの姿。
やや7、8話の焼き直し感があるかな。
9話から飛んで水上さんを入れ込むところとかを含め。
アバンが本編とは全然雰囲気違っていて、
やっぱ7、8話辺りの影響があったのかな、みたいなことは思ってしまったり。



ポンポンってこうやって作ったんだっけ、
と遠い記憶を手繰り寄せてたけど全く思い出せず。
ちょっとした懐かしさがありましたね。





空間的な移動というか、入り組んだ構内を歩かせるというか、
姿が一旦見えなくなったキャラを追うカメラワークなんかは新鮮かな。
移動時間やアウトしたキャラがカメラが動くことでインしてくるリズムとか。
小路の一生懸命さというかは伝わってくる感。
構図的にツッコミ入れ用みたいな感じとも重なって、
コミカルであるという感じに寄った感はあったかな。どうなんでしょう。




発育いい系女子。
肉に包まれる感じって書くといかがわしい感じかな。


太陽に向けて。
光をエフェクト的に描くのは7話でもやっていたので、
割と作品が好む作風なのかもなと思えたり。





豪快なスイングは原作のポージングが印象的でしたが、
アニメはアニメで新鮮な感じかな。


●11話



ピアノの存在感が大きいのが新鮮な感じかな。
ステージ上ですが、
入り込む木崎さん側が大きな扉から入っているような感があり、
こういう見せ方もありなんだなという感にグッとくるというか。



なまめかしいポーズも好みかな。
爪を切りピアノを弾くイメージをする。
夜の鈴虫が鳴いている雰囲気の田舎くささというか、
そういった夏の夜の雰囲気の中のピアニスト女子感、良いですね。


原作的にこれ食べるのは兎原さんでは、
みたいな気もしますが、
今の木崎さんの心境はそういうものかもしれないと思うとグッときますね。
最終回は正直めっちゃ楽しみです。





この一連、かなり兎原さんポイント高いアニメオリジナル(原作通りでしたすみません)ですよね。
でも木崎さんがなまめかしいのでついそっち見ちゃうというか。
木崎さんめ!



時折見せる目のクロースアップも意思が感じられる感じにグッとくるかな。



腕オバケ。
色トレスで割と目立っていて目を引きますね。




本を読み終わり、新しい幕が開ける。
もしくは古い物語を読み終え、新しい物語へ出会う予兆、なのか。
こういう演出いいですね。
また9話における古城さんのような読書をしている風景の反復でもあって、
本を読む中にも含む色合いが多様なことに触れているような感があってよい。
アバンが大体教室に入る1日の始まりからスタートしますが、
こういった細かなリフレインが作品を豊かにしているなぁと感じます。
毎日の繰り返しの日常が多様だからこそ変化にグッとくるのかもな、とか。



先生と引きの構図、家の中だったり構内のこういう構図だったり、
風情がある感じで良い感じでしたね。
小路がずっと一緒にいた人という、
奥行きのある人物像としての彩りを意識させてくる感じかなとか。
校舎内や体育館の張り紙など、
小路が6年間1人でいた空間だけどもそこにある寂しさに触れない感じというか、
むしろ人がたくさんいた頃を思わされる、
学校という場が更新されずにまた多くの子供が集まったところにグッとくる感じかな、とか。
ある意味で時が止まった空間描写だったのかもしれない。


個人的にバレー女子の憧れはまだあるかな。



この辺のボール追ってレシーブする感じのニュアンスは好みな感じ。



帰ってきたハンカチ使ってるっぽいのとか。
こういう巡り方をスッと描けるところに本作への信頼感があるのかも。




木崎さんが思い描く夏、なのかもしれない。



リボンがAKIRAのテールランプの残像のごとく。



ここでも太陽は見せるのかという感。




海の上を滑っているというか疾走する姿は綺麗なんだけど、
リボンのエフェクトやカメラワークのアクティブさがちょっと気になったかな。
優雅であってほしい気持ちが強かったというか。
まあ小路のアクティブさを考えるとこれでよさそうな感もあるけど、
三浦コンテだったしバトルアクションではないんだよな、
みたいな引っ掛かりがあったので。



木崎さんの中の小路が若干人形っぽい感じがするのが、
実物大の小路ではないことを強調しすぎている気がするというか。






木崎さんの風に流れる髪がいいですね。
こういう優雅な感じが好きというか。




リボンエフェクトの縦横無尽さは木崎さんを包むという意味では良いけど、
見たい少女を象徴するものではないかなと感じちゃったかな。
しかし水上を滑る少女像っていうのは好きな像でもあり、
ちょっと悩ましく感じる一連でした。
たぶん自分が艦これで見たい描写ってコレだったな、みたいなことも思ったり。



あとBGMがピアノとヴァイオリン?と木崎さんを印象付ける楽器なのも良いですね。
割と7話的な発想な気がするけどそれ以前はあまり意識してなかったのでどうだっただろうか。


最終回は今シリーズ11話分を総括する描写がくるんじゃないかと思うので、
直近の話数を振り返る意味で記事にしてみました。
最後まで楽しんで見たいところです。

アニメ雑記 2022/3/13 を語る

2022-03-13 15:58:39 | ■アニメレビューとか
●ブルーサーマル
見てきました。
映画レビューサイトで見覚えのある方が書かれてるな、
というのがコロナ禍でも見に行くキッカケでした。

以下ネタバレ感想。


映画『ブルーサーマル』ロングバージョン予告(120秒)/ 3月4日(金)公開

見ていて思ったのは物をよく壊すとか、
大事にしない描写にリアリティを感じてよいかなと感じたな。
空港で看板にぶつかる辺りとかアニメだと煙を足しそうな気がするけど、
そういう過剰エフェクトが存在しないのが新鮮でした。
これは目に見えないブルーサーマルをエフェクトとして描かない、
という拘りからも感じた部分で、
橋本敬史という日本有数のエフェクトアニメーターに航空描写を任せながら、
エフェクトというものにあまり頼らずに航空描写を行っているのが非常にストイックに感じました。

自分はヘリに何回か乗った程度の経験しかないですが、
浮遊感や空の描写などは非常の綺麗で良かったですね。
雲から指す光に照らされる一瞬の機体の光の反射など処理が綺麗で非常にグッときます。
上から見た大地の描写も説得力を感じました。

序盤はそういうものの破壊というか、
物を壊したり投げたりっていう日常で物を雑に扱うところからアプローチしてるのが新しい日常描写にように感じました。
車の中に雑に杖を投げ込んだりとか。
なかなか意識しないとこういう描写はできなだろうなと感じたので。

あと物語的に最初から家庭が崩壊してる感じなので、
最初から壊れている関係からどう形が変化していくか、
という感じでもあったので、
破壊というか雑というか、
そういうニュアンスを最初から多めに入れていたのかなという気がします。
なぜ最後にああいう形になったのかきちんと説明されませんが、
壊れたものの再生を願ってそれが叶わなかったとき、
人は消えてしまうという描写だと思ったので、
ブルーサーマルという飛翔で壊れたものに近づこうとするところが、
やっぱ作品的なキモだったのかな。
この辺をどう捉えるかがまだ考えが及ばない感じかな。

機械関係の描写が充実していて良かったですね。
あとこれだけ整備とかやっていて現実の安全意識に則したような描写しておいて、
アニメとかでよくあるワイヤー切れて大事故とか、
そういう雑な展開にされたら嫌だなと思っていましたが、
そういうのがなかったのも好印象かな。

あとEDが本編後ダイジェスト?っぽく、
ハーモニーで描かれてるのも魅力的に映ったかな。

期間限定ですが本編冒頭がyoutubeで見れるのでそちらで見て興味を持ってもらえれば。
【本編冒頭映像11分6秒 期間限定公開!】映画『ブルーサーマル』 / 絶賛上映中!  

天才王子の赤字国家再生術のエンディングとか を語る

2022-03-09 22:20:52 | ■アニメレビューとか


前エンディング。
内フレームでその話数のダイジェストを流して、
最後に2人の秘密基地、2人が2人でいられる空間を見せて締め、
というオーソドックスながら素朴な感じで気に入っていました。
特に出だしで花のフレームが広がるのとかなかなか凝っていて、
最近じゃ椿の花を咲かせて落とした『平家物語』くらいしか思いつかなかったので、
妙にパワーのある、ちょっとしたセンスの光るエンディングだなと。

しかしまさかの完成版?が出現。


ダイジェストではなく王子たちの暮らしの一コマを描いたEDに。
作品の統一感的にダイジェストではなくなったのがやや残念か。
色合いが鮮やかになったのも目を引きますね。
どういう意図なんだろうなとちょっと考えてしまいます。


テロップを打つ人のセンスなのか、
映像的に狙ってるのかわかりませんが、
曲名を見せるところの絵がディテールが細かい絵が来るのもいいですね。
曲名でフォントがやや強調される場面で、
ペンに埋め込まれた宝石を意識させるちょっとした特別感。
本当にちょっとしたところですが、
こういったシンクロの積み重ねを味わうのがやはり好きなので、
ついつい見てしまいますね。
凄いと言われる映像だけが自分を豊かにするとは限らない、
というのを今作のEDを見ていると実感してしまう感じかな。



最後にフレームが大写しになって2人の姿を強調する。
前エンディングとは違いキャラがいますが、
花のフレームの処理が変わっているのもポイントですかね。

前はフレームが透過して消えていく、
ちょっと写真のようなというか、画というイメージが強い形でしたが、
今回は花のフレームをカメラが飛び越えていくような、
作品世界に入り込むような処理になっているので、
2人のいる世界を強調しているのがポイントでしょうか。

前エンディングはあくまで2人がいた過去を、
今回のエンディングは2人がいる世界を、今を見せている。
そういうギャップがあるのが面白いポイントですかね。

前エンディングからスタッフが気になっていたんですが、
本編で気になって調べた方と同じ方だったので、
見直したら当該話数の感想記事とかも書きたいかな。


今作は主人公とヒロインの関係が00年代のラノベっぽくて、
そこが個人的には好きなポイントかな。
自分が大好きなヒロインを認めないやつはぶっ殺す!という、
そういう過激なオタク像を肯定する感じが好きというか。
互いしか見えない共依存的なところとそこにしか見えない自分像など、
なんだか見ていて懐かしい感じがするというか。
割とカツカツな画面っぽいのにキャラの画は結構持たせていますし、
少なくない意地が見えるのも割と好きかな、と。
最後まで楽しんで見たいところです。

その着せ替え人形は恋をする 8話 を語る

2022-03-04 21:10:22 | ■アニメレビューとか

姉妹。
喫茶店のシーンはあまり姉妹のやり取りを1カット内で見せず、
あえてカットを割ってるところにちょっとした断絶を意識させられる。
ジュジュ様の冷淡な反応も妹に好意を表明されたときは戸惑う。
他者の反応と妹からの反応で明確な差がある。



写真を撮っているのは妹なので、
「作者」としてPANアップで写真を見せながら、
あくまで素材はジュジュ様、姉である、
という自らの写真技術を褒められることへの距離感が見て取れる。
しかし姉が褒められるのは嬉しい。
2人の持つちょっとした自尊心の在り処に触れられてる感が好きですね。




妹がカメラを構える素朴な感じ、
シャッターを切る感情にあえて寄らないところにどことない生っぽさがある。
ステレオタイプにはしゃぐのもいいかもしれない、
それは次回やるのかもしれないけど、
思わずカメラを向けたくなる相手というその動作に惹かれる感じ。
好きだ、という感情ばかりを表明することが愛情を表明するとは限らない。
そういうある種のストイックさすら感じる。

これは言葉の限りで2人を褒める喜多川さんとの対比というか、
2人の反応、反抗、なのかもな、とか。


カメラフレーム。
ジュジュ様を撮影する際は、そのフレームサイズも変わる。
普段とは違った雰囲気、妹のオフセリフでの語りは静かですが、
姉の可愛さを引き出そうとするところに、
写真に向き合っているところに眼差しというか真剣みというか、
そういうものを感じずにはいられなかったかな。
そうした感情をすくいとるような技術の見せ方というんでしょうか。
喜多川さんをスマホで撮影する五条くんを思い出すと、
そのまなざしの強さより意識してしまう部分かも。




光属性、闇属性、中間?という感じだろうか。
五条くんのちょっと興味があるような体のふりこなしが目を引くかな。
はしゃぐでもなく、しかしワクワクがないわけではない、みたいな。
今回はフリッカー作画なんかがどれも大げさすぎず外していないという感じで、
自分物芝居は好みな感じ。


個人的に引っかかった1カット。
1話で逆行を背負いに行く喜多川さん不自然だな、
と感じていましたが、逆光というキーワードで攻めたい感じだったのか、
と思うと納得できてくるかなと思えたというか。

光属性の2人は闇落ちしてる2人をそれぞれの力で世間へと橋を架けたわけで、
そういう共通項を描くために1話で逆光という絵が必要だったんだなと思えたというか。
また逆光でその顔に光を当てる存在がジュジュ様にとっては妹で、
喜多川さんにとっては五条くんだったということなのかと思うと、
1話も五条くんを立てた描写と見えなくもない、と思えたというか。
そう思わせる演出の手腕に惹かれる感じというか。
この辺はほとんど演出の方なんでしょうか。それとも監督か。気になる。



今昔の朝アニメを考えると00年代後半にこんな魔法少女アニメやってたっけ?
みたいな気分になるので、そろそろ少女は魔法少女が好き、
というのは時代遅れな気がしてきたな。
もちろんプリキュアという絶対の作品もあるんだけど、
ここで想定されている作品は+まどマギみたいな印象なので。

あと魔法少女の魅力をバトルに絞る様な感じもちょっと演出の好みに寄り過ぎではとも感じる。
何というか強さというのを単純にバトル描写に持っていかれるのは、
何か少女に持っていて欲しいキャラクター像と乖離しているというか。
まあこれは自分の好みですが。

深夜アニメの魔法少女はオタクアニメからのスピンオフが想定させられ、
どちらかというと少女が見ることを想定したアニメとは離れている気がするので、
そろそろ魔法少女という記号から外れて何らかの発明がされて欲しい気持ちが強いです。
ただそうするとやっぱ変身アイドルとかになるんでしょうかね。
だったらプリキュア想定のこの路線でもいいのかな、とか。
悩ましい。



変身アイテムを止めで強調するの、ちょっとグロテスクに感じる。


まあ現実の玩具はアニメのそれと違うというのを強調する意味合いですが、
たださっき見てたアニメでは変身アイテム使うシーンなかったよな、みたいな。
プリキュアとかで変身アイテムを手描きで魅力的に描いているのを見ると、
流石にこういうちょっと嫌悪感あるかな。
まあ変身できない玩具が悪いという表明としてわかるところではあるんですが。




鏡の中、ガラスの中の虚構。
そして鏡の中の実像、しかし存在は虚構、みたいな。
鏡というフレームに映し出される自分。
今回はこうしたフレーム内に見る誰か、というカットが頻発しますね。

コスプレって究極的に鏡の中の虚構、
を楽しむことなのではないか、と思っているので、
それが叶う容姿だったのがジュジュ様の運の良さなのかなと思えたり。




逆光は五条くんから見ても同じなはずだけど、
逆光にときめくのは喜多川さんのみ。
=で括れるほど人間は同一ではないし安くはないという感。

そこにある、世界に確かに存在するものに対する気づき。
それが今作の提示するものの1つであるというのを再認識させられる話数でした。

後半の海は青さではなく白さというか、
そういう風景で見せるのが新鮮だったかな。
確かな眩しさを感じられる情景に品があって良いですね。
作画の良さは色々語られてるのでもういいかなという感。