流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

米たにヨシトモファン 京アニに興味あり アニメ語りメイン

痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。 とか を語る

2020-01-25 09:13:52 | ■アニメレビューとか

2話。
魔法陣の中心から噴出してるの、
荒々しく描いているようで統制された絵のような印象を受けて、
こういうゲームっぽいというか、
正確にそうな絵が作られたものっぽさを増していて、
ゲーム世界のアクションっぽさ、みたいなのを感じたかな。


水中戦は割と新鮮で楽しかったな。
泳ぎも身体性を感じられるような印象で、
体をしなやかに動かしてるのも魚っぽくイルカっぽく新鮮かなと。



ビームを避けるタメツメも楽しかったな。
グッと膝を地縮めてから体を伸ばしての回避、
そこから敵へ加速して画面アウトとその勢いを伝えるエフェクトと。
敵に迫っていくアップの表情を強調する水疱とか、
演出的な側面を含め楽しいアクションだったな。




楽しみにしてた3話。
ヒドラ呼び出すところのエフェクトの変化。
最初2回は円が繋がってないけど、最後の大技は繋がってたので、
これも一種の力の加減の描写なのかなと気になった。
2回目で止まってるコマ数が多いので、
3回目で結構意識的になってしまう感もあって気になる感じ。




苦戦すると左目に力入って閉じ気味になる感じ?
よくある表情の変化ですが、
苦しいって表現が割と少なめな作品なので、
こうした記号的なところで十分そのキャラっぽい表情になる感。


閃光で光の強さを撮影ではなく作画でやっちゃうあたり新鮮だったな。
親友が腕を伸ばしてるポーズも金田系という感。
というか親友の金田感は割と強めで金田ジャンプ的なポーズ多いけど、
ウケはいいみたいなのでやはり顔なのかなという気がする。



自分一人で戦うことに。
そういうところで普段見せない表情になるのがウケてるのかなというか。




だから多少無理な顔を見せてもカッコよさに繋がるのかなと。
スライディングで避けての上体の反動で起き上がるのカッコいいですね。
アングル的な新鮮もありますし。


キメ顔は大事、みたいな。


最後に笑うところ、
正面から見せて最後頭のリボンも画面アウトするので、
ポニーテールの髪型とはちょっと違った印象もあったな。
親友の前では笑顔で。

前半は伊藤さんで後半は田村さんなのかな?
賢者の孫に続いて、
シルバーリンクのアクション系作品としても今後も楽しみなラインかな。

推しが武道館いってくれたら死ぬ 1話 を語る

2020-01-21 22:31:50 | ■アニメレビューとか

桜が綺麗なのと密着マルチで奥行きのある画面作ってるのがいいですね。
木々の間から主人公見せる絵も洒落ていて好み。
ここ桜に落ちている影も別レイヤーで引いてるみたいで、
立体的な空間作ってるのが特に目を引いたな。
オーラが違う感凄い。


そんなリアルな空間を意識した中での出会い。
アイドルと同じ空間にいること。


アイドルがいる日常、風景。
アイドルがいるのが特別な空間じゃないという前景の置き方や、
いちばん大事な顔を見せないところもモブとしての側面として触れていて、
そういうありふれた誰か、みたいな印象があるのが新鮮だったな。



主観でステージのアイドルたちを見ていく中で、
さっき出会った子と目線があって、手を振ってくれる。
チラシを貰ったときは何ともなかったけど、
ステージという場所から見る彼女にどうしようもなくときめく。
そうして沼っていくというキャラの心情がまたどうしようもなく理解できてしまって、
なんかもここの時点でニヤニヤして見てしまって辛い感。


OP。
綺麗で好みなOPなんだけど、
ポスター見てはしゃいでる主人公が唐突で一気にヤバい人感でていて辛いな、
みたいなところがあったんですが、
今作は完全にそういう人の生き様を描いてるという形なので、
やむなしという感じだったんだろうか。
この辺に関して凄い納得いく解釈をしたような気がするんですが、忘れてしまった。



ここのPANダウン、美術が綺麗ですしインパクトのある画面で好み。
飛んでる人たちは2人で傘を持っている。
そこにちょっと毛色の違う傘がまた別のレイヤーでカメラに向かってくる。


すれ違う2人は傘を一緒に傘を持てずにそのまま。


そういう中から主人公が傘を飛ばす。
2人は一緒に飛べたんだろうか、
というのがOPの主題的な感じになっていてグッと来たな。
アイドルものだとアイドルやってるOPっていうのが前に出るので、
こうしてドラマを匂わす雰囲気が出てくるのが新鮮に感じられたな。
真俯瞰の構図も新鮮かなと。
密着マルチで引いて見せるイメージ的な画から実存感のある変化にグッとくるかなと。


アニメなので傘はクローバーになりイメージ的な画に。
冒頭で作った虹にかかるクローバー。
アイドルものだけど、そこに乗ってくるのは2人の物語である、
っていう印象づけと武道館にいる6人に、
対して7人の物語に乗ってくる大きな存在感を持ったクローバーっていうのも、
作品を象徴するペアとして存在感があってグッとくる感。
武道館が雲の上の存在っていうのも順当な位置という感。


主人公えりぴよ。
原作だと小さいコマで描かれてたんで、
こうしてビスタサイズで思いっきり描かれるとなんか清々しい気持ちになる。
こういうのはアニメ化して良かったなと思えるカットだなと思えたり。



お兄さんわたし推しですよね。
わたしのこと好きでいてくれる人が好きなんです。

なんかもう絵力のあるアップとセリフで完全に落とされた感ありますね。
これ言われたら完璧空音推しになるしかないじゃん、
みたいな、アイドル好きになっちゃう心理つかれ過ぎてニヤニヤしてしまう。
こういうツボをつかれる感じが凄い辛いですね。
下谷キャラ強いって感じになりました。


ダンスはロトスコしてるらしいですが、
大人数の動きがうるさく感じなくて落ち着いて見れてちょっと不思議な感。
観客のコールで顔が見えるので、
そういう近さが作るアバンのような日常に近いもののように捉えてるからかな。
基本FIXだからっていうのが最大の理由な気もしますが。
ショボいアイドルだからって作画がショボいわけではない凄み!
という感じの不思議さみたいな。


急なズームアップとかも目を引いたな。
基本的にFIXの画面やファンの前景があったりするところから、
曲調が変わるとこでカット割ってからの一気に寄っていって、
他のキャラとは違った印象をつける緩急が楽しい。
自パートで2回アップの絵があるのも目を引いたけど、
歌で勝負するキャラなのかなという印象もあって気になったかな。
今のところ空音の次に気になる。


えりぴよさん鼻血出してライブ止めて推しに声かけるとか、
なんか痛さMAXで静寂感に包まれたシーンを見ていていたたまれない気持ちに。
えりぴよを追ってライブが見れないことに対する安堵感が勝る感じ。
主人公をおいてライブ見に行ったらいたたまれない感凄いだろうな、みたいな。
なんかそういうオタク心理みたいなのを突かれてる感が刺さるポイントなのかもしれない。



朝の雰囲気。
広角で広く見せる広場の絵も1枚で街の雰囲気を伝えてる感じで新鮮。




今回は何かしら画面の変化があるとSEで強調したり、
時間経過でだんだ遠ざかっていく演出家と思いきや、
アイドルたちの顔を見せたら今度は会場の雰囲気に寄ってく感じで、
もうすぐ開演だっていうオタクたちの気持ちの向きに従ってる感もあり楽しいなと。





チェキ対比。
なんか凄いガチオタの人たちのは写真で、
そして一番刺さるであろう一般人に毛が生えたオタクは最中を。
ガチオタの人のは客観で見せるけど、
一番身近そうなキャラを、
自分を重ねやすそうなキャラを一番ありえそうな絵、
自分がたってるかもしれない絵で見せられてる気がしたな。
1話の中でアイドルに落とされていってるのがわかる絵面で、
自分も沼ったらこうなるっていうのが一番想像しやすくて生々しい感。
恐ろしい。




背景に建物が見える。


建物が消えてる。

えりぴよのアップは意図的に空を見せる絵になってるのがグッときますね。
カメラワークで空が見える横顔のカットから連続して、
段階を踏んで背景のイメージを置き換えているのが自然に感じるし、
えりぴよの曇りなき信念を描いていてグッとくる感じというか。
3枚目の絵はどういう立ち位置で見せてる絵か不明瞭なので、
先のシーンを引用した画という感があるのもちょっとテクニカルな感。
こういうオタクの熱さを綺羅びやかに見せてもいい時代なのか、
という新鮮さもあったかな。


2話も七夕関連オチだったのでそこ重要なんだろうか。



えりぴよの中の人が歌ってるのを聴くと無条件にダンベルを思い出すので、
確実にアニメ界侵食してるなぁという感。
EDも絵的にグッときますね。
しかしCMでは早見沙織がえりぴよ演じてたのか。
それはそれでおしい感。

個人的に今期1番見てる1話な感じ。
楽しんでシリーズ見ていきたいですね。

ランウェイで笑って 2話とか を語る

2020-01-19 18:57:45 | ■アニメレビューとか


ここの髪が左側の髪がちょっと解れるカットが個人的に気になった。
全体的に特に細かく描写するような印象が無い中での1カットだったので。

原作を確認したら両サイドのモミアゲがひるがえって乳首が見えちゃった感じ?
の絵に主人公が照れるような格好だったので、
ここは意図してヒロインの体の繊細なラインを意識させるような、
そういう清さを意識させられた印象だったかな。

あと原作全巻買って確認したら1話は割と丁寧に原作通りに進めていたのに対し、
2話は割と急ぎ目で進めていて、
3話に盛り上がりどころを持っていこうとする戦略も感じられて、
そういうウケ狙いを真剣に考えているのが新鮮に感じられたかな。

TBSの講談社系作品は最近DMMが入ってあまりいい印象はしないし、監督以下スタッフもディオメディア系で、原作の一般性を望まれるようなイメージに対してアウトサイダーな印象が強かったんですが(だからこその新会社なのかもしれませんが)、ヒロインに対しての繊細的な芝居や3話まで信仰を狙ってる姿勢とか見ると、やっぱ原作にある熱を制作サイドも意識してるのかな、とも思って期待したくなるんですよね。

まあ自分の偏見と勝手な憶測だけれども、
そういう中で感じられた熱が新鮮だったし。
今のところ監督がコンテ切られているのでそこも力入ってるように感じるけど、
演出複数、大量の作監を見ると単に時間がないのかどうなのか。
まあそういう熱も感じて原作買ってまで確認しちゃったのかなという感じだったので、
3話は期待ところ。

あと今話登場の森山さんが後半目立っていて印象的だった。
色んな表情をしてくれるのもそうだし、
モノローグで自分の世界に入っていくのも、
主人公2人を差し置いてっていう形なのも目立つ感じ。
中の人の種﨑敦美、鎧塚みぞれしか意識してなかったけど、
wikipedia見たら色んな作品出演されていてちょっとびっくり。 



ヒロインの努力をいたわるのとか、
それは彼女の役目なのかと思いつつ(というかこの人がやる仕事多すぎでは)、
染みる感じでしたね。
クマが強調されてましたが優しい顔になってるのも印象的かな。



自分の世界に入る。
目のアップなど鬼気迫る絵は原作には無い絵だったので、
割と森山さんに入っていく感じだったのが新鮮だったかな。

3話サブタイトルが作品タイトルなので、
ここがダメだったらダメかもな、という予感もあり、
どうなるのか楽しみです。

ヒロアカ 76話について を語る

2020-01-13 20:20:27 | ■アニメレビューとか
なんかもう中村さんの作画が凄すぎて、
逆にどういう現象を描いているのか理解するのが追い付かない感じだった。
場面がかっこ良すぎるのと何となく起こったことはわかるからオールオッケーみたいに思ってたけど、一度自分の中で整理したい。

今回の流れを箇条書きにすると、

1.デクがワンフォーオールを発動
2.左手で殴打
3.かと思いきや空間が暗くなり大量の巨大な拳が出現(殴打のエネルギー?
4.大量の拳が敵を貫通
5.時間差で敵が衝撃を喰らい欠損していく
6.右手で殴打(衝撃時に発生した電撃で敵肉体が焼ける
7.殴って一瞬で敵の肉体を崩壊、飛散させる
8.そのまま離脱
ex.完全に敵が崩壊したと思ったけど最後の方では肉体そのままっぽい?

簡単にこういう流れだと思うんですが、
最後のexは演出チェック時に直せなかったんだろうなという感。
3,4,5の時系列が個人的にちょっと謎。
超高速のパンチを放って衝撃が遅れてくる、
という描写のようにも思えますが、どこか違うのかなと。



中村さんの作画の場合こうした明暗の画面が入りますが、
力の表現を光に見立てている感じがあって(突発的な発光、カメラのフラッシュなどのイメージ)、
個人的に好きな表現。

今回はデクの力が画面右上から左下へ向かっていく、
という流れをカットの連続の中で意識されてる感じがしました。




周囲が暗くなって巨大な拳のエネルギーが強調される。
中村さんシーンではアクションを強調するためか度々画面が暗くなりますが、
ここは上のシーンのように力を発光に置き換えているようにも受け取れるなと。

つまり超高速のパワーを光に見立てると、
それだけ周囲より明るい光になり周囲が暗くなってしまっているのではないかと。


連打が当たる。



カットが変わり徐々に明るくなる。


そしてスローモーションの動きから衝撃で肉体が吹き飛ばされていく。

この一連、敵側が超高速の拳の中で静止しておらず動いているので、
衝撃が後からきたものだという認識だったのですが、
殴打のパワーを光に置き換えたイメージのアクションとするなら、
カット内でのそれぞれの時間の流れは恣意的なもので、
より臨場感を味わえるための選択が成されたための演出的な作画だったのではないかという風にも思えてきて。

板野サーカスで手前が広角奥が望遠のように、
対象によって時間の流れが違うという表現というか。

血界戦線の1話で奥で敵が超高速再生しつつ、
手前で主人公がスローモーションで走っているのを思い出すとわかりやすいかもしれない。
ああいうイメージの発展系なのかなと。

あと右上から左下へって流れは以下のシーンは特にそう感じたな。




右上を強調するように画面を分割する十字光。





敵への一撃。
そこからカメラが引いていってデクの位置が右側奥へ。



十字光で今度は左側へ。
十字で区切って移動を強調されてる感じ。
また画面奥から手前にくることでの高速感の強調もあるのかな。
ただあまりにも変化が一瞬過ぎて一体何が起こっているのかとも思う。
とりあえず構図のカッコよさやどういう状況かはわかる。凄い分かる。
分かるけど、でも速すぎて追いきれない。





この一連、
デクのパンチの衝撃で敵の肉体が円柱状に伸びて崩壊、という凄まじい内容。
画面右上の空の見える円から、
デクがそこから移動してきたというのがわかる。
それだけ凄い速さで、パワーで攻撃したんだというのがわかる。
ただ一体何が起きているのかは一瞬過ぎて追いきれない。
敵が崩壊したというのはわかる。
白く画面に伸びているのは何なのかまでは初見では追いきれなかった。
でも敵が崩壊したのはわかる。



最後は左下から右側へOUTという円軌道で終了。
直線的なパンチの動きから、
円運動で雰囲気を変えて終わるというのがわかりやすかったな。
敵の破片に乗って移動してる感も衝撃を物語ってるようで良かった。


そしてそのまま見ていくと、
敵さん崩壊したんじゃなかったんか、マジか、みたいになる。
この辺は制作上の齟齬という感じなのかな。

今話数は劇場版のビジュアルやBGMを引用する形だったので、
TV→映画→TVという流れで今作を楽しめて良かったです。
今回は他のシーンも見どころ多かったのでまた感想書くかも。
最後にもう百万回は言われてると思いますが、
とにかく中村豊凄い。

とある科学の超電磁砲T 1話とか を語る

2020-01-12 16:32:07 | <とある科学の超電磁砲>

久々の超電磁砲。
禁書本編がやや残念な形になっていたので今作は期待したいところ。
冒頭のフェンス越しのショットで、
早速空の青さを知る人よでみたような構図だなと思ったり。


走る美琴の後ろ姿。
Bパート事件に向かう際にも似たような構図でリピートされるので、
こういう背中を描く作品になっていく予感があるかな。
短パンに触れつつもゲコ太には触れず冒頭で髪飾りの花に触れていて、
そういう女の子っぽいところに寄るところにグッときたかな。
お約束に触れつつも物語的に進んでる感。




食蜂さんとの絡み。
この辺は完全に2期の焼き直しって感じですね。
場所は変えてもやられてる内容はほぼ同じ。
2期ではあまり出番がありませんでしたが、
今期は食蜂さんのターンになるのでそのままやったような感。
2期1話のシーンは長井節が強めに出てるシーンだと感じたので、
今期はその点ややパンチに掛ける印象がしたかな。



この辺の回想の使い方は2期から続行みたいですね。
じゃんけんしてるシスターズ可愛い。
個人的に2期の回想は最終話でやや残念に思ったけど、
一度使ってる形式だけに作品のお約束として入れてるのかな。


こういう背景飛ばしたカットなんかも監督っぽい絵ですね。
応援団のいさかいシーン辺りは好みっぽそうな展開だなぁと、
オルフェンズ後としてはより強く意識してしまいますね。



走りを強調する背中からの足からIN。


真正面からのいつもの構図。



超電磁砲を撃ってキメっていう従来の流れを踏まえていてグッとくる。
今回はコイン2枚だったのでそこで差別化してるのが新鮮かな。

原作は結構前に大覇星祭あたりを読んでいた気がするんですが、
内容きれいさっぱり忘れたので新鮮な気持ちで見れそうで楽しみです。

禁書2期の大覇星祭編は印象的なシーンが多かったので、
ちょっと意識したい感。


Fate/stay night 24話 全て遠き理想郷 を語る

2020-01-09 22:33:35 | ■アニメレビューとか
山口祐司監督が亡くなったと聞き、居ても立っても居られなくなり、
ずっと果たせていなかったSNの最終回の記事を書くことに。
山口さんは自分が幼少のころ多大な影響を受けた『勇者王ガオガイガー』を始め、
色んな作品に関わっていますが、
中でも初代Fateは自分が大好きな作品でした。
恐らくブログ開設以降1番見返した2クール作品なので、
非常に思い入れもあり、見ながら山口監督の動向をいつも頭の隅に置いていたので、
非常に残念です。

ご冥福をお祈りいたしますと共に、
このような作品を手掛けてくれたことに感謝してもしきれません。

本作はヒロインであるセイバーを大事にした作品という印象が強く、
最終回も気合が入った絵が多く、
最後まで見て本当に良かったと思えるシリーズとして気に入っていました。
今はufotableを始め、各社がFateシリーズを手掛けていますが、
どうしてもこの最初のシリーズから離れなれないのは、
ひとえにこの最終回があったからに他なりません。

以下いつもの感じの感想記事。




全て遠き理想郷。
最終回で好きな1カット。
ギルガメッシュがアヴァロンの宝具の解説をしてくれますが、
その時のセイバーは斬撃を放ったポーズを崩さない。
どんな攻撃も通さない無敵の守り、
宝具名「全て遠き理想郷」ですが、
この姿こそがそれだと体現しているようで非常に印象的。
不自然な格好であるからこそ、またセイバー自身が語らないからこそ、
ギルガメッシュが解釈したその胸の内を体現するようで。
BGM名が「孤独の巡礼」なのも引っかかる感。



触らせるのも決してあなたの物にはならないという、
セイバーの宝具を通しての主張からかな。
敗北してから髪型が変わって態度も急変しますが、
誰の物にもならないという儚さを愛でるギルガメッシュの姿もまたグッときます。

ギルガメッシュが散った後で言峰と士郎側へと移りますが、
そこでピアノだけだったBGMが重層的になり、
BGMによって10年という時間の歳月をかみしめる言峰の心情を厚みを持って端的に描いていてGOOD。
タイトル的な引用、シーンとのマッチ感を含め記憶に残るシーンになっています。




やり取りの中の前中後。
引きのシーンでは背景が歪んで、
戦いの中での歪みや異界的な画面になっており、
セイバーも斬撃のポーズを崩さない。

しかしギルガメッシュが散る間際には剣を降ろした姿になり、
画面からは歪みもなくなっている。
ギルガメッシュに対して最後まで敵対的だったセイバーですが、
散り際に見せたであろう表情、動作は見て取れず。
BGMと共にギルガメッシュの鎮魂的な雰囲気を醸し出しますが、
セイバーはどうギルガメッシュを送ったのか、
またギルガメッシュは最後のセイバーの変化を見ることができたのか。
そういう狭間があるのも個人的には魅力的なシーンでした。



話は変わってバトルシーン。
最終回は作画も平均の比ではなく突出していて、
それだけでも非常に新鮮な回。
セイバーがアヴァロンを発動させてギルガメッシュの宝具を跳ね返す一連。
エフェクトや地面が割れるブロック感など目を引くカットが多いですが、
結構撮影処理でボケた感じに。



跳ね返したエフェクトの軌跡がそのまま視線誘導に。
エフェクトが構図を作るという非常に恣意的な構図ですが、
相手に向かっていくセイバーの道行が見やすい。


いつもよりより深く上体を降ろしたポーズ。
この一連もアクションの動作が大きく目を引くカット。




対して宝具を放つのに振りかぶるセイバー。
ギルガメッシュがアンダーなポーズに対してセイバーは上段から。
セイバーが振りかぶる際に青い閃光が舞っていますが、
それを追い抜くように画面に突っ込んでくるセイバーが印象的。
光を追い抜くような勢いと青い閃光の作る、
ファンタジックな画面にグッとくる。



斬撃。
エクスカリバーはビームを出すのでは、とは思いつつも、
画面に向かってくる剣やマルチカットで見せる斬撃がカッコいいです。
セイバーの目を印象付ける閃光の線がまた印象的です。


打ち終わって斬撃の衝撃による風が遅れて吹く。
望遠で見せるように横切る砂塵とSEが決着の余韻を印象付けていて、
これもまたグッとくる。


ギルガメッシュ戦のあと、最後の宝具を放つ前後。
OPと被せるような演出で、
セイバーの姿を大事にしていることが伝わってくるようなカット。
剣の輝きがこれまでの戦いの追憶的な、
これで最後になるという万感の思いを託すような、
OPが語る物語の終わりがここであることを象徴する形が最終回の絵として非常に印象的。





OPを意識したロングショット。
太陽の光を一身に浴びるセイバーはその光に背を向け、士郎を見る。
そしてその光の全てを士郎が受け取る。
セイバーがこれまで歩んできた軌跡とそのドラマを印象付ける形でここもまた非常に印象的なシーン。
ギルガメッシュの時とは違い、
ここでは明確に士郎に胸の内をさらけ出しているのもグッときます。





ED。
幻のようなあの日々がよみがえる、
という歌詞と合わさるように1話からの映像が流れてくるのがまた話の積み重ねを意識させてくれてグッとくるんですよね。最終回でそれまで描いてきたことの決着とこれからの日常を描いているからこそのEDだと思います。
セイバーの出るカットは歌詞と合わせるような印象が強く、その儚い姿にグッときます。
そして最後にぬいぐるみが出ることで、セイバーがいたのは夢や幻ではなく、
その気持ちも記憶も決して嘘ではない、
運命的で揺るがないものは確かにそこにあったんだという描き方が非常にハマっていて良いですね。
回想から最後に現実に戻ってきてこれを見せてくるところにグッときます。

そしてセイバーの存在を含め「全て遠き理想郷」というサブタイトルがハマっているのがまた非常ににくい演出で自分は好きです。

OP1の絵コンテは原作イラストレーターの武内氏によるものなので、
セイバーの描写に関しては注文が多かったのだろうなという感じですが、
それを踏まえた形での最終回は非常に美しく、記憶に残るものでした。


シリーズとして優れた作品や絵的にも演出的にも優れた作品は多く、
よく比較されるufotable版も正にそのような作品ですが、
しかしシリーズを追っていくことで得られる感動があった、
最後まで見てよかったと思える作品もやはりあるはずで。

現実的にすべてのアニメを見るのは無理ですが、
しかしこういう作品もあったというのを念頭に置くと、
やはり見なければ、と思わされる。

自分に本当に大きな影響を与えてくれた作品でした。
またこのような作品が見れることを楽しみにまたアニメを見ていきたいところです。

魔法少女まどか☆マギカ 叛逆の物語の反まどかのイメージ群とか を語る

2020-01-06 21:28:00 | ■アニメレビューとか
マギレコも始まったので、
公開された当時から思っていたことをつらつらと。


とりあえずネタバレ全開です。





黙示録のラッパが鳴っちゃうかもなんです。
叛逆で不穏感煽りまくってたのは恐らくこの辺りから。
いつものまどかの日常から始まって学校に行ったら、
先生がなんか陰謀論者になっていたという衝撃。
先生の一番の見せ場でもあり非常に印象的と同時に、
ほむらのソウルジェムの中の世界のことを指してるとは思えず、
後々になって振り返れば神と悪魔の戦い、
つまりは悪魔ほむらの意思がここを描いているとも考えられる。

要は最初からほむらは花畑のまどかの言質に関わらず、
まどかを奪うつもりだった、ということかな、と。


魔女の結界だ。
ほむらの髪の変化による芝居は非常に良いですね。
はっきりとTVシリーズの続きだと突きつけてきた時点で、
魔女やまどかを知ってるの、
いやもうそれ君しかいないじゃん、みたいになる。





大事なことなので2回。
ほむらの記憶の窓からおぼろげな過去の映像が見れますが、
願いを叶えたまどかの姿はいくつもの窓に分かれ、消える。
神となった存在を矮小化するイメージで、
神まどかを蔑ろにしているように感じられる一連。
この時点でほむらにとって、神まどかは絶対者ではない。


さやかを見つめるほむら。
ここの表情の変化が愛おしくてたまらない。
孤独な彼女に寄り添える誰かとして、
マミでも杏子でもまどかでもなく、さやかが選ばれているのも印象的。

ほむらが血を被っているの、マミの身を案じてる姿を見るに、
自傷的な彼女の一面を掘り下げている感じで印象深い。
まどかが大切でまどかを救うために戦ってきたけど、
仲間たちを大事にしていないわけじゃ決してない。
そういうほむらの歪んだ行動が自傷行為として表面化している。

なぜほむらが魔女になってしまったのか、
というのは具体的に物語で触れられませんが、
残った魔法少女、マミや杏子ではほむらの孤独を救えなかった、
っていうのが根底にあるように描かれている感もありますよね。
ほむらが杏子に一番最初に頼るのも、
残っていた相手として選ばれていたのかなという感覚。
そしてそれが叶わなかったのかな、とも。

まあそれはどうでもいい話だけども、
そんな孤独なほむらに一条の光を見せたさやかが、
ここではやはり鮮烈。


ほむらの髪は何かと表情を付けてくれていいですね。





神まどかにすがるほむらに果物を投げつける子供たち。
毛糸はまどかの本来の記憶か何かなんでしょうかね。
神に縋り付いても一向に救済されないことに対して、
ほむらが自身を傷つけているように感じられる一連。
神まどかに対して物をぶつけるという反感を持つような子供たちも、
まどかの神聖を汚すことを意図していて不穏。


物を言わずただ見るだけのキュゥべえ。

話は全然変わるけど、
こういう閉鎖空間でのやり取りを見つめるだけの存在って、
個人的に高速戦隊ターボレンジャー 46話「ラゴーンの逆襲」を無条件に連想してしまう。
自分の最古の映像体験でこれまた大好きなので自分の原型と言ってもいいかも。
謎オブジェからラスボスが登場する辺りの意味不明感を含め今見てもグッときてしまいます。
ちなみにAmazonプライムでレンタルで見れます。https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B01M6U35L9/ref%3Dcm_sw_tw_r_pv_wb_gzlf7H2MEayiI


花畑のシーン。
頭の輪郭がわかるような手つきが印象的で、
ほむほむの頭なでなでしたい気持ちが振り切れてくるカット。


いつものほむらに戻って欲しいと言うように三つ編みにするまどか、
昔は凄い残酷なやつだなやはりまどかは敵!みたいに思ってたけど、
ほむらが会いたかった、助けたかったまどかってこのまどかなんだろうな、
って思うとちょっと辛い。

ここの花畑のシーン、
言質をとったの同時にベンチに2人で座れない離別の絵や、
花が一斉に枯れて種子となって飛び立っていくのを見ると、
もう昔の関係には戻れないほどにほむらの気持ちが離れているように描かれているのがちょっと辛い。
ほむらの気持ちの変化を絵として一番伝わりやすく描かれているのがこの一連のように思う。
もう三つ編みだったあの頃に帰ることはないのである。


まどかに縋り付いた後には血糊でベトベト。
子供たちの投げた果実がほむらに当たってそれがこのような格好になった、
という絵のような感じですが、
それだけほむらは傷ついていたんだ、
というのを使い魔の子供たちを使って自作自演して強調している感じ。
救済はいつまでもこない。
そして同時に神まどかという存在を汚している。


救済が来ないことに対して、祀っていたような毛糸を蹴る。
まどかの力が魔女になったことに気づいてもまだこないことへの苛立ち。

ほむらが魔女へと変化しているのが寝台の上なのも、
現実世界とリンクさせた見せ方だったのかな。
どんなに眠り続けても、待ち人は来ず。






魔女へと変化していく中でのほむらの心理。
まどかの口元がニヤけていたり無表情だったりする。
まどか自身は命を簡単に捨ててほむらの元を去っていく。
救おうとするほむらをあざ笑うかのように。
そしてそんな姿を見つめる自身と、
まどかを救えなかったことへの自責の念か、
そんな自分を自分自身で潰してしまう。
これもほむらの自傷行為の一種なのかな。
ほむらはまどかを救うことができない、
まどかに会えない、まどかに置いて行かれてしまっているという。
まどかがほむらを利用しているように思えてもそれに気づかないフリをする。
それが絶望で、
それでもまどかを求めている、これが愛、なのかもしれない。

力を発揮しないまどかをまたずっと寝かせた絵で見せているのも、
ほむらの姿と掛けているようでまた引っかかるかな。


魔女になってしまったほむらをいたわるのが杏子っていうのが興味深い。
杏子から食べ物をもらって微笑んでるのを見ると、
ほむらと杏子ってやはり何かしらあったのかなと思わされますよね。
TVシリーズの関係も思い浮かべてしまう。
現実世界で杏子に寄り添ってもらおうとして叶わなかったのかな、
みたいな憶測も入ってしまうかな。
巻き込んでしまってごめんなさい、というセリフに現れているように、
TVシリーズからずっと杏子に何かしらを期待してしまうのがほむらで、
そしてそれがずっと叶わなかった感はありますよね。
杏子もさやかとの関係が結局強調されてしまいますし。
もし杏子が支えになっていれば、みたいなことを思ってしまうかな。


未だに読み切れないカット。
魔法少女としての死、まどかを助けるのを諦める絵なのかな。






まどかによる説得のシーン。
果たして腕に抱いてるまどかはどのまどかなのだろうか。
そしてその傷ついた手は誰の手なんだろうかと、
ほむらの絶望とまどかの希望が入り混じったシーンな印象。
抱えてるまどかが悪い笑みを浮かべているので、
これはほむらの内にあるまどか像なんだろうけど、
そうすると外からくる救済の傷だらけの手もほむらのイメージなのか、
みたいになって繋がってこない。

最後には窓は固く閉ざされて開けることを拒むようになってしまうので、
内側は確実にほむらで手は外からきているのでまどかなのは確実。
しかし手に傷を負うほどの自己犠牲をまどかは重ねてきているのだろうかという疑問。

魔法少女であるほむらはここで死ねと言っている。
しかし魔女となった自分は救済の手を取ってしまう。
ここで魔法少女としてのほむらが消えてしまったことを考えると、
まどかの救い自体がほむらにとっての魔法少女としての正義を失わせるものだった、
という形になっているようなのが興味深い。
まどかが救おうとすればするほど、それはほむらの魔法少女としての正義を蝕む。
助けるための存在が助けられてはいけない。

キュゥべえが結局まどかをいずれ支配してしまうのではないか、
という構図から肯定的に悪魔ほむらを捉える方法もありますが、
絵的にはそうは言っていない感が強い印象。
何をしてもまどかの手の平の上で動くのほむら、みたいな描き方が、
脱神まどかという一面に触れている感。


そして案の定、まどかの腕には傷などなく。
ほむら自身が自傷してまでまどかや仲間たちを思っても、
自分を傷つけてでもほむらを助けるという利己的な欲望はない。
そもそも差し出している手が違っていることを思うと、
やはり傷だらけの腕はほむら自身がまどかから求められたい欲望のイメージで、
そしてそれが決して叶わないことを知っているが故の一連なのかなと思える。


全体の奉仕者であるまどかにとってほむらは救うべき1人で唯一無二ではない。
ずっと1人で頑張ってきたんだよね、
というセリフにまどか個人の感謝がないのが痛恨。
また神まどかが世界全体を覆うような力を発揮しないところも、
物語全体を通じて存在を矮小化させていて、
絶対者として描こうとせず、
これから贄となる弱者のような一面を覗かせてる。


ほむらが都合の良いまどかだけを切り離したのは、
自分自身を利用した過去のまどかが許せなかったのかなとやはり思ってしまう。
ほむらの中のまどか像がどこか悪い笑みを浮かべているのも、
ほむらを利用している悪のまどかの存在をほむらが見出しているためだと思うので、
そのまどかは誰かと言えば、ほむらに助けを懇願したまどかかなと。
だからメガネほむらが抱えていたまどかは悪い笑みを浮かべてる。
故に魔法少女に関連した一切を廃したまどかを願ったが故のラスト、
という感覚がある。



悪魔になってもまだ自傷的なほむらが続いていることを伺わせるカット。
悪としてふるまっても、仲間たちの幸福を忘れてはいない。
悪魔のささやきだとしても、悪としての振る舞いの自己肯定だとしても、
それでもこの決断はどの道ほむら自身も自分を許せていないあらわれのよう。
ただそれを気味の悪い存在として触れてるのがこのカットでもあると思うので、
本当に救いようがない話だなと思わされます。


いつかまどかと対立するだろうと予感して。
始まりの場所へ戻るのがやはり印象的ですね。
自分が望んだ存在との決別はどんなものになるのか。




END。
ダークオーブに取り込んだまどかとのダンス、そして身投げ。
結局物語はどう動くのか示されず、救いを求める扉も閉じた。
本当にこのまま終わるんでしょうかね。

マギレコが始まったので、
どういう方面からこの扉を開けていくのかという期待もあったりするんですが、
やはり最後はほむらとまどかが悪魔合体するしかないんじゃないかなという気が。
個人的にほむら視点で見たまどかの悪性をずっと意識してましたが、
果たしてそれは償わなければならない罪なのか、
みたいな構造でもあるわけで、果たして決着が付けられるものなのかと、
今作を思い浮かべると思ってしまいます。

とりあえずまた5人の物語が見てみたいな、と。
今はそれだけです。

マギアレコード 魔法少女まどか マギカ外伝 1話 を語る

2020-01-05 19:24:17 | <マギアレコード>

顔の見えないキャラクターたち。
久々のまどマギなので、どういう作品になるのかと身構えてしまいますね。
列車内の内側が木造というのも新鮮な絵。
梶浦BGMと共にまどマギ特有の不穏な印象が出ていて、
始まった感が結構強かったな。


いきなりのイヌカレー空間に変身、
そして新BGMで新作であるという明るい雰囲気作り、
語られるポップな魔法少女像。


前作のOPでまどかが黒猫を助けているような描写があったので、
今回は本当に猫を助ける、しかも白猫、っていうのは、
前作OP意識するとなんかいきなり仕掛けられてきてる印象がしたかな。
セーラームーンで言うところのルナがまどか、
今作はアルテミスっていう具合なのかなぁみたいな。
セーラーヴィーナスが主役みたいな。
そうするとまた新房さんに月(ルナ)に関する話題が増えるな、
と思うとちょっと面白いかな。
まあどうでもいい話だけども。


黒と白の対比。
ただ直後にこの色の対比を見せられると意識していないわけではない、
みたいな印象を受けてしまうかな。
まどかが黒猫を助ける、というのが本編から見ると虚構なので、
実像として見せているこちらとの、
現実と虚構の対比でもあるんだよな、
みたいな感じで物語の置き方の考え方をちょっと意識してしまう。


新BGMの結辺りで表情を見せ世界を見せる。
空気感の変化をBGMで作ってる辺りも、
まどマギとの対比としてやってる感じがしますね。
尾澤拓実さんとの連名になっていないので、
梶浦BGMが使われていることにちょっと強く意識が向いてしまうかな。


助けた後の己の手。
何を己が手にしたいのか、みたいな。




画面がモニター表示からぶれるような描写、
家について部屋を開けてからのフェードアウト。
どちらもその後に繋がるような絵という意味合いが弱く、
繋ぎが虚構めいていて、
彼女が一体どのような軌跡を辿っているのか意図して不明瞭。
ここも何かしらある印象が強いですね。

まどマギがまどかの夢から始まっていることを思うと、
どこからどこまでが夢なのか、
みたいな際限のなさが今作のイメージっぽいかなと。



片割れ。
部屋にいた誰かは彼女にとっての誰なのか。

ここまでまどマギと今作の対比があって、
ここは主人公にとっての失ったものの対比であるけども、
シンメトリーの構図で考えると、
彼女の隣は彼女と同じもの、同等の物があるはずのように思える。
物語的には失った家族なのかもしれないけども、
演出的にはそれはまどマギというタイトル的な何か、
のようなものを含んでいるように思えてくる。



家族が誰も家にいないのもまどマギ1話対比なのかな。
まどマギ1話の朝ごはん思い出しますね。
時計を見せる辺りも目配せが行き届いて、
先を見るのが楽しみになってきますね。


駅。
頭の方でも描かれてましたが駅のホームのガラスに星座が描かれてるの、
洒落ていていいですね。
わざわざ星の名前まで記載がある。


学校。
円が大事ってなのかな。
ここでも星の話をしているので星というか円が大事なんだろうか。


そして現れるキュゥべえ。
劇場版叛逆の物語を思い出すと、
思いっきりイヌカレー空間キャラが出る=魔女空間、
みたいな気がしてくるんですが。
シャボン玉機械回して作ってるのとか、
劇場版の風船を思い出しますし。



正しさを説くような看板まみれ。
この言葉の圧力が強いのは何なんだろうなと思わされる。




白い何かに囲われているイメージ、なのかな。
正しさは白に代表されるような感があるので、
あの看板まみれの後だと、
白い世界、正しき世界の内側にいるような感があり、
またそれが叛逆のイメージがある。
白猫を助けた、っていうのもここに掛かるイメージかも。


ここは自分の見間違い、誤読だけども、
窓をはめてる壁の外側方を見て、
思わず窓の外周に白い線が入っているに見えてしまったな。


太陽光。
冒頭の電車内でもですが、光を強調した画面の印象が強く、
窓の外に見える太陽の象徴するもを意識してしまう。



また表情のあるモブに、誰かに見られているかのような車内表示。
そして今やっている行為は悪である、
魔法少女として正しくない行為であるという警告が、
彼女たちを監視している何者かの存在を示唆していて不気味。





光と逆光と円の作るイメージの連続に意識が向いてしまったな。
魔女空間は太陽光を浴びるものである、
即ち月である、みたいな。
叛逆のイメージだと月は魔女空間に気づいたときの象徴で、
最後には割れていた。
主人公いろはの部屋もあのイメージに近いものがあったな、とか。


この辺り一連は表情が印象的でグッときたな。
やちよのアクションも服の感じなんかがグッときたかな。


夜。
入射光と緑が作る空間が新鮮だったな。
ビルの上にやたら植物載ってたり載ってなかったりしたけど、
建物の内部に植物園があるようなパターンもあるのか。
緑が結構印象的な作品ですよね。


抱えていたはずの小キュゥべえの消失。
冒頭の自分の手を見るような、自分の内側を象るようなポーズが、
自身の中の消失と通ずる絵になっていて気になる感。


ここで夜空が強調される。
今回のOPのラストでこの場所でてくるけどどういう場所なんですかね。
星と関連した場所っていうイメージになってますが。


一度星を描いた後は流れるようにまた見せる。
お札とかあまりまどマギシリーズのイメージでないので気になる。


駅のホーム夜版。
夜になると夜空が見えるためか星座が消えているっぽい?




線路が続く幻想的なイメージ。
みんな光、太陽に向かっているようなイメージ。


しかしその先には月が同時に存在しているという絵で、
太陽と月が重なる場所、現実的に考えれば日食、
作品的に言えば今作とまどマギが重なる場所、なのかな。
夢という幻想世界だからこそ描かれる太陽と月の位置なので、
どういう関わり合いになるかはまたはぐらかされてる感あるけど。
月に関すれば主人公の思い人の象徴、
最後に思い出される相手のことを思っている主人公、
そしてそのものこそが魔法少女を誘っている人物っぽいけどどうなるのか。


学校回りは正しさに溢れていて、
街には願いが溢れているという対比なんだろうか。
最初は正しさとは願いの形で、
ここは正しさを変容させて描いているのかなとも思ったけど、
主人公の願いを強調するのが主って感じだったのかな。

しかしまた記憶喪失系かと思ったら1話でもう思い出してて、
割と展開早い感じなんだろか。


OP。
まどかサイド、なんか赤い月が不穏な感じ。



OP最後の作画エフェクトっぽくて、
実体的な光が作品内で何よりも揺るがないもののように感じたな。

ちょっとまどマギとの対比を意識過ぎた感があるけど、
久々の新作なのでどういう絵作りがされていくのか楽しみです。

僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ヒーローズ:ライジング を語る

2020-01-02 19:47:29 | ■アニメレビューとか
移転してから一発目の記事になります。
久々なのでリハビリ的な感じで。
ヒロアカ映画は前作が面白かったので楽しみにしていた一作でした。

以下ネタバレ感想。


内容的には本編の合間を縫うような形で雄英高校1-Aが離島へ行き、
ヒーロー活動を行うという名目で話が始まり、
そこで出会った子どもたちや島の人との交流を通じて、
1-Aのキャラクターたちのヒーロー性を描いていくという格好でした。

TVシリーズより先の話なので知らないキャラや能力の使い方もありましたが、
切島の硬化の能力など最近TVでやったことを映画でやっているので、
今ヒロアカを見ている人がより映画を楽しめる格好になっていて、
そういう調整なんかがいい塩梅な作品でした。

今回の話はTVシリーズの42話をベースにしたような話だったように思います。
最後に流れるBGM「そこにはヒーローがいる 」の影響が強いせいでしょうかね。
緑谷たちの活躍で少年がヒーローを目指す、
それは緑谷たちがヒーローであった証だったという描き方は、
42話を彷彿とさせるには十分で、やはりBGMの使い方は大事だなと思わされました。

今作はTVシリーズからの引用っぽいのがちょっと目を引いたかな。
特に中盤の緑谷と爆豪が共闘して敵と戦ってるシーン。
吹っ飛んでくる緑谷を爆豪がキャッチして、
勢いよく緑谷をカタパルト的に発射して蹴りを入れる一連、
スピード感を含め盛り上がるバトルで凄く良いのですが、
その中で1カット緑谷と爆豪が手を取り合うカットをアップで見せていて、
臨場感よりもその手を取り合うことへ意識を向ける感じが引っかかる感じでした。

爆豪が他人の手を取るシーンとして48話の中村豊パートは非常に印象的ですが、
そのシーンを引用しているような感覚があるんですよね。
爆轟を助けるために緑谷たちがカタパルトを作って助けに行ったTVシリーズに対し、
映画では爆豪がカタパルトになって緑谷を発射するっていう対の関係もそうですし、
友人同士として切島と爆豪のような関係性が今の緑谷と爆豪にはあるという、
そういう物語を通じての近しさを描いてる感じがGOODでした。
特に爆豪が緑谷と共闘するはずだろうに難色を示さず
(後のシーンで自分を曲げているという言及はあるにせよ)、
共通の敵と戦う姿は非常に新鮮でした。
結果それが最後に緑谷からワンフォーオールを受け取るという、
手を取り合う形にも繋がっていて、
ここまで狙って48話であのシーン作っていたのなら凄いな、という感覚でした。
長崎監督は4期では総監督、今作では監督なのでこちらの劇場版に注力していた恰好なんでしょうかね。
そこまで計算していたというのがあるのか、ちょっと気になります。
またBGMの使い方も42話を意識していたのかどうかも気になる。

BGMといえば終盤のアクションシーンも目立っていましたね。
緑谷からワンフォーオールがなくなってしまうという哀愁とかけるようなBGM。
そこに中村豊さんの作画など作品内で最高に盛り上がる場面でありながら、
BGMはそれを煽るような格好ではないというギャップは新鮮でした。
演出的にも非常に目立ちますし、
オールマイトの最後を考えるとそれで良かったのかなという意識もありますが、
主人公である緑谷からワンフォーオールが消えるというのは、
すなわち作品の終わりとも言えるわけで、
そういう意味合いをもたせたシーンであるという意識を持ってしまいますね。

前回の映画と同じく今作も終盤は2つのワンフォーオールが活躍しますが、
今作の終盤を考えると、シリーズの最後も同じような道筋を辿るのかどうか、
それがちょっと気になってくる部分でもあったかな。
ヒロアカの終わりっていうのを今意識させるのはどういう意図なのかなと、
そういうのをちょっと考えてしまいますね。

今作のゲストキャラの姉弟は可愛らしくて結構好きだったな。
姉の中の人が黒沢ともよだったというのもあるし。
あと敵側の中の人が井上芳雄で、劇場版SAO以来に声聞いたので、
その点も新鮮だったかな。 

映画になるとあまりスポットが当たっていないように感じるキャラも描けていているような感じ。
個人的に印象的だったのが芦戸三奈かな。
序盤の電話応対で画面の中心にいたのと受け答えの芝居が目立っていて、
あまり気にしていないキャラだったため新鮮な画面でした。
峰田がギャグ風に颯爽と出ていく感じや芦戸のロングでの崩した芝居含め印象的でした。
また後半のバトルで敵が鬼太郎の髪の毛針っぽい技を出してきて、
そこを避けるところの横移動一連は高い身体能力を伺わせる避けっぷりで、
非常に印象的でした。
能力の酸で敵の髪が溶けるなど見どころも多く、
普段描けない能力が全面に出てくるので非常に新鮮でした。

TVシリーズも4期まできて楽しんでみているので、
そちらも感想書いたりして見たい気もするかな。
これからもヒロアカ楽しんでみていきたいところです。

過去のヒロアカ記事。