Free始まりましたね。
今までの路線からまた違った作風で見るのが楽しみです。
京アニの姿もすっかり変わったな、と思いながら見れればな、なんて。
しかし王子、たまこがそこはかとない黒い言動してたけど、
王子は全身真っ黒とはこれ如何に。
黒スーツたちもそうだけど、それが現在のお上的な立ち位置なのかな、みたいな。
久々の驚き顔。
横顔で歯を描く人ってそういえば以前も見たような。
証。
たまこが商店街で生きてきたという証、
親父が商店街で生きてきた証。
たまこは暮らしの中で手に入れたもので、
親父はもう既に生き様として体に残っているっていう対比に痺れます。
これから娘がどこかに行ってしまうかもしれない、
自分がどこかに行ってしまうかもしれない、
そういう中でのこの見せ方。
ここの流れが個人的にはグッときたなぁ。
たまこ自身は体に染み付いたものがなく、
動揺が凄く大きいことがわかる。
10話でチョイちゃんが縫い物をしてるときに心が澄んでくるって言ってたけど、
親父の作業なんかは正にソレで、
逆にたまこは動揺を抑えられるようなものを持ってないっていうことで。
11話でみどりちゃんに手を差し伸べるたまこですが、
たまこ自身もみどりと同じ女の子なんだっていう、
そういう立ち振舞い。
だからこそのこの状態。
親父やあんこはともかく、たまこ自身はまだ母の死に囚われているということ。
そのことを腫れ物のように扱うんじゃなくて、皆で支える。
誰よりも始めに声をかけて過去に引っ張られるのを抑える。
決してたまこが母の死をキッカケに商店街に残ると言わせないための措置でもあるのかな。
母の死を商店街の今と絡めずに分離させることってとても大切なことだと思いますし。
というか大抵のアニメはそうしたトラウマからの救いとか成長とかを描いているわけで、
こうしてそれに引っ張られないように支えるっていう姿が個人的には新鮮にも思えます。
この小芝居の宙ぶらりん感が謎。
王子はどう見ても小物だし、喋り方も威厳がある風でもない。
ただその風格を見せる手の見せ方が印象的だったかなと。
手を出してデラたちの動きを止めてみたりとか、手の小芝居感が良い感じだったのかなと。
あとそうやって幼さを抑えつつも、それをチラ見させて来る感じがグッと来る感じというか。
やっぱチョイちゃんには印があるってことなのかなー。
この辺は想像の余地あり、ですね。
どうでもいいけど、車で送り出すところ、
一方通行の標識とかわざわざ見せてるのを見ると、
王子たちの居場所が商店街になく出て行かされる印象っていうのが強くて、
一緒に帰ったチョイちゃんがちょっと気の毒に思えてくる。
別れの予感を感じさせる画面がまた印象的でした。
しかしこの鳥、死んでるようにしか見えない。
デラが戻ってくる一連がご都合主義の塊みたいな感じなので、
真のご都合主義とは死を超越するっていうそういう見せ方だったりもするのかな。
おしまい。
ドラえもんのOP思い出した。
なんか終わったら帰ってきたドラえもん見たくなった。
脚本:吉田玲子
絵コンテ:石原立也 山田尚子
演出:石原立也
作画監督:池田和美
作画監督補佐:植野千世子 丸木宣明
最後の最後が石原、池田和美ペアで〆ってところに殻を破れ切れない印象っていうのを持っちゃうかな。
植野さんはなんかずっと名前を見かけていたような気が。
個人的には少々消化不良だったので、もう少し見たいアニメだったかな。
山田さん、堀口さんの新作でのご活躍に期待。
全体の印象としてはやっぱりというか、けいおん!と比べてみてしまうのが辛かった。
けいおん!は決していいイメージを持って見てたわけじゃないけど、
映画見て180°価値観をひっくり返されたので、そことどうしても比べてしまう辛さがあったかなと。
テープとレコードとかのアナログな趣味の地続き感というか、
学園音楽を捨てきれないところなんかは引っ張ってるなーとニヤリながらも楽しんでた所であり。
個人的にはかっこ良さがやっぱ欲しかったかな。
個人的に見てて引っかかってたのはウサギのイメージかな。
けいおん!でウサギとカメの話を引用するようにカメを印象づけてたけど、
この作品はウサギを象徴していて、なんでこうなったのかなっていうのがずっと気になってたんですよね。
商店街自体が敗北者であるかのようなイメージというか。
ただそういうものに囚われない生き方っていうのを前向きに描いていたのがいいのかなと思います。
そういう意味では、けいおん!で粗雑に扱われたウサギへの罪滅ぼしなのかな、なんて思ったりも。
まあどうでもいい話。
個人的に2話が凄く印象的だったので、また山田さんの演出する作品がみたいとも思ったり。
最近は京アニ作品全然見返さなくなったので、
また京アニの軌跡を振り返りながら新作を見て行きたいですね。