流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

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グリッドマンユニバース を語る

2023-03-27 00:11:00 | ■アニメレビューとか
見てきました。
久々に見るグリッドマンでしたがスパロボに出たりとかしていたので、
あまり久しぶりの作品という気分でもなかったですが、
新鮮な気持ちで見ることができたかなと。
以下ネタバレ感想。


最初に裕太と内海のシーン。
示唆に富んでいて興味深く見ていましたが、作品中で大体伏線的なカットの意味合いは回収されていて、
振り返ると視聴者に委ねる形ではなく全部説明する形の作品だったのかなという印象。

グリッドマン最終回は記憶を失った裕太が目を覚まし、アカネが現実で目覚めて終わりますが、
アカネが目覚めた先の裕太たちの世界の保証がなく、
アカネの目覚めと共にみんな消えてしまったのかもしれないという湿っぽさがあったと思うんですが、
このグリッドマンユニバースではグリッドマンが世界の形を取ることで、
世界とはこういう形なんだ、というこの世の謎に迫る作品でもあったのが面白くあったかな、と。
ただ最初のTVシリーズの湿っぽさを考えるとそういう味がやや薄まった印象がしまったかな感もあるのかなぁ、とか。

ただそこで裕太が内海に渡されたビー玉をずっと持っていることによって、
まだ委ねられている節はあったのかなとも思えるかな。
裕太が世界をすくう決意をビー玉を握ることで、離さないことで表現されていますが、
最初にそれを持っていたのは内海なんですよね。

そして裕太を気づかせた顔に当たったボール。
あれも誰にぶつけられたか、というのは作品の運命論的に結構大事な部分だと思うんですが、
そういう描写は排除されている。

なぜ裕太がグリッドマンなのか、というのはある意味では内海が渡したビー玉、
そして誰かがぶつけたボールによって裕太自身がヒーローになろうとする姿勢を後押ししていいる。
内海もなぜ裕太が、と嘆きますがそれが内海のドラマに繋がらないのも、
それは知らず知らずのうちに周囲が裕太を求めていた格好だったのか、
または世界を形作るグリッドマンによって周囲を操ることで裕太の覚醒を促していた兆しのようなものだったのかもしれないなと。

今作はナメて見せて手前のキャラと奥のキャラを対比的に見せるカットが多かったですが、
最終的にそれがグリッドマンに繋がっていた、という感じだったのかなと思えるんですよね。

ビー玉も世界を表現しつつも極小の球でしかないというのもミソで、
極大の世界とそれを形作る極小の世界がイコールになるような見せ方、
つまり裕太のもつビー玉=グリッドマン、とすることで、誰もがヒーローとなれた可能性、
ヒーローを生み出す人もまたヒーローだというニュアンスを含んでる感じでそういうのも良かったかな。

蓬と夢芽の関係が未来の裕太と立花の関係であったり、関係性のパースと言えばいいのかな、
そういう因果の結びつきを描きたかったのかなという印象でした。


全体の印象はそんな感じで。
本編は裕太視点で進むのが、シリーズでやり残したことをやろうという感じで良かったかな。
ダイナゼノン勢の扱いがやや小さく感じますが、蓬たちのドラマはダイナゼノン本編で終わっていたので、
グリッドマン勢の話が中心になるのは当然の流れだったのかな。
もうシリーズ続けるのも大変だから全部やろう的な感じだったのかな。
ダイナゼノン1話の90年代くらいまではよく見た街の光を丸で表現する形とか、
ダイナゼノンの味がちゃんと残っていたのは良かったですね。

個人的にガウマは結構好きなキャラだったので、蓬と再会してのやり取りはグッときたかなぁ。
カーテンから差し込む一条の光が再会したガウマと蓬の別れを庵に描いてる風なのとか。
蓬と夢芽はカップルすぎて眩しい感じが強かったかな。

裕太六花ペアも印象的な絵が多かったですね。
鼻血を出してから廊下で会うシーン、大きな画面で見ると中心上に太陽があって、
その光が窓のサッシに反射して赤みを帯びているのが気になったかな。
やり取りは普通ですが、そういう中で世界にあるちょっとした色味がシーンの味になっているようで好みかなと。

あとは鉄板ですが、2人の公園のシーン。
ブランコに腰掛ける六花の肉感のある四肢の描写とか、満月が暗示する描写だとか。
月が満月なのは、好意を通して六花は裕太のヒーロー性を見ているのかな、という感じがするかな。
以前は裕太の気持ちがグリッドマンに選ばれる理由になっていましたが、
六花が裕太を心配する気持ちは、つまりはグリッドマンによる干渉ではないのではないか、みたいな予感としたいですが、
内海だってなぜという気持ちはあったのでそこを不意にはできないか、と思うと、
やはり個々人の気持ちが円を形作るものを通して裕太のヒーロー性をうったえているのか、みたいな気がしてくる。

というか内海は涼宮ハルヒでいうキョンの役回りだったのではないかなとちょっと思えるかな。
ヒーローは自分でやらずに誰かにやってもらおう、しかしビー玉は内海経由なので、
そこでヒーローになることを譲っているような感もありで。
そういう涼宮ハルヒ的な青春性があるのが本作の強みだと思うので、あえて書いてみました。

幽霊騒ぎのところで六花の髪がクシャるのも好みな髪描写だったかな。
女の子の描写はどれも良かった気がします。

アカネの登場やアレクシスの復活はまあそうくるよなという感じですが、
2人ともグリッドマンの外の世界の住人なので、宇宙の形を知るものですが、
ではその外とはというのはまあ私たちの謎になるのかもしれませんが、
アカネちゃんどうやって神になったの?問題はまだある感。

アカネの変身は怪獣使いのムジナっぽい感じで、ムジナ出せないからえいや!でやったのか、
ムジナはあの世界にあったアカネの別側面みたいな感じだったのかとか色々考えちゃいますね。

個人的にアカネとナイトの別れのシーンがディーン版Fateの最終回を思わせる構図でグッときたかな。
アカネがフッと消えるあたりもそれっぽい。
ただ周囲がその状況を見ているという構図はグリッドマンでアレクシスにエヴァパロディを台無しにされるのを彷彿とさせられる感じで、
文脈を踏まえてる感が強いですよね。
ダイナゼノン10話のナイトの描写を思い出す感じもしますし。


あとちせのタトゥーでゴルドバーンが進化しますが、
タトゥーを使うというのが新鮮なアイディアのように感じたかな。
あまりロボットと結びつかないので。
アカネの力で実体化するので、怪獣を作る形の応用という感じだったのかな。
ちょっとFateっぽく感じたシーンがあったのを考えると、
令呪的な盛り上がりを意識した方がいいのかなと思いましたが、
ちせとゴルドバーンは関係が勇者シリーズ的な感じなのでちょっと違うかなとか。

バトルはどのシーンも楽しく見れましたが、
ガウマが最初からダイナレックスで登場するので、
ダイナゼン最終回の怒涛の展開を思い出すと、ダイナレックスやダイナゼノンでの見せ場が少ないのがやや心残りですかね。
ただ先にも描きましたがダイナゼノンで描くべきは描いた感じだったので、
まあこうなるか!という感じで納得はしていたり。

まだまだ触れたいところはたくさんありますがこの辺で。
ヒロインが可愛くヒーローもかっこよくと、自分が憧れていたエンタメが形になった感があって、
このグリッドマンシリーズはとても印象的な作品でした。
雨宮監督にはまだまだ多くの作品を手掛けていただきたいですね。