前記事:CLANNAD 8話 を語る
読み返すとあまり違和感を口にしようとしないという意識があったのかなと思える。
よく見たら自分ルール曲げているので当時はあまり強く意識はしていなかったのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5e/49cede28046ad31950788c8ac08f1500.jpg)
ここの風子にイヤリングをあてがうところ、
ちょっと3Dみたいに浮いていて違和感あるなと当時思ってまして。
そんなときにコメンタリーで石立さんがここを語られてるのが個人的に凄い衝撃でした。
小さいけど作監の髙橋さんが色トレスなど細かく描いていたという前提があって、
仕上げさんそして撮影さんが処理してああなった、と語られていたのが印象的というか。
なんというか、
本当に一瞬のカットにそこまで拘るのかっていうのと、
それだけの方の仕事を違和感がどうこうとかで受け取っちゃってるのがなんか凄く嫌で。
そういう葛藤がある中で出てきた作品が『けいおん!』だったわけですよ。
楽器作監で髙橋さんの名前が出てるのを見ると、
きっと始まりはCLANNADのこういうさり気ないカットからきてるんだろうなとか、
そういう風に思えてならなくて。
そしてキャラクターの持つ楽器っていうのが凄く魅力的で(1期OPの冒頭とかホント大好き)、
髙橋さんの持つ魅力が正にダイレクトに伝わってくる形になっていたのが印象的で。
山田尚子さんが髙橋さんの絵が見れると喜んでるところなんか聞いてると、
よくぞやってくれたという気分にもなり。
自分がCLANNADで抱いた違和感が、
別の形で見せられて腑に落ちてくれたのが凄く嬉しかったんですね。
当時楽器作監で髙橋さんがいるっていうのを繰り返し言ってたのはそういう意味合いもあって。
ディテールに拘る方がそれがちゃんと伝わるポジションについたというのがやはりポイントでしょうか。
この記事書くまで忘れてましたが山田さんこの話数で演出助手やってたんで、
考えてみるとこの話数自体が起点というのも考えられるのかな。
そういう風に思わせてくれたところに救いがあったというか。
色々な意味で『けいおん!』はエポックな作品でした。
この話数のコメンタリーはその前にもトランプの七並べがちゃんとそうなるように描いたとかですね、
髙橋さんにまつわるエピソードが聞けるのも面白くて。
石立さんが結構語られてるのが印象的ですね。
Aパートのレイアウト見てるとこれもユーフォ9話に通ずる感じだなーと懐かしくもあり。
もうすぐ10年経つような話を今更しちゃいましたけど、
それだけ長い間心に残っていた衝撃だったということなんですよね。
憶測混じりのどうでもいい話かもですが、
ただ『けいおん!』は堀口さんだけなく髙橋さんのように楽器を描ける方がいてこそであり、
そのルーツの一つはここではなかったのか、ということは伝えておきたかったというか。
自分の中の引っかかりがどこかで何かになることもあると思うので、
そういうのは大切にして行きたいですね。
読み返すとあまり違和感を口にしようとしないという意識があったのかなと思える。
よく見たら自分ルール曲げているので当時はあまり強く意識はしていなかったのかもしれない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/5e/49cede28046ad31950788c8ac08f1500.jpg)
ここの風子にイヤリングをあてがうところ、
ちょっと3Dみたいに浮いていて違和感あるなと当時思ってまして。
そんなときにコメンタリーで石立さんがここを語られてるのが個人的に凄い衝撃でした。
小さいけど作監の髙橋さんが色トレスなど細かく描いていたという前提があって、
仕上げさんそして撮影さんが処理してああなった、と語られていたのが印象的というか。
なんというか、
本当に一瞬のカットにそこまで拘るのかっていうのと、
それだけの方の仕事を違和感がどうこうとかで受け取っちゃってるのがなんか凄く嫌で。
そういう葛藤がある中で出てきた作品が『けいおん!』だったわけですよ。
楽器作監で髙橋さんの名前が出てるのを見ると、
きっと始まりはCLANNADのこういうさり気ないカットからきてるんだろうなとか、
そういう風に思えてならなくて。
そしてキャラクターの持つ楽器っていうのが凄く魅力的で(1期OPの冒頭とかホント大好き)、
髙橋さんの持つ魅力が正にダイレクトに伝わってくる形になっていたのが印象的で。
山田尚子さんが髙橋さんの絵が見れると喜んでるところなんか聞いてると、
よくぞやってくれたという気分にもなり。
自分がCLANNADで抱いた違和感が、
別の形で見せられて腑に落ちてくれたのが凄く嬉しかったんですね。
当時楽器作監で髙橋さんがいるっていうのを繰り返し言ってたのはそういう意味合いもあって。
ディテールに拘る方がそれがちゃんと伝わるポジションについたというのがやはりポイントでしょうか。
この記事書くまで忘れてましたが山田さんこの話数で演出助手やってたんで、
考えてみるとこの話数自体が起点というのも考えられるのかな。
そういう風に思わせてくれたところに救いがあったというか。
色々な意味で『けいおん!』はエポックな作品でした。
この話数のコメンタリーはその前にもトランプの七並べがちゃんとそうなるように描いたとかですね、
髙橋さんにまつわるエピソードが聞けるのも面白くて。
石立さんが結構語られてるのが印象的ですね。
Aパートのレイアウト見てるとこれもユーフォ9話に通ずる感じだなーと懐かしくもあり。
もうすぐ10年経つような話を今更しちゃいましたけど、
それだけ長い間心に残っていた衝撃だったということなんですよね。
憶測混じりのどうでもいい話かもですが、
ただ『けいおん!』は堀口さんだけなく髙橋さんのように楽器を描ける方がいてこそであり、
そのルーツの一つはここではなかったのか、ということは伝えておきたかったというか。
自分の中の引っかかりがどこかで何かになることもあると思うので、
そういうのは大切にして行きたいですね。