TVアニメ『ガールズバンドクライ』ノンクレジットオープニング|トゲナシトゲアリ「雑踏、僕らの街」
OPが好きでよく見返しています。
また一生見返す系のOPがきたなという印象。
個人的に見ていて最初に引っかかった電気のイメージ。
街に降り立つところで電気的なエフェクトがかかるので、
3Dキャラとは電気というエネルギーがないと見れないもので、
最初に糸のようなものが繋がっているのはエヴァのアンビリカルケーブルで、
つまりは人造的なものであるということのメタファーかなと思ったんですよね。
物語でもスマホの電源が落ちたり、照明器具を破壊したり、
そういった電気的なものが3Dである彼女たちを示していて、
それが物語的な意味をはらんでいく、的なことを考えていました。
今も同様に感じている反面別のことも考えてしまいます。
このOPはバンドメンバーをアニメ化したものではないか、ということです。
タイトルが出る前にスクリーンに画面が表示されるのがまず1つ。
タイトル。
ここで5色の線と煌めく光が出てきますが、
これは2Dキャラと3Dキャラの重なり合いがある世界、
というロマンを語っているのではないかと感じる。
OP自体が物語の要約という側面を持っていますが、
ここはそれを表現するキャラクターたちの世界観の重なり合いというのかな、
そういうものに触れているのかなと思うんですよね。
文字の中のイラストやモノクロの画面で分割しての漫画的な表現、
そしてカラーへっていうのは降臨した5人によって色づくのはアニメ化の表現、
最後の煌めきは3Dの表現(現実、のメタファーかもしれませんが)かなと。
基本的に2Dアニメのキャラは基本カメラ目線。
人形でも同様で。
人形を引用するのはイノセンス的な魂のありかの話でもあり、
3Dキャラこそマリオネットではないか、
みたいな問いを感じる部分でもあり、
面白いとこをついてくるなと思わされる。
メンバーが並んだカットもカメラ目線。
街を飛び交う光とライブの光のイメージの類似性。
そして電気的なエフェクトで2Dキャラとのリンク性と、
やはり電気のイメージはあるのかなと思わされる。
ライブ中の3Dキャラはカメラを見ないけど、
2Dキャラはずっとこちらを見ている。
そんなキャラクターに導かれるように疾走していくライブ感。
そしてライブでもカメラを動かしまくって、イメージのリンクさせてる。
またリング状のスクリーンが本当はそこでこのオープニングを流しているのではないか、
今は3Dキャラのパートだからイメージだけだけど、
画面が切り替わらなければ、2Dキャラがそこに映っているのではないか、
と予感させられる感じもあり。
キャラクターの方向性を描く2Dキャラ。
そんなイメージに中指立てていく。
タイトルで煌めいていたのはここだとわかるという。
基本的に3Dキャラはライブ中心で、
2Dキャラはイメージ的な動かし方、見せ方が多い。
この関係は現実とアニメ、虚構と現実に通じる部分があって、
最後にその関係に中指立てているようであり。
表現の役割による分割表現だったはずの2Dと3Dそれぞれが、
自分が主役であることを主張しているようでもあり。
役割を与えながらそこを飛び越えていく飛躍こそが今作オープニングの味、
という気がします。
ラストカットはその飛躍を特に感じられる部分。
集合絵ってありきたりなイメージですが、
アニメ化したキャラ(虚構)がやっていたことを3Dキャラ(現実)がやる、
みたいな連続の中での役割の転換が凄くインパクトあるなと。
またライブ演奏をして音合わせで動いていたキャラがラストは演奏せず、
キメポーズで決めっていうのも物凄い飛躍ですよね。
私たちを導くようにカメラ目線なのも、強い。
オープニング初めが2Dキャラで終わりが3Dキャラというのも、
アニメの歴史の要約でもありそう。
そういう3Dキャラへの置き換えに野心的な表現を示すのも、
実に作品にマッチしていて素晴らしいですよね。
本当に集合絵に感動したのは今作が初めてではないかと錯覚するほど。
3D作品は正直肌に合わないなと思っているんですが、
こういう発想の転換が見え隠れする作品はやはり見ていて楽しいし、
物語でどう表現の考え方が示されていくのかが気になります。
物語に対する様々な予感を感じさせながら、
絵とは何であるのか、表現とは何だろうか、
みたいなものを摂取できるこのオープニングに病みつきにさせられる。
本編見る前にオープニング鬼リピしてしまうのがやっかいか。
あと偶然にも色んな再生機器で曲を聴いたのですが、
印象がだいぶ違っていて、音の体験ってこんなに差があるんだな、
というのも感じられたのも良かったです。
酒井監督はラブライブでも印象深かったので、
今後も監督作は楽しみにしていきたいな。