見てきました。
どういう映画かあまりイメージせず見ました。
IMAXのプレミアムシートをはじめて利用しましたが、
こんなに音の体験が凄いものなのかと感動が深かったです。
普段は周囲のスマホやポリ袋のがさ音をたてるなど配慮のがいる場合が多く、
一番前の席か、2番目の席に座るのですが、
今回は観客数も少なかったため、挑戦してみたら、
ゆったりと鑑賞することができ、IMAXって本当はこんな感じだったのか!
と改めて感じられて新鮮な体験でした。
映画本編と音が非常にマッチしており、映画館で最高の体験ができた、
と感じられる一作でした。
以下とりとめのない雑記、あるいはネタバレ感想。
山田尚子作品だなという印象の作品でしたが、
山田さんが今までの既存の作品で出してきたもの、
その描写の価値観にまつわるものに触れた作品だったのではないか、
という風に感じられたかな。
きみの色、つまりは主人公の色を見つけるというのは、
自分の作品の意味を解き明かす意味合いがあったんだろうと感じました。
説明するのが難しい気がします。
京アニ的だったり、湯浅作品っぽかったり、原恵一っぽかったり?
みたいなことではなく。
冒頭で色が見える話が出ますが、それは主人公の内面の話でしかなく、
それが見えることに悩んでいる風ではない。
確かに見える色の意味を解釈しない。
しかしそれで話が進んでも問題がない、という、
意味を拾っても拾わなくてもいい、という幅があったように感じられたなと。
中盤、雪の降る夜にロウソクに火を灯す。
雪は降り積もるかもしれない、火の熱で溶けてしまうかもしれない、
しかしロウソクは溶ける、雪もいつかは溶ける、
この場は溶けていくイメージであるが、雪は積もるかもしれない、
溶けるし積もるものはなんだろうか。
普通にメタファーの描写といえばそれまでですが、
そこにはどのファクターを救い上げるか、
という幅を持たされているように感じるんですよね。
そういう中で罪、または嘘、
は揺るぎないもののように描写していたように感じたかな。
割と傷物語的かもしれない。
個人的に気になったのは古本屋できみちゃんが本の整理をしながら、
男の子を見る一連。
見てはいけない、という意識が斜めになった本を立たせる、
その「いけない」という意識をこのように描くのか、
という本作のルールというか、描き方のフックを得られたのがこのあたり。
互いに重ねられていく嘘が罪として触れられていくのが、
まあそうなるかーという納得にも変わり、
そしてそんな揺らぎで描写される世界観に見応えが感じられたな、と。
寮に招いて漫画を読んだり散らかしたりというのは、
徐々に嘘が拡大していく描写として本繋がりで見せられていたりとか、
何かに注目すると見える景色は変わるし、
自分自身の心もまた、鑑賞しながら揺らいでいる。
揺らいでいる、ということは止まらないということで、
ロトスコでやっていた花とアリス殺人事件を思い出しますが、
個人的にはロトスコ的な動きの面白さを楽しむシーズンは、
今更ながら終わったんだなと感じてしまったな、
という印象を受けるほどに、かすかな揺らぎの拾わせ方がいいなと感じる。
そしてそれがずっと続くことに、安らぎを感じられる。
人の感情には振れ幅があり行ったり来たりしていることを、
きちんと認識させてくれる、そんな心地よさがあるように感じられたな。
これは音楽の力もあるかもしれない。
反射も序盤はバンバンでてきましたが、後半はなりをひそめる。
それは描写されたキャラではない誰かが反射先として、
時には背反するものとして描かれる。
古本屋できみちゃんと再会したとき、主人公は梯子の線と重なるけど、
ある描写では、きみちゃんは梯子の手前側におり、
主人公のように上に重ならない、とか。
あるいは、背後の目になっていたり、とか。
自らのテリトリーから出ない母、先生、おばあちゃんという視点を、
カメラ位置や、見えない、見えるという見せ方で見せたりとか。
最後に全員で踊るとこは湯浅作品を取り込んだなぁと思ったり。
個人的には山田尚子監督現時点での最高傑作。
そのことに、この上ない安堵を覚えるのがうれしくも悲しくもあり。
あとおそらくこの鑑賞した体験を生涯追いかけるのではないか、
という予感もあります。
勇者王ガオガイガーの最終回の体験を今も追いかけているので。
時の運もありますが、
今作はそういう作品になりうるパワーが、巡り合わせが自分にはあったかな。
具体的な読解はいくらでもできると思いますが、
映像の持つ安らぎ感が今の自分のアニメに求める理想形に近く、
これ以上に自分が必要とする作品が出てくるんだろうか、
というくらい心がびっくりしているので、今はあまり意味を感じないかな。
個人的には素晴らしい映画体験ができた作品でした。
こうした作品にまた巡り合いたいものです。