幾原監督作。
RのTV放送の空気がそのまま劇場に持ち込まれた感じで第一印象は悪かった。
けどセラムン劇場版の中では歴史的な意味でも見られていい作品かも。
無印TV版の終盤のような位置づけのものをあらためてやることで、
三石琴乃が主役としての威信を取り戻すかのような作品だったかもというか。
少なくとも、TV見てるとちびうさの荒木に全部持ってかれてるような気がしていたので。
TVだとSの終盤なんかはそれをやろうという意思を感じたけど。
今回のテーマは衛と敵側の子供時代の友情をベースに置いた物語だったけど、
敵側のキャラがただ衛のために綺麗な花を探していた結果あやつられてしまっただけなのに、
誰も「こいつは操られているだけなんだ!」という主張をしてくれなくてもどかしかった。
常套手段としては、衛が操られているキャラを攻撃するのに躊躇いがあって、
そこから葛藤を導き出すのが王道だと思うんだけど、そういうのがない。
セーラームーンたちは操っている花の生態についてはあるていど情報があるはずなのに、
誰も彼を元に戻そう、助け出そうというようなことを言い出さない。
あと男女間の愛の男同士の友情を天秤にかけてる節があってそこがやっぱ一番気になる。
敵キャラがやたらセーラームーンの胸を触って突き飛ばしたり胸のペンダント触って変身解いたり、
やたらとセーラームーンの心を突き放しに、壊しにいってる。
終盤を見ると元々は衛の彼女であるうさぎたちに対して優しい態度がとれるキャラなんだけど、
ふとしたキッカケで恋愛と友情の板ばさみあった結果どちらを選ぶのかという、
男側への問いかけに近いことが行われてるのが興味深いというかね。
セーラームーンという作品でそれをやっているというところに妙な意識を感じるというか。
そう考えると、上であげた誰も敵キャラを助けようとしないというのは、
そうした友情と恋愛のぶつかり合いを描くのに必要な処置だったのかなと思うわけです。
そんでその決着の付け方も結構興味深かった。
敵キャラが元に戻って操られていた状態から開放してくれたことに対して礼をいい、
自分のエナジーをタキシード仮面の接吻を通してセーラームーンに与える、というもの。
ここで彼が用意した彼の分身たる花からオーバーラップでキスをしている唇に重なる衝撃。
彼自身が友情の証として示された花が、次の瞬間には愛の形になっている。
ここの意味合いを読み解くのが難儀で、それでいて面白い。
彼等の友情はセーラームーンを生き返らせること、
そして無言で衛のもとを離れることで示され、その自分をかえりみない、
衛の他の誰にも伝わらないやり方で幕を閉じる。
そしてその別れが今の衛の幸せ、みなの幸せに繋がっている。
敵キャラを救ったのがセーラームーンの愛ならば、
セーラームーンを救ったのは友情であるっていう関係がうまく描かれているのではと思います。
しかし、そこには衛自身が敵キャラのために何も出来なかったという事実が横たわっていて、
そういう友情に関しての問題の浮き彫り、
友情の一方向性と愛の相互との気持ちの共有の対比が強調されている感じで、
自分はもうちょっと時間をかけてこの辺を見る、読み解く必要があるかなと感じました。
RのTV放送の空気がそのまま劇場に持ち込まれた感じで第一印象は悪かった。
けどセラムン劇場版の中では歴史的な意味でも見られていい作品かも。
無印TV版の終盤のような位置づけのものをあらためてやることで、
三石琴乃が主役としての威信を取り戻すかのような作品だったかもというか。
少なくとも、TV見てるとちびうさの荒木に全部持ってかれてるような気がしていたので。
TVだとSの終盤なんかはそれをやろうという意思を感じたけど。
今回のテーマは衛と敵側の子供時代の友情をベースに置いた物語だったけど、
敵側のキャラがただ衛のために綺麗な花を探していた結果あやつられてしまっただけなのに、
誰も「こいつは操られているだけなんだ!」という主張をしてくれなくてもどかしかった。
常套手段としては、衛が操られているキャラを攻撃するのに躊躇いがあって、
そこから葛藤を導き出すのが王道だと思うんだけど、そういうのがない。
セーラームーンたちは操っている花の生態についてはあるていど情報があるはずなのに、
誰も彼を元に戻そう、助け出そうというようなことを言い出さない。
あと男女間の愛の男同士の友情を天秤にかけてる節があってそこがやっぱ一番気になる。
敵キャラがやたらセーラームーンの胸を触って突き飛ばしたり胸のペンダント触って変身解いたり、
やたらとセーラームーンの心を突き放しに、壊しにいってる。
終盤を見ると元々は衛の彼女であるうさぎたちに対して優しい態度がとれるキャラなんだけど、
ふとしたキッカケで恋愛と友情の板ばさみあった結果どちらを選ぶのかという、
男側への問いかけに近いことが行われてるのが興味深いというかね。
セーラームーンという作品でそれをやっているというところに妙な意識を感じるというか。
そう考えると、上であげた誰も敵キャラを助けようとしないというのは、
そうした友情と恋愛のぶつかり合いを描くのに必要な処置だったのかなと思うわけです。
そんでその決着の付け方も結構興味深かった。
敵キャラが元に戻って操られていた状態から開放してくれたことに対して礼をいい、
自分のエナジーをタキシード仮面の接吻を通してセーラームーンに与える、というもの。
ここで彼が用意した彼の分身たる花からオーバーラップでキスをしている唇に重なる衝撃。
彼自身が友情の証として示された花が、次の瞬間には愛の形になっている。
ここの意味合いを読み解くのが難儀で、それでいて面白い。
彼等の友情はセーラームーンを生き返らせること、
そして無言で衛のもとを離れることで示され、その自分をかえりみない、
衛の他の誰にも伝わらないやり方で幕を閉じる。
そしてその別れが今の衛の幸せ、みなの幸せに繋がっている。
敵キャラを救ったのがセーラームーンの愛ならば、
セーラームーンを救ったのは友情であるっていう関係がうまく描かれているのではと思います。
しかし、そこには衛自身が敵キャラのために何も出来なかったという事実が横たわっていて、
そういう友情に関しての問題の浮き彫り、
友情の一方向性と愛の相互との気持ちの共有の対比が強調されている感じで、
自分はもうちょっと時間をかけてこの辺を見る、読み解く必要があるかなと感じました。