流星、夜を切り裂いて ~FLY HIGH~ ver.2

米たにヨシトモファン 京アニに興味あり アニメ語りメイン

アニメ雑記 2020/12/30 を語る

2020-12-30 17:47:37 | ■アニメレビューとか
ブログを移行して1年が経とうとしています。
前ブログとあまり変わらない更新を心がけてきましたがどうだったでしょうか。
今後もこのような更新になっていくかと思います。
できれば毎クール1作品は毎週書きたいんですが、なかなかうまくいきません。

せっかく前ブログ記事も移行したので、
自分がブログで記事を書いた中で、
印象的だったものを上げていきたいかなと思います。
10年アニメ感想書いてきて印象的だった作品とはどういうものなのか?
というのをやってみてもいいのかなと思ったので。
とりあえず巷で人気の例に習って10本上げてみたいと思います。

題して

『アニメ感想ブログ管理人が選ぶこの10年で記憶に残ったアニメ話数10選』

ルールは当ブログで感想記事を書いた話数を選ぶこと。
以上です。


1.バトルスピリッツ ブレイヴ 48話 ダンVS魔ゐ ダブルブレイヴVSダブルノヴァ  (2011/8/28
まず1本目はバトスピから。
ブレイブの終盤は最終回がずっと続いているような形で印象的な話数が多いですが、
中でも特に印象に残っています。
シリーズを跨いだキャラクターの関係性のドラマが炸裂していて、
積み重なった思いの強さが伝わってくるようです。
ライフで受けるというゲーム上の宣言が人生を通したものに映るのも印象的。
当時の作品ブログによれば相当まゐの描写には拘っていたそうです。
シリーズで見てるとまゐの描写の違いがよくわかると思います。
また今話数の見どころの1つであるまゐの召喚バンクですが、
これはこの話数前から使われており、
以前からダンの昔のカードを使ってバトルに勝利しているのですが、
今話数で非常に印象的なシーンになっているのが当時としても新鮮でした。
まゐのバンクは複数の話数で徐々に新規に作られていって、
今話数で最終的にAパート終盤に乱れ打ちできるような形になっているので、
話数を重ねる力というのを感じられたのを覚えています。
また声優さんの芝居、表情作画がやはりそれまでと別物で、
まゐの戦い方は以前とあまり変わらないはずなのに、
特別かっこよく、またドラマとして印象的に映ります。

とまあ改めて書きましたがやはり最後の告白のインパクトですよね。
当時は負けが確定したところでグダグダ言い出すのは子供番組的に、
ゲームは楽しくプレイしようというフェアプレイの精神の中で、
泣き落としでかかっていいのかな?みたいなことを考えていたんだと思います。

ただ本当に48話のまゐ様はヒロインしていて素晴らしい。
最後の本当に最後に気持ちを伝えて止めようとするのもグッときます。



2.セイクリッドセブン 9話 転石するイシ (2011/7~
いきなりルール違反で記事を書いていない話数ですが、
下書きをしていたので自分的にはセーフ。

複数の強敵とのバトルという話数ですが、
最後の突撃が印象に残った話数でした。

アルマが街に向かっている敵を追いかけ突撃するカット。
主観ショットで徐々に視界が悪くなっていき、
最後には僅かな光しか見えないというのが、
光速に近づくにつれ人の見る光は点にしかならないという、
そういう思考実験的なカットのように思えて印象に残っています。
人体が光速に迫るとはどういうことか?
というアプローチをされている衝撃、みたいなのが強かったです。

この話数をきっかけに個人的にアニメを見る際に意識している点だったりします。
『傷物語Ⅱ』ではTVのチャンネルを消すように阿良々木が消える表現を見て、
これもまた人が光速に近づくことへのアプローチとして新鮮でした。

人がどれだけ速く空を飛べるか、光速に迫っていくとはどういうものか、
というのテーマを個人的に受け取れた話数として存在感が強い話数でした。


3.戦姫絶唱シンフォギア 12話 (2012/1月~
当時は歌ってバトルっていう色物感が強かったですが、
アニメオリジナル作品で5期もやったというのを考えると凄い作品になったなという印象があります。
自分自身シンフォギアで好きな話数は結構あり今回も少し迷いましたが、
やはり1期12話は特に自分の中に残っている話数でした。

中でも物語的に翼の歌に惹きつけられます。
アフレコで歌うというCD音源に頼らない体制は正に大正解という形で、
水樹奈々の歌う歌がフィーネとのバトル中は風鳴翼の歌として響いて、
その歌の力強さにキャラクターの変化を感じられてグッときます。

響たちの復活、変身も1話とかけている形が印象的ですね。
悠木碧だと最近は『幼女戦記』などのダーティなキャラが好みなんですが、
最後の咆哮は作品を盛り上げる最高の一撃だったように思います。
当時はここまで歌って叫べる方というイメージはなかったので、
そういう意味でも非常に新鮮なシーンでした。

また高速PANによる印象づけはシリーズを通じて1話やOPなどで印象付けられており、
それが非常に効果的に使われているのも印象的ですね。

個人的に6話の響の拳がキマった後から響の身を案じる未来のシーンが、
BGMの妙もあって好きなんですが、やはり12話は外せないなと思いこちらを選びました。
というか記事を書いていなかった。


4.ソードアート・オンライン 7話(2012/7~
未だに自分がよく考えてしまう7話。
というのもこの話数のリズの心情の情景は作品内で美しすぎるんですよね。

キリトに世界を託す姿もささやかな存在だからこそ印象的に映る。
この話数の持つパワーを制作側はどうおもっているんだろうという疑問と、
立川譲さんは野心的な方だという印象が長らく続いてちょっと辛かったです。
アリシゼーション編という剣の物語というのが益々強まる作品で、
監督が交代したことに対して因果的なものを見てしまうのもこの話数ありき。


5.境界線上のホライゾンⅡ 10話(2012/7~
ネシンバラ「僕は必ずそこへ行く。君とかつて見た、正しき所へ必ず行く! 」
シェイクスピア「だったら私は、私は何処へ行ったの!?」
このやり取りがずっと頭から離れない。
もうずっと離れない。

私は何処へ行ったの?というのはダブルミーニング的な意味合いですが、
ネシンバラのいう正しきところへ行けなかったシェイクスピアの絶叫が響く形でした。
あと自分は正しいのか、という迷うときに思い出すような感じだったように思います。

ホライゾンは1期の構成がよく4話5話はもちろん、
9話の終わりから10話からのバトルが非常に印象的で、
世界観を共有できればこんなに楽しい作品はないなと思ったんですが、
3期以降の制作に繋がらなかったのは残念です。

小野学監督は咲-saki-シリーズも素晴らしく、
こんなエンタメが作れる方がいるのかと思っていましたが、
シリーズが続かなくなり各作品のスタッフが散り散りになって、
やはりチームは大事なんだなと思わされました。
ホライゾンも咲も印象的な話数が多く、充実した作品でした。


6.魔弾の王と戦姫 5話 (2014/10~
JC作品から離れた渡部高志さんの演出作品として印象的でした。
JCの渡部作品ってあまり評判がいいイメージがなかったんですが、
やはり印象的な作品を作られる方だなと思わされたのが印象に残っています。


7.響け!ユーフォニアム 12話 (2015/4~
久美子の走りにやはり惹きつけられます。
京アニのファン感謝祭で作業の行程をある程度見れたのが印象的でした。
三好さんの描く久美子というのは自分にとって特別で、
これから先それを見ることができないことが非常に残念で悔しいです。

シリーズとしても充実した作品でした。
この10年で印象的なTVシリーズをあげるなら今作、
映画で選ぶなら『リズと青い鳥』になると思います。


8.アイドルマスター シンデレラガールズ 25話 Cinderella Girls at the Ball. (2015/1~
流れ星キセキのシーンはやはり何度見てもグッときます。
24話を見るに花を使う演出だったりへの葛藤など、
監督として悩んだんじゃないかと思われる作品だったのが個人的に気がかりでした。

全然違う話になりますが、虚構性の強い祈る少女の絵っていうのを見ていて、
何となく『魔法騎士レイアース』のOP1のサビの魅力は、
つまりはこういうことなのではないかと最近見ていてよく感じます。
変身前の姿を描くことで、
純真な姿を描くことで煌めく世界へと羽ばたくことへ胎動を表現しているっぽい感じが。
当時の大張さんのOPは高雄統子さんに匹敵する演出力があったのか、みたいな。

高雄統子さんは演出家として非常に目立つ方ですが、
近年はバトル作品の相談役みたいなことをされているっぽく、
うーん、と思うことが多いです。
FGOの最終話もエレシュキガルへの目配せは相変わらずのエッジの強さだなと思いますが、
そこぐらいしか見れませんでしたし。
それだけ高雄さんの携わった作品への期待感が大きいこと、
そしてそれが大きいだけにうーんとなってしまうことが多い。
幸福な作品との出会いを願ってやみません。


9.Fate/Apocrypha 22話 (2017/7~ 
言わずと知れた作画回。
もう3年経ってることに驚かされます。
ストーリーに寄り添う作画回ということで大変意義深い話数だったように思います。
VSカルナがやはり大きいですね。
カルナのアクションや宝具演出はゲームのFGO上に反映されていて、
この回の持つインパクトを改めて感じました。


10.これはゾンビですか? 6話 (2011年1月~ 
セラの主観で見せる京子の不敵な笑みが好きで、
その1カットが頭から離れずにいる、という感じです。
悪女だと『オーバーロード』のクレマンティーヌとか、
近年でも印象的な話数はあるんですが、
年数が経っている分、未だにふと思い浮かべてしまうので入れました。

他に理由をあげるなら井出コンテ回だというのもありますかね。
当時旧作に続編当たる作品などを監督されず、
他作品で多くのコンテを切られていたのが印象に残っています。
やはり某作のコンテ回が何らかの刺激になったのかなみたいなのがありますが、
どうなんでしょう。
そういうのを意識してると自然と井出回は意識を強めに見てしまってるなと。
これゾンは3話もコンテを切られていて当時としては異常に力入ってるみたいな感覚もあり。
近年の金崎作品は監督コンテ話数が多いので、
何かあるのかなとか思ってしまうので金崎作品として意識して記憶に残る感じでした。


その他候補だったもの
・魔法少女まどか☆マギカ 10話 2011/1~
・ログ・ホライズン 2期10話 ギルドマスター 2015/12/6
・ラブライブ!サンシャイン!! 2期8話 HAKODATE 2017/10~ 
・僕のヒーローアカデミア 42話 僕のヒーロー 2018/4/28


10年だとやはり10年の間で思い返した話数がやはり印象深い形で、
10年代前半の作品が多くなりましたね。
もっと思い出語りというか、この記事を書いたときはこうだけど実際はこう、
みたいなことを書こうかと思いましたが面倒くさくなったので切り上げました。

個人的に言いたいのは印象に残る作品は年月が経たないと実感できないものがあり、
即物的に自分の中の作品評を固めるのは多くのものを取りこぼすのではないか、みたいなことです。
まあ極めて個人的などうでもいい話ですが、
今大好きな作品は果たして10年後に同じくらい好きでいられるのか?
その価値観をいつまで持っていることができるのか。
そういう視点も面白いんじゃないかと思うので、意識していただけたら幸いです。

ジョゼと虎と魚たち を語る

2020-12-26 16:27:30 | ■アニメレビューとか
見てきました。
タムラコータロー監督作ということで、
きっとオシャレな画面なんだろうなという期待感が強い作品で楽しみにしていました。
原作、実写版は未読。

以下ネタバレ感想。


最初に個人的に見ていて気になったのはジョゼと主人公の出会いの場面。
ジョゼが車椅子で坂道を猛スピード下ってきて衝突という流れですが、
その中で電線を揺らしている描写が入ってるのが気になったかな、と。

電柱にぶつかったわけでもない(ぶつかっていたら大変なこと)のに、
電線を揺らしているのが不可解なんですよね。
出会いを強調する風を演出するのに見せている風でもなく。
個人的に思い出したのが『とらドラ!』の2話で、
電柱を傾かせるところ。
あちらも恋愛モノとして印象深い作品だったので、
ここは出会いによって電柱を傾かせるような、
そういう揺らぎが生じたことを描いているのかと思えたなと。
とらドラリスペクトなのかなぁみたいなね。
終盤に同じことをもう一度やりますが、
そのときにも変圧器付きで電柱、電線を描いていて、
そこに2人の出会いの何かを込めている意識を感じたので、
なぜそこだったんだろうなと思ったときにそう思えた感じだったかな。

序盤見ていてジョゼのおばあちゃんの存在感が強いのが、
作品をより印象的にしている気がしたな。
扇風機の風でなびく髪などから感じる夏の風情など、
おばあちゃんを取り巻く環境が結果としてジョゼの環境に触れている印象。
またおばあちゃんを魅力的に描くという点が意欲的で良かったですね。
アニメではあまり見かけない新鮮なシーンが多い印象でした。

恒夫とジョゼの出会いから2人が海にでかけて行くシーン、
外は猛獣がいっぱいという、障害者にとっての過酷さを印象づける形でしたが、
そういう猛獣たちの中でジョゼが海に行けるのは、
数多くの猛獣たちが仕事をしているからなんだな、
というのを感じられてあまり障害者の過酷さを描いている風でなかったのが気になったな。

例えば駅で車椅子を下ろすのに駅員がスロープを準備してくれてる描写を入れたりとか。
切符を買うところで助けてくれる他人はいないけど、
仕事として支えてくれる人たちがいる、
という点が個人的に染みるシーンでもあったな。
自分自身、自分がやってる仕事の意義は見出しづらいんですが、
ジョゼみたいな子の世界を広げる役割の一翼になれるなら、
それで十分じゃないかと思えたというかね。
道路ちゃんと整備しろ国交省役所道路屋!みたいな。
ジョゼが食べてるクレープだって、
クレープ屋やってる人がいなかったら味わえないんやで、
みたいな気持ちにさせられたというか。
これは主人公の恒夫が仕事としてジョゼと接していることからくる印象なのかな。

ただ相談支援員や民生委員の人などジョゼを助ける人たち、ヘルパーさんなど、
そういうジョゼと長く直接関わる人たちの存在が後退していて、
ジョゼが恒夫と出会うことで広がった人間関係に寄り掛かる描写をちょっと危うくも感じたな。
社会的なセーフティを遠ざける意味合いがちょっと引っかかるというか。
ただこれは親への反抗というか、身近に接する人たちへの反発程度という感じなのかな。
ジョゼが恒夫に健常者という言葉を使ったり。
この辺は意図しての脚本ということだったので、
ジョゼがみずから破滅的な行動をとってしまったことへの代償という描写なのかな。


絵としては結構色んなシーンが印象的でしたが、
車椅子を押されているジョゼを付けPANで足先から表情までを捉えてるカットが印象的だったかな。
どういうシーンだったかは覚えていませんが、
キャラクターの存在感が強く印象付けられてグッと来たかなと。
2人が外へ出てからのシーンは幸福度が高く見ていて好きなシーンが多かったです。
魚のランプをジョゼの部屋で渡すシーンなど自然に涙が出てくるシーンが多かったかな。
まあ大抵の映画で自分は何回も泣くので自分の涙に意義は感じづらいですが、
今作のような夢を追いかけていくことを強く肯定する作品は稀で、
その作品の持つ強さに打たれる感じでした。

それを特に感じられたのがジョゼの描いた絵本のくだり。
子供に読み聞かせるという形を取ることで、
それまでのジョゼの成長、絵を描くことの意義、
思いを伝えることの尊さ、ジョゼの恒夫への思い、
夢への憧憬など作品の持つ良さが詰まっていてGOODでした。
ヒロインから主人公への気持ちがメタファーという形でしっかりと届く、
その気持ちを受け取ってることの証としての涙。
どれもが甘い絵空事のように思え、だからこそ甘美なシーンのように思えたな。

ジョゼがクリスマスに街を彷徨っているシーン、
車椅子の車輪の跡が切れた後のカットがちょっと出﨑チックだったかな。
道路を広めにとって街を俯瞰するようなレイアウトとかそれっぽいなと。

ジョゼを坂道で押したのは何者だったのか。
猛獣だったのか悪意を持った人間だったのかという疑問を最後に種明かしをされたような気がしたな。
悪意はなくとも不注意で人は人を傷つけられるという話なんだろうか。
事故を減らす努力は必要だけども、
その事故がなければ2人は出会っていないので、
結局運命論に帰結するのか。
その辺がちょっと考えてしまったかな。

大変楽しませてもらった作品ですが、
あまり魅力を伝えるような感想にはならなかったな。
ぜひ劇場で見てもらって彼女らの姿を見てもらいたい作品かな。
個人的には生き方についての指針をもらった程度には印象深い作品でした。
年末年始にまた見てもっと魅力を伝えられたらな、と思います。

アニメ雑記 2020/12/20 を語る

2020-12-20 22:02:28 | ■アニメレビューとか
●ダンジョンに出会いを求めているのは間違っているのだろうかⅢ 12話


アゴの傷をずっと描写しているのが気になった。

1期8話でリリの傷が癒えた代わりにベルが血化粧をするのが印象的だったので、
そこを意識した描写だったのかな。
物語的に言えば言葉ではなく態度で示すという意思表示を強調する意味合いなんでしょうが、
傷の意味合いについて意識して欲しい形だったのかなぁと。
今回は1期8話を彷彿をさせられるカットが多くてグッときたな。
結構好きな話数だったので、ようやく見たいものが見れた気がしたなと。

1期感想。

ヘルメスの言葉を意識すると2期10話から繋がってる形かな。
サブタイトルが英雄○○の4文字なのも意識してるのがよくわかるし、
大事にしている部分なんだろうなというのが伝わってくる感じ。
今回はベルが誰かの英雄から全てを引き受ける英雄へと変わっていく転換点という感。
ただミノタウロスとの因縁が結果的にベルを英雄へと押し上げるのは作為的すぎる気がしますが、
敗北を喫することでそのバランスを取った感じだったんですかね。



ベルVS黒ミノタウロス。
背景を飛ばしたインパクト重視の線画描写がグッときますが、
ミノとの戦闘重視で先程までのドラマを置いていくためのカット、
という気がするな。
ミノがベルにアタックするまで間があるので、
刹那の瞬間や瞬間的なインパクトを描いているとするにはちょっと矛盾した印象がしたかなと。
強敵との戦いへと見所を誘導されている印象が強いというか。





朝日を印象づけてるのがまた8話的。
青さをあまり強調していないのはベルの青さを抜くような意図なのかな。
強くなりたいと願った場所、ヴァレンなにがしと朝練した場所で、
かつての強敵と相まみえるシチュエーションとかやはり好きですね。
再びヴァレンなにがしへと願う形も良いな。
ただ負け戦だったので音楽的な盛り上げ方は抑制的で、
1期のような爽快感さには欠けるかな。
今後も続いていくシリーズになるかわかりませんが、
またベルの活躍が見られることを願っております。

●アサルトリリィ BOUQUET 11話


幻影の見せ方や表情が印象的でしたが、
個人的に好きなのは指輪を見せるところだったかな。
梨璃が夢結の部屋から出る際に手を見せるところで、
なぜ梨璃が戦うのかというのを明確にしているのが良いなと。
夢結が縛られているから、
夢結とかつて繋がりがあったキャラに嫉妬しているからではなく、
リリィだから、という使命感を強調しているところがグッとくるかなと。


戦えない苦悩と指輪。
梨璃が出てから今度は夢結の指輪を見せるのがなんか惹かれたな。
戦いたいのに戦えないという眼の前の光景に立つ夢結の心情は、
リリィとしての心情に寄っていることを意識させられる感じが。
壊れた武器を前に手をこまねく形から、
まだチャンスはある、という引き方が良いのと、
それが夢結のドラマにつながる期待感もあって楽しみかなと。
最後まで楽しんで見れればと思います。

魔女の旅々 8,9話 を語る

2020-12-04 16:39:12 | ■アニメレビューとか
●8話


6話で魔術協会の三日月の紋章だったかをアップにしない違和感があったけど、
今回はちゃんとそういうところから攻めてきていて、
普通こういう感じだよなぁと思いながら見ていた。
なんで6話はああいう感じだったんだろう。


新キャラ魔女シーラ。
今回は小物を見せるのに気を使っていたのか、
シーラのキセルが度々画面にINしたりして存在感を印象づけていたなと。


人形を扱った回というのは不気味さを狙う演出を想像してしまうけど、
あまり恐怖を煽るような形ではなかった印象。
人々に愛される人形たちというのを中心に描きたかったのかな。
不気味さは後付というか。



服の裏地を見せるような感じが気になる、かな。
マントなんかは普段から裏地が見えているけど、
イレイナの服なんかはワンピースの内側をすべて見せる格好で、
そういう服の内側を意識させるような絵面が新鮮に感じたな。
服の描き方には気を張ってるつもりだけど、
なかなかいい言葉が見つからないな。


日が当たるリピートなんかな。
9話でも似たようなことやっていて、
作品を通じてのリピートや兼用が似たような印象を受ける不思議。


マルチアングルで繰り返し強調。
これも9話でやっていてちょっと気になる。


手枷をかけるエフェクトの派手派手なカメラワークからシーラへ。
その魔法はシーラのものだったのかとなるカット割で楽しいかな。
キセルが杖代わりなのも面白いかなと。
それまでのキセル強調の画面がここの意外性に繋がってるのが良い。


シーラの引っ掛かりとネックレス。
サヤの師匠がシーラという繋がりでしたが、
このネックレスの持つ意味を描いていたのが9話を見た後だと引っかかる感じ。
これを強調したいがための演出だったのかな、みたいな。

●9話


木が3Dか何かで描かてる風なのがなんか気色悪い感じがしたな。
この回の気色悪さを強調する意味合いなんだろうか。


後半リピートされる構図ですが、
前半は過去にはこのベンチはなかった、という意味合いが強かった感。
ハート型に抜けているのに、
あまり恋人たちなどを印象づけていないのが引っかかりだったかな。


8話に続きイレイナの食から事件に巻き込まれる感じで、
8,9話はぜんぜん違う話なのに重なるような部分が多くて、
ちょっと気になってしまう感。
話の作りが似てるからなんでしょうか。


新聞の中の写真が動くのはハリーポッターという感。
それまでが動いていなかったのでアニメ的な演出なのか、
実際に動いているのかどうなのか。
ファンタジーらしい演出でありながら、
それが持つリアリティレベルが不明なのが面白いかなと。


会話の兼用でのやり取りはまた6話的かなと思いつつ、
花を印象的に見せつつ不安感が残る感じが引っかかるかな。
どういう狙いなんだろうみたいな。

過去に飛んで親友を助けたいという魔女エステルに協力する話でしたが、
過去の話の前提がどこまで真実だったのか気になる感じ。
3年前に親友を死刑にしたようですが、
過去に旅立つ前に準備は何年も前に済ませている答えるのは、
思いの丈は3年程度しかないはずなのにそのセリフなのかとか、
彼女がいない世界に耐えられない的なニュアンスだったのに、
別の時間軸を作るだけでよかったとか、
親友はおじさんを滅多刺しで殺したけど、
実は両親も滅多刺しで殺されていたことを後から言うとか、
エステルの語り自体にどこかブレているような印象を受けるなと。
親友が殺人鬼になったことはお芝居になったりもして有名らしいけど、
たかだか3年でそういうような有名な話として昇華されるのかとも思ったり。


過去に戻り過去の親友セレナに会うエステル。
執拗に宗教の勧誘か疑うのがちょっと引っかかるかな。
あまり宗教色が強い作品ではないし、
セレナが実はどこかの宗教に属していたとか、
そういう伏線が実はあったのかなと思ったりなど。


人のうなじを見て人物を判別する変態だったので、
この親父は相当怪しいと思ったらセレナを虐待していたと聞いて納得。
あとここを見てエステルが引っ越したのは、
両親がセレナ家の異常を感知したためじゃないかとも思えたな。
エステルのことをよく見ていたわけだし、
娘をそんな風に見る男性を警戒しないわけがないので。
なんというかダイアローグの端から画面外を意識させる側面の強い回だった印象。


セレナ、歯がでかい。
他者を噛んで危害を加えたりするの怖って感じですが、
この噛むという癖で彼女の殺人だと断定されていたのかな。
ちょっと気になる部分。

買い物に出ていたセレナが家に戻る前に、
黒い衣を羽織って襲っているのを見ると、
どこかで着替えたか服を用意していたわけで、
そこは何処だったのかがちょっと気になるし、
新聞に載っていた強盗は結局なんだったのかとか、
そもそもエステル襲われた時点で魔法を使っているのにセレナに負けちゃったの?とか、
なんで火事になってるのに誰も来ないのとか割と謎が謎を呼ぶシーン。


セレナがイレイナに襲いかかろうとしてからのエステルの反撃。
この辺の魔法展開の臨場感とかいいですね。
セレナどんだけ狂ってるねんって感じですが、
エステルがセレナを処刑したとき何も告げなかったのがやや不思議。
公的な場所だったんだろうか。


記憶を魔力にしてのセレナの処刑。
炎が猛る感じなどがかっこよく、
また8話のイレイナと同じく、
マルチアングルで魔法を強調してるのが目を引くかな。

エステルが目から血を流しているのだったり、
セレナの名を叫んでいたり、記憶を魔力に変えてるのを見ると、
なんかどこか戦姫絶唱シンフォギアって感じがしたな。



金に目もくれず走り去るイレイナ。
オフセリフで現代の部屋を見せる感じが、
エステルがイレイナへ語ったセレナへの思いを彷彿とさせられる感じで、
過去に行く前後の変化を強調されている気がしたな。



無力感に苛まれるイレイナ。
街角の子供達やイレイナのネックレスがまた引っかかる感じ。
特にイレイナのネックレスは今後サヤと殺し合いをしてしまうかもしれない、
相手の存在を消してしまいたくなるほどの憎しみを募らせてしまうかもしれない、
そういう危うさがあることをイレイナ自身が感じているだろうというのを匂わす感じでグッときたかな。
なぜ8話でまたそこを印象づける形だったのかというのを、
直近の話でそういうのを見て欲しいのかなという感が強かったかなと。


話の関係から時間経過、時計の演出などが多かったですが、
過去に行ったことで最も変わってしまったのはエステルとイレイナ自身で、
世界は何も変わっていないという無情さがちょっと印象的かな。

また残りの話数をどういう話をどういった演出で見せられるのか楽しみです。