溜めてた今期アニメをポツポツ見始めたので、
ちょっとずつ感想書きたいと思います。
●ゾンビランドサガ リベンジとか
4話。
光を背にする純子。
こう徹底して街灯に背を向けるのをやられてると気になりますね。
2個めとこはわざわざ街灯のない左手にアウト、
そして後ろには、という徹底さ。
星の光もあるだろうに、というあるべき光が考えられつつも、
というのは内にある答えに気づかずにいる純子っていう感じなのかな。
回想。
一番星が象徴するものを意識的に見せたいがために、
このカットを選んでるのかな、とか。
フェンス越しに。
カメラの被写界深度でフェンスが見えなくなるように、
囲いがあるように見せつつ、そんなものはない、
みたいな見えない檻を意識させらるような感じが気になるかな。
影が外に伸びていることがその証明みたいな。
しかし純子の影は手前の木と被せることで、
その見えにくさを意識させてるのかなとか。
あとこの一連、髪のハイライト反射が綺麗でしたね。
オレンジの光GOODですみたいな。
愛のばっかやろーは劇的な絵なのに手前からポリスメンが来るの、
すごくぶち壊し感ある。
光を意識させつつ警官でその光を遮るのもまた徹底してるなと感じつつ、
これがギャグになっていくのとか、
ちょっとしたレイアウトの妙が面白いですね。
そんな中で光をバックにした純子を見る幸太郎。
アイドルとしての純子をちゃんと見てる感が良いですね。
航空障害灯の赤も今回のイメージに合う感じ。
ちょっとした一番星っぽい感じがポイントでしょうか。
入室でギターのハイライトが変化するのが目を引きますね。
ハイライトは今回結構意識されてるのかな。
純子に指す光の存在。
天にある光は見ずに光をバックにした幸太郎を見る。
純子は外に出ようとしている、光を目指しているように見えるけど、
そういうことではなく、
純子に見えていなかった光を示すというシーンなので、
幸太郎こそがこの場合の光である、という感。
幸太郎のエレキを手にして再び純子のバックに光を見せる。
光に気づかない純子から光を背にする純子にという変化なのかな。
食堂に。
さっきまでの暗闇から一転明るい場所へと場面を移すことで、
気が晴れた純子を意識させる。
それまでも公園のシーンとかあったじゃんと思うけど、
シーンごとの意味合いのもたせ方があるから見えてくるものがある、
というのを今回は強めに描かれてるように感じるのでそうみえるというか。
緑のハイライトが印象的。
ライブの回想から自販機の光に移すの、
5話を見た後だと、
死者としての未来のなさがここにあるのかもしれないな、とか。
冷凍保存されたもの、思い出の中にしかないもの、みたいな。
愛を照らしていた緑の光は非常口の光、だったのかな。
過去の思い出が、栄光が非常口としてこじんまりと描かれるの、
そこに戻っても得られるものの小ささに触れてる感じなのかな。
まあゾンビだし?
そして外へと歩みだす。
愛もまた囲いの中にいたような雰囲気を醸し出しつつも、
思い出を背にし広い世界へと出る。
愛にとってはおそらく、光が指す世界へ。
2話の暁生カーパロディの後だと、
佐賀という世界から出ないことの意味するところとかも意識ししてしまうけど、
それは杞憂なのかもなとこういうシーンを見てると感じたりも。
どういう風になっていくのか気になるな。
エレキ破壊。
ギターを破壊することで今とそれまでの音楽の否定、
そして愛の不在と愛が必要なことを示すのがグッときますね。
音楽ファンがギターを破壊することをやたら強調するの?
とか思ってましたがこういうこととか納得してしまいました。
すみません、今まで会ってきた音楽ファンたち。
そして同時に『空の青さを知る人よ』のギターの破壊は、
こういうことだったのかとも思わされたかな。
ライバルに指す光が最も強い。
これが生きるチカラかと思わされる。
4話は光をめぐる意味合いを追うのが楽しい話数で良かったです。
5話。
スポットライトを浴びるのは、
というのがまた4話を彷彿とさせられる。
2話なんかを念頭に入れるとまた色々考えちゃうかな。
赤から青へっていうメッセージは心情の変化を強調する上でも印象的だし、
男の娘が男子トイレでというシチュエーション的にも、
そもそもリリィの髪色が水色でイメージが青っぽいし、
これはこじつけだけど4話の赤エレキから水野愛へという赤から青へ、
という変化の韻を踏まれてる気がする。
なんか見ていて非常に腑に落ちる感じがしたので特に目を引いたな。
長くなったので他作品はまた別記事で。