見てきました。
タムラコータロー監督作ということで、
きっとオシャレな画面なんだろうなという期待感が強い作品で楽しみにしていました。
原作、実写版は未読。
以下ネタバレ感想。
最初に個人的に見ていて気になったのはジョゼと主人公の出会いの場面。
ジョゼが車椅子で坂道を猛スピード下ってきて衝突という流れですが、
その中で電線を揺らしている描写が入ってるのが気になったかな、と。
電柱にぶつかったわけでもない(ぶつかっていたら大変なこと)のに、
電線を揺らしているのが不可解なんですよね。
出会いを強調する風を演出するのに見せている風でもなく。
個人的に思い出したのが『とらドラ!』の2話で、
電柱を傾かせるところ。
あちらも恋愛モノとして印象深い作品だったので、
ここは出会いによって電柱を傾かせるような、
そういう揺らぎが生じたことを描いているのかと思えたなと。
とらドラリスペクトなのかなぁみたいなね。
終盤に同じことをもう一度やりますが、
そのときにも変圧器付きで電柱、電線を描いていて、
そこに2人の出会いの何かを込めている意識を感じたので、
なぜそこだったんだろうなと思ったときにそう思えた感じだったかな。
序盤見ていてジョゼのおばあちゃんの存在感が強いのが、
作品をより印象的にしている気がしたな。
扇風機の風でなびく髪などから感じる夏の風情など、
おばあちゃんを取り巻く環境が結果としてジョゼの環境に触れている印象。
またおばあちゃんを魅力的に描くという点が意欲的で良かったですね。
アニメではあまり見かけない新鮮なシーンが多い印象でした。
恒夫とジョゼの出会いから2人が海にでかけて行くシーン、
外は猛獣がいっぱいという、障害者にとっての過酷さを印象づける形でしたが、
そういう猛獣たちの中でジョゼが海に行けるのは、
数多くの猛獣たちが仕事をしているからなんだな、
というのを感じられてあまり障害者の過酷さを描いている風でなかったのが気になったな。
例えば駅で車椅子を下ろすのに駅員がスロープを準備してくれてる描写を入れたりとか。
切符を買うところで助けてくれる他人はいないけど、
仕事として支えてくれる人たちがいる、
という点が個人的に染みるシーンでもあったな。
自分自身、自分がやってる仕事の意義は見出しづらいんですが、
ジョゼみたいな子の世界を広げる役割の一翼になれるなら、
それで十分じゃないかと思えたというかね。
道路ちゃんと整備しろ国交省役所道路屋!みたいな。
ジョゼが食べてるクレープだって、
クレープ屋やってる人がいなかったら味わえないんやで、
みたいな気持ちにさせられたというか。
これは主人公の恒夫が仕事としてジョゼと接していることからくる印象なのかな。
ただ相談支援員や民生委員の人などジョゼを助ける人たち、ヘルパーさんなど、
そういうジョゼと長く直接関わる人たちの存在が後退していて、
ジョゼが恒夫と出会うことで広がった人間関係に寄り掛かる描写をちょっと危うくも感じたな。
社会的なセーフティを遠ざける意味合いがちょっと引っかかるというか。
ただこれは親への反抗というか、身近に接する人たちへの反発程度という感じなのかな。
ジョゼが恒夫に健常者という言葉を使ったり。
この辺は意図しての脚本ということだったので、
ジョゼがみずから破滅的な行動をとってしまったことへの代償という描写なのかな。
絵としては結構色んなシーンが印象的でしたが、
車椅子を押されているジョゼを付けPANで足先から表情までを捉えてるカットが印象的だったかな。
どういうシーンだったかは覚えていませんが、
キャラクターの存在感が強く印象付けられてグッと来たかなと。
2人が外へ出てからのシーンは幸福度が高く見ていて好きなシーンが多かったです。
魚のランプをジョゼの部屋で渡すシーンなど自然に涙が出てくるシーンが多かったかな。
まあ大抵の映画で自分は何回も泣くので自分の涙に意義は感じづらいですが、
今作のような夢を追いかけていくことを強く肯定する作品は稀で、
その作品の持つ強さに打たれる感じでした。
それを特に感じられたのがジョゼの描いた絵本のくだり。
子供に読み聞かせるという形を取ることで、
それまでのジョゼの成長、絵を描くことの意義、
思いを伝えることの尊さ、ジョゼの恒夫への思い、
夢への憧憬など作品の持つ良さが詰まっていてGOODでした。
ヒロインから主人公への気持ちがメタファーという形でしっかりと届く、
その気持ちを受け取ってることの証としての涙。
どれもが甘い絵空事のように思え、だからこそ甘美なシーンのように思えたな。
ジョゼがクリスマスに街を彷徨っているシーン、
車椅子の車輪の跡が切れた後のカットがちょっと出﨑チックだったかな。
道路を広めにとって街を俯瞰するようなレイアウトとかそれっぽいなと。
ジョゼを坂道で押したのは何者だったのか。
猛獣だったのか悪意を持った人間だったのかという疑問を最後に種明かしをされたような気がしたな。
悪意はなくとも不注意で人は人を傷つけられるという話なんだろうか。
事故を減らす努力は必要だけども、
その事故がなければ2人は出会っていないので、
結局運命論に帰結するのか。
その辺がちょっと考えてしまったかな。
大変楽しませてもらった作品ですが、
あまり魅力を伝えるような感想にはならなかったな。
ぜひ劇場で見てもらって彼女らの姿を見てもらいたい作品かな。
個人的には生き方についての指針をもらった程度には印象深い作品でした。
年末年始にまた見てもっと魅力を伝えられたらな、と思います。
原作も未読ですが、調べた限りでは原作と実写はだいぶ違っているようでした。映画はジョゼの人格が嫌すぎて、演じた池脇千鶴まで嫌いになりました(^^;)
アニメはまた違うみたいですね。もし実写も観られていたら、感想を聞かせてくださると嬉しいです。
長々と失礼しました。
返信遅れましてすみません。
実写版ジョゼを見ましたが、今見るとタバコの描写などから時代性を見てしまう感じで、なんというか時代劇を見ているような感覚でした。住居などの貧困的なものが主眼で障害者的な側面を見るのは個人的に難しく感じました。ジョゼ自身が何かを成したいという態度をあまり示さないせいでしょうか。何もかもを諦めているようで、乳母車を押されること、誰かに関わっていて欲しいという願いを捨て去って、最後に電動車いすに乗る姿は男を知り最後の恋愛という希望をも砕かれた、夢を失って大人になったジョゼ像という感じがちょっと悲しい印象でした。乳母車は明らかな子供のメタファーという形だったので。
アニメ版は実写版から年月がたち、ジョゼと恒夫の立ち位置も変わらずを得ないという前提に立った作品という気がします。実写版の時代では別れるしかなかった2人が一緒になれる未来を見ている。2人が持つ夢が、障害者と健常者が愛し合える世の中になっていくであろうという世界の夢を背負っているような恰好なのだと実写版を見た後だと思えます。
果たして今の時代はそういう時代になれたのか。それは実写版が好きな方が多いように、そうなっていない、と多くの人が思っているようです。アニメ版が非常に良い作品だと思ったので、世間とのギャップに少し悩まされます。
ただ今声を大にして実写版を支持するのは障害者と健常者を巡る関係は後退しているという、そういう前提に立たなくてはならなくなり、世の中の取り組みを否定されているようでそこが引っかかる感じです。
まあ色々悩ましい作品という感じですね。
時間ができたら原作を読んだりサガンの本を読んだりしてより作品理解をすすめたいところです。